4-1
「オハヨウ、イズミ」
「オハヨウ」
水が入って重くなった桶を持ち上げて、最近顔見知りになった少年の挨拶に僕は答えた。あれから……隣村に魔物が出現したという話を強面の猟師から聞いた日から、今日で5日目だ。だけど僕の生活は平穏だった。
魔物出現の知らせを聞いて僕はリーンと相談したけれど、結局選択肢は3つしかない。隣町へ助けに行って魔物を倒すか、もっと安全な場所に逃げ出すか、現状維持か。
魔物というのは人に襲いかかる。そして襲いかかる相手が居なければそれを探して彷徨うのだという。この村の出来事ではないとはいえ、決して他人事ではない。
しかし大きな街には大抵魔物専門のハンターが常駐していて、魔物出現の情報を管理する部署もあるそうだ。隣村もすぐにそこに連絡したはずで、すぐに専門家が派遣されるだろうと彼女は言っていた。
僕はこの村は物々交換が主体の自給自足の集落だと勝手に考えて居たけど、彼女に言わせるとそんな訳はないのだそうだ。人口が増えた街の要請でここ10年ほどで作られた、炭焼を産業とする新しい村の一つ。というような事を彼女は言っていた。隣村というのも同じで、つまり金銭的な蓄えはあるし近くに大きな街もある。魔物ハンターに依頼もできるのだと。
リーンは僕が魔物を倒しに行きたいと言うなら力を貸すといってくれた。しかし専門家がやってくるのなら、わざわざ危険を犯して倒しに行くことはないんじゃないだろうか? 自分が倒せるならともかく、戦うとなったら僕はリーンに頼るしか無いのだし。
一方で魔物を倒せるように願いを使うというのもまた躊躇われた。まだ魔物がどんな物かも分からないのに、それで将来に渡って生計を立てろと言われても困ってしまう。
じゃあここより安全な場所に逃げるか? でもこの村より安全というと、その大きな街とやらに行くぐらいだ。そうすると今度は生活の問題がある。この村で僕らは医者とその護衛として受け入れられたけれど、大きな街に行っても同じことが出来るとは限らない。リーンはとっても目立つだろうし、余計なトラブルも多そうだ。第一、移動が安全とは限らない。
そんな消極的理由で、僕はこの村で生活することを選んだ。村の人達だって、不安は感じているもののいつも通りだ。魔物に襲われる事が日常茶飯事とは言わないけれど、恐れすぎても生活にならない。
そもそも普通の人間にとって、森の危険な野生生物に襲われても致命的だ。結局、普段より注意しつつも、いつもの生活をおくる。それしか選択肢がないとも言えた。
もちろん変わったことはいくらでもある。たとえば僕らが居候している一家を始めとして、何人かの名前を覚えた。
大怪我をしていた旦那さんはハリムさん、奥さんはアルネさん、その子供はキィ君と言うらしい。随分今更な話なのだけど、リーンは何故か人の名前に全くこだわらないので、言葉の通じない僕にはなかなか知る機会がなかったのだ。彼女は未だに旦那さん、奥さんとしか言わないし。
名字もちゃんとあるらしいけれど、普段はあまり使われず名前で呼び合うらしい。この小さな集落ならそれで問題がないのだろう。そうなると僕が皆にイズミと呼ばれるのはおかしいのだけど、もはや僕は訂正する機会を失っていた。
こうして毎朝キィ君と一緒に水を汲みに行くのは僕の仕事になった。同じように水を汲みに来る別の家の子とは顔見知りになって、朝の挨拶や、いくつかの簡単な言葉も覚えた。ハリムさんは一応快方に向かっているらしい。まだ起き上がるのは無理だけど、リーンの治療のおかげでその顔には少し色が戻ってきていた。あのドロドロが塗り薬で本当に良かった。もっとも彼女の作る薬湯も十分不味そうだけれど。
リーンは村の人に頼まれて、何人かの怪我人や妊婦を診るようになっていた。ハリムさんほどの重傷は無かったけれど、火傷を負った男性の幹部に謎の液体を塗ったり、妊婦さんに何かアドバイスをして、いくらかのお金を得ている。
なんだか、感謝を超えて崇拝の目で見られているのは気の所為だろうか。彼女は医者であって神の使いではない……事になってるはずなのだけど。
あれから2度ほど森にも出かけた。重量比で言えば野生動物4、山菜5、薬草1の割合なのに、薬草採集と称される謎の活動だ。
あれ以来大型の獣に遭遇することもなく、リーンと二人で出かける森は僕にとって楽しいものと言えた。あいかわらず大量の獲物を持たされる後半以外は。
その御蔭もあってか、僕はどうも凄腕の魔法使いとして認識されてしまったようだ。リーンだけではなく僕に対する村人の対応もとても丁重で、僕は相変わらず気まずい思いをしている。
そんな事を思い出しながらハリムさんの家に着いた僕は、汲んできた水を大きな瓶に移す。何往復か必要で、毎日面倒な作業ではあるけれど、それほどの苦労は感じ無い。生活用水を取る川は集落のすぐ側を流れているし、僕がまともに役に立てるといえばこんな単純作業しかない。水瓶をいっぱいにして、普段ならここで朝食となるのだけど、その日はリーンから意外な言葉を聞くことになった。
「村長さんが我々に用事だそうですよ。すぐに来てほしいと」
何事だろうか。訝しんだ僕だったけど、ともかくリーンと共に家を後にした。
「何の用事だろうね」
僕らを呼んだという男性の顔を思い出しながら、家を出てすぐリーンに尋ねる。
村長と勝手に呼んでるけど、彼はこの集落を取りまとめている代表のような人らしい。若い村にふさわしくまだ壮年の男性だ。確か着いて3日めだろうか、その頃に一度挨拶に言ったときは、僕たちを歓迎してくれて、ハリムさんの命を救ってくれたことにお礼を言ってくれた。
「怪我人か病人が出たか、そうでなければ魔物関係でしょうかねえ」
リーンにも特に心当たりは無いようだ。村の大通りを歩きながら、少し考えるようにしてそう答えた。
「何かトラブルがあったりとかは?」
「小さな集落にとって医者は貴重ですからね。村長さんもそれは理解してるようでしたし、無いと思いますけど」
そんな事を喋りつつ、小さな集落であるしすぐに目的地に着いた。彼の住居はこの集落で一番大きな家で、集会所としての機能もあるそうだ。僕らは迎えられてすぐに、その集会所に通される。
中に入った僕らを迎えたのは四人の男女だった。奥に座る一人は見たことはないが、この村の住人だろうか? 少なくともそう言われても納得できる。しかし手前の三人は明らかに雰囲気が違った。
この村の住人はだれも動きやすい、シンプルな服装だ。僕は横目でリーンを伺った。彼女も今はそんな服を着ている。けれど、その三人は丈夫そうな皮の服に金属の胸当てや肘当てをつけている。剣や槍で武装もしていた。これがただの村人なら、未だに僕の一張羅である学生服だってもうちょっと日常に溶け込めるというものだ。というかこの服、目立ってそうで嫌なんだけどなんとかならないだろうか。
ともかく、そんな彼らは僕に鋭い視線を送っていた。警戒だろうか、品定めだろうか? その物々しさに腰が引けそうになった僕だったけど、次いでリーンに向けられた彼らの顔が驚愕に歪むのを見て、少し冷静さを取り戻す事ができた。
村長に促されて、僕らは彼らとテーブルを挟んで座る。はっと気を取り直し、彼らの一人が何かを語り始めた。喋ってる言葉は相変わらず分からないので、そのかわりに僕は彼らを観察し始めた。
一番手前でリーンと村長さんに何か話しているのは30代の男で、金属の兜をかぶり髭をはやした貫禄のある顔と、それに見合ったゴツい体をしている。一人で喋ってるし、彼らのリーダーか何かなのだろうか。
その隣に座る槍で武装した若い男はさっきからリーンを呆然と見つめていた。僕とは違う理由で会話は耳に入ってないようだ。というかそれは一番奥の男もだった。まあ気持ちはとてもわかる。意外と変なところもある事を知っている僕だって、彼女の美貌はまだまだ見慣れない。
そして、一際目につくのが最後の1人だった。丈夫そうな灰色のローブ姿だけれど、金属の防具は付けていない。少し癖のある栗毛のショートヘア、多分年齢は僕と同じか少し上の、それは可愛らしい顔をしている女の子だったからだ。しかしそのくりっとした目はさっきからずっと僕たちを睨んでいて、目があった僕は思わず視線を外してしまう。彼女にとってなにか気に入らない会話がされているのだろうか、今度は話している男を睨みだした。
奥の一人はともかく、三人はこの集落で今まで会ったことのない種類の人達だ。戦いを生業としている……話に聞く魔物ハンターだろうか? それにしては女の子が場違いな気はするけれど、魔法が使えるなら性別や年齢も、まして容姿は関係ないのかもしれない。リーンだってあの見た目で大型の獣をあっさり仕留めるし。しかし、そうするとそんな彼らが僕らに何の話があるというのだろう。
僕がそう考えていると、どうやら会話は一段落したらしい。リーンが僕に向かって話し始めた。
「こちらの三方は依頼されてやってきた魔物ハンターだそうです」
その言葉に僕は頷く。勝手な想像は的を射たものであったらしい。
「そちらの人は隣村の方で、三人の依頼主ですね。これから隣村に向かう所だそうです」
そう言ってリーンは奥の男を示す。唯一普通の村人に見える男性で、これも納得できた。見たことが無いと思ったけれど、隣村の人間だったのか。これから隣村に向かうというのは当然魔物を倒しに行くのだろう。その途中でこの村に寄ったのだろうか。
「それで、この方がリーダーさんなのですけど、我々に同行してほしいと頼みに来たそうです」
「え、同行って、魔物狩りに……?」
しかし続けられた言葉は、到底納得できるものではなかった。
リーン4-1