幼馴染のお嬢様が実はお坊ちゃんだったらしい
それは、一目惚れと言っても良かった。
白磁のような肌に、透き通った銀の髪。
十にすら満たない幼き頃の私は、まるで人形のような少女────リュー・アズールにどうしようもなく心を惹かれ目を奪われた。
引っ込み思案で、父に社交性を広げるためにと無理矢理連れられたアズール公爵家主催のパーティーにて、私が彼女に自分から声を掛けた理由というものは、偶々抜け出した先で彼女がいたからではなく、そんな至極単純な感情故のものであった。
「と、と、とも、友達になってくだひゃいっ」
だが、現実は悲しきかな、振り絞った勇気はこれまでに培ってしまった「引っ込み思案」という性格が盛大に足を引っ張った。
要するに、噛んだ。
それも、どうにか誤魔化せるレベルを優に超えた噛み具合だった。
間違いなく、変なやつだと思われた。
思わずその場から逃げ出したくなる程に、私の胸中を「後悔」の二文字が埋め尽くした。
「…………」
しかし、私の発言に対する返事がどうしてか中々やって来ない。
先の噛み噛みセリフが恥ずかしくて目を逸らしていた私だったけど、反応を窺うべく彼女へと視線を向けると、そこには少し困惑した様子の少女がいた。
こんな変なやつと関わり合いになりたくない。なんて思われたのかと考えてしまって、泣き出したくなったけどどうにもそれは違ったらしい。
キョロキョロと何かを探すように首を振る少女のその反応は、無視をしている人間のものとは思えなかった。
やがて、そんな反応を眺める事十数秒。
「……えっ、と。もしかして、僕のこと?」
周囲にそれらしき人間がいないことを念入りに確認した上で、彼女は私に尋ねてくる。
透き通ったその声音も、素敵だなと思う私だったが、これ以上口を開くとまた噛み噛みになってしまう気しかしなかった。
なので、言葉ではなく高速の首肯で以て彼女の言葉を私は肯定する。
でも何故か、私のその反応を前に彼女はあからさまに苦笑いを浮かべる。
彼女が浮かべる表情をあえて言葉に変えるとすれば、やはり困惑、だろうか。
「……どうして君がここに居るのかは分からないけど、パーティーに戻った方がいいよ。それとも、僕の父上から何か言われた?」
そう、私は己の父から強制的に連れて来られたパーティーから抜け出して偶然ここまでやって来た。
ひどい引っ込み思案で、人見知りな私にとって多くの貴族が集まるパーティーという催しは控え目に言って地獄だった。
だから内緒で抜け出して、そして私は人形のような容姿を持つ彼女に出会った。
パーティーにも参加せず、離れの小さな屋敷の側にいた彼女と。
「ち、父上? 私は、その、人が苦手だから、その、逃げてきたというか」
やっぱり吃る。
でも、私のその様子から、彼女の言う父上云々の可能性は消えたと判断してか、少しだけ驚いた表情を浮かべていた。
どうしてだろうか。
そんな疑問は、程なく告げられた疑問によって解消される。
「気持ち、悪くないの?」
何が。
という疑問は出てこなかった。
訳は、腰付近まで伸ばされた銀糸のような髪を、一房掴みながら問い掛けられたから。
銀髪赤眼。
私は素直にお人形さんみたいな綺麗な子という感想を抱いたけれど、確かに彼女のような人を見るのは初めての経験だった。
「気持ち悪く、なんてない……! 寧ろ、その、綺麗だと思った。だから、その、友達になって欲しくて」
次第に消え入りそうな声へと変化してゆく私の発言は、最後の方なんてごにょごにょ言ってて聞き取り辛くて仕方がなかっただろう。
でも、彼女が特別気にした様子はなく、じっと此方を見詰めていた。
まるでそれは、心の奥底まで見透かしていそうな視線だった。
やがて、
「初めて言われた」
満足したのか、私から視線を一度外して花咲いたような笑みを彼女は浮かべた。
「初、めて?」
「うん。綺麗って、生まれて初めて言われた。それと、友達になってくれって言葉も」
自分の事ながら、私自身も驚いてる。
こうして会ったばかりの人に、自分の意思で友達になってくれと伝える事になるとは思ってもみなかったから。
「それも、君はきっと僕の名前すら知らないでしょ。知ってたら、友達になろうって言葉はきっと出てこなかったかもしれないけど」
……もしかして私、とんでもなく高貴な身分の方に畏れ多くも友達になってと頼んでしまったのだろうか。
ざぁっ、と寒気に襲われながら私はどうしようと頭の中であたふたする中、私の内心を見抜いてか、彼女は微笑を浮かべ言葉を続ける。
「僕の名前は、リュー。君は?」
「ク、クレア! クレア・シルヴィス!」
彼女、リューの名乗りに対して私は慌てて名乗り返す。
私のそんな様子に、彼はまた優しげな笑みを浮かべて見詰めていた。
「実は、僕もあんまりパーティーが好きじゃなくて。こうしてここに居るのも、父上に内緒で抜け出してきたからなんだ」
「そう、なの?」
「うん」
「だっ、たら、お話しよう! パーティーが終わるまで一緒にお話しよう? わ、私、リューのこと知りたい」
大の引っ込み思案で、人見知りの私だけど、人が嫌いだった訳ではない。
寧ろ、友達を作ったらあれをするだ。
これをするだと考えるくらいには友達が欲しかった。
そしてその相手が、リューであれば嬉しいと思ったからこその行動だった。
心なし、私の言葉を耳にしたリューが嬉しそうな表情を浮かべていると思ってしまったのは私の思い上がりだろうか。
そんな事を一瞬ばかり考えながらも、申し出に快諾してくれたリューとその日はパーティーが終わるその時まで一緒にお話をしていた。
†
「……やはり、リューは顔を出さぬか」
アズール公爵家が当主。
ロラン・アズールは、物憂げな様子でパーティーの会場を一時的に後にしていた。
無精髭の生えた顎に手を当てながら思案する。
悩みの種は、ロランの実の息子であるリュー・アズールについて。
白銀の髪に、ルベライトの瞳。
人とは異なる容姿を持って生まれた事に加え、リューが生まれ落ちて間もなく生母が流行病で亡くなった事が重なり、一時期、リューが呪われているなどと噂されるようになった事がきっかけで人嫌い、人間不信に陥ってしまったリューに、ロランは罪悪感を抱いていた。
ロランは、アズール公爵家の当主。
政務は常に多忙で、仕方がないとはいえリューに割ける時間は限りなく少なかった。
それ故に、リューがそんな下らない噂で苦しめられている事にロランが漸く気付いた時、既に事態は手遅れでしかなかった。
その噂は、他の貴族家にまで出回り、ただ容姿が人とは少し異なる。
そんな理由一つで奇異の視線を向けられ続けたリューが、誰とも会話をしなくなったのはある意味当然とも言えた。
ロランは、それを己のせいであると自分を責めた。だから、リューのそれを治すため。
どうにかする為に様々な試みをした。
頻繁に行われるパーティーの催しも、その一つであった。
だが、肝心のリューが頑なに一切その姿を見せようとしなかった。
しかし、いつまでもこの状態で甘んじる訳にはいかない。
なにせ、リューはアズール公爵家の嫡男。
己のせいであるとはいえ、いつかは割り切って貰わなければならない。
だから────そう思って、無駄足になると理解した上でリューがいるとある場所に向かっていたロランの足が止まる。
「リュー……?」
立場上、腹の探り合いをする事もあるロランは、基本的に声に感情をあまり込めない人間。
しかし、彼の視界に映り込んだロランにとって信じられない光景を前に、驚愕せずにはいられなかったのだろう。
誰もがそれと分かる驚きの感情を声に乗せて、リューの名を呟いていた。
視線の先には、一人の少女と楽しそうに言葉を交わすリューの姿。
確か名は────クレア・シルヴィス。
彼女は、シルヴィス子爵家の息女だった筈。
パーティーに連れられてきた子女が、どうしてこんな場所に居るのだろうか。
一瞬、ロランの頭にそんな疑問が浮かんだが、ことこの瞬間においてそれは些末でしかなかった。
重要なのは、人嫌いであった筈のリューが誰かと楽しそうに話をしているという事実。
もしや、彼女の父に命じられ、リューを懐柔するように……なんて邪推をしてしまうが、ロランはそれだけはあり得ないかと切って捨てた。
リューの人嫌いは、筋金入りである。
特に、人から向けられる感情に特別聡いリューは、悪感情を抱いている人間には決して近寄りすらしないし、腹に一物あるといった態度を取る人間には、決して心を開かない。
事実、一度ロランが手を回し、とある貴族家にリューの人嫌いを治す手助けを頼んだが、リューと同世代の公子諸共、リューと一言すら交わせないまま撃沈した記憶はまだ新しい。
「……リューの笑う姿は、久しぶりに見たな」
時に性別すら間違われる端正な顔立ちは、ぎこちない作り笑いではなく、自然な笑みを浮かべていた。
彼女と話したいならば、屋敷に招き、心ゆくまで話せば良いのに。
一瞬、そんな考えがロランの脳裏を過ぎるも、
「いや。今日は、出直すか」
折角、あのリューが、あんなにも楽しそうに誰かと話しているのだ。
邪魔をするべきではない。
今はただ、見守っておこう。
どうやってあの少女が、リューの心を開かせたのか。その方法について気にならないと言えば嘘になるが、それでもロランは余計なことをせず、見守るという選択をすると決めた。
「子爵に、少し長く滞在出来ないか聞いてみるか」
理由は、子爵には申し訳ないが、それらしいものをでっち上げさせて貰おう。
勿論、何らかの形でこの時の償いはいつかするとして。
胸中にてそんな言い訳を零しながら、ロランは屋敷へと踵を返した。
「旦那様?」
やがて、ロランは己の後を追いかけて来た執事と出くわす。
「何か、良い出来事でもありましたか」
「分かるか? セバス」
「ええ。私でも一目で分かるほどに、嬉しそうな表情をしておりますから」
アズール公爵家にて、先代当主の頃より奉公を続ける老齢の執事、セバスに対してロランは弾んだ声音で言葉を返した。
「リューが笑っていた。楽しそうに、人と話しながら笑っていた」
事情を知り、リューの噂を事前に食い止められなかった事をセバスもまた悔やむ人間の一人だった。
だからこそ、ロランのその言葉に驚きを隠せないでいた。
「……成る程。だから、旦那様はこうして引き返していたのですね」
邪魔をする訳にはいかないから。
そう考えて、連れ戻しに来た筈のロランは引き返したのだろうと理解する。
「頼みがある」
「なんなりと」
「使用人を、後で数名向かわせる。リューに勘付かれない程度でいい。万が一がないとは限らんからな、見守ってやっててくれ」
家屋なら問題はなかった。
だが、リュー達は今、パーティーを抜け出す為に外にいる。
万が一はないとは思うが、護衛は必要だろう。
「承知いたしました」
パーティーを催し、様々な貴族を招待する事で人に慣れて欲しい。
もしくは、一人でも良い。
打ち解けられる人間を見つけて欲しい。
そんな想いから始めたロランの苦労が、漸くほんの僅か実を結んだ瞬間だった。
「とはいえ、想定していた展開とは少し違っていたがな」
まさか、パーティーから抜け出した先でこれまた抜け出していたリューと偶然出会い、そして打ち解けるなど考えもしなかった。
いや、クレアが、それ程のイレギュラーな存在だったからこそ、あの光景が生まれたと言うべきか。
予想だにしなかった光景を今一度ロランは思い返しつつ、小さく笑った。
†
リュー・アズールにとってクレア・シルヴィスは、不思議な少女だった。
偶然出会い、そして友達になってくれと申し出て来た不思議な少女。
────と、と、とも、友達になってくだひゃいっ。
開口一番。
初対面にもかかわらず、人見知りだっただろうに、そんな噛み噛みなセリフを口にしたクレアは、色んな意味でリューにとって特別だった。
重度と言っていい程に人間不信だったリューが彼女の言葉を無視しなかった理由は、クレアから悪意を感じなかったから。
そして、彼女に己の名を名乗った理由は、クレアが本気でリューに対して好意的な感情を寄せ、時には憎しみの感情すら向けた己の髪を、本気で綺麗だと口にしていると理解できてしまったから。
そんな人は初めてだった。
リューの味方である父、ロランであっても。
その側近の執事達であっても、僅かながらリューの容姿には奇異に近い目を向けていた。
だから、そんな感情を一切持たず、それどころか綺麗であると褒めるクレアはリューにとって特別だった。
きっと、彼女の申し出をリューが受けたのは、それが理由だった。
それからというもの、彼女の父はリューの父が催すパーティーに度々招待されていたようで、月に二度三度は顔を合わせる機会に恵まれた。
その度に二人してパーティーを抜け出し、初めて出会った場所でいつも落ち合う。
誰とも関わり合いになる気はないし、誰にも心を許す気もない。
己を忌子と呼び、呪われているなどと口にする者達の悪意に晒されたリューは、生涯その考えを覆す気なぞ更々なかった。
無論、友達なんて存在を作る気もなかった。
なのに気付けば、リューはクレアとの関係が心地よく感じてしまっていた。
誰にも心を許す気はないと決めた筈の堅牢だった心の扉は、不器用でそれでいて優しい少し不思議な少女によって、少しだけ開かれる事になった。
『リューに似合いそうな服を買って来たの!!』
『今日はね、うちの料理長から教えて貰ってクッキーを焼いてきたんだ』
『なはは、今日はちょっとお腹がぺこぺこで。お料理だけ貰って来ちゃった』
二人で話してるだけなのに、どうしようもなく楽しくて、ずっとこの時間が続けば良いのにと思わずにはいられなくて。
時が経つにつれ、リューにとってのクレアの存在は大きくなる一方だった。
ただ一つ、文句を言って良いならば、似合いそうな服と言って明らかな女物の服をクレアが持ってきた事だろうか。
もしや、クレアは自分のことを女と勘違いしているのではないか。
そんな疑念が浮かんだが、リューはその事を訂正する事で己らの関係が壊れてしまうのではないか。
そう危惧してしまったせいで、服こそ着なかったものの、性別の訂正は出来なかった。
そんな日々が続く事、三年。
最早当たり前と化したリューとクレアのこの日常は、終わりを迎えようとしていた。
理由は単純にして明快。
リューとアズール公爵家当主であるロランが、アズール公爵領に戻らなくてはいけなくなったからだった。
これまで、多くの貴族をパーティーと称して招けていた理由は、政務の関係でロランが王都に滞在していたから。
その為、王都にある別邸にて多くの貴族を招いてパーティーを開く事が出来た。
だが、王都から遠く離れたアズール公爵領に戻るとなった場合、そうはいかない。
嫡男であり次期当主でもあるリューも、ロランと共に領地へ戻る事になってしまった。
リューは、一人でも王都に残るとロランに伝えたが、次期当主として領地経営を学ぶ必要性を始めとした理論武装によって、彼の申し出が受け入れられる事はなかった。
リューに出来たのは、王都を後にする時期をひと月後ろ倒しにする事。
それが精一杯だった。
どうにか得た一ヶ月。
とはいえ、リューがクレアに会えるのはパーティーが行われる日だけ。
つまり、一度か二度。
だから、その限られた機会の中でリューは己に出来る事をすると決めた。
当分の間、会えなくなってしまうこと。
そして、リューにとってクレアは掛け替えのない人であると、そう伝えると決めた。
†
リューと知り合ってから三年ほど経過したある日。私はリューから、付き合って欲しい場所があると言われ、綺麗な花畑へと案内をされた。
時の流れは早いもので、あれからもう三年だ。
その三年の間、父上の意向のもと、私は頻繁に行われるアズール公爵家主催のパーティーには必ずと言っていい程同行させられる羽目になっていたせいで、すっかりリューとも打ち解けられた。
ただ、リューに会う為とはいえ、必ずと言っていいほどパーティーから抜け出していた私に対し、社交性をうんたらかんたらと言ってきていた父が何も言ってこないのは不気味過ぎたけど、何も言ってこないならまあいっかと気にしない事に決めたのはいつだったか。
「むぅ、むずかしい」
そんな私の手には、ぐちゃぐちゃに絡まり、歪な形状をした花飾り?が一つ。
円状の、頭に乗せるためのものを作っていた筈なのに、どうしてこうなったのか。
自分の不器用具合に涙しそうになった。
対してリューは、露店にでも売ってそうな綺麗な花飾りを完成させていた。
リューの手元を見て作った筈なのにこの差は一体全体どういう事なのだろうか。
「これでも、僕は結構練習したからね」
今日初めて作ろうと試みた私が上手く完成させていたら、自分の立場がないと言ってリューは笑う。
────連れて行きたい場所がある。
そう言われて初めてやって来たこの花畑に、リューは何度も赴いて練習していたのだろう。
なら、仕方ない、のかな?
と思いながら、私は不器用なりにもう一度花飾りを作ろうと試みる事にした。
「クレアはこんなおまじない、聞いたことある? お互いに指輪を交換した人同士は、ずっと一緒にいられる。そんなおまじない」
「ううん。初めて聞いた」
聞いた事のないおまじないだった。
それより、藪から棒にどうしてリューはそんな事を言い出したのだろうか。
不器用なりに花飾りを作る私の側で、リューは言葉を続ける。
「どれだけ長くなるかは分からないけど、たぶん当分、クレアと会えなくなると思う」
手が止まる。
「……何かあったの?」
「領地に戻らなきゃいけなくなったみたい」
諦念の色を滲ませて、リューが教えてくれる。
きっと、それは避けられない事なのだろう。
彼女がアズール公爵家の人間というのは知っていたし、領地が王都から遠く離れた場所にあることは知っていたので、いつかこんな日が来るかもしれない事は分かっていたことだ。
でも、いざその時が来たとなるとやっぱり寂しいというか、なんというか。
折角仲良くなれたのに、離れ離れになるのは正直────いやだった。
「だから、クレアさえ良ければ、離れ離れになっても寂しくないように指輪の交換、して貰えないかなって」
だからリューは、その話をする為に私をここへ連れて来たんだ。
「そういう事なら、私もしたい……けど、指輪なんて持ってないよ?」
「一緒に、花畑で作るの。だから、クレアを花畑へ連れてきたんだし」
成る程。
花飾りを作る要領で指輪をお互いに作っちゃうのか。流石はリュー。頭いい。
やがて、交換する為の指輪をリューが作り始める中、作業途中に声を掛けられる。
「クレアはさ、僕とずっと一緒にいてくれる?」
どうしてか、リューの声はこころなしか震えているように思えた。
離れ離れになるからといって、関係をすっぱり切ってしまう。
私はそんな薄情者に映っていたのだろうか。
失礼な。
「当然。そんなの当たり前だよ」
拒絶されるとでも思っていたのか。
私がそう答えると目に見えてリューは嬉しそうに顔を綻ばせた。
リューは私の唯一にして初めての友達だ。
歳をとってお互いにお婆ちゃんになっても、私はきっとリューと仲良くしてると思う。
そのくらい、私はリューの事が好きだった。
「そっ、か。そっか。そっか……」
同性の私でもドキリとさせられる笑みを浮かべて、噛み締めるように同じ言葉を呟くリューの表情は本当に反則だった。
「ありがとね、クレア。だぁい好きだよ」
その日私達は、ずっと一緒にいようねと約束をし、各々が作った指輪の交換をしてリューとお別れをした。
それから、時が過ぎること十年。
私はとてつもなく頭が痛くなる現実を突きつけられていた。
『ぼくは真実の愛を見つけたのさ! そう! このフィリカ嬢こそ、ぼくが愛を捧げるべき相手だと気づいたのだ。そういう訳だ。クレア嬢には申し訳ないが、シルヴィス子爵家との縁談の件は破談とさせて貰いたい』
五年ほど前に父が勝手に決めて来た縁談。
クロード伯爵家の嫡男こと、私の婚約者だった男との縁談が、つい先日、そんな馬鹿げた理由で破談にすると言われ、私は頭を抱える羽目に陥っていた。
勿論、私が彼に惚れていた。
執着していたという背景は一切ない。
寧ろ、煩わしいと感じていたくらい。
だから正直、せいせいしたというのが本音だった。
しかし、問題はその理由と彼が真実の愛を捧げるべき相手と言って紹介して来たフィリカさんの存在が頭痛の種だった。
彼女の実家と、私の生家であるシルヴィス子爵家は犬猿の仲にあるのだ。
実際、何かにつけてフィリカさんは私に突っかかってくる。そして、「おーっほっほっほ」という高笑いを添えて頻繁に挑発してくる。
そんな関係値だった。
「あぁぁぁぁあ、もう嫌だぁぁぁあ」
机に突っ伏しながら、私は呻く。
正直、リューが今日、私の下に会いに来るという一大イベントがなければ私は何もかもを投げ出して不貞寝をかましていた事だろう。
だが、今日はここ十年、手紙だけのやり取りだった大親友でもあるリューが私に会いに来るのだ。最早、私のモチベーションはそれだけである。
リューに相談すれば、いい解決方法が見つかったりしないだろうか。
そんな事を考えながら、婚約者殿から渡された書類と睨めっこをしていた私は、それを片付けようとして。
「話は大体理解した。手っ取り早く解決出来る方法が一つあるぞ。取り敢えず、それを貸してみろ」
「あ、はい。って、え?」
貸してみろと言われ、反射的に私は背後から聞こえて来た声に従ってそれを渡してしまう。
不思議とその声が懐かしく感じたけれど、男性の知り合いが皆無である私の知り合いという線は限りなく薄い。
ただの他人の空似だろう。
しかし、私の知らない人間がどうして屋敷にいるのだろうか。
リューが来たら屋敷に通してくれとは使用人達に伝えていたけど、知らない人を通せとは伝えてない筈なのに。
そんな事を思う私の側で、ビリビリビリと何かが引き裂かれる壊音が響き渡った。
しかも、一度にとどまらず、二度、三度、四度と徹底的に破られてゆく。
私が肩越しに振り返った時はもう手遅れで、その紙に何か恨みでもあったのかと聞きたくなるほど、彼────銀髪の男性は念入りに引きちぎっていた。
「……リュー?」
どこからどう見ても、男。
きっと今頃、十年前の時点で超絶美少女だったリューはさぞ、傾国の美女などと持て囃されている事だろう。などと散々考えた筈なのに、私の口はどうしてか、反射的に彼を見てリューの名を呟いていた。
ルベライトの瞳に、長く伸びた銀糸のような髪。端正なその顔立ちは、リューがもし男だったならばこんな感じに成長していたのではないだろうか。
そう思わせるものだった。
だけど、私の知ってるリューは超絶美少女な女の子。流石に────と思ったが、そう言えばずっとリューの一人称は「僕」だったし、格好は男の子らしいものばかり。
しかも、私が一度リューに似合うからとフリルのついたスカートを持って来たら滅茶苦茶嫌がってたし、一度として私はリューから自分は女だと言われた覚えはない。
あれ? もしかして私、とんでもない勘違いしてない? と思ったその時だった。
「十年振り、だな。クレア」
「……口調、変えた?」
十年振りに再会した親友に開口一番で向ける言葉ではない気もしたが、銀髪の偉丈夫────恐らくリューらしき人物は怒った様子もなく、微笑を浮かべて首肯した。
「誰かさんが、俺の事を女としてしか見てなかったから。だから、一人称や口調を変えてみた」
誰かさんとは間違いなく、私の事だろう。
三年も一緒にいたのに、ずっと勘違いしていたとか申し訳なさすぎて穴があったら入りたい気持ちに苛まれた。
だが、程なく我に返る。
「ぃ、いや、そんな事より何してるの!?」
「破り捨てた」
「それは見たら分かるから!!」
私が聞いてるのは、どうしてそんな事をしたのかであって────。
「大事な大事な奴が虚仮にされたんだ。怒るのは当然だろ」
先のビリビリ劇は、リューなりの怒りのあらわれであったらしい。
「あぁ、でも。感謝もしてる」
「……感謝?」
「俺としても、クレアの幸せが第一だったから。だから、クレアにとって幸せなら、俺は身を引くつもりだった。あの時に約束したとはいえ、所詮は子供の約束だ。強制力なんて何もない」
リューの言っている言葉の意味がいまいちよく分からなかった。
それに、リューと交わした約束なんてひとつしか覚えはない。
それも、「ずっと一緒にいようね」みたいな約束。
友達としてずっと一緒にいようねって約束しかしてないと思うんだけど────と思ったが、それはリューが女の子だった場合に成立する約束ではないだろうかと私は気づく。
リューが男の子だった場合、少し意味が変わったりしないだろうか。
リューの事は今も好きだし、嫌悪感は一切ないけど、少しだけざぁっと血の気がひいたような感覚に見舞われる。
「でもそうじゃないなら、我慢する必要はないかなって。だから、改めて言わせてくれよ」
私が勘違い出来る余地。
逃げ道の全てを律儀にも潰した上で、リューは告げた。
「俺とずっと一緒にいてくれないか、クレア」
……どうやら、私の幼馴染は超絶美少女なお嬢様ではなく、超絶美形なお坊っちゃんだったらしい。