4.「人狼ゲーム殺人事件」の執筆時苦心談
「人狼ゲーム殺人事件」は、私の作品の中でも総合評価値が高くて、個人的にお気に入りの作品です。メイントリックこそ古典的名作のとある作品から拝借してはいますが、伏線はクオリティ高く創作できたし、長編でありながら間延びすることなく、最後まで緊張した状態を保って仕上げることができました。
現代は、以前よりもミステリーを書くのが難しくなっている、というのが定説です。その理由は、トリックネタが出尽くしたことと、科学技術の進展で捜査方法が昔と変わってしまったこと、が挙げられます。特に深刻なのが、後者の科学技術の進展です。
雪で閉ざされた館で殺人事件が起きます。従業員が警察へ通報しようとしても、電話がつながりません。おかしいと思って吹雪の中、戸外を調べてみると、なんと電話線が切断されているではないですか。外部との唯一の連絡手段が遮断されていたのです。もちろん、切断した人物は、まだこの館の中に潜んでいるに違いありません。
ああ、なんて怖ろしくて素敵なシナリオなんでしょう。でも、現代では電話線が切断されていたって大丈夫。スマホでなんなく警察へ通報することができるのです。
犯行現場に残された足跡を綿密に調べて、そこから犯行をあばき出す古典的推理手法も、もはや絶滅したといえるでしょう。現代では、そんなことをしなくても、路上に設置された防犯カメラに犯人の姿が写っていて、それで犯行がバレてしまうからです。たとえ、指紋を残さないように犯人が手袋をしていたとしても、髪の毛をうっかり落としただけで、DNA鑑定によって個人が特定されてしまう。この萎え切った時代に、完全犯罪の夢物語など、果たして存在するのでしょうか。
そして、人狼ゲーム殺人事件の制作時に、なにより苦労したのが、わたしの現代科学捜査における知識不足でした。プロットの内容上、遺体の死後硬直の記述が鍵となります。さっそくネットで調べたのが、死後硬直は、通常の気温の下で、死んでから2,3時間後に始まり、12時間ほどで全身に及ぶこと。ただ、そのスピードには個人差があり、筋肉質の大人では速く、そうではない老人や子供などでは進行が遅くなる。さらに、緩解という現象があり、死後30時間から40時間程度で徐々に死後硬直が解け始め、死後90時間後には完全に解けてしまう。これにも個人差があり、気温が低かったり、遺体が筋肉質な場合には、緩解が遅れることがある。
このような科学技術は、ネットである程度なら調べられるので、必要な場合は検索をしてみてください。注意してもらいたいのは、それをいいかげんに見過ごしてしまうと、せっかくのプロットが台無しになってしまう危険も、場合によっては起こり得ることです。
たとえば、遺体が午後10時に発見され、被害者が8時に生きているのを見た、という目撃者の証言がありました。当然、犯行時刻は午後の8時から10時までとして、捜査は進行していきましたが、実は真相は、その目撃者の証言が偽証であり、犯行は午後5時に行われており、午後8時から10時に確固たるアリバイを持つ人物が犯人であったのです。
ところが、一見、問題がなさそうなこのシナリオには、致命的な欠陥がありました。遺体の死後硬直の状況を見れば、犯行時刻が午後8時以降ではおかしいことに、警察が気付くはずだからです。そのあたりを作者が無視して書き上げてしまうと、死後硬直に関して知識を持っている読者には興ざめされてしまうことでしょう。ミステリーを書こうとする者として、ある程度の科学捜査に関する勉強は必要だと思います。
かといって、必要以上に科学捜査を意識すると、何も書けなくなってしまいます。ここで主張したいことは、きちんと状況描写をすれば、科学捜査の呪縛から解放されることは、ある程度なら可能ということです。
たとえば、前述した死亡時刻を欺くトリックが思い浮かんだとします。でも、遺体をきちんと鑑定されてしまうと、すぐに死亡時刻の欺きがバレてしまう。このようなときの対処法として、一例を挙げれば、舞台を閉ざされた屋敷にしてしまうのです。いわゆる、クローズド・サークルですね。そして、その現場にいる人物に、すなわち彼らは容疑者となりますが、検死に詳しい人物がいない、という設定を取るのです。そうすれば、警察が駆けつけた時には、それは事件が起こってから数日が経過しているわけですが、遺体を調べても正確な死亡時刻が推定できないことの理由付けができます。大切なことは、それを理由づける状況の説明をきちんと読者へ提示することです。
現代では、科学捜査の知識を積極的に駆使して描かれたミステリーが、逆に流行りとなっています。テレビドラマの「科捜研の女」など、わたしも楽しんでいますが、自分が書く小説の水準をそこまで高めようと思うと、何も書けなくなってしまいます。科学捜査に目をつぶりたくなることは、わたしの場合には、往々に起こっています。
一方で、科学捜査といえど絶対的な権威ではありません。いくらでも漏れがあります。犯行時に手袋をしていなかったら、必ず現場に指紋の証拠を残してしまうものでしょうか。
たとえば、犯人が現場にあったグラスをうっかり指でつまんだとしましょう。グラスには犯人の指先の指紋が残されます。でも、指先の指紋だけで、果たして個人が特定できるでしょうか。現実世界では、おそらく無理だと思います。ほかにも、表面が布地とか木目状となっている物質から指紋が採取されたとか、溜まり積もった埃に指紋のあとが残されていた、という記述は、わたしは首をかしげてしまいます。指紋の線と線との間隔よりも、媒体となる物体の表面の構造が粗ければ、そこに付着した指紋が、個人を特定できるほどはっきりと残ることはないからです。
DNA鑑定だって、絶対ではありません。もちろん、DNA鑑定によって同一人物と評価された結論を否定するつもりはありません。でも、現場に残された犯人の痕跡を、捜査官が見つけ出して採取をする。それを鑑定ができる環境の整った施設へ運ぶ。そこの施設の鑑識医がそれを受け取る。それを鑑識医が分析して、鑑識時に生じる想定外の誤差などを見積もった上で、個人を特定する。この一連の手続きの中で、なんらかの不備が起これば、途端に鑑定の信頼度は失われてしまいます。専門家がそんなミスをするわけないと、わたしたちは思っていますが、そこは人間のすること。現実の捜査においても、意外な見落としが案外あったりするかもしれません。もっとも、それがあったとしても、警察がそれを公表することは決してないでしょうけど。
それに、DNA鑑定とはいっても、採取された塩基列のひとつひとつを照合するのではなく、クロマトグラフィーや分光スペクトルを利用して、データの視覚化をして、鑑定を行っています。つまり、完璧なるデジタル解析ではなく、なんらかを媒介したアナログ的な解析というわけです。もちろん、その信頼度は指紋証拠なんかよりもはるかに高いものでしょうけど、極論を述べれば、たとえ一億人に一人しかいない決定的な証拠が出されたとしても、まだ地球上には七十人もの容疑者が存在するというわけです。
科学捜査の進展は、ミステリー作家には実にやっかいな事実であるには違いありませんが、それらと仲良く付き合っていくことが、現代ミステリ―作家の使命と思います。必要以上に怖れることは決してありませんが、科学捜査に相対することを書かなければならなくなった時には、とにかく、小説内におけるその設定状況をきちんと読者へ説明しましょう。それと同時に、素人なりに、ネットで科学技術を調べて、常に勉強を怠らない姿勢も大切だと思います。
本章の教訓:
ミステリ―執筆時に、科学捜査を必要以上に恐れる必要はありませんが、必要に応じて勉強をすることはお勧めします。




