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3.「分かるかしら、この意味が」

 


 それから時間は流れていき……


 やがて辺りはすっかり暗くなって、陽気な笑い声と酒の匂いの溢れる夜がやって来た。




 ガヤガヤと騒がしい雰囲気の中……店の建物の裏で、乱雑に投げ捨てられた木箱の一つに腰掛けちちくり合う二つの人影があった。


「遅いじゃな〜い!もう、アタシ寂しかったんだからぁっ!」


 そう言ってガバッと抱きついてくる女が一人と、満更でもない顔でそれを宥める男が一人。


「いやぁ、ごめんごめん」

「でも、嬉しいわ!今日もこうやって会いに来てくれて……フランツ様、大好き!」

「こらこら、そうはしゃぐなって……!もう、甘えん坊だなぁノーラは」

「だってぇ、大好きなんだも〜ん」

「はははっ。本当にしょうがない()だな、君は〜」


 昼間の重い雰囲気とは打って変わって陽気な口調の彼……フランツ。


 昼と夜、身に纏うオーラは違えど。

 サラサラと美しい金の髪と、宝石のような青い瞳が、紛れもなくあの彼だという事を証明していた。


 そんな彼に下品な格好の女がしなだれかかり、滑らかな手つきで腕や太ももを妖しくさすっている。


「そうそう。ノーラ、今日はね……なんと、嬉しい知らせがあるんだ」

「えっ、嬉しい事?なになに〜?」


 街灯の下で明るく照らされる、まるで芸術品のような美青年。


 しかし真剣な顔つきをしてながらも、その手はしっかりと女の豊満な胸を堪能していた。


「今日ね、婚約者に婚約の破棄を伝えてきたんだ」

「えっ!本当?!」

「本当さ。でも、拍子抜けしそうなくらいとてもあっさりとした別れだったよ。いきなり婚約破棄を告げられて、ヒステリーでも起こすんじゃないかって心配してたけど……全然だった」

「へぇ、すご〜い。アタシだったら怒っちゃうかも〜」

「確かに、ある意味すごい人だったのかもな。女性的な感性も持ち合わせていながら、とても賢く理性的で……何か悩んだ時には、よく私に助言をしてくれた。本当によく出来た女性だったよ……」

「ふ〜ん」

「それはそうと。私はこんな話をしに来たんじゃない……重要なのはこれからの話だ」

「これから?」

「ああ。これでようやく私は晴れて自由の身だ。過去の私は血迷って別の女と婚約してしまったが、これからは本当に心から愛する者と真実の愛を育む事ができる。ああ、この時をどれほど待ち望んでいた事か……」


 そうウキウキと楽しそうに喋るフランツとは反対に、ノーラの表情は暗く沈んでいく。


「おや?もしかして、別れた相手の事を気にしてるのかい?君は優しいからね……でも、何も気にする事はない。君は全くの無関係なんだから」

「で、でも……」

「ほら……前に君、言ってただろう?『あなたには婚約者がいる。だからこれ以上の関係はいけない』って」

「……」

「婚約者はいなくなった。もう、これで私達の仲を邪魔するものはもう何もなくなった。だから……」


 バッとノーラの両手を取り、真剣な顔でフランツは言葉を続ける。


「だから、やっと……!これでやっと、気後れせず君と一緒にいられる……!こうやって隠れてコソコソせずに済むんだ……!」


 手を取り合ったまま、熱のこもった視線でノーラを貫く。

 女性なら誰でも思わずうっとりとしてしまいそうな、強い眼光で。


「ノーラ!私は、君を愛している……っ!」

「フ、フランツ様……!」

「君は今まで、辛い境遇をよく耐えてきたね……さぞや苦しかったろう。でも、そんな君をただ見守っているだけの日々はもう終わり……これからは私が君を幸せにしてみせる!」

「……」

「だから、ノーラ……私と結婚してくれないか……?」




 ゆっくりと瞬きを繰り返すノーラ。


 そして、それをじっと見つめるフランツ。

 彼女の次の言葉を逃すまいと、緊張した面持ちで。


「……」

「……」


 二人の間に静寂が流れていく。




 夜も更けてきて、賑やかだった街の喧騒はいつの間にか大人しくなっていた。

 今この場に聞こえるのは、時折微かに聞こえる人の声と風が木々をサワサワと揺らす音だけだった。




 ノーラはあちこちに視線を泳がせ、なんと答えようか考えあぐねているようだった。


「……」

「……」


 長々悩みに悩んだが、結局うまい答えは出なかったのかどこか浮かない表情のまま……しかし、フランツの期待と不安の入り混じった表情に耐えかねて……おずおずと口を開く。


「え、ええと……フランツ様……」

「……」

「その……ごめんなさい。アタシ、結婚はできない……」

「な、なんだって……?!」


 夜更けのシーンと静かな暗闇に、彼の素っ頓狂な声が響き渡った。







「う、嘘だろ……!そんな……!」


 動揺のあまり、同じような単語をうわ言のように繰り返すフランツ。


「そんな……!嘘だ、嘘だろ……!」

「……」

「そんなはずは……!なぁ、ノーラ……」


 フランツの縋るような視線に、ノーラはゆっくりと首を横に振った。




「なぜだ?やはり別れた女の事を気にしているのか?」

「いいえ、違うわ」

「まさか……私と君の身分の差か?それなら私がどうにか……」

「それも違う」

「なら、どうして……!」

「黙っていてごめんなさい。実は……アタシ、婚約者がいたの」


 フランツは目を丸くして、ノーラの顔を凝視する。


「えっ?!で、でも……君は……」

「ええ。あなたの事は本当に愛しているわ……でも、駄目なの」


 ノーラはフランツの目の前に左手を差し出す。


「見て、これを」


 光る何かが薬指に嵌っているのを見て、フランツは顔を引き攣らせる。


「なっ?!こ、これは……!」


 シンプルな銀の輪。

 そこに乗せられた小ぶりのダイヤモンドが月光を反射し輝いていた。


「これは……どういう事だ、ノーラ?どうして君が……これを?」

「もらったの」

「もらった?誰に?」

「あなたに」


 フランツは口をポカンと開けたまま、ノーラの顔とその指輪を交互に見つめている。




「アタシはノーラ。そしてあなたの婚約者の名前はエレノア」


 返事はない。


「分かるかしら、この意味が」


 エレノアもノーラも……元を正せば同じ名前。

 正式名称かその愛称かの違いだけで、結局同じ意味合いなのだ。


「ま、まさか……君は……」

「……」

「ノーラ、君は……まさかあの、エレノアなのか……?」

「ええ」


 そう言って、ノーラはウィッグを取ってみせる。


 白金の長髪は一瞬にして夜空に溶けるような黒色に変わり……服装はそのままだったが、彼がその正体を理解するまでそう時間はかからなかった。


「君は……エレノア……!」

「ええ、そうよ」


 顔はエレノア、口調はノーラ。

 エレノアの口から、ノーラの声がする。


「な、なな……な……」

「あなたの女好き、本当に困ったものね。でも、まんまと騙されてくれて……なかなか楽しかったわよ。うふふっ」


 そう言ってにっこり笑って見せる、ノーラ……もといエレノア。


 ざまぁみろの気持ちを最大まで込めた満面の笑顔で、目の前の男の瀕死の心にとどめの一撃を喰らわせてやったのだ。




「嘘だろ!そ、そんな……!そんな馬鹿な……!」


 つい数時間前に婚約破棄を告げた相手が……今、目の前にいる。

 しかも、求婚しようとしていた相手もまたその人物で。


 にわかに信じがたい状況だが、しかし実際に今こうして目の前にあるのだから……信じる信じないどころの話ではなかった。


「し、信じられない……ノーラが、あのノーラが……エレノア……?」


 立て続けに強い衝撃に打たれ、もはや満身創痍となったフランツはとうとうその場にへたり込んでしまった。







「充分楽しませてもらいましたから……約束通り、お返ししますね」


 外した指輪を摘みフランツの目の前で振って見せるも、反応がない。


「はい。どうぞ」


 思考も体も完全に固まってしまった彼の手に指輪を強引に握らせると、エレノアはサッと背中を向けた。




 彼への仕返しはもう終わり。

 充分楽しめたし、もう充分満足した。


 立ち去るなら、今。

 このまま長居をしては、きっと変に情が湧いてしまうから。


 だから、後は静かに立ち去るのみ。



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