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その後もいろんな植物を採取したり、木の皮を剥がして削り取ったり、鳥を撃ち落としたりして、僕らは歩いていた。しばらく願いについて考えていた僕だったけど、すぐにそんな余裕は無くなっていた。借りてきた籠はいっぱいになって僕の両肩を圧迫している。太陽はすでに頂点を超えていた。というか、とりすぎじゃないのこれ。
『これも薬草?』
『いえ、結構美味しいんですよ。これ』
あんまりにも色んな植物を採るものだから、思わず尋ねた言葉に返されたのがこれだ。僕はもはや薬草採集のほうがついでだったと思っている。魔法の説明にしたって完全に狩猟だったし。
どうにか歩を進めながらどうやって帰還を提案するか考えていた僕の耳に、その時ふいにせせらぎの音が聞こえてきた。
「小川が近いようですね。戻る前に休憩にしましょうか」
「助かるよ……。こんなたくさん持たされるとは思わなかった」
彼女の言葉に心からほっとする。荷物持ちぐらいは出来ると思ったけど、これじゃあそれすら怪しい。
それからまたしばらく歩く事になったけど、なんとか小川にたどり着いた僕は、やっと荷物をおろす事ができてその場に座り込んだ。綺麗な水の流れる光景とそのせせらぎの音に、僕はほっと息を吐き出す。
しばらくへばっていた僕がやっと息を吹き返してリーンに目をやると、彼女は水面をじっと見つめていた。その様子に不意に不安を感じた僕は彼女に尋ねる。
「魚もとるって言わないよね?」
「……すいません、荷物、重かったですか?」
その間は何だろう……? ともかく、すこしは回復した僕は立ち上がり河原に向かう。流れる水は透明度がたかく川底まで見通せた。
「これ、飲めるよね?」
「はい。そのまま集落のほうに流れて生活用水になってるそうですし、問題ないかと」
一応聞いてから、僕は水をすくって口を付けた。汗をかいた体に染み込むそれは、月並みだけど信じられないほど甘くて美味しかった。同じように水を飲んでいるリーンに目をやると、彼女はふと川上に目を向けた。
「どうしたの?」
つられて彼女の視線の先に顔を向けると、そこには小屋があるのが見えた。人が住むには小さいように見えるし、そもそもこんな所に人が住んでるわけじゃないだろう。猟師の物置小屋かなにかだろうか?
「扉、開いてますね」
リーンは視線を小屋に固定したままつぶやく。彼女の言う通り、確かに入り口は開いていた。中は暗くてよくわからないけれど、簡素な扉が倒れてなにかにひっかって揺れているのが見える。まるで引き戸を強引に蹴り開けたかのように。
「壊れてる?」
僕の言葉に、リーンは人差し指を唇に当てた。一体どうしたって言うんだろう。その彼女の様子に僕はにわかに緊張して押し黙る。彼女は河原の小石を拾う。不思議そうな僕を尻目にその石は小屋に向かって放たれた。彼女が投げたのではなく、ひとりでに手のひらから飛び出していったようにしか見えない。さっきも見た物を投げる魔法だろう。小石は小屋の壁にあたり、小さな音を立てた。
「何……」
一体どうしたのか、リーンに問いかけようとして、しかし僕はその言葉を飲みこんだ。小屋の入り口に黒い影がゆらめいたのだ。そのままゆっくりと姿を表したそれを見て、僕は息を呑む。でかい。距離があってわかりにくいが、全長3mほどはあるだろうか。茶色い毛に覆われた四足歩行の動物。体格は熊のようだけど、写真で知るそれとは顔つきが全く違う。全く見たことのない生物だった。大きなその双眸は、様子をうかがっているのか、僕たちに固定されていた。
思考が白く染まっていくのを感じる。さっきまで籠に詰め込んでいた小動物とは明らかに違う。その巨体に飛びかかられれば人間なんてひとたまりもないだろう。どうすればいい? いや、逃げるしか無い。でもリーンは? その時、僕はやっと彼女を守らなければならない事を思い出していた。慌てて彼女を見れば、逃げようともせずゆっくりとその生き物に手を伸ばしている所だった。
「リーン……!」
何してる、逃げないと。そんな言葉は僕の口から発せられる事はなかった。彼女のかざした手から高速で何かが射出され、獣に吸い込まれた……気がする。それは目視できる速さではなかった。かろうじて影が走ったように見えるだけだ。
次の瞬間、何かが破裂する音と木をへし折る暴力的な音が周囲に響いた。驚いて小屋を見ると、その壁に赤いなにかが花が咲くように模様を描き、その花の中心には大穴が開いている。獣は悲痛な唸り声あげて地面を転げ回っていた。
「は?」
「ふむ」
間抜けな声をだす僕を尻目にリーンは何か頷くと、今度は彼女の伸ばした手の周りに黒く輝く4本の金属の棒が現れた。先が鋭く尖っているから槍と言ったほうが良いかもしれない。空中に貼り付けられたように静止するそれに疑問を抱く前に、それは獣に向けて高速で射出された。地面でもがく熊のような生き物に突き刺さる槍。それでもしばしらくのたうっていた巨体も、すぐに動かなくなる。その下の地面には赤い水たまりが広がっていた。
ただ目の前の光景を呆然と眺める事しか出来ない僕だったけれど、しばらくしてやっと頭が動き出す。
今のはリーンの魔法だ。最初のはよくわからなかったけど、何かを高速で、それこそ目にも止まらない速度で撃ち出した。それが獣を貫通してその血を撒き散らし、それだけにとどまらず小屋を破壊していったのだ。
その後槍を撃ち出したのはとどめだろう。すでに獣は倒れていたけれど、手負いの獣が一番恐ろしいと聞いたことも有るし、念には念を入れたのか。
ともかく彼女がその獣を倒したのだということを、ようやく僕は理解した。
というか、思い返せば野生動物ぐらいならなんとかするって彼女は自分で言っていた。そんなついさっきの事も頭から吹き飛んで、ましてや僕が考えたのは彼女を守らなければならない、だなんて。いくら身の危険を感じたからとはいえ、僕は急に恥ずかしくなって来る。最初から、彼女にとってこの程度は危険でもなんでもなかったんだ。
そこまで考えて、やっと僕は我に返る。どんな魔法が使われたのか、あるいは僕がいかに格好悪いかなんてどうでもよくて、大事なのは僕は彼女に助けられたということだ。まずはお礼を言わないといけないだろうと、僕は隣に佇む彼女に向き直る。
「ごめんなさい……」
しかし、口を開いたのはリーンのほうが先だった。大型の生物、大の大人何人分もある巨体を、小鳥を落とすのと変わらぬ様子で倒して見せたというのに、彼女から告げられたのは何故か謝罪の言葉だった。
一体彼女は何を言っているのだろう。危険な森に連れ出した事だろうか? でもそれは必要な事だったのだろうし、ちょっと驚いただけで僕は怪我一つない。ダメージが有るとすれば自分の情けなさを自覚したことぐらいだ。彼女が謝ることなんて何一つ無いはずだ。
しかしそんな疑問を感じた僕に続けられた彼女の言葉は、今度こそ僕を絶句させるものだった。
「これ持って帰るの、大変ですよね……」
いや、大変っていうか……無理でしょ……。
結局その熊っぽい生き物、もうクマでいいか。クマを持って帰るのは諦めた。当たり前だけど、その巨体は何百キロあるか分からない。彼女はその場で解体して持ち帰れる分を計算していたが、最終的には後ほど持ち帰る事で妥協した。集落の人に手伝って貰えば可能だろう。
「魔法で持ち運べないの?」
「瞬間的に作用する魔法ではなく、継続的に作用する魔法が必要になりますので……いっそ村まで吹き飛ばす方が簡単なぐらいです」
僕は呆れながら聞いてみたけれど、彼女の答えはそれだった。流石に空からでっかい野生動物が振ってきたら驚くだけじゃ済まないからやめて欲しい。そもそもミンチになるだけだ。
というかなんでそんなに持って帰りたがるんだろう。このクマそんなに美味しいんだろうか?
ともあれクマを放置して怪我人が待つ家に帰り着いた僕たちは、籠に満載していた収穫物を奥さんに渡す。彼女はとっても驚いた様子だったけど、すぐにそれは感謝に変わった。ちゃんとと言っては失礼だけど、一部はリーンがすり潰して混ぜ合わせ、変な匂いのするゲル状の何かを作っていた。しっかり薬草も採取していたらしい。
その後奥さんが呼んでくれた厳つい顔の猟師に、クマの事を託す。彼の仲間を襲ったのもあの生き物らしい。その時のリーンの口ぶりからすると、襲ったのはあの個体だと確信しているようだった。なにか特徴でもあったのだろうか?
ともかくここでもえらく驚かれ、次いで感謝された。その強面を崩して僕に何か語りかけたのは、「そのなりで腕が立つんだな」といったところか。リーンもなんか笑ってるし、これは多分僕が倒したことにされたのだろう。護衛って事になってるし。
事実と違うそれに思うところはある。けれどとりあえず、残った僕の心配事は、さっき彼女が作っていた何かはまさか飲み薬じゃないだろうかという事だけになった。
その日の夕食は今までに無い豪華なものになった。リーンの落とした鳥に採取した山菜を詰めて焼いたものは、確かにすばらしく美味しかった。それを食べる彼女の笑顔と合わせて、疲労困憊の僕の体に十分に報いてくれた。一緒に食卓を囲んだ奥さんも子供も笑顔で、もちろんこれも僕の力でもたらされた物ではないのだけど。
日が落ちると、僕は横になって昼間の続きを考えていた。彼女の言った願望の事だ。
ただ生きていくのは願望ではないと彼女は言った。今死の淵にある人間にとって、その死を回避することは切実な願いだろう。ただ平穏に生きたいというのだって、立派な願いのはずだ。
でも、もし多くの物を得たいのなら。それには、ただ生きていくだけでなく、どう生きていきたいかを形にしなければならない。彼女が言ったのはそういう事じゃないだろうか。
僕は食卓を囲んだ皆の笑顔を思い出していた。ああやって皆が笑顔で、感謝してくれるような何かを僕ができるようになれば。それはとても良い生き方だと思う。
でも、それは僕の願いなのだろうか。
今度こそ寝床を二つ作り終えてベッドで寝ることが出来た僕は、結局リーンと同じ部屋で寝るはめになっていたけれど、そんな事を考えていたらその晩はいつの間にか眠ってしまっていた。
近くの集落に魔物が現れたという知らせが届いたのは、次の日の事だった。
リーン3「魔法」
おわり
アバ子「ふむ(出力高すぎて小屋破壊しちゃった……まあいいやこいつのせいにしよう)ごめんなさい」