255話 チヌリトリカ
習視点に戻ります。
ガロウは白銀の巨狼へ。レイコは透き通る巨躯を持つ狐へ。ルナは刺々しい鎧をまとったような姿へと変じた。
全員、「戻れる」というニュアンスの答えを返してくれたから、元の姿に戻れるのだろう。あの子らが言ったように誰が何も言わなくとも、瘴気で自己強化を試みようとしたのだろう。
あの子らはリスクを考慮した結果、提示された手段を自分で選んだ。故に、俺らがあまり口を挟むべきではない。……そうだとはわかっている。だけど、あれほど可愛らしかったあの子らが、揃って凛々しくも荒々しい姿に変じることを選んだ。選ばせてしまった! そのことが猛烈に悔しい。
本人たちは今までのうっ憤を晴らすかのごとく暴れまわっていて、他の子らもそれに触発されたかのようにチヌカを処分しまわっているのだけど。
はぁ、過ぎてしまったことは仕方ないか。あの子らが変わったおかげでやりやすくはなった。どう変わったかを見つつ、チヌリトリカを何とかする術を探そう。
ガロウは大きな白銀の狼。色合いはもともとのガロウとあまり変わらない。獣人の姿のガロウを少し銀色優勢に変えたような印象。大きさは…俺と四季が前後でまたがってもまだ二人ぐらいまたがれるサイズか? センより若干長い。でも横と体の高さはセンと同じくらい。
これ以上瘴気を吸収する気はないようだけど、チヌカに噛みついて噛み千切る。爪で強引に引き裂くなんかしてる。シャイツァーの性質的に仕方ないけれど、割とパワーファイター。
そして、シャイツァーが地味に強化されてる。前まで、手の2つに爪があるだけだったのに、今は4足全てに装着されている。
爪が増えた分、飛ばせる爪の数も倍の20になった。4足歩行だから後ろ脚からは少し飛ばしにくそうではあるけれど、適宜、爪を飛ばしてくれる。前より楽だ
更に、ガロウの下側全体に常に障壁が展開されているみたい。その障壁を足場にすることで空を自由に駆けて突進できるし、それで攻撃を受け止めることもできる。
障壁で下からの防御が出来るとしても、体が大きくなった分、被弾面積は増えた。だが、障壁のおかげで出来るようになった動きも考えると、総じて、回避性能も上がっていると言えそうだ。
それ以外に変化はなし。基本的に防御性能の向上だな。攻撃能力は質量増加による威力増程度。でも、視界の隅でやってる、アイリがチヌカの張る障壁を切り裂き、無効化。白授の道具を弾き飛ばす。そのチヌカをガロウが踏みつぶす──なんてのを見てると、でかい分、一撃の威力はかなり良くなっていそう。
レイコはガロウと同じ体格…より少し華奢な狐。それでも、俺と四季は乗れるぐらいは大きい。体色は透き通るような銀。姿が変わってもガロウと似た色なのが、少し微笑ましい。
だけど、ガロウが何物にも汚されていない銀ならば、レイコのはその銀の光反射度を上げたような色。光の反射の加減では透明に見えるし、事実、場合によっては透明になってしまって見えない。
レイコは自分の周囲に燃える球と凍てつく球を展開させ、適宜、飛ばしている。こちらが見る限り、全て本物のようだ。自分の意思で幻覚にもできるのだろうが、球の消費魔力が削減されたのだろう。
ただ、幻覚は利用されなくなったのではなく、自分の姿を投影して、現在地を偽る目的で使われている。しかも、幻覚なのに質量があるらしい。火と氷が効かなくても、遠距離から質量のある幻影で殴れる。
ただでさえ、本人自体が場合によっては透明になるのだから厄介極まりない。それ以外は据え置き。防御面はあまり変わっていないけれど、さらに魔法を活用できるようになった。
今、レイコが見せている動きがそれをよく表してる。本体なのか幻覚なのかわからないレイコがチヌカを抑え込み、そこらに滞空させている魔法を叩き込んでいる。たまに吹き飛ばされてはいるけれど、それ以上に暴れないようにカレンが矢でチヌカを固定したり、ミズキがフォローに入ったりして、チヌカを討っている。
そして、アイリ同様、障壁はレイコの『|蒼凍紅焼拓《ガルミーア=アディシュ》』で無視できる。チヌカ討伐向きだ。
ルナは全体的に黒く、刺々しくなっている。だけど、それだけ。それ以外は同じ。いつものルナだ。あのなりでいつもみたいに飛び掛かられてしまうと、こっちが串刺しになるが。
…あの姿は今回、防御に専念してもらって何もほぼ攻撃できなかったことの裏返しなのだろう。
ルナもシャイツァーが変わった。障壁自身に棘が生えて、刺さるようになっているし、家自身にも棘が生えて、ぶっ刺さるようにもなっている。
棘の分、被弾面積は増えたけれど、その分頑丈になった? …遠距離攻撃は相変わらず反撃以外にないようだから…おそらくそう。あの子が遠距離攻撃を欲しなかったとは思えない。が、遠距離が追加されていないということはたぶんそういうこと。
攻撃と防御が同時強化された…か? 無理やりほかの何かで例えるなら、ルナは重戦車になるかな? それなら、若干、似ているコウキは戦車かね?
ルナの動きを見よう。
何人かチヌカを撲殺したようだが、テンションは変わらない。嬉しそうにチヌカへ突進。チヌカの攻撃をすべて障壁で無力化し、障壁についた棘で串刺しに。遅れて家を巨大化しつつ、家の横に生えた棘を細く、鋭くしながら密度を上げる。その状態で家を何度も地面にたたきつけ、標的を押しつぶす。ついでに周囲にいる奴らめがけ、反撃の光線を一条。
火力はある。だが、特筆すべきはやはり防御力だな。
他の子どもたちの力は変わらないか、疲弊してちょっと落ちる程度。チヌカの親玉たるチヌリトリカ相手にダメージを与えて消耗戦は不毛でしかない。レイコの魔法で魔力に打撃を与える…とかが可能でも、うちの子らが多分耐えられない。やはり、俺と四季で形紙魔法をチヌリトリカに貼り付けて発動。それしかないか?
…効果があるか不安。だが……やるしかない。それ以外に効きそうなものがない。
ちっ。こっちめがけてチヌカの矢が飛んで来た。紙で迎撃…は紙がないから不可。ペンをぶん投げて軌道を曲げる。
紙がついに品切れだ。ならば、書かなければ。こっちの言葉よりも日本語。日本語よりも英語。英語よりもドイツ語。の順で威力が高い。だから、こっちの世界で話せる人数が少ない言語であればある方が、威力が高くなる…はず。
どうせすぐに使う紙。子供たちにも渡さない紙。子供たちがこの意味何だったっけ? と難渋することがないならば、言語の加護を使って、加護持ちでない友人たちが知らない言語で書いてしまっても何ら問題はない。
『herstel』…オランダ語で書いて即発動。考えている間に受けた傷が癒えた。次は、近場のチヌカを焼き殺そう。
『Soinneáin』…と。書いて早々四季と手をつないで発動。ちょっと集まってきていたチヌカをまとめて爆破。わざと爆風で吹き飛ばされて距離をとる。
今のはアイルランド。次はアイスランドで。
『Bata』を書きあげ、得た傷を癒す。追撃を四季たちが防いでくれている間に、ノルウェー語で『Vindblad』を完成させ、すべて叩き込んで殺す。
加護を経由しないといけない分、威力が上がってもちょっと時間がかかる。だが、大した問題ではない。
よし、いい感じの位置に来れた。子供たちの戦ってる場所もよい感じ。やるか。
『ルナ!俺らの横に!』
『みんなはいつも通りお願いします!』
一応、日本語で叫ぶ。チヌリトリカは百引さんを乗っ取っていたせいで知識があるから伝わるだろう。が、ぼかしておくことでそこは誤魔化す。いつも通り「拘束する」という言葉が通じるか心配ではある。
が、こういう場面ではたいてい、日本語使って「拘束して」…的なことを言っていたのだから、伝わると信じる。
突撃。減ってきたチヌカは全部無視。防御はガロウの爪と、ルナ、センの障壁に任せきる。
「おぉっ!今度は何をやる気だい!」
チヌリトリカが嬉しそうににっこり笑って、またチヌカを周囲に召喚。ついでにテンションが上がってきたのか球も増え、こちらめがけて光線を放ってくる。こいつらは任せきる。迎撃できるものは迎撃するが、無理に落とそうとして速度を下げたくない。
「ガルルッ!」
ガロウが光線をひらり回避、チヌリトリカを押し倒す。カレンが矢を突き刺し、その矢を異界との狭間に突き刺して固定。すぐさま矢が焼かれたが、ルナが全てを弾き飛ばしながら家で殴打。地面にめり込ませる。
ナイスだ、みんな。
「四季!」
「はい!」
手早く書きあげ、終わらせよう。細かな指示は出せないけれど、子供たちは俺らが何をしたいかを読んで合わせてくれる。
四季がチヌリトリカに到達する前にコウキが到着。障壁がぶち破られたとき、障壁を無視できるような攻撃があった時の保険として居てくれつつ、チヌリトリカを殴って動きを阻害してくれる。
アイリは厄介な障壁持ちチヌカの障壁を破砕、打倒の糸口を作りながら、鬱陶しい球を切り裂いて霧散させてくれている。
カレンはサイズの異なる矢で、チヌカの牽制、撃滅をしつつ、チヌリトリカ本体を適宜矢で固定してくれる。
ガロウは走り回ってチヌカに傷を与えつつ、万一、床が崩壊してもいいように厳重に足場を設けてくれている。
レイコは俺らにさえ本体がどこにいるかなんとなくしかわからない。が、幻影を生かし、位置を偽りながらチヌカ自身とその魔力を焼いて、凍らせ、無力化してくれている。
ミズキは数を生かして他の兄姉が削り切っていないチヌカを殺しきり、戦場全体の把握に努めてくれている。
センは道を阻むチヌカを無視、または蹂躙しつつ、傷を受けた子供たちの回復に回ってくれている。
皆、ありがとう。悪いけど、任せきる。
この単語ですべての魔力を使う。そのつもりで四季が完成させてくれた一文字目。その始点にペン先を載せ、魔力をペンに通して、インクに変えて字を書く。言語の加護を持っていなければまともに話せないような言語。だが、欧米系…しかもゲルマン系。たいていの文字はアルファベットで済むからまだやりやすい。
今回使う言語はデンマーク語。一文字目はd。いつも通り滅茶苦茶に暴れるペンを無理やり動かさず、なだめすかしながら、縦に下ろす。
下ろしきったら持ち上げる。次の画の始点へ戻し、くくっと曲げながら動かし…て完成。次の字もすでに用意してくれている。書く!
次の字はø。発音すら知らない。だが、確実にチヌリトリカを仕留める。それだけはどんな言語を使っていようが共通。その意志さえ忘れなければ、正確に発動するはず。
先よりもきついカーブを正確に…は書けない。だが、円であると認められるよう、流れに乗りながら…、書き始めとつなげる。相変わらず、字を書いているだけなのにしんどい。四季が既に用意してくれている二画目。oの真ん中を斜線で貫く。丁寧に、ペン先がぶれてしまわないようにしつつ…、行けそうなときに一気に書き上げる!
次…はdか。最初の字と同じ。だが、俺の疲労が段違い。一回書いたから楽にいける。などと慢心はしない。微妙にチヌリトリカが上下して書きにくい。だが、それでもしっかり動かしながら書いて…よし、書ききれッ!
「動けないのは窮屈なの!」
ちいっ! 脱された!
「障壁が抜かれたわ!」
了解。障壁を無視できる白授の道具持ちチヌカが湧いてきて、ルナが狙われた。狙われたルナがバランスを崩し、重りになってた家が外れた。こういう筋か? 面倒な…!
「ぶるっ!」
「グルルッ!」
直ちにセンとガロウが突撃。押し倒す。…が、うつ伏せ。それじゃ不都合だと理解してくれてるのか、首がねじ切れるんじゃないかというぐらい強引に、チヌリトリカを回転。体を上へ向けた。完成させきれていないから、紙はおそらく消えて…あれ? 消えてない?
何故だ? その方が都合はいいのだが…。まぁいい。カレンにルナの二重でも抜けられた。だから、子供たちはさらに拘束を強めてくれている。だが、その分、チヌカの排除量が減った分、ダメージがでかい。すでに何人かのミズキが家に戻って障壁に魔力を供給してくれている。
時間がない。書きあげねば。
ペンに魔力を注ぎ、インクを出す。そのインクで四季が作ってくれたeを書く。最初は直線。後はdやoでも書いたような曲線。いつもならなんてことはない。だけど、形紙魔法を使うときはかなり気を遣う。しっかりペンを動かし、紙の抵抗に押されつつ、滑らないように、逸脱しないように…いけた。
「お願いします」
任された。紙の準備を終えてくれた四季は、珍しく俺に寄りかかっている。少し書きにくくはなるが…、最後、発動させなきゃならない。動いてもらったせいで発動できません…では笑えない。ここは危険であってもそばにいてもらって、即応体制にあってもらう必要がある。
俺の存在がわずかなりとでも四季の癒やしとなるのなら、どうにかしよう。
最後はn。まずは縦棒。ただの縦棒だが、今までのどんな時よりもペンが進まない。疲労だけじゃない、なんかペンが完成させたくないと思っているみたいに、上下左右、後戻りをしようと暴れまわる。それをなだめつつ、流し…ッ!
頭が少し切られた。多少痛いが死ななきゃ安い。回復してくれるしな。それよりも、傷口から垂れてきた血が邪魔。目にかかって見にくい…。
チヌリトリカがわかってやってるのか不明だが、障壁貫通系の白授の道具持ちは確実に増えてる。手に負えなくなる前に……!
ペンを始点に戻して、上へ。半円を描けるように調整。見にくいが、四季の書いてくれた紙から逸脱しないように…あ。ありがとう。四季がぬぐってくれて見えるようになった。
OK。半円は終わった。一気に下! は不可能。じわりじわり進ませる。汗が次々に湧き出てくるが、落ちてはこない。…動くのもつらいだろうに四季が拭いてくれているのだろう。でも、これで待たせるのは終わりだ。
下まで下ろして、止める。ペンを離して完成! これで『døden』が書ききれた。いつもの『死』のデンマーク語。これで、これでようやく長き因縁に終止符が打てる。
この期に及んでもチヌリトリカは楽しそうな顔をしている。周りにいるチヌカの方が必死そうな顔をしていないでもない。本当にこいつは謎だ。この魔法の意味が分かっていないのだろうか?
疲労からか頭がガンガン痛む。だが、関係ない。起動する!
軋むような痛みと、横になりたくなる衝動をぐっとこらえ、寄り添ってくれていた四季と一緒に書きあげた紙に手を触れ、魔力を流s
「や…m……t!」
もの悲しそうな声というか…音。それがしたと同時、頭の痛みが増して、少しふらついてしまう。その間隙を縫って、人影っぽいものがチヌリトリカと俺、四季の間に降りてきて、紙から引き離された。
人影は必死に何かを訴えかけてきている。俺らに伝わる言葉で話そうとしてくれてはいるのだろうが、言葉の体をなしていない。だが、人影の必死な様子からして伝えたいことはわかる。おそらく「止めて」とかそういう類。
「おneぐぁ…i!」
知るか。構うものか。そう切り捨ててしまいたい。たいのだが…。
人影は明確な言葉を発せないくらいボロボロ。だが、闇をも呑み込んでしまいそうな漆黒と、無限の闇を照らす純白。人影を構成するたった二色の美しさは汚されておらず、姿の神々しさもまた同様。
僅かな濃淡さえ許されない、単一の2色で構成された人物になど、心当たりがあるはずがない。だのに、その悲しそうな姿で訴えかけられると、願いをかなえたくなってしまう。黒い髪の下から除く白い顔は表情を読み取れない。にもかかわらず、悲痛な印象を与えてきて、心と、頭と、魂と。すべてが揺さぶられて動けなくなってしまう。
動かなければ。だが、足が動かない。頭が痛い…!
「習君?…ッ!ならば、私だけでも!」
四季が最後の力を振り絞って立ち上がり、ボロボロの人影を無視して紙に触れようとする。
が、足を一歩進めた途端、先と同じように別の人影が現れる。最初の黒い胴を持つ人影に寄り添うように、チヌリトリカへ向かう道を防ぐ二つ目の人影。その白い胴を持つ人影は最初の影と白黒の位置を反転させたような姿で、最初のと同様にボロボロだ。
「どいてください。どいてくれないならば、無理やりでもどかせます」
四季がそういっても影は微動だにしない。四季は力を振り絞って手を握りこむと顔めがけて振りかぶる。拳は勢いよく振り下ろされ…
ッー! 体に鞭打って動く。…よし、間に合った! 四季を俺の腕の中でポスっと受け止めた。殴打の瞬間に崩れ落ちた四季は俺の腕の中で珍しく涙目で、弱々しい姿をさらしている。
「習君、これは…、これはあんまりでは?」
「だね。あんまりだ」
涙ながらに震える声で言われた言葉を、俺は肯定するしかない。これはあんまりにも…ひどすぎる。こいつらは、本当に、何がしたい!?
俺らのいら立ちを感じているはずなのに柳に風と受け流した二つの影はホッと安心したように息を吐き、間髪入れずにチヌリトリカに向き直る。
「ん?むむー?」
目を白黒させるチヌリトリカを、いろんな感情がごちゃ混ぜになった、でも優しさの強い目で見守る二人。
「おとーさん!おかーさん!待ってた!あそぼー!」
だが、どことなく暖かい光景は、勢いよくとびかかってきたチヌリトリカの突撃で消えた。見事にあの二人は突撃に負けて吹き飛ばされた。
「あれれ?鬼ごっこ…を取り入れるのね!待って!」
意気揚々と立ち上がって追撃をかけるチヌリトリカ。その様は無邪気で加減を知らない子供のよう。……実際、子供なのだが。
チヌリトリカという神は、今、吹き飛ばされたラーヴェとシュファラトという二柱の子供だ。