第一話 鳥笛(1)
「ちょっ…押さないで下さいよ」
「あ、悪い悪い。まだか?出口」
「まだです」
「あイタっ!頭打ったぁ〜…何でこんな所通るなんて言い出したんですか、若ぁ」
「仕方ないだろうが。仮にも隠密行動が原則だ」
「…とか言って、逃げてきただけなんじゃ」
「シバくぞ」
「ほらほら2人共、もう出口が見えてきましたよ」
周囲をぐるりと高い城壁で囲まれたこの街は、名を紅と呼ばれる晋国の都である。小国ではあるが、物も人心も豊かでそれなりに栄えているこの国は、建国時よりとある一族によって治められていた。
国主の権力を無闇やたらと振りかざす事は無く、国の有事には先頭に立って自らが動く…そんな一族が王族であることを民は誇り、信頼し、そして愛した。
そうしてこの国は長い時を内外共に平和に保ってきたのだった。
そんな一族の住まう王城は、更に城壁で囲まれ、都の北端に位置している。
ばこん!
突如、その城壁の一部が音を立てて外れた。警備兵の死角にできたその穴から、3人の人間が這い出してくる。
「うぁー…やっと出たか!」
「うぇぇ、埃まみれ…」
「2人とも静かに。穴塞ぎましたし、行きますよ!」
音を立てず、人目を避けて町の外れまで一息に走り抜ける。城壁から十分に離れたその場所で、3人はようやく止まった。
「…さて、と。後はつけられていないよな?瞬」
「はい。大丈夫です、若」
長い黒髪をゆるく結わえた、瞬と呼ばれる青年の答えに満足そうに頷く黒髪の少年は、まだ二十歳にも満たないほど若い。
「それで、今日はどのように?」
「ああ。最近どうも治安が悪いようだからな…釣りでもしてみようかと思ってる」
ニヤリと口角を上げて笑う少年を見て、2人は顔を見合わせる。彼らの主は人使いが荒いのだ。
「如月」
「はい」
名を呼ばれ、漆黒の髪を持つ少女が一歩前へ進み出る。
「おまえ、今年で17になるんだったか?」
「そうですが…」
「お前に、頼みたいことがある」
数分後、如月と呼ばれていた少女は人々で賑わう街の中をただ1人で歩いていた。
先程までと違うのは彼女の服装。地味な目立たない色で動きやすさを重視したものから、若い街娘が身に付けるような華やかなものをまとっている。
そんな彼女を離れた場所から見る目があった。
「…若、まさか本気でやるとは思いませんでしたよ。本当に大丈夫なんですか?如月ですよ?」
「大丈夫だ、問題ない」
なんていったって俺の護衛なんだからな、と自信あり気に笑う少年に瞬は頭を押さえる。
「そりゃあ、あの娘は強いですよ?体術は我が一族の中でもずば抜けてますからね。…しかし女は女です。男に数人がかりでこられたら力負けしますよ」
「元より承知の上だ…仕方なかろう?今回は標的が女なのだからな」
「わかってはいますが…」
心配げに表情を曇らせる瞬に、少年は一瞬目を見開いて顔をそらした。
「心配ない。何かあれば自らの手で助け出すのみだ」
その言葉には言外に“部下を見捨てはしない”という意味が込められている。
彼の部下である瞬にとってその言葉は大変嬉しく感じる。感じるのだが、しかし。
「…あのですね、少しは御自分の立場というか身分というかを考えて頂けませんか?陵王様」
「考えている。…考えているからこその行動だぞ?」
「…一国の皇子がこんなことしますか?普通」
何度思ったかしれないが、護衛も楽じゃない…主の横で深々と青年は嘆息するのだった。
この黒髪の少年、実はこの晋国の第3皇子でその名を陵王という。現皇帝の末息子で、今年で19になる。
瞬こと瞬明と如月は、晋国皇族に最も古くから仕える一族の人間であり、陵王直属の護衛である。幼い頃からずっと行動を共にしてきたため、部下である以上に友人や家族にも近い関係だった。
「今回は事が事だからな…。だから如月を行かせた」
「それは十分に承知しております」
「エサに一般人は使えない。こっちまで危険だからな」
「その点は全く問題無いと思いますけど…如月の普段を考えると別の意味で不安なんですが」
「…奇遇だな、俺もだ」
悪い予感ほどよく当たるものはない。
この言葉を2人は後に、その身をもって知ることになるのだった。