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1.『は』と『が』は違いますよね?

 わたしが小説を書く環境は、デスクトップパソコンのワードで文章を作成し、必要な知識はネット検索でほとんど調べています。最初の頃は、気合を入れて紙媒体の辞書で検索しましたが、今ではぜんぶネット検索となってしまいました。おもに検索することは、使用する言葉の漢字や意味が正しいかと、類語検索です。

 例を一つ上げますと、『部屋の中は地獄絵と化していた』と書きたいと思った時に、『地獄絵』という言葉が適切かどうかを検索してみると、『地獄絵図』の方が良い、と出てきますから、『部屋の中は地獄絵図と化していた』と書き直しました。

 あるいは、『カーは魔術師です。』と書いてみて、『魔術師』という言葉には、超一流の手品師の意味もありますが、大魔王などの魔法使いのイメージもあって、そちらの意味には取ってもらいたくないので、さあ、どうしようかと類語検索をしました。『手品師』という言葉はちょっとしょぼい感じがするから、もっとかっこいい言葉はないかなと探して、結局、『カーは奇術師です』を選択しました。

 書いてみて言葉がしっくりこなくて、類語検索をすることはしょっちゅうですが、正直なところ、なかなか欲しい言葉って出てきませんね。結局、しっくりこない時って、類語以上に違った言葉が書きたいけれど、それが思い浮かばない、という状況であることが多いみたいです。それでも、類語検索はとても助けになっています。


 さあ、それではわたしがミステリー小説を書いていて、これまでに体験した苦心談をいろいろと語らせていただきます。


 みなさんは小説を書かれたことがありますか。それと、構想プロットが出来上がっていて、いざ文章化を試みた時に、すぐに文章が書けてしまうタイプですか。一章くらいの分量なら一日もあれば書いちゃいますよ、という方も見えると思いますが、わたしはそれができないタイプの人間です。

 なぜ書けないのか。原因の一つは、文章の些細なことがすごく気になってしまうからです。

 たとえば、助詞の『は』と『が』でどちらを使うか悩んでしまい、そこで書く作業が止まってしまうことも、たびたびあります。

 実際、『彼は言った。』と『彼が言った。』は、違いますよね。『彼が言った。』の方が、『彼』という言葉を、『言った』という言葉よりも、強く表現しているように思いますけど、いかがでしょう。

 あと、助詞がたくさん連なる時には、出来上がった文章を読み返してみて、そのリズム感から、『は』と『が』を書き直したりもします。

 『彼がそう言ったのに、私が反発した。』は、『が』が連発していて違和感を受けます。そこで、『彼がそう言ったのを、私は反発した。』とか、『彼はそう言ったのに、私が反発した。』とか変えてみてはどうでしょう。うん、こっちの方が良さそうだけど、じゃあ、その二つのどっちなの? って感じで、悩みは尽きません。

 ましてや、書きたいイメージの言葉すら思い浮かばない時なんて、さあ大変。そこで執筆が完全停止してしまいます。

 いよいよ埒が明かなくなって、挙句の果てに行き着いた対策が、『粘土細工作戦』です。粘土で工作をする時のように、最初は大雑把に形を作っておいてから、徐々に細部を整えていく。

 まずは、書きたいことを体裁も考えずに、かといって箇条書きではなくて、かろうじて文章らしきものにしながら、一気に書いてしまいます。それから、部分の修正に入ります。ここでは、その文章を読んでは書き直してという単純作業を、少なくとも四・五回は繰り返します。

 また、文章を投稿したあとでも、pdfファイルにしてから、あらためて文章を読んでみて(pdfファイルって書籍化してもらえたような感じが味わえていいですよね)、気に入らない箇所をところかまわず修正していきますから、わたしが公開した文章は、投稿後の一週間くらいは、助詞とか接続詞とかの言い回しが、コロコロと変わってしまいます。


 わたしが個人的に文章の書き方が特に上手だと思う作家が二人います。東野圭吾と村上春樹です(敬称は省略させていただきます)。どちらも、文章自体を読んでいる時にストレスを感じません。

 東野圭吾は簡潔明瞭な文章で、必要がなければ華美な装飾はしません。読者へ作者の意図が明確に伝わることを最優先としています。それに対して、村上春樹は使用する単語の一つ一つが洗練されていて奥ゆかしく、一文ごとに裏をかいて読者に肩透かしを食わせながら、読者を惹き込んでいく、天才型スタイルです。

 わたしは、東野圭吾のスタイルをお手本に書こうと思っています。かっこいい言葉はなかなか思いつかないし、ミステリーでは作者の意図を読者へしっかりと伝えることが肝心だと思うからです。

 だから、東野圭吾が『言う』をひらがなで『いう』と書いているのを、ちゃっかり真似しています。いやいや、『言う』はやっぱり漢字で書くべきでしょう、という立場の人もいらっしゃると思いますが、そういう方たちでも、『カキツバタという花がある』と『カキツバタと言う花がある』だったら、どちらを採用しますか。やっぱり難しいですよね。

 一方で、『いう』とひらがな表記にして、逆に困ってしまったことが、『それを聞いてから、彼はいった』と書きたい時に、彼は『言った』のか『行った』のか『逝った』のかがはっきりせず、明らかに文章が混乱しています。意味としては『言った』で書きたいのですが、さあどうしたら良いでしょう。

 答えの一つは、『それを聞いてから、彼は答えた』と書くのが一つの手段です。


 さてここで、また一つの難題が生じます。以前にも書きましたように、ミステリーにおいて会話文が連続して出て来る際、誰が語っているのかを読者へ正確に明示することはとても重要です。

 つまり、いちいち会話の前後で、『……とAは言った』と語り手を示せば良いのですが、すべての会話文のうしろに『と言った』を羅列しても、さすがにかっこ悪いですよね。さあ、どうしたら良いでしょう。

 驚くべきことに、海外の短編で、全部の会話のあとに、『と言った』の一種類の言葉のみで書かれていた作品がありました(英米では『A said』ということでしょうけど)。さすがに、日本の小説でそれはできません。日本語って面倒くさいですね。

 『と言った』を別な言葉で置き換えるテクニックは、実際にとても便利です。しかも、そのバリエーションは多ければ多いに越したことありません。さあ、困った時には、東野圭吾をはじめとする諸作家の文章をお手本にしてみましょう。いろいろためになることが、必ず発見できますよ。

  本章の教訓:

 読んでいてリズム感のある素敵な文章なんて、すぐには書けません。一度書いてみた文章をあらためて読み直した時に、違和感がある部分を見つけ出して、一つ一つを丁寧に修正していくことで、ようやく理想に近づけるような気がします。


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