閑話 ある主従の会話2
「全く見えないのですが」
机の上に平らなトレーを置き、そこに水を張っただけ。そんなトレーを見つめて、そうつぶやく男。……傍から見ればものすごく悲しい人だ。
「聞いておられますか?」
男はまるで返事が返って来るのが当然。というかのように、トレーに再び話しかける。友達はいないのだろうか。
「寝てもいいですかね?返事がなければ寝ますよ?」
「ハハ。ハハハハ!」
男が不機嫌な声を出すとトレーから何が面白いのか、女の高笑いが響く。それを聞いた男は少し顔を青くしながら慌てて布をかぶせる。
「ちょっとー、見えないじゃない!」
「少し声がうるさかったので」
「あー、そう。じゃあ、仕方ないわね。許してあげるわ」
どこまでも上から目線な女。だが、女には男に対してそれが許される。
男は布を取り去って、心底疲れたように、
「チヌリトリカ様。真っ暗で何も見えないのですが?」
「そんなにあたしの顔が見たいの?」
「いえ、全く。そもそもあなた様の顔ではありませんし…」
「ハハ!そうねー」
女は再び笑い出す。
「まぁ、借りてる?というか、奪ったものだしねー。ハハハ」
女が話し終わったと思ったのだろう、男が話を切り出す。
「それで、定時連絡の日なのですが…。何かありましたか?」
「うーん、そうねー。あったわ」
深刻そうな声色で言う女。男は真剣な顔で次の言葉を待つ。
「えーとね。特に何もない。って、いうことが」
男は顔を引きつらせてため息を吐くと、そっと布をトレーの上に置いた。
「あ、ちょっとー。冗談よ。冗談!顔見せてよー!」
心底嫌そうな顔で布を取り除く。男は女に逆らえない。それがたとえ依頼形式であったとしても。
「フフ。嫌そうな顔するわねー。やっぱりあんたと話すと楽しーわ」
「それはどうも」
「ちょっと待ってね。……えい!どう?あたしよ。あたし!」
おそらく真っ黒な部屋だったのだろう。明かりをつけただけで、彼女の顔が水面に浮かび上がった。
「背景から察するに、無事についたようですね。お疲れ様です」
「ちょっとー。無視するの?私のご尊顔だよー?」
「あなた様に付き合っていると、いつまでたっても終わりませんので」
「ちょ、真顔でそんなこと言わなくても…」
美人が物憂げな顔をする。これだけで普通、男はコロッといきそうなものだが、男にはまるで通用しない。
「目的はわかっておられますか?」
「目的…、目的ね。うん。わかってる」
「観光ではありませんよ」
男のジト目とともに発された言葉に胸を押さえてうずくまる女。
「そもそもですよ?完全復活すれば、いつでもいけるではありませんか」
「でも、ほら。それだと…、あれよ。情緒がない!」
女が目線を逸らし、冷や汗をかきながら、なんとかひねり出した感あふれる理由を前に、男は、
「元の人格にひっぱられてません?気を付けてくださいよ?ただでさえ弱ってるんですから…」
心配そうに、病人をいたわるように言った。
「そんなことないわ。あたしはあたし。そんなことあるはずがないわ」
きっぱりと言い切る女。男は疑わし気に眺めていたが、女の目が鋭くなっていくので考えるのをやめた。
「で、他に何かありますか?」
「うーん。あたし以外の同行している勇者に細工はできたかな?」
「それ、ものすごく重要ではありませんか…」
男は呆れたような、それでいて非難するような、ある意味、器用な目つきで、女を見る。
「ごめんね。テヘ☆」
「はぁーー」
男はせめてもの抵抗と、わざわざ大きくため息をついた。「どうせこの人は聞いてくれないだろう」そんな諦観が、男の姿からひしひしと伝わってくる。
「で、最近になって、チヌカらしき波長を観測したのでご報告を」
「お、見つけたの?あいつらも勝手に動いてるからねー。関心関心。あたしも鼻が高いよ!うんうん」
実に嬉しそうだ。
「リブヒッチシカは消滅したようですが」
「あ、そうなの。復活したてで派手に動いたのかね?別にいいけど。旧型だしー」
サラッと言ってのける女。あまりの豹変っぷりに先ほどとは別人のよう。
「私も旧型ではあるのですが…」
「ん?あんたは別。こっそり作り直したから」
「あまり変わっていないのですけど?」
「……。ま、うん。あれよ。いつかわかるわ」
「何ですかそれ…」
諦めましたけど。言外にそんな言葉が含まれている。
だが、女はそれを受け取ったのか、それともまるで気づいていないのかさっぱりわからないが、無視を決め込み全く関係のないことを口に出す。
「でさー、発見したのって、誰?」
「ウカギョシュですね。こちらは確定です。もう一人が…、おそらく、マカドギョニロかと」
「ん?おそらく?なんでよ?」
「ウカギョシュは本体の魔力を察知したのですけど、マカドギョニロは…」
「ああ、なるほどね。あっちのほうか。そりゃわかんないわ。あたしがあげたやつで作ったんだろうし」
「…そうなりますね」
「なんでそんなに悔しそうなのよ?」
「完全な報告をあげられておりませんので…」
「そう。これでもあたしは一応感謝してるのよ?」
女はいつもより幾分か優しい声で言う。
「なぜ?」
「あたしをこの世界に呼んでくれたじゃない。よくやってるわよ」
女の言葉に男は非常に嬉しそうな顔になって、滂沱の涙を流す。
「ちょ、そこまで行くの…。まぁ、いいわ。あたしの優しさに歓喜するといいわ!」
「泣き止みました」
「はやくなぁい!?」
まるで先ほどは嘘泣きだったのかと思うほどの早さの復帰。だが、頬を静かに伝う涙から考えるに、先ほどは本当に泣いていたのだろう。女は残念ながらごまかされたようだが。
「ところで…、私がいたからバシェルは私が担当してますが、ウカギョシュや、マカドギョニロのほうが良かったのでは?」
「それはだめね。王城にはある程度の聖魔法がかかっているから、二人じゃ無理よ」
「そうですか…」
男は少しだけ嬉しそうな顔をした。が、女の「あたしだってちゃんと考えてるのよ!?ドヤァ…」という顔をみてすぐ表情を曇らせた。
「で、もう報告はないの?」
「取り立てて報告することはないですね」
「そう、じゃあ、寝るわ」
女がそう言って後ろを向いた途端、水面には何も映らなくなった。男はそれをテキパキと片付ける。
かすかに顔をにやけさせながら。