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「願いってさ」
無言の行軍に気まずさを感じた訳ではないけれど、僕はそう口に出していた。ともかくこの願いを叶えてもらえる権利が僕の生命線なのだから、確かめなくてはならない事は多い。その事に関する限り、彼女は会話に応じてくれるだろうし。
「なんでも叶えられる……って訳じゃないんだよね」
「それはなんでも、の定義によります。しかしまあ、違いますね。管理者の能力を超える事は不可能ですし」
実際「地球に帰してくれ」は不可能な訳だ。
「管理者の能力内でも、管理者に著しく不利益を与える願いは叶いません。あくまでこの権利はご褒美のような物なので」
「神様に不利益?」
「分かりやすい例は『管理者の死』などですね。これは管理者の能力で可能ですが、管理者が叶えることはありません」
「ああ……」
確かに「神様死んでくれ!」って願いが叶ったら駄目だろう。そんな事を願う人が居るかどうかはともかく。……いや、僕をこんな目に合わせた「あっちの」神様にならひどい目にあってほしいけれど。
「『何度でも願いを叶えてくれ』とか、『管理者と同等の能力をくれ』というような、結果的に権利を複数回得る事のできる願いも不可能です。それは管理者には可能な願いですが、叶いません」
それも納得できる話だ。それが叶うならそうするに決まってるけど、神様からしたら困るだろう。
「注意が必要なのは、この星の人間全体、あるいは社会に重大な影響を及ぼす願いも不可能という事です。管理者は目的をもって人間を創造していますので、それに反する願いは叶いません。『人間を滅ぼしてくれ』という願いは不可能です」
「いや……そんな事願わないけど……」
「『人間を滅ぼせるような兵器をくれ』も不可能ですよ?」
この子は僕のことをなんだと思ってるんだろうか。
「いや、それも遠慮するけど……そっか、そうすると『この星を地球みたいにしてくれ』ってのも無理なんだね」
「そうなります。もし地球の情報が観測可能であったとしても、それは叶いません。限定的な範囲……たとえば一都市に限り、さらにあなたの記憶から出来る限りの再現なら可能ですが、おすすめはできませんね」
「おそらく直ぐに破綻しますし」と、あっさりと恐ろしい事を口走る。
まあ、いくら科学文明が発達していたとしても、一都市で出来る事なんてたかが知れているだろう。
「そうすると、お願いするのはやっぱりお金かな」
「……この大陸の社会一般的に貨幣制度はありますし、可能です」
なんだか神様に叶えてもらうお願いにしては随分低俗だと思うし、こころなしか……いや確実に彼女は呆れているけど、とりあえず生きていくにはそれが一番大事じゃないかな?
「無限にお金が出てくる財布をくれとか」
なんかそんな昔話があった気がする。あれ? お粥だっけ?
「不可能です」
「え?」
そう僕は思ったことを気楽に口にしていたけれど、帰ってきたのは簡潔で、そして意外な言葉だった。
「願いは一瞬で叶えられ、第三種制限を無視します。しかし、願いが叶えられた後は通常の物理法則に従います」
彼女はこちらを見もせずに歩みを進めながら、説明をはじめる。
「貨幣を出してくれと願うならば、それはいわゆる物理法則を無視して無から瞬時に出現します。しかし無限にお金が出てくる財布というのは物理法則に反しているため、それが機能することはありません。物理法則の範疇で……たとえば大地に含まれる金を収集する機構を出してくれという類ならば可能ですが、財布というサイズでそれを再現するのは不可能です。また、無限にそれを行い続ける事を保証することはできません。回収できる金はそれが地表に含有される総量を超えることはありませんし、絶対に故障しない機構というのもありえないからです」
え? どういう事だ? 願い自体は物理法則を無視する。それはいい。でも、願いが叶った後はそうじゃない?
「ええと……つまりあり得ない物は作れないって事?」
僕の言葉に、彼女はうなずく。それじゃあいくらなんでも
「それで叶えられることって少なくない……?」
神様が願いを叶えてくれるっていうのに、現実的でなきゃいけないと?
「そんな事はありません。先程の制限はありますが、この世界に存在しうる物事ならばなんでも叶いますよ? 無いものは無い。ただそれだけです」
僕の当惑を、彼女はそう切って落とした。僕は歩みを進めながら考える。道は少し上りになっていて、わずかに弧を描いて先は森の中に消えていた。森の反対側の、道からかなり離れた所にはいつの間にか水のきらめきが見える。どうやらそこそこ大きな川が流れているようだ。会話をしている間にもそこそこの距離を歩いていて、僕は少し疲労を感じ始めていた。彼女の方はその華奢な体にも関わらず平然としているので、どうもこれは僕に体力が無いだけだろう。
「現実的な物だと……たとえば一生困らない額のお金をくれというのは?」
「こだわりますねえ。一生困らないというのが単に量を表す修飾ならば、可能です。どんなに大量の資産があっても、それが一生困らない事を保証する事はありませんので」
確かにお金が沢山あっても、なにか不測の事態が起きる事はある。そもそもお金があってもどうしようもない事、病気だとか事故だとか、そういう物を防ぐことは出来ないか。医学は地球ほど発達してないという話だし。それでも何もわからない場所に何も無い状態でとりあえず生きていくには、それが一番現実的な願いなんじゃないだろうか。
「注意点としては、単に貨幣を大量に出現させただけでは、それが安定した生活に結びつくとは限らないという事です。むしろトラブルの方が多いのでは? 窃盗の危険もありますし、そもそもどうやって持ち運ぶつもりですか?」
「え……」
そんな風に考えていた僕は、その言葉に絶句する。
例えば日本で一生食べるのに困らない額のお金。想像もできないけど、多分かなりの量……というか、大きさになる。それを風呂敷に入れて担ぐ。いや風呂敷である必要はないけど、イメージの問題だ。そして不動産屋さんに行って頼む。「住むところを貸してください。お金はここにあります」
……確かにうまく行かないだろう。そもそも怪しすぎる。もちろんお金さえあれば、そしてそれを守る力なり知恵なりがあれば、簡単に解決できる問題なのかもしれない。でもその両方ともが、僕には無いものだった。
「ですので、金銭を直接願うのはおすすめしません。願うならば金銭を持った状態そのものの方が良いでしょう」
「え、どういう事?」
そんな想像で気が遠くなった僕を見かねたのか、彼女は言葉を続けた。
「その場合もっと単純に、『裕福な生活をくれ』とすればいいのです。そうすれば貨幣に加えてそれを所持していておかしくない社会的状況、そして周囲の認識の改変まで付随して叶います。もちろんそれは将来の生活を保証する訳ではありませんが」
えっと、つまりお金そのものじゃなくて、お金を持っていておかしくない状況を願えという事? そうすれば不審に思われる事も無いように、というか、それ以前に周囲の疑惑そのものを変えてくれる? 例えば昔から商売をしていて……とか。でもそれじゃあ願いが叶えられた後が困る。僕に商売の知識なんてない訳で、その状態を維持する事ができない。神様が願いを叶えてくれるといっても、叶えられた後の事は保証されないと彼女は再三言っている。……いや、違うか。「商売で生計を立てれるようにしてくれ」と願えばいいんだ。そうすれば例えば元手だとかお店だとか、住む場所や周りの人の認識、そして商売に必要な知識も手に入る。もちろんそうしたところで成功するとは限らないし、やっぱり病気や事故に見舞われる事はあるだろうけれど。彼女が言っているのはそういう事じゃないだろうか。
「でもそれって、願いを複数叶えてる事にならないの?」
「願いが単一であれば、結果として複数の現象が起こることは許されます。むしろそれは当然であって、厳密に単一の現象しか起きない願いなんてありえません」
僕の疑問に、彼女はそう答えた。まだ納得できなかった僕に、彼女はわかりやすく説明してくれた。
例えばコインを1枚願う場合を考える。出現するのは硬貨一枚だけれど、その願いは硬貨に使われる金属を出して、それを硬貨の形に整えるという二つの現象に分けられる。さらに硬貨に使われる金属だって単一の元素ではないし、そもそもそれは大量の元素の集まりだ。どうやって無からそれを出現させるのかなんて分からないけれど、厳密に言えばそれは到底単一の現象とは言えなくなる。コイン1枚でこれなのだから、あらゆる願いは単一の現象とは言えない。
じゃあ叶えられる「単一の願い」とは何なのかとなるのだけれど、それは人間がそれを「単一の願い」と考えるかどうか。つまり彼女の判断に任されるそうだ。彼女は僕の願いを聞いて、それが「単一の願い」だと認めたならば、その願いに必要な現象をすべて考慮して神様に届ける。そしてそれが可能ならば、神様はその現象をすべて起こす。こうして願いの内容を精査するのが、わざわざ神様が人間、つまり彼女を遣わす理由なのだという。人間と神様の思考には大きな隔たりがあって、それを埋めるための言わば通訳として彼女は存在するのだ。
「そのために私が第三種存在として顕現する訳ですが、これは別の問題を起こします」
「問題?」
第三種存在というのは神様に作られた被創造物である知的生命、ようするに人間の事だそうだ。
「はい。あくまで私は人間ですので、あなたの心を読んだりは出来ません。願いは必ず口に出したり文字を書いたりして伝えていただく必要があります」
いや、深く考えてはなかったけれど、それは当然なんじゃ?
「睡眠も必要ですし、長時間食事を取らなかったり、大怪我をしたりすれば普通に死にます。私が死亡した場合は願いを叶える権利自体が消滅しますのでお気をつけください。そうでなくとも私の意識が無かったり、あるいは混濁していたりする場合、いくら願いを伝えても叶いません。ですので早めに権利を行使されることをお勧めします」
なるほど、願いを伝えなければいけないのはもちろん、伝えられる状態でなければいけないという事だ。それは彼女が言うように、彼女自体に問題が起こる場合もそうだけれど、僕自身にも言える事だろう。事故で死んでしまったり、植物状態にでもなってしまえば「怪我を治してくれ」と願うことすら出来ない。人間なんてあっさり死んでしまうのは多分、この世界でも元の世界でも同じはずだ。それを必要以上に恐れて適当な願いを叶えてしまうのも良くないとは思うけれど……。
「それはともかく、着きそうですね」
そんな会話をしている間に、いつしか僕らの進んでいる道の先は開けた場所になっていて、そこに集落が見え始めていた。
それは腰ほどの高さの柵に囲まれた、木造の家が立ち並ぶ集落のように見えた。
そう、家だ。壁があり、窓があり、屋根があり、石造りの煙突だってある。当然なのだろうけれど、この世界の家も僕が考える家そのものの形をしていた。畑だろうか、麦のような稲のような植物が風に穂を揺らしているのも見える。道は柵の切れ目、集落の入り口に続いていた。
「……子供がいる」
集落に近づくと、入り口の脇、柵の内側に小学生くらいの子供が4人ほど地面に円陣を組むようにしゃがみ込んでいるのが見えた。それは地球と変わらない人間の姿だった。
「とりあえず無事に人里にたどり着きましたね」
リーンはチラリと僕を見てから、構わず歩を進める。その目は「何を当たり前な事を」と呆れている様だった。
いや、そりゃ人が住んでる集落なら子供ぐらい居るだろうし、人間が住んでいる場所を目指したのだから人間が居るのは喜ばしい事だ。でもそれはこの世界で出会う初めての人間なんだから、僕が不安を感じてしまうのはしょうがないんじゃないだろうか。あ、いや、リーンも一応人間なのか。しかし彼女の自己申告はさておき、正直なところ彼女を普通の人間だと思うのは無理があるし、実際普通の人間じゃない。別枠だ。
20歩ほどの距離だろうか。そこまで近づくと、なにかに熱中していただろう子供たちもようやく顔を上げる。それが驚いているような、警戒しているような表情に見えるのは僕の心構えのせいだろうか。
そんな子供たちに、リーンは声をかけた。
「zsdjfeydew?」
「gelderu!?」
僕に理解不可能な言語で。
リーン2「世界と異世界、命名」
おわり