7.「紅茶喫茶店のペルセフォネ―」の執筆時苦心談
「紅茶喫茶店のペルセフォネ―」は、「人狼ゲーム殺人事件」で登場させた美人女子大生の西野摩耶が、探偵役としても十分に魅力あるキャラではないかと思いたち、彼女の活躍を描いたシリーズを手掛けてみようと書き始めました。主な登場人物は四人です。
主人公が、謎の美人女子大生という設定の、女神ペルセフォネ―こと、西野摩耶ちゃん。そして、語り手である、アドニス君こと、平野尋人君。それから、紅茶喫茶店ラ・グルナードのマスターで、冥府の王ハーデスこと、羽出純男氏。そして、土曜日限定でバイト勤務をする、豊穣の女神デメテルこと、麦倉乙女さん。
ちなみに、店名のラ・グルナードは、果物のザクロを意味するフランス語ですが、ギリシャ神話によれば、豊穣の女神デメテルと神々の王ゼウスとの間に生まれた美神ペルセフォネ―に一重惚れをしたハーデスが、彼女を無理やり誘拐して冥府へ連れてきます。ハーデスはペルセフォネ―に結婚を申し込みますが、彼女はそれを拒みます。やがて、空腹に耐えかねたペルセフォネ―が口にしたのが、ザクロの実でした。ところが、冥界の食べ物を口にしたものは、冥界に残らなければならなくなってしまうのです。
やがて、ペルセフォネ―はハーデスを受け入れ、彼の妻となり、一年のうち四か月を冥界で過ごし、残りを地上の母デメテルの下で過ごすことになりました。
その後、人間の美青年アドニスに恋をした美の女神アフロディーテから、彼の世話役を頼まれたペルセフォネ―は、世話をするうちにアドニスのことを好きになってしまい、アフロディーテと奪い合いの戦いをしたそうです。つまり、彼女は美の女神に匹敵する美貌の持ち主だったということですね。
さて、紅茶喫茶店のペルセフォネ―で展開される話は、ラ・グルナードにやってきた西野摩耶が、そこでなにげなく出くわした謎を次々と解明していく、一話完結のショートストーリー形式となっています。そしてその謎ですが、殺人事件などの大げさな謎ではなく、普段の生活で起こりそうな日常ミステリ―としました。ところがこの日常的な謎というのも、いざ書こうとすると、案外難しいものでして、三上延のビブリア古書堂の事件手帖や、望月麻衣の京都寺町三条のホームズなど、たくさんの有名な長期連載のシリーズがありますが、今さらながら作者の努力とご苦労に感服いたしました。
ところで、日常ミステリ―のネタとして、自然に浮かぶのが超常現象の謎です。紅茶喫茶店のペルセフォネ―で取り扱ったのが、山吹色の章でのポルターガイスト(心霊現象)、菖蒲色の章でのテレポーテーション(瞬間移動)、それから、朱鷺色の章で扱ったのが植物の異常成長です。本作では、各章が出題編と解決編とに分かれており、出題編では、一見、説明不能と思われたこれらの謎が、解決編で合理的に説明されて一件落着となります。
ほかにも手掛けてみたい超常現象として、予知夢、ドッペルゲンガー(自己像幻視)などがありますが、これらはとても難しそうな気がしています。というのも、予知夢を合理的に解決しようとすれば、必然的に、いかさま解明となってしまうのが落としどころになってしまいますけど、気の利いたストーリーがいまだ思い浮かばずにいます。交霊術やデジャブ(既視感)なら、まだできそうな感じがしますけど、果たして今後どう展開するのでしょうか。
そして、日常ミステリ―の短編小説とくれば、勝負所は『気が利いた伏線』となりますが、さっそく本作で用いられた伏線を考察してみることにいたします。選んだのは山吹色の章です。この章の登場人物は四人です。ヒロインの西野摩耶、語り手の平野尋人、店のマスター羽出純男、そして、スペシャルゲストで、陣内智三郎教授が登場します。舞台は2020年と設定してあります。
ここで扱われる超常現象はポルターガイスト。ラ・グルナードにいた陣内教授から聞かされた話が、教授の家にある市松人形が、すでに亡くなっている教授の娘の霊魂のいたずらによって、夜な夜な歩き出す、というものでした。この謎を解明するために、摩耶ちゃんが動き出します。
伏線と書きましたが、具体的にはなんのことだろうという読者も見えると思います。そこで今回は、山吹色の章の出題編でわたしが伏線になっているなと思った記述を、全部抜き出してみました。普段は伏線なんて思い付くままに書いているので、今回の抜出はわたし自身にとってもちょっとした興味がありました。その際、書き出した伏線の冒頭に、最終的に解決編のために重要な役割を果たした伏線には『〇』を、さほど重要でもない伏線だったときには『△』を、読者を混乱させるレッド・へリング的な偽手がかりを与えた伏線には『×』を表記することにしました。
△陣内教授は、西野と平野が通う大学の教授である。
〇陣内教授は、昨年に定年を迎えたと言った。
〇一般に、大学職の定年は60歳である。
〇マスターと陣内教授は、ともにビートルズに詳しい。
〇ビートルズは1960年代に活躍したアーティストである。
〇すなわち、ビートルズが活躍していたのは、今(2020年)から50年から60年前ということになる。
△饒舌なマスターをやり込めるほどに、教授の知力は高かった。
×教授の専門分野は、近代文学史である。
△教授は、西野が取り上げた『行人』、『明暗』に関しても深い博学を披露した。
〇教授は、『巨人・大鵬・卵焼き』という、50年前に流行った言葉を、さりげなく口にした。
〇教授は、当時七歳だったひとり娘を病でなくしている。
〇教授の奥さんは、脳梗塞で昨年に亡くなっている。
〇教授と奥さんは学生結婚で、35年間連れ添った。
ここまでの情報で、陣内教授の経歴がある程度推測できます。まず、昨年退職したという情報から、教授の年齢は61歳と推測できます。すなわち、ビートルズが活躍していたのは、教授が1歳から10歳の期間となり、さらに『巨人・大鵬・卵焼き』という言葉が流行ったのが1965年から1970年頃なので、その時には教授は5歳から10歳だったということになります。さらに、昨年(教授が60歳の時に)奥さんが亡くなって、35年連れ添ったということですから、教授が学生結婚をした年齢が25歳ということになります。普通は25歳だと、大学は卒業していますけど、教授の職に就くような人物は、ほとんどが大学院に進学しているはずなので、25歳で学生結婚をしたという教授の証言に矛盾はありません。
ところが、この一見矛盾なき陣内教授の経歴ですけど、解決編になったときに、推測された経歴の中のとある間違いが指摘されて、それを基にして事件の真相が解明されます。果たして、ここまでの推論の何が間違っていたのでしょう。興味を持たれた方は、本編をご一読ください。
さらに、その先に記した出題編の文中で提示した伏線を羅列いたします。
〇教授は現在一人暮らしである。
△教授の住まいは二階がある一戸建てである。
〇平野と西野が教授宅を訪れた時、教授は平野のことを覚えていなかった。
△問題の市松人形は一階のリビングに置いてあった。
〇娘が生きていた頃、教授は娘を叱る時には、よく人形を箪笥に隠していた。
×人形の着物は山吹色だった。
〇人形の着物は、日焼けで布の一部が軽く色あせていた。
〇人形の腰帯に、握ってつかまれたと思われる、指痕が残っていた。
△人形の着物は元々朱色だったが、奥さんが山吹色の着物に新調した。
△教授は九時なると二階へ上がっていった。
〇翌朝、平野が起きて立ち上がろうとした時に、目の前をティッシュペーパーの切れ端がひらひらと落ちてきた。
×西野さんは、貧血気味なのか、朝には弱いみたいだ。
〇玄関には鍵が掛けられており、外部からの不審者の侵入はまず考えられなかった。
△隣人の話によれば、陣内教授は近所付き合いが良い人ではなかった。
〇教授の奥さんは、五年前から隣人に姿を見せていない。
〇隣人の話によれば、七歳で亡くなった教授の娘は少なくとも十七年以上前に亡くなっている。
以上が出題編で提示された伏線です。さらに、次の既成事実も事件解明の伏線となっています。
〇マスターが紅茶喫茶店を開店したのは一年前だった。
△山吹色(黄色)は、ときに精神病をほのめかす色とみなされることがある。
ミステリーは作者と読者の間で繰り広げられる知能合戦が醍醐味ですが、そのための手掛かりの提示、すなわち伏線が、面白い作品かどうかの決め手となるように思います。みなさんもいろいろ試行錯誤をしながら考えてみてください。
さて今回、小説を書いてみて色々気付いたことを勝手気ままに記してまいりましたが、わたしはミステリーを書くには、やはり気の利いた伏線が不可欠だと思っています。でも、どのようにすればそのような伏線が書けるのかどうかは、いまだ解明できていない謎です。それでも、少なくともそこが勝負どころだぞという思いは、これから先もずっと持ち続けていきたいと思っています。
これでわたしのエッセイはおわりとなります。本編の中で記した何かがみなさまのご参考になれば、うれしく思います。ご一読ありがとうございました。本編に関してなにかご意見ご感想などがあれば、ぜひ感想欄にお書きください。
iris Gabe




