3.「ヘイケボタルが飛び交う里」の執筆時苦心談
「ヘイケボタルが飛び交う里」は、如月恭助シリーズの八作目に当たり、直前に「七首村連続殺人事件」と「人狼ゲーム殺人事件」の二つの栄える長編ができていて、それらに続く長編三部作にしようと野望を抱いて取り組みましたが、期待している派手なトリックなど、そうは簡単に思い付くはずもなく、半年ものあいだ執筆うつ状態に陥って一文字も書けなかった、いわくつきの作品です。
派手な大トリックが浮かばなければ、いっそのこと、小トリックだけをつなぎ合わせて謎を創ってみよう。でも、直前の二作に対抗するためには、今までにないくらいにたくさんの小トリック、すなわち『伏線』、を散りばめなければなりません。さあ、どうしましょうか。
というわけで、「ヘイケボタルが飛び交う里」では、とにかく、思いつく限りの伏線を張り巡らせてみました。一例を挙げれば、小さな村で、一人の少年が楡の木に登って遊んでいました。ふと下を見ると、二人の人物がいて、何やら会話を交わしています。どうやら、二人は木の上にいる少年の存在に気づいていないようです。片方がいいました。昨晩、茶畑で一匹のホタルを見かけた。そして、もう三日も続けてそれを見ている。すると、もう一人が返します。どうする。奉行さんに報告しておいた方がよいかのう、と……。
何気ない会話ですが、事件の重要な鍵を握っています。このように、伏線とは、謎解きを手助けするためのほんの一部に過ぎない小さなヒントのことです。たとえば、ある人が腕時計を右手にはめていました、どうしてでしょう。答えは、その人は左利きの人だった、からです。
このように、ひとつの伏線に限っていえば、謎解きの難易度はたいして高くはありません。でも、単純な伏線でも、それを三つ直列につなげると、どうでしょう。三つとも正解しなければクリアできない、ちょっと気の利いた謎へと進化するのです。
「風が吹けば、桶屋が儲かる」、という江戸時代に流行った有名ななぞなぞがあります。風が吹けば、ほこりが飛び交い目にゴミが入るから、目の患者が増える。目の患者は三味線を弾くくらいしか仕事がないから、三味線の需要が増える。三味線の需要が増えれば、毛皮として使う猫がたくさん殺される。猫がたくさん殺されれば、必然的に世の中に鼠が増える。鼠が増えれば、そこらじゅうの桶が食われてしまうから、それを売る桶屋が儲かることになる。
以上の、五つのなぞなぞが直列につなげられているわけですが、こうなってしまうと、風が吹くと桶屋が儲かることを説明するのは、至難の業となっています。
みなさんは伏線をどのようにお考えですか。あった方がいいもの。ミステリーにとって、メイントリックが主菜だとすれば、スパイス的な効果を醸し出すもの。
わたしの個人的意見を述べさせてもらいますと、ミステリーの良し悪しを決定するのは、メイントリックではありません。伏線こそがすべてだと思います。そして、この章でみなさんに訴えたいこと。それが、伏線の創作方法です。
それでは、ミステリー小説における伏線創りについて考えてみましょう。そのためには、伏線よりもっと単純な、なぞなぞ創りが参考となります。
なぞなぞを創るこつは、答えから考えることだそうです。例えば、答えを『フライパン』として、なぞなぞを創ってみましょう。まず、答えとなるフライパンの特徴をいくつか考えてみてください。フライパンは、硬いとか、パンのような名前をしている、などです。そしてできたなぞなぞが、パンはパンでも、硬くて食べられないパンってなあに?、となります。答えはもちろん『フライパン』です。
実は伏線の創り方もこれと全く同じなんです。
まず、話のシナリオの中に、なんらかのイレギュラーを生じさせます。例えば、「被害者が、こうもり傘を握りしめたまま、殺されていました」という設定を考えれば、こうもり傘を握りしめていることがイレギュラーです。
次に、イレギュラーに対する合理的な説明を考えます。被害者がこうもり傘を持っていたのは、おそらく雨対策のためでしょう。まず気になるのが、そのこうもり傘は、濡れていたのか、乾いていたのか、です。これに関しては、どちらでも作者が勝手に決めればよいので、ここでは、傘は乾いていて、巻き紐のボタンが留められていた、としましょう。
さて、ここまでの設定で特に説明に困ることは、まだ起こってはいません。ではここで、意図的に謎を投下することにしましょう。
その日は一日中晴天で、天気予報でも降水確率がゼロであった、とします。さあ、いよいよおかしなことになってきました。雨の心配がない日に、わざわざ持ち運びに手間がかかるこうもり傘を、なぜ被害者は手にしていたのでしょうか。
このように合理的な説明を一つ考えると、また何かのイレギュラーに連結することがあります。これをまた合理的に説明しようとすれば、その一連のアイディアが伏線となるのです。
さらに続けてみます。被害者の性別はどうしましょう? ここで、被害者を女性としてしまうと、もしかしたら日差し対策の日傘として、こうもり傘を持参していたのかもしれません。もっとも、日傘にこうもり傘というのも、おしゃれ性に欠けますけどね。そこで、今回の被害者は男性としましょう。いよいよ、謎がはっきりとしてきました。
ところで、雨の心配がない日に、携帯用の折り畳み傘ではなく、こうもり傘を持ち歩く合理的な理由が、果たしてあるでしょうか。さあ、ここが勝負どころです。
殺害現場では雨の心配がなくても、別の全く離れた場所で集中豪雨の天気予報が出ていたとするとどうでしょう。被害者はその地を訪問するつもりだったから、しっかりとした傘を持参したのです。さあ、ここで遺体が発見された場所をA地点、豪雨の予報が出ている場所をB地点と名付けましょう。
ちょっと待ってください。殺害現場を遺体が発見されたA地点と決めつけてしまって大丈夫でしょうか。もしかしたら、被害者はもともとB地点にいた。(だから傘を持っていた。)そしてB地点で殺されたのだけど、何らかの理由で、遺体がA地点まで運ばれた。こうなると、ど派手な大トリックとなります。でも、この推理には一つ難点があります。犯人は、B地点からA地点まで、被害者だけでなく、こうもり傘まで持ち運んだことになってしまいます。なぜ、こうもり傘を途中で処分しなかったのでしょうか。この合理的な説明が付けば、このトリックは成立しますが、なかなか難しそうです。やはり、被害者はA地点にいて、A地点で殺されたとしましょう。
それでも被害者は、その日のうちにB地点へ行くなんらかの目的を持っていたことになります。A地点とB地点は距離的にある程度離れていなければ、天気予報が異なったことの説得力に欠けてしまいます。
どうです? だんだん内容が煮詰まってきましたね。それでは、具体的に場所と時刻を決めていきましょう。
名古屋駅の新幹線改札内にある男性トイレの個室の中で、大学生の田中たけし(23)が胸部を刺されて死んでいました。凶器はナイフのような鋭利な刃物ですが、現場からは持ち去られていました。被害者は、小さなリュックを背負っていて、手には巻き紐で留められた乾いた状態のこうもり傘を握りしめたまま、便器の脇に崩れ落ちるように横たわっていました。ただ、この日は絶好の秋晴れで、全国のほとんどで天気は晴天との予報が出ていましたから、大きくてかさばるこうもり傘を被害者が持参していたことは、少々不可解でした。
被害者がいたトイレの個室の戸には鍵が掛かっていませんでしたから、たまたま通りがかった通行人が、遺体を発見して、駅の係員に通報することで事件は発覚しました。遺体が発見されたのは早朝の7時20分でしたが、あとから遺体をしらべてみたところ、そのほんの数十分ほど前に、被害者は殺されていたであろうことが分かりました。不思議なことに、現場が新幹線の改札内であったのに、被害者の所持品の中から、新幹線の乗車券のたぐいが一切発見できなかったのです。
この事件の真相は、以下に書かれるものでした。
犯人は被害者田中の知人で、佐藤さとる(22)でした。田中と佐藤は伊豆半島の先端の町、下田市の小さな旅館に泊まる予定で、新幹線に乗り込むところでした。実は、二人が下田のこの旅館に泊まるのは、今回で四回目でした。というのも、この旅館の一人娘がとても美人で、はじめて泊まった時に、ふたりとも彼女に一目惚れをしてしまったのです。
改札をくぐった時に、田中が佐藤に思わぬことを告げます。田中は、佐藤の知らないうちに、旅館の一人娘とひそかに交際を深めていて、二人の間では縁談がまとまっていたのです。今回の旅で、あらためて娘の両親と会って、そこで初めて結婚を申し込むつもりでいることを明かしたのです。佐藤にとって、それは衝撃的な話でしたが、ただ、佐藤は日頃から細かいところに気付く繊細な性格の持ち主で、なんとなくそうなる可能性があることを、うすうす感づいていたのです。でも、その結末は佐藤が望むものではありません。旅館の娘さんは、佐藤にとって、これ以上理想的な女性はあり得ないと断言するほど、無二の存在となっていたのです。佐藤はやむなく、田中を殺すことを決めました。凶器のナイフは、もしかしたらと、佐藤はふところに忍ばせてあったのです。
早朝でまだ誰もいなかったトイレで、はずみとはいえ、田中を殺してしまった佐藤は、遺体を個室に隠しますが、田中がこれからこだまに乗って熱海駅で下車することが分かると、もしかしたら、行き先が下田のなじみの旅館であることを、警察が突き止めるかもしれません。さらには、その旅館に過去に三回も田中と同行している佐藤の存在に気付き、二人が旅館の娘にしょっちゅう話しかけていたことを警察が見抜けば、当然容疑の矛先が佐藤に降りかかってくるかもしれません。
佐藤はとっさに田中のポケットを探り、熱海行きの乗車券を抜き取ります。そして、さりげなく現場をあとにしたのです。もともと下田の旅館には、今日は予約を取らずに訪問する予定でした。それに、田中は一人暮らしの学生で、今回の下田旅行を知っているのは、佐藤だけです。さらに田中の話から、娘の両親は、田中との縁談話はまだ知らないと推測されます。新幹線の切符も自動販売機で買っているので、乗車券さえ持ち去ってしまえば、田中がどこへ行こうとしていたのか、警察に分かるはずもありません。
完璧と思われた犯行でしたが、思わぬことから水は漏れて、佐藤は逮捕されてしまいます。
実は、その日の天気予報は、ほぼ全国的に秋晴れの晴天でしたが、伊豆半島の先端だけは、秋雨前線の雲がかかり、下田市は夕方に集中豪雨が降ると予測されていたのです。だからこそ、田中は前もって傘を準備していたわけですが、犯行後に少なからず取り乱していた佐藤は、乗車券を持ち去ることには気付きましたが、こうもり傘を持ち出すことまでは頭が回らなかったのです。
こうして、こうもり傘を田中が持参していた理由を考えた警察は、その日に下田市周辺で降水予報が出ていることを調べ上げ、田中の行き先が下田市周辺ではないかと推理したところ、田中のなじみの旅館を突き止め、同時に友人の佐藤の名前が容疑者として浮上したというわけです。
いかがでしたでしょうか。ミステリーを書く上で、その良し悪しを左右する伏線。それらは決して、すべての読者を圧倒する大トリックではありません。でも、誰にでも考えられる簡単ななぞなぞであると同時に、読者を魅了する壮大なストーリーを創り出すための貴重な部品でもあるのです。ぜひ、有効にご活用してみてください。
本章の教訓:
ミステリ―の勝負所は伏線です。簡単ななぞなぞは、読者へ心地よい感動を与える良質なスパイスとなり、さらには組み合わせしだいで、大トリックに引けを取らないメイントリックに使えることだってあるのです。
一度仕上がったストーリーでも、再度読み返してみてください。もしかしたら、さらなる伏線を盛り込む余地が残されているかもしれませんよ。




