閑話 ある主従の会話5
いつものです。
「だぁー!もー。疲れたよー!」
「お疲れ様です」
玉座の上でぐだっとだれる女と、その前に跪き、労う男。
「ちょっと旅してただけだけど…、この椅子の感触が心地いいよ…」
「野宿していたらその椅子レベルのモノなんてあるはずありませんからね」
「それ!ほんとそれだよね!全く、フカフカじゃない寝床は堪えるよ…。フカフカは正義!」
そのまま女は延々とフカフカの椅子や布団のメリットと、質の悪い睡眠環境が与える悪影響について滔々と語る。
半刻ほどおいて、
「そろそろ報告してもよろしいですか。チヌリトリカ様」
そもそも男は寝なくとも良い。実感不能なことを延々と語られ、鬱陶しく思っていたが、とりあえず満足する程度に喋ったと判断したらしい。
「むぁ?…むぅ。もっと語りたいけど。仕方ない。どぞー」
女に悟られない程度に男は安堵の息を漏らし、佇まいを正し語りだす。
「この国の兵士の編成は順調です。予定通り、魔人領域に侵攻できるかと。これでようやく「あー。それなんだけどね」なんです?」
遮られて少しだけ男の目が吊り上がる。また、しょうもないことだったらどうしよう。そんな気持ちが多分に含まれている。
「なんか足りた」
「は?」
「だーかーらー、何か知らないけど足りた」
「は?」
女は自分のこめかみをぐりぐり抑える。
「ああ。主語が抜けてたね。えーと。これで最後ね。よく聞いてね?」
言葉をそこで切る。僅かな間、沈黙が場を支配する。
「何か知らないけど、あたしが復活するための魔力。足りちゃった」
「はっ!?グエッ」
「夜中だから静かにねー」
叫びそうになった男に女が一撃。哀れ男は崩れ落ちた。
女の言葉は正論である。だが、今まで連絡を取っていた最中、夜中であるにもかかわらず、大声で叫んでいたのはこいつである。お前が言うなとはまさにこのこと。
「つまり、戦争は無意味ですか?」
「無意味ではないけど。大目標分は足りちゃったね。戦略目標は達成できた感がある。どっかの大物が死んだのかも。魔族か、獣人か…。ま、いいや。さして興味もないし」
打ち切って次の話に行こうとする女を男が止める。
「待って下さい。では、どういたします?戦争は止めますか?」
「ん?止めれないでしょ?あたしが文献漁ったり、話しを聞いた限り、ここ最近は10年に一度、まぁ、「何かの記念祭かッ!」って言いたくなるレベルで定期開催してるじゃん。あぁ、お祭りなのか。「血祭」!」
「超ド級に不謹慎です」
否定された女は「駄目かー」といいながらぐだり玉座にもたれかかる。
「逆に何故いけると思ったのです?」
「わっかんない。稚内」
部屋の気温が心なしか2度ぐらい下がったように男には感じられた。だが「あぁ、今日は調子がおかしい…、いや、いつも以上におかしいんだ」そう思って、思考をぶん投げた。考えることをやめたともいう。
「あ。そうだ、ねぇ。君さ。あたしのクラスメート誰か殺したりした?」
「え?最初に返り討ちに会って以来、刺客なんて送っていませんよ?再度報告いたしますと、その時は収穫無しです。こっちの暗殺部隊に被害が…」
「収穫されたしねー」
一応、手駒である者たちが死んだのに、なんでもないかのように笑う女。
「じゃあ、何でだろね?何で人数おかしいのかな…?30人しかいないはずなんだけど」
「知りませんし、わかりません。そもそもこちらに召喚されていないという可能性は…、ないんでしたね」
「そうだよ。机が30脚だよ?「おめーの席ねぇから!」は笑えないよ?」
「他が座っているのに立つ…等、同じ身分でしたらおかしいですし」
「学校主導のいじめなんて乾いた笑いすら出ないしねー」
なんていいつつも女は笑う。
「ま、いいか。気分切り替えよー。何か他に報告ある?」
唐突に話題が切り替わったが、男は慌てず言葉を発する。
「マカドギョニロの泥人形が崩れました」
「ん?あー。あの子か。泥遊びが好きな子」
泥遊びというには聊か危険すぎるが、男はそれを指摘しない。
「どうも悉く作戦が頓挫したようです」
「しょーゆー、こともある。あたしだって、無事に鎧倒して諸々取り戻したけれど、偶然だし」
「悉く頓挫してそうやって諦められますかね?」
「さぁー?あたしにはわかんないなー」
ケラケラ女は笑う。
「ところで誰にやられたとかはわかる?」
「不明ですね。そもそも、城内部では泥人形は形を保つのがやっとです。まともに使うなら白授の道具でなければなりません。そんな状態で分かるようにするのは無理です。やられたと判断したのも泥人形を見に行けば「溶けていた」ためですので」
「そーなのね。まぁ、南無」
「お疲れ様でした」
女がふと思いついたように、適当に安寧を祈り、男がマカドギョニロをねぎらう。
チヌリトリカにとってチヌカが己に尽くすのは当然であるが、男はチヌカでも彼女に絶対服従でない。その認識の差が対応に現れた。
「で、次に貴方はどうなさるおつもりですか?」
「ん?フーちゃんのところに行くよ」
返答を聞いて男は混乱しつつ、さらに問いを重ねる。
「何をしに。ですか?」
「ん?遊びに」
女は嬉しそうに言う。だが、逆に男はそれを見て心胆を寒からしめられた。「遊ぶ」という言葉が、まるで別の意味…、それこそ「殴殺」や「殺戮」、「暴行」など、およそまともな意味でない言葉を含意していることに気づいたから。
だが、それを言ってのけた女は、その他者との感覚との乖離に気づいた様子もない。ただ、無邪気な子供のように「楽しみだなー」などと言いながら豪華な天井を見上げている。
軽く女の気持ちに恐怖を抱きつつも、男は女に尋ねる。
「あの。フーちゃんとはやはり?」
「ん?『フロヴァディガ』だよ?」
「ですよね。『フロヴァディガ』はこの世に何頭います?」
「え?一頭じゃない?ラーヴェ神とシュファラト神が作ったやつのはずだし」
男は混乱する。ついこの間『フロヴァディガ』が大打撃を受けて激高していたのは、他でもない『フロヴァディガ』のところに遊びに行くと宣った彼女本人だ。
「殺すのですか?」
「え?遊ぶだけだよ。壊れちゃうかもしれないけど」
「貴方自身の復活は?」
「出来ると良いね」
女の言葉に男の混乱に拍車がかかる。あまりにも女の行動が一貫していないから。
遊びに行くといいつつ殺害宣告。しかも、その殺害宣告の対象はこの前、瀕死にされたと聞いて激高した宝物。だが、その宝物は彼女が敵対しているはずのラーヴェ神とシュファラト神が作ったモノで、事実、彼女の封印を妨げる役目を担っている。それと遊ぶ。彼女が完全復活するのであれば『フロヴァディガ』は全力で殺す必要がある。にもかかわらず、「遊ぶ」。
だから男には彼女が理解できない。理解しようとしても、チヌカのくせに割と普通の人間の感性を持つ彼には──あるいは、生粋のチヌカでさえ──不可能だ。
だからこそ、彼は頭を抱える。そして、この前思い浮かんだ疑問が再度浮かび上がってくる。即ち「これでよいのか」という疑問が。彼の行動原理は単純。チヌリトリカが幸せになれるかどうか。ただ、その一点のみである。だが、主は待たない。
「よし!あたしは眠くなってきたから寝るよ!お休み!」
「えっ!?はっ。お休みなさいませ」
突如、玉座から立ちあがり、ドアをいつもよりは控えめに開け放って女は立ち去る。それを見て男は、悶々とした気持ちに蓋をして心の奥にしまい込み、この部屋の片づけをし始めた。
王の間の扉が閉じられ静寂を取り戻したのはその後すぐだった。