見せつけられてしまった
夜八時には店じまい。バイトたちが帰っていく。
今日も大盛況だった。家族全員、この達成感あるクタクタに未だ慣れておらず、「明日死ぬのかな」と天を仰ぐ。北斗七星の幻が見えた気がした。
「さあ。お腹が空きました。早く食べましょう! 夕ご飯!」
さすが再生能力者。シスター・メロウに疲れた様子はなかった。
怒涛の勢いで急かされる。舞台裏へと引っ込もうとする家族に向かって、「先食べてて」と言う。
「今からちょっと約束があって」
リボンを解き、エプロンを脱いだ。代わりにコートを羽織る。
裏口から出た。この季節、夜はすこぶる冷える。シスター・メロウの首を拾った時は、まだ長袖だけで十分だったのに。
手紙の文言通り、沐美はいた。
殴ったばかりの頃には、顔にガーゼが貼られていた。今では取れている。すっかり治ったようで、元の綺麗な肌に戻っていた。
彼女は、湯気たつブラックの缶コーヒーを口に運ぶ。オトナだ。
そのまま「ふう」と一息吐いた。私を睨む。
「なんで私のモノになってくれないのかな?」
「……ラッキーだった、からかなあ」
俯いて、正直に答える。私の人生は私のモノだ。とでも言えたらかっこいいのだろうけど、私の面の皮はそこまで厚くない。自分一人の力では間違いなく、一ヶ月前に終わっていた。
沐美は唇を尖らせる。
「ねえ。あの女、どこから湧いて出たの?」
「シスター・メロウ? さ〜。湧いて出た場所は知らない」
「シスター? ああ。道理で、変な被り物してると思った」
あったかい飲み物用の、固い缶を握り込む。平均的な中学二年生女子と比べて、若干弱い程度の握力しかないはずなのに、表面がグニャリと凹んだ。
「あいつが突然、あなたの部屋に現れてから。状況は一変した。私と成子ちゃんを引き合わせる店の閑古鳥が、死んだ。シナリオが崩れ去った」
潰した缶を、思い切り叩きつけた。踏んづける。
まだ残っていた中身が、ビチャビチャと溢れ出す。
冷たい声で言う。
「大した食材使ってないくせに味はいい。あと、成子ちゃんはクッソ可愛いというのは認める。でも、メニューに創意工夫があるわけではなし、野心はない、立地は悪い、宣伝能力はカッスカス。人気店になる条件なんて、まるで揃ってない」
「ぐうの音も出ない」
認めざるを得なかった。最近経営入門の本を少しずつ読み始め、未韋家親子の頭が今までどれほどお花畑だったか、嫌と言うほど突きつけられてる。
「なのに。あの女は。どうやったの? 経営妨害に、成子ちゃんのパパとママを排除するための刺客もいっぱい差し向けたのに。いったいどうやって、このボンクラ家族を救ったってのよ?」
「ボンクラ家族は酷いよ」
「ボンクラじゃん。成子ちゃんのパパも。成子ちゃんのママも」
指を差される。
「成子ちゃんも」「……りょ、料理は上手いし」「はん」
鼻で笑い飛ばされる。悔しいけど、言い返せるほどの強力な何かは、自分には備わっていない。
両手を握る。
「お父さんとお母さんは、すごいし」
消え入りそうな声で言い返した。俯いて塞ぎ込む。
視線を背けた。沈黙。沐美との思い出が、朧げに浮かんでくる。彼女の下心はともかく、小学二年生からずっと一緒だった。仲良しだった。
このまま、疎遠になっちゃうのかな。
嫌だな。「あの」と口を開く。
「生々しいのは無しで、さ。ただのおトモダチに、なれない、かなぁ……」
緊張する。もじもじと聞いてみる。チラリと沐美を見た。
「…………フ」
彼女は柔らかく微笑む。
分厚いポケットからほっそりとした手を出して、ジジ、とコートのファスナーをゆっくり下ろしていく。
前を開いた。ご開帳した。恥ずかしげに頬を染めて。
呆気に取られる。ポカンとした。
服も、下着もない。コートの下に、何も着ていなかった。
私よりも少し成長の進んだ、中学二年生らしい輪郭が、視界に飛び込んでくる。
「え? え?」「成子ちゃん。私」
挑発的に舌を出す沐美。
「ソノツモリで来た」「いや。あの。その」
動転はしたものの、残念ながら、同性の体に興奮出来るタチではない。
つい正直に答える。
「ハジメテは、播磨くんみたいな男の子と、まともなとこでしたいな。なんて言ってみたり」
沐美は一瞬固まった。すぐに無表情となる。コートのファスナーを開けたまま、片手をポケットに突っ込んだ。
取り出されたのは、カッターナイフ。
チキチキチキと、刃を晒した。
「ねえ。はは。あのさ。冗談、だよね?」
カッターナイフがない方の手を、クイと動かす。庭木の影と塀の向こうから、黒子が二人現れた。私の体を押さえつける。せいぜい並程度の運動能力しかない私、大人の拘束を振り解けるはずない。
コートを脱がされる。
「は、離して。沐美」「犯す」
服に切れ込みを入れられる。4000円もしたヤツなのに。この期に及んで、貧乏性は抜けない。
カッターナイフは、途中で止まった。
沐美の腕が、掴まれていた。隣を見る。
破顔した。
「メロウ!」「はい♪」
助けに来てくれたんだ。安心して泣きそうになった。
シスター・メロウが本当に聖女に見える。さながら、聖女の慈悲によって救われた、無辜なる民の一人になった気分。
それは一瞬だった。
「えい♪」
聖女は無慈悲に、沐美の体をぶん投げる。店の面する道路に。
ちょうど車が来ていた。轢かれる。徐行運転中だったとはいえ、中学二年生女児の脆さで、ただで済むはずがない。ボロ雑巾みたくコンクリートの上に転がる。
車は、何事もなかったように走り去っていく。
私の肩や腕から、黒子二人の手が離れた。慌てて主の元へ走る。
メロウはその後ろから、台所から持ってきたと思しき包丁で、黒子たちの首を掻き切った。掌を組む。
「おお神よ。斬り捨て御免は無罪ですよね?」
「あっ、なっ…………っ。沐美っ!」
黒子の代わりに駆け寄った。血がダラダラに流れてる。腕と足が変な方向に曲がってる。呼吸のリズムが明らかにおかしい。死にかけだった。
「沐美……」「処理しときますけれど?」
淡々と提案された。硬直しそうになったが、なんとか首を振る。
「助けて、あげられないの……?」「はあ。いいですよ」
そう言って、自分の指を少し切る。そして、沐美にしゃぶらせた。
傷は見る間に回復していった。再生の能力者は、他人を治すことも出来るらしい。凄まじい。
ふと、キョロキョロ周りを確認する。人通りの少ない道とはいえ、ゼロではない。しかし通行人の誰もが、私たちに一切反応してない。
苦笑いする。
「シスター・メロウ」「なんでしょう?」
「これって、聖女の力?」「はい!」
「……洗脳ってヤツ?」
「そうですね!」
「ウチの客が最近多いのも?」「バレました? インターネット経由です!」
絶句した。
沐美を脇に抱えたのち、黒子二人の死体を不思議な炎で焼き尽くしたメロウは、意気揚々と、裏口から家に入っていく。
彼女の背中を眺めつつ、私は小さく呟いた。
「なんてシスターだ」