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墓場まで持っていく話

作者: 大西洋子

「そうか、いよいよ立候補するのか。テレビキャスターから片田先生か……」

「先生はよしてくれ。幼なじみだろ」それに、テレビといっても自社で制作、報道している番組は少ないが。と自重気味に片田は言葉を続けるが、重ねる杯の向こうの顔はまんざらでもない。

大井にとって片田は、ただの幼馴染みだけではすまない。大井が親から継いだ温泉施設を片田が出演する番組内で何度も取り上げてもらっているのだから。

片田は言う。お前の商売戦略が上手いからだと。だが、大井の前職の旅行代理から得た知恵を、継いだ温泉施設営業へと真似しているだけなのだから。

大井が管理する温泉施設がある集落は、消失するのも時間の問題だと囁かれ続けていた。だが、今日では冬季以外、都会から自然を求める観光客がその温泉施設を訪れる。大井は営業手腕を買われ、町の観光協会の会長を任されているまでになっていた。

「ともかく、今日は俺の奢りだ。お前の息子の成人祝いだ。存分に食ってくれ」大将が二人の前に握り立ての寿司を並べていく。「ここのは格別だからな」

仕事で旨いものを食い慣れているであろう片田が格別だという言葉に偽りはない。大井自身もその味に惚れ、この店を行きつけにしており、接待に利用している。

「おお、これこれ。これを食うために、わざわざこの店に寄るんだ」片田は出されたばかりの鮎の塩焼きにかぶりつく。

その片田の顔を盗み見ながら、大井は胸ポケットに潜ませた札束を確かめた。

片田がある政権から立候補しないかと耳打ちされたのはいつだっただろう。片田から政界を目指すかもしれないと打ち明けられたときから、観光協会の経費を誤魔化し、大金を作り上げた。

その額は、大井が経営する温泉施設とその周辺の土地、それから自分自身にかけている保険を合わせた額とほぼ同額にあたる。

集落の将来のための必要経費だと自分に言い聞かせつつ、だが、この大金を片田に渡していいのかと自問自答を繰り返す。

「うむ、今日も旨い!」

大井の心境など片田にはわかるまい。あっという間に片田は鮎の塩焼きを竹串だけにし、鮎の塩焼きと熱燗を追加注文し、お手洗いに行くと告げ席を立った。

大井は大将の視線が自分から離れている隙に、上着の内ポケットから大金が入った封筒を取り出し、中身を見る。

だが、封筒の中には、成人式で配布したプログラムや広告、新成人代表として演説させた息子の原稿、それらがほぼ紙幣の大きさに破ったものが詰まっていた。

「大井さん、お電話です」

大将の声に慌ててその封筒を内ポケットにしまい、大井はその電話に出る。

電話の主は妻だった。大井は混乱する妻をなだめ、話す言葉を頭の中でまとめていく。

居候先の妹の家に帰るはずの息子が、血相を変えて帰ってきたこと。

手には観光協会の名が記された封筒を持っていたこと。

その封筒の中に大金があり、集落の未来のためという言葉は賄賂ではないかという息子から問われたと。

息子は気づいのだ。あの大金は片田への賄賂の為に用意したものだと。大井は妻に家に戻るから、息子に家で待つようにと告げ、タクシーを呼び、お手洗いから戻ってきた片田に急用が出来たと告げ寿司屋を後にした。


成人式の夜から二十年の月日が過ぎた。あの夜、大井が片田に賄賂として用立てた大金は、大井の息子の手によって暗証番号を変えられた自宅金庫に入ったまま。

大井は自宅金庫をそのままにし、金庫に入った金と同額分の金を温泉施設とその周辺の土地、自分自身の保険を解約し、観光協会に戻し、その足で会長の座を降りた。

その観光協会も、平成の市町村合併の波の中に消え失せた。残されたあの大金は道の駅建設のための積立金ではないか。とうわさが流れたと聞く。


大井は考える。あの夜、片田に賄賂を渡していたら、今、国会で、地方の小さな集落で、あるいは収入が少なく将来が見通せない若者の声を代弁する片田はいなかったであろうと。

「……あの夜、わたしは負った子に助けられたのだな……」

――それが大井の最期の言葉だった。



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