息継ぎ
瞬くと、飛沫の彼方でプールサイドに座る担任が見えた。
手を伸ばすより、声を上げるより、まずは息を吸いたかった。
周りは数人の体で壁が作られていた。
頭には何枚かの掌が重ねられている。
波打つ水面が眼前に迫っている。
息が整わないうちに掌に力が込められ、有無を言わさず水中に押し込まれる。
力一杯に抗うが、浮上する権利は与えられていない。
それは自分の意思とは無関係なタイミングで弱められ、僕はその合間を縫って顔を出し、貪るように呼吸した。
押し込まれ、押し上げ、また押し込まれる。
そんなやりとりがダラダラと続けられた。
嘲笑や罵声や、拳や膝が容赦なくぶつけられる。
僕の必死の抗いを何人かの腕力が嘲笑う。
段々、呼吸もままならなくなってくる。
消耗を無視して力は定期的に込められる。
咳き込んだら、思い切り水を飲んだ。
空気を求めても、周りには水しかなかった。
徐々に意識が遠のき、視界が狭まる。
水中は静かで、水泡の音が耳奥に響くだけ。
笑い声も聞こえない。
嘲りも届かない。
だから恐怖はなかった。
だから、僕は抗うことをやめた。
どうせ力が入らなくなってきていたし、苦しさも遠のいていたから。
ブラックアウトが意識を飲み込んでいくのに任せた。
◇◆◇◆◇
意識を取り戻した時、人の壁ではなくカーテンに囲まれていた。
鼻や喉や肺が焼けるようにじんじん痛い。
僕はどこか悔しい気持ちで咳き込んだ。
「起きたのか」
そいつは僕の頭に手を添えていた奴だった。
頭を押し込んだのではなく、ただ添えていた、だけの。
「悪かった」
そいつは何に対してかわからないが謝罪した。
それは今日が初めてのことではなかった。
こういうことが起こるたび、そいつは僕に最後まで付き添って、そして毎回のように謝るのだった。
「先生を呼んでくる」
僕の反応なんてお構いなしにそいつは保健室を出て行った。
寝返りを打つと全身が軋んだ。
無意識に力が込められ、傷ついたのだろう。
僕は痛みを無視してベッドから右手を上げ、自らの頭に添える。
底から込み上げてくるこの感情が何なのか理解できなかった。
歯を食いしばり、枯れた瞳で天井を睨み、訳の分からない気持ちの暴走に耐える他なかった。
大丈夫。
耐えることには慣れている。
僕はその、痛みや苦しみとは似て非なる感情に身を焦がしながら、近づいてくるいくつかの足音に備えたのだった。