セフィロト
《コントロールシステム 『セフィロト』へリンク――生体認証を開始します》
かつてのわたしは加護付きの資格を持ちながら、一度も加護付きとして機能したことがなかった。
誰かに止められていたわけではない。
加護付きというものにならなくとも、わたしは充分に職務を遂行していたからだ。
そう――この日のためにわたしはそうしていたのだろう。
この世に偶然はない――あるのは必然のみ。
この日を境にわたしは人間を捨てて、生きる兵器となる道を選んだ。
愛するひとを救うため――
愛するひとの願いを叶えるために――
「やめるんだ!!そちら側へ行くな!!お前はそちら側へ行っていい人間じゃない!!」
通信機を通して盟友が必死に叫ぶ。
彼は――としはは加護付きのさらに上、神憑きと呼ばれる存在だ。
一般的には加護付きと神憑きの分類はなく、
『加護付き』として一括りにされているのだが、加護付きと神憑きでは雲泥の差があった。
加護付きは人工的に生体兵器となったもの。
神憑きは生まれながらにして神に近い存在である――言うなれば、生き神だ。
加護付きなるということが何を意味しているか、悠久の年月を神憑きとして生きてきた彼には痛いほどわかるのだ。
人間とも呼べず、魔族とも呼べず、天族とも呼べず、――――属する種を持たない存在。
強いて言うなら、生体兵器になるだろう。
身体のどこかが機械仕掛けになるわけではない、外見から判別することはまず不可能と言っていいだろう。
遺伝子レベルでの書き換えが行われるのだ。
それは肉体だけでなく、魂にも及ぶのだから恐ろしい話だ。
この技術がどのようにして地上にもたらされたのか、悠久の年月を生きてきたとしはにもわからないそうだ。
古代遺跡の中から偶発的に発見されたそれは、帝国軍の研究チームにより解析が行われ軍事転用されるに至った。
最初の被験者はわたしの妻――リクドウ・フォン・ヴォルフシュテインの妻、ツクヨミ・フォン・ヴォルフシュテインだった。
彼女の適合値は理想的なもので、実験データを取ることに適していた。
あまりにも適し過ぎていたのだ。
わたしととしはは何度も上へ直訴した。
これ以上の実験をやめるように――
早く彼女を子供たちの元へ返して欲しい――と
当然、取り合ってはくれなかった。
あろう事か『彼女の遺伝子を受け継いだ子供たちを提供しろ』と言い始めたのだ。
わたしは拒否し続けた。
加護付きになるということは人間であることを捨てるということだ。
自分が助かるために子供を差し出すなど、彼女が望むはずもなかった。
「この力でなければ、彼女を永眠らせることが出来ない」
加護付きを永眠られることが出来るのは加護付きか神憑きのみ――
《生体認証完了 ――『リクドウ・フォン・ヴォルフシュテイン』ウルティメットウェポン『アズライール』適合者と確認――ウルティメットウェポン『アズライール』を解凍――インストールしますか?》
告死天使を意味するウルティメットウェポン『アズライール』――わたしを加護付きへと変えるプログラムの総称だ。
そして、この肉体が滅びるまで『アズライール』はわたしを開放することはない。
「リクドウ!!やめろ!!お前がそれをする必要はない!!」
「やめるんだ!!リクドウ!!やめろ!!」
「そんなことをして、これから先、お前は子供たちと、どう向き合っていくんだ!!」
彼は本当に優しい男だ。
どうして軍人になったのか、不思議なくらい優しい男なのだ。
優しさゆえの強さがそうさせるのか、彼はいろんなものを背負って生きている。
そんな彼だからこそ、『お前が背負うべきではない』と、叫ぶのだろう。
「わたしでなければ駄目なのだ。わたしでなければ――彼女は納得しない」
「お前が背負っていい罪ではない!!」
「やめるんだ!!」
優しい盟友の叫びを聞きながら、わたしはその時を待った。
ただ静かに――静かに待っていた。
《ウルティメットウェポン『アズライール』をダウンロード――インストール完了》
わずかな痺れを指先が感じて、そしてすぐにそれは消えてなくなった。
「これを罪とは思わん。わたしは彼女の願いを叶えるだけだ。神に代わってわたしが彼女の願いを叶える」
「やめろ!!」
恐らく彼は泣きながら叫んだのだろう。
その声はいつもの強さはなかった。
本当に――本当に優しい男だ。
真実を知ってもらうに相応しい男といえる。
「誰にも彼女は傷付けさせない。このわたしがこの手で彼女を――永眠らせる」
こうなることは必然だったのだろう。
彼女はわたしの目の前で人間としての形を完全に失い、その場にいた研究員たちに瀕死の重傷を負わせたのだ。
そして、研究所は恐慌状態に陥った。
当然だろう。加護付きの暴走をその身で体感することになったのだから。
《ウルティメットウェポン『アズライール』を起動――殲滅を開始してください》
「待たせたな。ツクヨミ」
人間としての原型を留めていないその姿はグロテスクと言うに相応しい――触手のようなものが無数の束になったような体――ギョロリと巨大な目玉がひとつ――人間ひとりを簡単に飲み込めるであろう口がある。
こうなる前に助けてやりたかった。
わたしは一歩――大きく踏み出し、ツクヨミへ手を伸ばす。
ズルリ――と触手が伸び、こわれ物を扱うようにわたしの手へ触れた。
ギョロリと巨大な目玉がわたしを映し、程なくして涙を流し始める。
『リクドウ――リクドウ――』
『――ごめんなさい――ごめんなさい』
彼女は――ツクヨミは戦争が嫌いだった。
戦争で家族を失い、天涯孤独となった彼女は平和になることを、誰よりも願っていた。
子供たちのためにも早く戦争を終わらせたい――その一心で被験者となったのだ。
純粋な――透き通った願いは残酷な最期を彼女に突きつけた。
「謝るな。お前の願いはわたしが叶える。どんな願いであっても――な」
『――子供たちを――お願いね』
ズルリ――と触手が伸びて、わたしの頬に触れ、髪に触れ、唇に触れた――それは最期のキスだった。
「ああ、わかっている。立派に育ててみせるさ。お前とわたしの子だ。心配はない」
『――愛してるわ――リクドウ』
「ああ、ツクヨミ。わたしもだ。お前を愛しているよ」
光の粒子がキラキラとわたしを包むように舞っている。
わたしの妻ツクヨミの肉体であり、そして魂であったものだ。
それはとても美しく、悲しい光。
亡骸を遺すことなく、彼女は逝く。
それは『セフィロト』に選ばれ、ウルティメットウェポンとなったものの、抗うことの出来ない宿命でもあった。
光の粒子が輝きを増したその刹那――
彼女の優しい声がわたしの頭の中へ直接届いた。
『――いつか――わたしに負けないくらい――あなたを愛してくれる女性が現れるわ』
「そうなのか。会える日を楽しみにしておこう」
『――約束よ?――――ずっとずっとあなたを待っていた女性だから――かならずよ――約束よ?』
「ああ、約束しよう」
『――あなたを愛して――あなたの子を産むことが出来て――わたしは幸せだったわ』
「わたしも幸せだった。ツクヨミ、ありがとう」
『――――リクドウ――最期の我侭を聞いてくれて――ありがとう』
光の粒子がクルッとわたしの体を包み込み、別れを惜しむようにして――光の粒子は霧散して刹那の抱擁は終わりを告げた。
わたしが生きていけるように――彼女が口にした夢物語だとこの時は思っていた。
――そう、彼女に出会うまでは。
【了】