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「うわっ」


 自分の手すら見えない暗闇が突然光に包まれ、僕は思わず悲鳴を上げていた。一体何が起こったのか、思わず身構える。しかし感じるのはただ眩しさだけで、他に何かが起こる様子はない。次第に落ち着きを取り戻した僕が感じたのは、肌に感じる風と草の匂いだった。

 

 眩しさをこらえて開いた目に映るのは青い空と白い雲、そして緑に彩られた草木だった。右手には木々が生い茂り、左側には広大な草原が広がっていて、高く昇った太陽の光に暖かく輝いていた。足元を見れば踏み固められ、轍の跡がのこる地面が正面に伸びている。のどかな春の日、森にそって伸びる街道。そんな場所に、僕は立っていた。

 この世界の人間が住むという星に一瞬で送り届けられたのだと思い至った僕だったが、その光景はとてもここが別宇宙と信じられるものでは無かった。


「森……? 別の世界なのに?」


 そこに茂る木々は茶色い幹に緑の葉が茂る、地球でよく見知った、「木」としか形容できない存在だった。僕の知る草木がそこに生えているという事がとても奇妙に思えてくる。先程までの全周囲星空という現実離れした空間からするとあまりに普通すぎて、無意識に漏れた言葉がそれだった。


「そうですね、この星はあなたの住んでいた星と同じような環境と言えます」

「え……?」


 その独り言に返答があった事に驚いて背後を振り向いた僕は、しかしそこに立つ少女を目にして僕は言葉を失う。


「もちろん同じような人間を創造したならば、生息する環境もある程度は似通っていなければなりません」


 白磁の肌に、美しくプラチナに輝く髪を肩まで伸ばし、落ち着いた色のロングスカートにケープを羽織っている。年齢は10代後半だろうか。

 

「しかしここまで同一の環境になるのは少し面白いですね。やはり人間を中心に創造された環境のパターンというのは想像以上に少ないという事でしょうか」


 僕も身長が高い方ではないけれど、その僕より僅かに低く、そして華奢な体。


「それにしても……どうされました?」


 ただ呆然とする僕に、不審そうに向けられるのは綺麗な青い目だった。首をかしげる様子ですら、絵画のような。余りにも美しい容貌をした少女が、そこに立っていた。

 しばらく不思議そうにしていた彼女は、ふと何か思いついたというように喋り始める。


「ああ、初めて目で見た私の美しさに言葉を失いましたか。神の映し身である私に見惚れるのは仕方ない事です」


 滅茶苦茶だった。

 

「それ、自分で言うんだ……」

「事実ですから」


 そのあんまりな言葉に絶句する僕だったけれど、確かに他の誰が口にしても冗談にしかならない言葉も、眼前の想像を絶する美少女に言われれば誰も否定することが出来ないか。


「冗談です」

「いや、冗談の意味、わかってる?」


 反射的にそう指摘して、その言葉でやっと僕はこの美の化身のような少女の正体? に思い至る。落ち着いて聞いてみればそれは確かに先程の暗闇で響いていた声だった。

 どうやらさっきまで僕が非常識な会話をしていた相手は、容姿まで非常識だったようだ。

 






「さて、願いは決まりましたか?」

「いや、そう言われても……」


 なんとか気を取り直した僕は、その後現状の把握に努めた。しかし僕は学生服姿で所持品は無し。改めて考えても、あの暗闇で目を覚ます前の最後の記憶は朝登校するときの物だった。いつものように高校に登校する途中でこの世界に飛ばされたのだろうか? このくたびれた学生服は確かに見覚えのある物だけれど、登校時に持っていたはずのカバンは無く、下着とワイシャツにズボンと上着、靴下とスニーカー以外なにも持っていなかった。これは裸でないことを感謝する所なのか? あっちの世界の神様とやらに。

 幸いなのは転送されたというこの場所は温暖な場所で、別の世界だと言うのにとりあえず差し迫った身の危険はありそうに無いという事だろうか。安全な場所に転送されるというのは本当だったのだろう。というか確かに見知らぬ場所だとは思うけれど、地球のどこかと言われたほうがよほど納得できる。

 非常識な存在があると言うなら、それはこの世界というよりむしろ目の前の少女だった。彼女の方は小さな鞄のような物を肩から下げて、何故か腰には剣を佩いていた。日本で見かけたら不思議に思う服装なのだろうけれど、すべての印象はその美貌に上書きされていた。

 

 そんな状況を確かめて、見ず知らずの場所で途方にくれる僕に掛けられた言葉がこれだ。僕を見つめる美しい双眸が、どこか楽しそうなのは僕の錯覚だろうか。

 

 願い。神様が願いを一つ叶えてくれる。もしこれが元の世界での出来事ならば、僕は心から喜んで願いを叶えただろう。しかしここは僕の居た世界とは別の世界だというのだ。

 

「ええと……例えば時間を巻き戻して欲しいっていう願いは?」


 少し考えて、僕はそう口にした。

 

「可能ですが、基本的にその種の願いは意味がありません。情報の伝達速度は光速を超えないからです」

「意味がない?」


 僕の疑問に彼女は頷き、続けて語る。

 

「はい。……そうですね。あなたの場合、この世界の時間を巻き戻したとしてもまた同じ時間に出現するだけで、あなたの世界に戻るわけではないからです」

「えーと……それは神様がこの世界の時間しか戻せないから?」

「そういう側面もあります。しかしもっと重要なのは、たとえ元の世界の時間が戻せたとしても、また同じ様に飛ばされるだけだという事です。それを防ぐ為の願いは『二度と勝手に別世界に飛ばされない能力と現在の記憶を持った上で元の世界に主観時間を巻き戻してくれ』としなければなりません。一般的に過去を変えたいと願うならば、『過去を変えられる能力を持って主観時間を戻す』、あるいは『過去が変わったかのように現在を変える』必要があるという事です。過去を変えただけ、時間を移動しただけで現在が変わる訳ではないのです」


 過去を変えたとしても現在が変わる訳ではない?

 

「とはいえ、普通ならば願い方を工夫すれば問題ないのですが、あなたの場合は無意味です。あなたは何のために過去を変えたいのですか?」


 僕は彼女の言葉を聞きながら考える。僕が時間を巻き戻したいと願うのは、元の世界での、平凡だけど幸せと言えた生活を取り戻したいからだ。


「そのために必要な願いは時間を巻き戻す事ではなく、『かつての地球での生活をこの世界に完全再現すること』です。しかしその願いは不可能です。それは管理者にとっても観測不能だからです。もちろんあなたの記憶から一部を再現することは可能です。例えば住んでいた家を再現してくれとか、あるいはガソリン自動車を出してくれとかですね。厳密には細部が異なる可能性はありますが、この場合それは問題にならないでしょう」


 やっぱり、僕が本当に叶えたい願いを叶えることは出来ないようだ。しかしそうすると、結局この世界で生きていくための願いを叶えることになるのだろうか。人は与えられた環境で生きていくしかないのだから。

 そこまで考えてふと僕は気づく。なんで彼女は元の世界の事を知ってるんだろう。地球だとか自動車だとか。神様でも元の世界の情報を得ることは出来ないと言っていたのに。

 

「はい? 私は願いを叶えるために必要な管理者の知識を持っています。それにはあなたの記憶も含まれます」


 不思議に思った僕がそれを尋ねると、彼女は事もなにげにそう答えた。

 

 え、記憶……?

 

「別の世界の情報を観測することは困難ですが、この世界の情報は管理者にとってほぼ全知です。あなたの体、魂の構造、もちろん記憶も、現在はこの世界の情報に含まれますので」


 神様にとって人の記憶を読むぐらい何でもないって事なのだろうか。というか、僕の記憶を持ってるって……

 

「え、僕の記憶って、どの程度詳細に知ってるの?」

「割と詳細にです。というかものすごく今更な話ですよね? 和泉八雲さん?」

「……えーと、冗談?」

「ではないですねえ」


 少し困ったように、そう言って彼女は微笑んだ。

 人のプライバシーを詳細に記憶していると告白されたのに、名前を呼ばれただけでちょっとうれしいんだから美人は得だなんて、僕は思った。







 ともかく、地球に帰る術は無いと僕は認めざるを得なかった。それならば、この異世界の星で生きていかなければならない。というかそもそも、食べるものはおろか水の一滴も持っていない。今の所飢えや乾きを感じては居ないが、目の前の少女にしても持ち物は少ない。食料を沢山持っている訳ではないだろう。このままではすぐに餓死だ。まさか当座の食料を神様にお願いしなければならないのだろうか?

 

「願いは保留されるとしても、とりあえずこれからどうしますか?」


 そんな事を考えていた僕に、彼女はそう尋ねてくる。このまま話していても何も変わらないのは確かだけれど、どうするかと言われても……。僕は改めて周囲を見回して、途方に暮れた。


「どうすると言われても……どうしよう?」

「私は基本的にあなたの選択に従いますが」


 頼みの綱といえば彼女だけれど、返事は素っ気なかった。ともかく必要なのは水と食料? 住む所だって必要になるだろうか。しかし周囲は見渡す限り森と草原しかない。探せば川ぐらいあるかもしれないけれど、森に入って食料を得る?

 

「あれ、そういえばここって人間の住んでる星なんだよね。文明ってどうなってるの?」

 

 思わずサバイバルの方向に思考が向いてしまったけれど、現実的には人が住んでいる所を探すしかない。今の所不思議な物はまったくない、というか人工物といえば今踏みしめている道ぐらいで、地球に比べて圧倒的に文明が進んでいる事はなさそうだ。それでも別世界の星なのだから僕の想像の及ばない文明が発達している可能性はある。いや、あるいは逆に全く文明の進んでいない、例えば石器時代のような星だという事もある。もしそうならどんな願いを叶えればいいんだ? 全く生きていける気がしないんだけど。

 

「文明……それは一言で説明は無理ですね。しかしまあ、文明はきちんとありますよ。このような生産物は一般的ですし」


 そんな僕の疑問に、彼女は羽織ってるケープを引っ張って見せなが答えた。生憎と僕はにはそれがどうやって作られたものなのかを判断することはできなかったけれど。

 

「一方で精密な機械、量産される工業製品、高度な薬品、医学などは発達していません。地球の、日本の文明を数百年後退させたと思えばそれほど間違っていないはずです」


 数百年というのはまた随分範囲が広いと思うけれど。ええと300年ぐらい前だとすると江戸時代とかかな。とりあえず石器時代やSFの世界ではなく、僕の想像できる社会と思って良さそうだ。

 

「うーん、とりあえず人里を目指すしかないんじゃないかなあ」

「まあ、妥当ですね」

「でも、例えば町にたどり着いたとしてどうしよう? お金なんかないし、僕はこんな格好だし」


 黒の詰め襟ってこの世界の人にどう見えるんだろう?


「奇異に思われはするでしょうが、しょうがないんじゃないですかね。私は医者の真似事ぐらいはできますから、それで対価を得るのが理想でしょうか。小規模な集落が望ましいですね」

「ああ、神様の知識ってやつ?」


 その言葉に彼女は頷いた。確かに神様の知識なんてものがあれば医者くらいはできるだろうか。いや、薬はおろか道具もなにもないのだから、そう簡単なものでも無いだろうけど。しかし僕には見知らぬ街で生活する術なんてない。かと言って人里に近寄らず生きていけるかと言われればそれも無理だ。最悪神様になんとかしてもらうしかないか。

 

「その知識に、この場所の地理はあるの?」

「いえ。管理者は少なくともこの星について全知ですが、私はあくまで人間ですから。この星のあらゆる景色を記憶しておく事は出来ません」

 

 たしかにそんな記憶があったら頭がどうにかなってしまいそうだ。でも、それではまず人里にたどり着くというのが難問だ。

 

「それは、そうだろうね。じゃあどうする? 道があるんだからとりあえず進めば町に着けるのかな?」


 問題は距離か。まだ太陽は高いけれど、日が落ちるまでにたどり着けるだろうか。


「そうですね、とりあえず進みましょうか」

「えっと、どっちに?」

「あちらに煙が上がっているのが見えます。おそらく炭焼窯か何かでしょう」


 前か、後ろか。その疑問に、彼女は前方の、道からわずかに外れた森の方向を指差して答えた。確かに細く、だがはっきりと煙が数本立ち上っているのが見える。何の煙かは分からないが、少なくとも人間がいるのは確かだろう。他に判断材料もなかった僕たちは、煙の上がっている方向に歩き始めた。



 

 

 


 森に沿って伸びる道は舗装されている訳ではなかったけれど、平坦で歩きやすいものだった。荷車か何かの後だろうか、細い轍も残っていて、確かに人の営みというものを感じさせられた。しばらく無言であるき続けたけれど、立ち上る煙は近くなったようには見えない。思ったより距離があるのかもしれなかった。

 それにしても。

 僕は隣を歩く、信じられないほど美しい少女を盗み見る。

 あの暗闇で目を覚ましてから非常識な事しか起きていないけれど、こんな美少女と並んで歩いていて、さっきまでは会話もしていたということも僕の想像を超えた出来事だった。。そもそも僕は人と会話するのは苦手だ。目が覚めたら一面暗闇という異常な状況だったからそんな事を気にする余裕はなかったけれど、そうでなければ名前も知らない人物と……

 

「あれ?」

「どうしました?」


 そこで浮かんだ疑問がふと口をついて出てしまって、彼女は怪訝そうにこちらを覗き込む。思ったより大きな声が出てしまっただろうか。僕はごまかすかどうかすこし逡巡した後、思い切って口に出す。

 

「そういえば名前も聞いてないね」

「私に名前は無いんですよね。この状態で発生しますし、個体名を付けられた事がありませんので」

「え、そうなんだ?」


 誰かに付けられなきゃ無いってものなのだろうか、名前って。いや、それはそうか。でもそれじゃ不便なんじゃ?


「じゃあなんて呼べばいいの?」

「……管理者の分体というのが私を表す言葉ですね。あるいは天使」

「すごく呼びにくい」


 少し間をおいて発せられた言葉に、感じた素直な感想を口にする。


「まあ好きに呼んで頂ければ。天使さんとでも」

「呼びにくいって!」

「そうでしょうか?」


 彼女は心外だというような顔をするが、気を取り直したのか間を置かず別の案を出す。


「エンジェルさん、ネガイさん。カナウさん。ノゾミちゃん。ウィッシュさん。ウツシミさん。タンマツ様。アバターちゃん」


 しかし、ネーミングセンスが無かった。


「アバ子さん」

「全部やだ」


 「これならどうだ」みたいな顔をするんじゃない。くそ、可愛いな。


「はぁ。もう、何ならいいんですか。というか今まで使わなかったんだし無くても大丈夫じゃないですかね」

「なんでそんな適当なのさ……。神様って名前とか無いの?」


 彼女自体に名前はなくとも、神様の名前から取った呼び方ができるんじゃないだろうか。

 

「そうですね、管理者は御使いの神とされる事が多いでしょうか。もしくは単に創造神と」


 いや、そういうのじゃないのだけど。それじゃ結局「ミツカイちゃん」とかになってしまう。そんな僕の心配を感じ取ったのか、彼女は続ける。

 

「リーンリーリング、フラムルーミングなどと」

「なら、リーンとかで良いんじゃない?」

「では、それで」


 本当に呼ばれ方は気にならないらしく、あっさり彼女は、リーンはそう答える。本当にアバ子って呼んでやろうか? いや、僕だけにダメージがありそうだ。

 彼女の呼び方も決まって、しかしそれで会話は終わってしまった。太陽は天頂を過ぎただろうか? しかし日差しは柔らかで、暑さを感じることは無かった。目指している森の中に立ち上る煙も少しは近くなったような気がするが、まだ人里が見えてくることは無かった。

リーン2「世界と異世界、命名」-1

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