第四話 鳥笛(4)
…失敗した。一体なんなんだ、この状況は。
後ろ手に縄で縛られ、両足もひと括りに縛られた状態で如月は大きく溜め息を吐く。
全ての部屋の鍵を開け、囚われていた少女達を自由の身にしたまでは良かった。鈴に誘導を任せ、全員が脱出を始めたのを確認した後、単身で男達のいる部屋へと向かったのだが、ひょんな事から計画がバレてしまったのだ。
「(…たかが蛙一匹で悲鳴あげるなんて)」
まさに予想外。
脱出途中だった少女の1人が、目の前に跳ねてきた蛙に盛大な悲鳴をあげたのだ。その声に如月は慌てて少女達のもとへ戻り、当然の如く襲ってきた男達と応戦をするはめになった。結果として、少女達は全員無事に外へと逃がす事が出来たのだが…
「ざまぁねえなぁ…嬢ちゃん」
「………」
「はっ!だんまりって訳かい」
「所詮、女ごときが男にかなう訳がねぇって事だ!」如月自身は見事に捕らえられてしまったのだった。
「(…ほんと、情けない)」
まさかの失態にもはや溜め息しか出ない。陵王と瞬明に何と言われるだろうか、と如月はがっくり肩を落とす。周りで男達が煩くがなり立てるが、そんな事はいまの彼女にはどうでもよかった。
「おい。さっきから無視してんじゃねぇぞ、小娘!!」
「…っ!」
髪を掴まれて、無理やり上を向かされる。体制が変わったために、縄がぎりりと軋んだ。
「誰に仕向けられた!?」
「……」
「〜ッこの女!」
頬を拳で殴られ、一瞬くらりとした目眩が襲う。つぅ、と閉じた唇の端から一筋血が流れた。
「どうするんだよ!!約束の期日は明日なんだぞ!!?」
「殺せ!こいつを殺しちまえ!!」
「馬鹿野郎っ!!この女だけでも渡すんだよ!じゃねぇと俺達が殺されちまう…っ」
「なにもかも…こいつのせいでッ!どうして、誰がこの女を野放しにしていた!?」
「…ばっかじゃないの?」
一瞬で部屋に静寂が満ちた。ぴりぴりとした殺気を孕んだ視線が如月に集中する。
「よほど死にたいらしいな、小娘」
「冗談言わないでよ。こんな所で死ぬ気なんてさらさら無いわ」
「…その減らず口も大概にしとけよ」
こっちはお前などいつでも殺せるのだ、と小刀を喉元に突きつける。
「言え。お前は誰の命を受けて動いている?いまここで言わなければお前の命は無いぞ」
喉元に僅かに痛みが走り、血が流れ落ちる感覚。
ぎらぎらと殺意を放つ男を前にして、不意に少女は笑顔を浮かべた。
「まだわかってないのね。…あなた達、本気で誰かに忠誠を誓ったことがないでしょう?」
「…なに?」
「忠誠を誓うってね、生半可な覚悟じゃできないのよ。たとえこの命が尽きようとも、私の全ては彼の人のためにある」
じわりと少女は自ら刃に喉元を押し付ける。
「ーッ!?なにを」
「だから例え何が起ころうとも…私はあの方の足枷にはならない」
年端もいかない少女から滲み出る裂帛の気迫に呑まれ、動けずにいる男達を見て、如月は艶やかに微笑んだ。
「それに、私は若を信じてるもの」
ガゴンッ!
もの凄い音をたてて、閉ざされていた扉が文字通り吹き飛ぶ。
「…無事か?如月」
「はい。大丈夫ですよ、若」
舞い立つ埃の向こうから現れた主に、少女は優しく微笑んだ。
ようやく見つけたことに安堵の息を吐くも、頬を腫らし、血を流す如月の姿に陵王は目を見開く。
「な、何者だぁ!?」
「この女の仲間…だな」
喚き出す男達を無視して陵王は室内へと進む。
「わ、若…?」
「止まれ!!こいつを殺されたいか!?」
「…黙れ」
男の怒鳴り声を静かだが強い声音で制した陵王を、如月は息を飲んで見つめた。
「誰だ?」
「な、何?」
「…誰がこいつを殴ったのかと聞いているのだ!!」
ビリビリと空気が震えるほどの怒気に、男達が圧倒される。そしてようやく気付くのだ。
目の前にいる男との圧倒的なまでの格の違いを。
「ぎゃぁ!」
「まったく…お前は何をやっているんだ」
「瞬!」
如月に小刀を突きつけていた男が腕から血を流して倒れる。
陵王が破壊した扉の向こうから、僅かに息を切らせて瞬明が現れる。
「遅かったな」
「護衛を置いて走り去ったのはどなたですか、まったく」
これも帰ったらお説教ですね、という瞬明の言葉は聞こえないふりをして、陵王は如月のもとへと歩み寄った。
「…この馬鹿者が」
「申し訳ありません」
ぼそりと零した言葉とは裏腹に、優しい手付きで手足を縛る縄を解く。
「瞬明!こやつらを全員締め上げろ」
「御意」
「その後はお前に任せる。好きにいたせ」
「承知いたしました」
途端に再び色めき立つ男達を冷たくいちべつして、陵王は如月の手をとり扉へと歩き出す。
「ま、まちやがれ!!その女を…ひッ!!?」
追いすがろうとする男に手にした剣の先端を向け、鋭い眼光で睨む。
情けない声を上げて固まった男を振り向くこともなく、陵王と如月はその場を後にしたのだった。
それから程なくして、瞬明により容赦なくのされた男達が兵達によって王城地下の牢獄へと連行され、事件は無事収束となった。
「…それで?どうしてあんな事になったのか説明して貰おうか、如月」
「それは俺も是非、聞きたい」
「いや、あの…」
「若の命令をきけないとでも…?」
ところ変わって王城、陵王の自室では今回の件について如月への尋問が行われている真っ最中だった。
「そもそも、どうして火薬玉なんか使ったんだ!崩壊の危険もあったんだぞ!?」
瞬明の言葉に如月の目が泳ぐ。陵王は深く、溜め息を吐いた。
「…間違えたな?煙玉と」
「!」
「図星か…」
この馬鹿娘、と呻いて頭を抱える瞬明。そしてジと目でこちらを見つめてくる主に、とうとう如月は全てを白状したのだった。
曰わく、
「煙玉を投げたつもりが火薬玉で?」
「自身も吹き飛ばされたあげく、駆け出そうとして服に足をとられて転けた…と」
「………はい。それで捕まりまし、た」
つまりはそういう事だった。
そして部屋に訪れる静寂。
まるで嵐の前の静けさだと、如月は冷や汗をかきながらそんなことを思った。
「この…っ馬鹿者!!おまえは何度痛い目を見れば気が済むのだ!!」
「申し訳ありませんっ!!ごめんなさいッ!!」
「毎回毎回、変な所でどじりおって…ッ!どうして単独行動の時にばかり無茶をするのだ!?自身の技量と状況を考えろ、と何度言われればわかる!?」
正座した如月の、その頭上から陵王の雷が降る。瞬明はいつもの如く傍観者に徹しているが、思っていることは同じだろう。
ひとしきり怒鳴ったところで、陵王は疲れたように息を吐いた。如月は顔を上げるが、片手で顔を覆っているためにその表情は見えない。
「…わ、若?」
「頼むから、心配させるな」
くしゃり、と如月の黒髪をかき混ぜて呟くようにそう言った陵王の顔を如月は見ることは出来なかったが。
「(……おや?これは)」
1人傍観者に徹していた瞬明だけが、主の表情に浮かんでいた感情に気付いたのだった。
「(…これから楽しくなりそうだ)」
ぐしゃぐしゃと髪を乱されて文句を言う妹弟子と、笑いながら手を動かし続ける己の主を見る瞬明の顔にも笑顔が浮かぶ。
いつも変わらぬ穏やかな時間。これが彼らの日常だ。
晋国王城、第3皇子の部屋の窓から見える空は、今日も変わらず蒼い。
†鳥笛、了。