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分割商法始めました
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「で、さっきのは何……?」
質素なテーブルを前に腰を落ち着けて、僕はそう切り出す。
「大型の獣につけられた傷だと思われます。多分あの方はこの村の猟師さんなのではないでしょうか」
「そっちじゃなくて」
わざとやってるんだろうか。
「さっきの治療の方。魔法?」
「ああ、魔法ですか」
彼女はそこで少し考え込む。
あの後、まずは皆ですっかり汚れてしまったベッドから男性を移し、男性の体を拭き清めた。何が起きてるのかさっぱりな僕の疑問は放置だ。まあ物事には優先順位というものがあって、それはいいのだけど。
あくまで素人目にだけど、輝く何かに覆われた男性は、疲労の色が濃いものの、最初よりはずっと安定した状態になっているように見えた。怪我人の奥さんなのだろうか、手伝ってくれていた女性も、最初に僕らを連れてきた男性もそれを感じているらしく、リーンの事を拝まんばかりに感謝していた。
その作業が一段落すると、今度は僕らは別の部屋に案内された。リーンの説明によれば、この家の住人である先程の女性が食事を振る舞ってくれるらしい。調理のために女性が席を外して、ようやく僕はずっと抱えていた疑問を口に出せたのだ。
「正確な説明をするとものすごく長くなってしまうので……簡単に言うと、イズミさんの世界からすると不思議な作用に見える力です。これはちゃんと物理法則に則った力なのですが、とりあえずイズミさんの語彙から便宜上魔法と呼びます」
うん、さっぱり分からない。
「ええと、僕の世界には無かった不思議な力ってこと?」
「それはどうでしょう。この相互作用の由来は空間を満たすエネルギーの一種なので、もし存在しなければ宇宙はあっという間に収縮して消滅してしまいます。イズミさんの世界では観測されてないか……あるいはイズミさんが知らないだけで、存在はすると思いますよ? 確かな事は言えませんが」
そういえば僕の住んでいた世界にも神様だって居るはずという話だった。僕が知らないだけで、地球にも不思議な力が存在していた? 確かに超能力なんて言葉はあるけれど。いや、魔法だって言葉としては存在するわけで……
「ただ、この世界の第三種生命はそのエネルギーによって魂が構成されています。その構造によってこの力をある程度制御できるのです。そうではないイズミさんの世界でこの力を利用するのはとても難しいでしょうね」
やっぱり存在しなかった。
「この世界の人間は原理上誰でもこの力を使えます。つまり使えないのはイズミさんだけですね」
「え、僕は使えないの?」
「魂の構造上不可能です。だから私はここに居るわけですし」
ああ、魂というのがそもそもよくわからない話だけれど、その違いによって僕は願いを叶える権利を得たのか。思い返せばあの暗闇でも、彼女はそんな事を言っていた気がする。なんというか、それはむしろマイナスな要素だけれど、それがなければ僕は宇宙の片隅で人知れず死んでいたと。そう考えれば魔法が使えない事に文句は言えないか。
「もっとも、原理上誰でも使えるというだけで実際に役に立つレベルで魔法を使える人間は限られます。努力と才能の問題ですね。ですからイズミさんが魔法を全く使えないとしてもそれが目立つ事はありませんよ。むしろ普通です」
その言葉に、僕は部屋の隅を見る。そこは多分台所になっているのだろう。竈や調理器具がおかれていて、先程の女性が5,6歳ぐらいに見える少年と一緒に料理を作っている。……多分。
料理なんてしたこと無い僕からすると、使っている器具は見なれない物だ。しかしそれは単に文明の差という事で納得できる。その光景は違和感の無いものだった。少なくとも手から水を出したり道具が宙を舞ってたりはしていない。
「つまりさっきのは傷を治す魔法?」
「いえ、正確に言えば傷を塞ぐ魔法でしょうか。傷を治す魔法は不可能ではありませんが、使い手はかなり限られます」
彼女によると、先程の治療は魔法で傷を洗って、魔法の包帯で傷を塞ぐ。つまり魔法を使ってはいてもやってる事は地球と変わらないのだそうだ。僕からすると十分不思議だけど、魔法といっても念じただけで傷が治るような都合のいいものではないらしい。それは限られた人にしか使えないという傷を治す魔法でもだ。それは見る間に傷がふさがっていくような物ではなく、あくまで通常の物理法則の範疇で、細胞の増殖速度を超えて傷が癒えるような事は不可能なのだと彼女は言った。
ちなみに呪文は普通に日本語だった。魔法は決まった文句の呪文がある訳ではないらしい。彼女は「雰囲気です」と笑って居たけれど、そんな適当でいいんだろうか。まあ先程の光景は、言葉のわかる僕ですらなにか神秘的なものを感じたぐらいだ。言葉の分からない彼らからするとなおさら不思議な呪文としか感じられなかっただろう。そういう問題でもない気がするけど。
「ということは、治ったわけではない?」
一通り彼女の説明を聞き終えて、僕はそう尋ねる。部屋にはいい匂いが漂い始めていて、僕は急に空腹を感じてきていた。
「はい。あの方達にも説明しましたが、命が助かるかどうかはまだなんとも言えません。かなりの血を失ったでしょうし、あの魔法で感染症を防ぐことはできませんから」
「と言うことは、かなり危ない所だった?」
「そう言えます」
そんな所に通りかかったのが魔法使いで旅の医者。彼らにとってリーンは正に神の使いといったところだろうか。あの感謝の仕方も頷ける。まあ神の使いなのは本当なんだけど。
「うん、それは分かった。でもなんで教えてくれなかったの? この世界には魔法があるって」
「聞かれませんでしたので」
「……」
それはまた彼女の変な冗談かと、僕は目の前の少女を見つめる。しかしそこには至って真面目な、そしてやっぱりとんでもなく美しい顔しか無かった。
「私は願いに必要と思われる質問にはなるべく答えます。しかしイズミさんが知らない事をすべて教える事は不可能です」
その顔を見つめ続ける事ができなくて目をそらした僕に「そもそも知らないことの方が多いですよね」と彼女は付け加えた。多分、これはちょっと呆れ顔だ。
「でも……魔法があるって知らなかったら願いも変わっちゃうんじゃない? 魔法を使えるようにしてくれと頼めなくなる訳だし」
「もちろんそうです。あらゆる願いはあなたの想像の範囲内でしか持つことは出来ませんから」
願いをは叶えるし、その為の質問には答える。でも僕の想像の範囲を広げる事はしないという訳か。つまりこの世界で願いを叶えるには、この世界の事を知って、想像の範囲を広げなければいけない?
そう考えていた僕のところに、調理を終えたのか女性と少年がいくつかの器を持ってやってくる。そこでリーンとの会話は一旦お開きとなった。
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僕らの前に供されたのは、丸い粒状の穀物と何かの団子のようなもの、他にいくつか謎の素材が煮込まれたスープだった。異世界なんだから本当に知らない食材だと思う。多分。申し訳なさそうに語りかけられた言葉は、状況を考えれば「こんな物しか用意できなくて」だろうか。しかし旦那さんがあの状態なのだから、気にする事ではない。言葉が通じない僕は首を振って笑顔を浮かべる事で、その気持ちを表した。女性の表情を見るに、それは伝わったのだと信じたい。
4人で食卓を囲んでの食事が始まった。僕は目の前に出されたスープを、木製のスプーンで恐る恐る口にする。
「美味しい……」
一口食べて、僕は思わずそう呟いた。味付けは塩のみであっさりとしているけれど、刻まれた謎の野菜の甘みとわずかな肉の旨味で優しい味がして、なにより暖かい。
「雑穀の雑炊といった所でしょうか。ごちそうとは言えませんけど」
リーンが苦笑しながらそう口にしたけれど、彼女だって不満に思っている様子はない。
「うん、でも食べ物が同じで助かったよ。なんなら向こうでの食事より美味しいよ」
「それは何よりです。まあ味はそれを食べる環境にも左右されますからね」
彼女の言う通り、別の世界に飛ばさるというとんでもない状況で、初めての食事。お腹も空いていて、何よりこれを出してくれた奥さんの少し安心した表情の前で、一緒に食べるのは見たこともない美少女なのだ。美味しく感じるのは当然なのかもしれない。たしかに質素で、日本で目にする食材に比べれば見劣りはするのだろう。でも、地球での普段の食事より美味しいと思うのは本心だった。
不安そうにこちらを伺っていた女性も、僕らの様子をみて安心してくれたようだ。四人でその食事を囲みながら僕らは話し始めた。
「あの方はこの村の猟師さんらしいですよ。森で野生動物に襲われて、仲間に運び込まれてきたそうです」
といっても言葉の分からない僕はリーンの言葉を聞く専門で、頷くぐらいしかできないのだけど。見た目の通りこの人達は若い夫婦とその子供で、旦那さんは猟師。最初に僕らを案内した男性はその仕事仲間だそうだ。偏見かもしれないけど、あの厳つい風貌はたしかに猟師と言われればしっくりくる。
「治療代はこの食事と、寝る場所を借りるって事でいいですよね? 蓄えもあるそうですけど、今はお金よりそっちですからね」
その言葉はもっともだ。そもそも治療したのはリーンで、僕はろくに役にたって居ないのだから、その報酬に不満を言えるはずもない。こうして一緒にもてなされているだけでありがたい事だろう。
僕は頷いて食事を続ける。大きめの木製のお椀に注がれたスープは、食べて見ると思いの外お腹に溜まるものだった。
「しばらくは治療を続けなければなりませんし、倉庫を借りていいそうです。暗くなる前に準備しないといけませんね」
怪我人を追い出してベッドを借りるわけにもいかないし、寝るだけなら僕は屋根さえあれば十分だ。和やかな食事を堪能しつつ、僕はリーンの言葉に頷いた。
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夜になり闇に包まれたその部屋で、僕は借りた毛布にくるまり、壁に背をつけて座っていた。
食事の後、奥さんは倉庫として使われていた部屋を僕らに貸してくれた。そこは足の踏み場もない、とまでは言わないけれど、狩猟の道具と思われる刃物や弓、籠だったり、なんだかよくわからない獣の革が吊るしてあったりして手狭だった。奥さんはここでもとても申し訳無さそうにしていたけれど、野宿に比べれば断然ましなので僕としては感謝しかない。とは言えある程度はスペースを作る必要はあって、さらに簡単な寝床を作っていたらあっさり日は暮れてしまった。
当然電気なんてないので明かりはランプの火で、もったいないので今日のところは就寝という事になる。もったいないからと言い出したのはリーンだけれど、僕も流石に疲れていたし、日本での生活に比べればとても早い就寝時間なのは問題ない。ついでにどんな場所でも眠れるというのが僕の地味な特技の一つなので、寝床すら無い板の間に毛布一枚なのも問題ない。
……それは問題ないのだけど。
睡眠を妨げるその問題から目をそらすために、僕は今日の事を振り返る。
最初に居たのは今と同じ暗闇の中だった。でもそこで突然語りかけてきた声によればそこは宇宙空間で、しかも僕の居たのとは別の宇宙だと言う。
今思えばそれは別に空間から声が聞こえてきたとかいう超常現象ではなくて、単にそばに居た声の主の姿が見えなかっただけなんだろう。いや、突然別の宇宙に飛ばされてるというのは十分超常現象なのだけど、ともかくそれは今と同じ状況だったのだ。
「はあ……」
思わずため息をついて思考を戻す。
声はこの世界の神様の使いで、僕の願いを一つ叶えてくれるという。ついでに神様は突然宇宙空間に現れた僕を助けてくれて、さらに人間の住む星に送ってくれた。
あれ、別に神様が助けてくれた訳ではなくて、願いを叶える権利を得たら自動的にそうなるという話だったか。……あまり変わらない気もするけれど、ともかく理不尽な突然死こそ免れはしたものの、僕はこの右も左も分からない星で生きていかなくてはならなくなった。
程度の差こそあれ、結局人間は与えられた環境で生きていくしか無い。極端な事を言えば、生まれてすぐに何もわからないまま死んでいく命だってある訳で、それに比べれば僕は随分恵まれた環境を与えられたとさえ言えるだろう。それでもなんで僕だけこんな目に合い続けなければいけないのかと思わざるをえない。僕を異世界に飛ばしたというあっちの神様は僕になにか恨みでもあったのだろうか? それを確認する術はなさそうだけれど。
異世界は幸いな事に地球となにも変わらなかった。異世界なんだから僕の想像を超えた世界だっていいはずだ。でも、空には太陽があって、大地には草木が生えていて、出会った人間だって日本人には見えないけれど、異世界人というよりは単なる外国人だ。空気だってむしろ美味しいぐらいだし。……他はともかく、よく考えたら空気が同じで本当に良かった……。
そういえば寝る前にお湯と布をもらって体を拭くために外に出たのだけれど、夜空には一面星が瞬いていて、天の川もあるし三日月も浮かんでいた。よく見ると月の模様が違う気がしたり、知っている星座はないけれど、それは地球で目にするのと同じような夜空だった。
しかしもちろん非現実的と言える物もある。まずは彼女だ。初めて見る美しいプラチナブロンドの髪もそうだけれど、透き通る青い瞳を始めあらゆる顔のパーツが完璧に配置されたとしか思えない造形の顔。地味な旅装束に身を包んでいてもわかる、ほっそりとした体とそこから覗く白磁の肌。自称神の使いで僕の願いを叶える為に現れたというのも十分非常識だけど、それが霞むほどの美少女。
リーンと名乗る……いや名乗っては居ない。リーンと名付けた? 彼女は事務的な口調で僕の質問に答えてくれて、でも時々唖然とするような事を平然と言ったりする。見たことのない美少女相手なのに僕が普通に会話できてるという事実は、彼女の存在以上に非現実的な事かもしれない。状況の、そして彼女の性質の為せるわざか。
彼女とたどり着いた人里で僕ら、というより医者という触れ込みのリーンはすぐに怪我人の所に連れていかれた。
そう、もう一つ非現実的な出来事があった。魔法だ。彼女はなにもない空中から水を出し、光る不思議な包帯で傷を塞いだ。彼女の言によればそれは僕の知る物理法則に則った力なのだそうだけれど、とてもそうは見えない。というか他の人が箒で空を飛んでたりしないし、彼女にのみ許された力といわれたほうがよっぽど納得できる。変な事を言わなければ神秘的だし。しかしまあ、それを目撃した怪我人の猟師さんやその奥さんも、感謝こそあれど驚いたりはしてなかったから、この世界では普通に存在する力なのだろう。
そして最後の非常識。……最初のかな? ともかくそれは願いを叶える権利。僕がこの世界で唯一魔法を使えない人間で、その事によって神様からもらったもの。神様にできる事なら何でも叶う……といえば聞こえはいいけれど、その「なんでも」は「この世界にあるものならなんでも」でしかない。ありえない物は叶わないし、あとは願いを口に出して伝えなきゃいけないから僕に想像も出来ない事はそもそも願えない。
これが元の世界、日本でならば。神様から見たら些細で、でも切実な願いが誰にだってあるんじゃないだろうか。でもここは異世界で、右も左も分からない場所だ。どうやって生きていけばいいのかも分からない。生きていけなければ願いを叶える以前の問題だ。結局生きていくための願いを叶える事になるのだろうか。
たとえば何だろう。そう、言葉が分からないのは不便すぎる。この世界の言葉を覚えさせてくれと願えば、それは叶うんだろう。地球の事を考えればこの世界の言語が一つってことはなさそうだけど、この国の言葉を喋れるようになればとりあえずの問題は解決する。
でも、そんなこの世界なら子供でも出来ることに願いを使うなんて馬鹿げているとも感じてしまう。もっと色々できて、かつ言葉も喋れるような願い? 一瞬で言語を理解できるような頭脳をくれとか? いや、これは現実的にありえなそうだ。そもそも頭がよくたってそれで生きていけるとは限らない。
そうだ、リーンはお金が欲しいならば、お金そのものではなくお金を持ってる状態を願えと言っていた。つまり言葉を直接覚えるのではなくて、言葉が喋れる状態を願う。この世界の一般的な生活をくれ?
他の人がこの状況になったらどうするのだろうか? そりゃ何でも叶うって訳じゃない。でも富や名誉や力、叶えられることはいくらでもある。それなのに僕が考えるのは、与えられた環境でとりあえず生きていくにはどうしたら良いかという事だけだ。異世界に飛ばされてもそうなんだから、これはもう僕の拭い難い性格なんだろうか。
そこまで考えた時だった。すぐ近くで起きた物音に、ついに僕は今まで目をそらしてきたその事を、考えざるを得なくなった。
「というか、なんで同室なんだろう」
聞こえてくるリーンの寝息に、またため息をつく。借りた物置は当然一部屋で、作った寝床は彼女が使っている。それはいいんだけど、なぜか僕は同じ部屋で寝ることになっていた。どんな環境でも寝れるというのは僕の特技だけど、さすがに絶世の美少女が寝ているすぐそばという環境はおかしいんじゃないか。
見た目からもさほど大きくない家で、部屋数も多くない。さらには重症の人だっているんだから、居候が沢山部屋を占拠するわけにはいかない。ただそれだけで深い理由は無いんだろうけど。無いよね? 僕の睡眠時間を削っても、彼女に利益はない。はずだ。
すくそばの人の気配を無視するという努力をしながら、僕は目を閉じる。
廊下か軒下で寝たほうがいいかな……
リーン3「魔法」-2
分割量がなんかおかしいのでそのうち修正されるかもしれません