170話 家主
少し長めです。
「シキ、寝ちゃった?」
「寝ちゃいましたね。完全に落ちてます」
「俺らはしばらく待機ですね」
具体的には家主さんが起きるまで。
「何で止めなかった…、とは言えないなぁ」
「言われても困りますよ」
「万一、家主さんがギャン泣きした場合、シールさんに押し付けますよ?」
四季が少し黒い顔で言う。
「だから、言えないって言ってんの!」
じゃあ何故言った…は禁句か。言いたくなる時もある。四季はああ言ったけど、たぶん押し付けはしないだろう。割と家主さんは四季に懐いているみたいだから。
「俺でさえ、あの時の家主さんを引きとめようとはわなかったぜ」
そりゃね。家主さんの顔が酷かった。四季がベッドに下ろしたけど、家主さんは手で腕を必死に引いてた。だけど、四季の方が圧倒的に力あるからびくともしなかった。それを見ただけで悲しそうな顔だった。
近くに四季が来てくれて顔は落ち着いたけど、あの顔は完全に寝たい顔。ここで「寝ないで」なんて言おうものなら大泣き不可避。それが如実に表れていた。
「とりあえず、この人の身体検査します」
「そうして」
「え゛?いいのかい?あんなに失礼にならないようにしていたのに?」
まぁ、そうですけど。
「確定でないと言ってもいいでしょうけど、ここでザクっと刺されたら笑えませんし」
「それに、既に私、撫でたりとか失礼なことしてますし。これ以上失礼を重ねたところで…、感がありますからね」
「開き直りじゃん」
おっしゃる通りで。
「コホン。この人は女性みたいですから、習君、ガロウ君、シールさんの男性3名は後ろ向いていてくださいね。開き直ったとはいえ、さすがにド失礼です」
「わかってる。馬車の中にいるから」
ガロウとシールさんの腕を引いて馬車の荷台へ。二人ともすぐに来てくれる。当然か、見ず知らずの人の恥ずかしい姿を嬉々としてみようと言う気なんてないだろう。俺とガロウは好きな人がいるし。シールさんも群長だからそれくらいわきまえてる。
「…お母さんなら?」
「アイリ、アイリは一体何を聞こうとしてるの?」
「…え?言葉通りだけど?」
うわぁ。天然発揮してる、この子。俺や四季を辱めたい気持ちなんてなく、ただ純粋に俺と四季の仲の良さを聞きたいだけだ。
赤い目がキラキラ輝いて俺をじーっと視界に収めている。下手に考えると心読まれるし…。早く終わって! 四季!
「確認終わったってー」
「了解!」
ナイスだカレン! 四季! 馬車から脱出して四季の横へ。
「何もなかったです」
頭を撫でながら言う四季。
「ただ」
ただ?
「この子の服は、魔力で出来ているみたいですよ」
「パッと見た感じそんな感じはしなかったよ?」
「触るとよくわかりますよ。さっきは抱き付かれていてそこまで気が回りませんでしたが…、明らかに私達の知っている服ではないです」
触ると…ね。なら俺は確かめない方が良いか。
「…お母さんはお父さんに触ってほしい?」
「「!?」」
まだこの子引きずってるの!?
え、これ、さっき心の中で絶叫しておいた方が良かったんじゃ…、四季にバレたら恥ずかしいってもんじゃないぞ!?
「…何で顔赤くしてるの?…とりあえずわたしも触るね」
「え?あ…、お願いします」
アイリがベッドの上によじ登って服をぺたぺたさわって、両手で挟み込んで軽くたたく。
なんだ服の話か。服に俺が触ってもいいかどうか。それが聞きたかったのか。…こっちのが圧倒的にマシとはいえそんなに変わらないけど。
「…少なくともわたしも知らない素材」
「僕は遠慮しとくよ。魔人領域のことはたいして知らないからねぇ…」
その前に貴方、男性でしょうが。ガロウが目で非難してますよ。
「…なんか非難されているような。あ。テヘペロ」
「そんなことやってるからモテないんですよ」
「はぐっわっ!?」
「起きちゃうので静かに」
シールさんに禁句を言った後に追撃。まさに死体蹴り。見事だ、四季。
「まほーは?使わないのー?」
『魔法痕探査』か。でも、あれって確か人間領域では『警察魔法』とかいう括りに入っていたはず。
「…許可はシールから貰えばいい」
「それもそうですね。シールさん。許可ください」
「マジか、母ちゃん。へこました本人がほぼ間をおかずに許可貰うの?」
きょとんとした顔でガロウを見つめる四季。
「ガロウ。わかっておられないようですよ…」
「いや、母ちゃんなら、わかっててボケてる可能性も…」
「ガロウ。それはない。四季はそう言う人。俺の好きなとこの一つでもある」
この天然が俺に対して発動したらちょっとやるせない気分にはなるだろうけど…、真面目な時は出ないし。癒しになるから。
「し、シールさん。許可ください」
「シキの赤面が見れたからいいよ!」
理由が意味不明。ま、許可も貰ったし使おう。一応予備はあるが…、書き直すか。その方が範囲指定もしやすい。
さっと四季が差し出してくれた紙を、礼を言いながら受け取りペンを握る。範囲はこの家全体。服のついでに家の周りを覆う結界? 的なものを調べておきたい。
外部からのちょっかいを防ぐ能力があるなら、あまりに魔力量が少ないと弾かれそうだ。普段寝る前に書く時よりも強めになるように調整しつつ…、手を動かす。
焦る必要はない。でも、出来るだけ早く書く。紙から受ける抵抗はリャアン様にとどめを刺した触媒魔法に使った紙に比べれば随分弱いが、急いで書き上げる練習にはなる。
…よし、かけた。四季の空いている片手を取って、
「「『『魔法痕探査』』」」
光が紙から発生し、ドンドン光が巨大化。やがて家を越えて外へ。…何も出ない。外……も同じく、反応がない。バリアは水を弾いていたはずだから展開していたはずなのだが。
「前から発動している魔法なんですかね」
「かも。結界含めて全部」
常時展開魔法なんだろう。となると、これだけの魔法をずっと展開するには魔力がかなり必要だろうから…、この家が、家主さんのシャイツァー?
となればベッドやクローゼットも怪しいな? ベッドは普通に感触がある。ただ、支柱が妙にふわふわしている。
「四季、枕とか布団はどう?」
「布団はフカフカです。おそらく最上級かと。枕は…ちょっとお待ちください」
家主さんを起こさないようにしながら四季が体をよじって枕を取ろうとしたけれど、その前にカレンが先に取って四季に渡した。
「ありがとうございます」
枕に伸ばした手をカレンに伸ばして一撫で。嬉しそうに破顔する。そのままわしゃわしゃとひとしきり撫でた後、パンパンと両手で枕を叩く。
「…フカフカですね。無駄に」
なるほど。となると…、
「クローゼット見てみるか」
「私は動けないのでお願いしますね」
開き直ったし、もう何も怖くない! …居直り強盗ってこんな感じで人殺すのかね?
とりあえずクローゼットから。豪華な装飾のついた持ち手を掴んで開く。
「どうですか?」
「壁。モノを置くスペースすらない」
言葉にするならば壁の前に開く戸だけがある。そんな感じ。字義どおりの意味で戸を開けた先に壁しかない。
となると…、タンスも? 取っ手を掴んで引…けない。硬いな!? 左右にちょっと揺す…るのも無理なのね、あー、なるほど。そもそもこれ、開くようになってないのか。
「これただの置物だ」
「他の段はどうですか?」
「ちょっと待って…、あ。ありがとう」
何故か子供達がわらわら寄ってたかってタンスの取っ手を一人一個ずつ掴んで引いてくれた。一個余ってるのは俺がやればいいか。
「ダメかい?」
「見事に全滅です。」
「となると…、アレですかね?」
だね。たぶんアレだ…。
「あれって何さ」
「普通ならクローゼット、タンスを用意するなら少なくとも機能を果たすようにするはずですよね?」
「なのにそれがない。ということは…、これらは家主さんが罠として使うために用意した「ちょっと待って。シュウ」何です?」
まだ話の途中なんですけれど。
「君らはこの人が罠なんてしかけないって判断してなかったかい?」
「ええ。そうですよ。ですから」
そこで言葉を切る。
「普通ならあり得ない結論が導かれます」
「それは家がシャイツァー説と関係ある?」
「大ありですよ。家具類はシャイツァーである家によって生成されたと考えるのが自然でしょう?」
だから…、
「この人はロクに物事を知らない可能性があります」
クローゼットやタンスすら再現できていない。ベッドも枕や布団は普通だが、それ以外の足の部分の触感が柔らかすぎる。
「でも、それは早計じゃない?タンスやクローゼットがない可能性も十分あるでしょ?現に僕の群にもあったよ?要らねぇぜ!って」
タンスやクローゼットがない可能性?
まさか…。
「ま、それはこの豪華さから考えて上流階級だろうからね。ない…あるぇ?」
「どうしたんだ?シール様、途中で言葉を切って?」
「お父様とお母様も。固まっておられますよ?」
「おねーちゃんも」
これだけ豪華な家具に接せる人なのにクローゼットやタンス、ベッドすら満足に触れたことがない人。つい最近、そういう魔人さんのこと聞いたことがあった。
「「「「公称皇帝」」」」
4人の口から…、アイリだけワンテンポ遅かったが、同じ言葉が出てきて部屋に広がった。
「「「え?」」」
「たぶん間違いない。俺が思うにこの家主さんは公称皇帝」
「しかも、行方知らずの最も若い公称皇帝…ですね」
「「「え゛ぇー!?」
滅多に叫ばないレイコも含め3人の子供達の声が家に響く。だけど、話題の中心たる家主さんは、ぐっすりすやすや夢の中。
「父ちゃん。母ちゃん。どうすんだよ?」
「そうです。リャアン様もこの渓谷の瘴気に耐えておられましたし、それを踏まえると、お父様たちの推測がますます補強されておりますよ!?」
めっちゃ焦ってる。気持ちは分かる。だけど…、そんなに焦る必要はないよ。
「どうもしないよ。いつも通り、この人が動かないなら何もしない」
「逆に、私達にこの人が何かを頼んでくるならば別です」
たぶん助けを請ってくる。ぶっちゃけこの人単体だと完全に詰んでいる。物事を知らないっぽいし、何よりこの魔人は死ぬ渓谷で魔人がたった一人というのがヤバい。
「助けるのー?」
「求められればね。渓谷外への脱出、ナヒュグ様のところへの帰還なら余裕だろうし請け負うよ」
「父ちゃん達の娘になりたいって言ったら?」
ああ「とうたま」の話ね。…あれはただ単に、子供達が父ちゃんとかで呼ぶから俺らの名前を呼んだだけだった気がするけど。
「言われたら連れて行くかな?」
ぽこじゃか子供を拾うわけにはいかないけれど…。
「私達しかこの子は頼る相手がいませんもの。言われれば、あらゆる困難は粉砕しましょう」
それが俺と四季。ごめんね。でも、変える気はない。…言わなくてもわかってるだろうけれど。特にガロウとレイコは。
「さて、そろそろ夜だし。晩御飯の準備しよう。四季は家主さんと遊んでて。俺が作るよ」
そもそも四季は動けない。
「面目ないです」
「いいよ。いつも一緒に作ってくれてるんだから」
タマネギ炒めてあめ色に。ひき肉と混ぜ合わせて、味付けにナツメグをはじめとする香辛料を投入。小麦粉と卵をつなぎに混ぜて…。
「習君。家主さん。たぶんそれ食べると吐きますよ」
「あ」
そっか、離乳食すら食べたことのない可能性が高いんだった…。確実に消化器官の負担になる。…お粥も作っとこう。お粥もダメそうなら、水に栄養だけ溶かして摂取させよう。というかどうやって今まで生命維持してきたんだ? …シャイツァー?
ま、いいか。今は関係ないし。家主さんが割と元気に生きてるんだ。それでいい。
タネを成形。鉄板で焼く。ついでにソースも脇で作る。ケチャップとウスター、赤ワインと焼いて出てきた油をちょっと拝借。砂糖も入れてアルコールを飛ばす。
「あ。起きましたよ。家主さん」
眠そうに目を手でこする家主さん。二度寝は無さそう。
「「おはようございます」」
聞こえてないのかな? 完全無視だ。こちらをじーっと見つめて鼻がひくひくしている。匂いが気になる?
? 顔が青いような…。間違いない。気のせいじゃない!
「四季!」
「はい!」
四季が家主さんを素早く、されど優しく担ぎ上げ部屋の隅へ。そして背中をさする。
…臭いがまずダメか。いい臭いで起きてくれないかな? って思ったけど、起きてくれたはいいがこれか。材料は肉にタマネギ香辛料にアルコール…、うん。臭いが強いのばっかりだ。ごめんなさい。
「四季、紙頂戴。後、アイリ、レイコ。悪いけどちょっとだけ代わって」
投げてくれた紙を、礼を言いながら受け取りすぐさま書く。『消臭』と…後は『防臭結界』。発動は俺だけでいいか。多少効果は弱まるが、これくらいならば十分だ。
『消臭』で臭いを消し、『防臭結界』で彼女に臭いが伝わらないように。…彼女には悪いけれど、食材破棄はしない。勿体ないから。
子供達に礼を言って交代。フライパンから取り出し、第一弾完成。第二弾作ろう。流石に一人じゃ纏めては無理。
「皆、冷める前に食べてしまって」
「「「いただきます」」」
うん、言う通りにしてくれた。一緒に食べたいだろうけど、美味しく温かいうちに食べて欲しいから。ありがとね。
「四季、家主さんは落ち着いた?」
「落ち着いたみたいです。ただ、そちらに興味があるのか抱っこしていないと走り出しそうです」
「言葉は?」
四季が首を振る。
「声だけです。その声も言葉になってません」
ますます「この人公称皇帝疑惑」の確信が深まった。実は単なる記憶喪失でした! ならいいけど…、
この人の見せる感情の豊かさと、俺と四季が皆の父母であることは推量できてる証左であろう「とうたま」と「かあたま」からそれはほぼ否定できてしまう。そんなに詳しくないけど。
頭に怪我がないか調べる魔法作れば何とか…ならなさそう。何が正常かわからないし…。『回復』の方がいいか。これは後でやっておこう。
「四季、抱っこ変わろうか?」
「交代するまでの間に駆けだしそうなのでいいです」
苦笑いしながら言われた。了解。さっさと焼こう。…よし、完成。魔法でさっさと包丁やら熱いフライパンやらを洗って片付けて、
「出来たよ」
「では、そちらに行きますね」
担いだまま四季がこっちに。…家主さんの目が輝いているように見えるんだけど?
「降ろせる?」
「…無理みたいです。」
意地でも離さない。そんな顔。降ろそうと四季が腕を下げてもコアラみたいにしがみついてる。
「前みたいにベッドに寝かせますか…。行儀が壊滅的に悪い気がしますが…」
「そこは仕方ないでしょ」
呑み込むしかない。四季がそっちでたべるなら、その横で食べよう。第二弾はアイリの追加分(3枚)と俺らぶんしかないから問題ないでしょ。
「「いただきます」」
「…第二次いただきます」
間が空いたから「第二次」なのね、アイリ。
にしても、思いっきりハンバーグ見てる。さっき吐いてたのに…。
「食べさせてあげますか?」
「駄目」
臭いで吐く子に肉なんてあげたら絶対お腹壊す。
「ですよねー。心を鬼にしましょう」
家主さんの目がめっちゃ潤んでてこっちの心が折れそうになるけど。…これ、放置したら泣く。
お粥を作って置いてよかった。これなら食べられるはず。念のため消化しやすいよう水多め。スプーンですくってフーフーして冷まして…、って、危ない!
咄嗟にスプーンを引っ込める。家主さんが突っ込んできたぞ!? 四季も家主さんを抱きあげ引きはがしてくれた。ありがとう。
俺と四季に止められて今にも泣きそう。でも、そんな顔してもあれは危ない。火傷する。
「突っ込んできたら危ないです。火傷しますし、喉を突いてしまいます」
「ちゃんとあげますから…」
だから落ち着いて欲しい。ちゃんと冷まして口に運ぶ…と、またスプーンに勢いよく飛びついてきた。何でさ。スプーンをサッと引っ込める。いい加減本格的に泣きそうだ。
「カレン。悪いけど、家主さんの頭掴んでおいて。レイコ。ガロウ。ちょっと俺らのご飯預かってて」
先に食べさせよう。カレンが頭を掴んで、四季が頭を撫でて宥め、俺が食べさせる。鳥のようにパクパクさせている口へお粥を運ぶ。味付けは塩だけなのに嬉しそうに顔を綻ばせる家主さん。
…注意を聞いていない態度といい、こんな扱いされてるのに抗議はおろか、何か意味のある言葉も発さないことといい…。この人やっぱり言葉知らないんじゃ…?
ああ、一応『回復』使っておかないと。一瞬だけ四季と手を繋いで唱える。
…感覚的にこの『回復』は無駄打ちだな。ますます公称皇帝っぽい。言語の加護のある俺らでさえ、この人の口にする音を理解できていないし…。
とりあえず食べさせきった、今のところ吐きそうにはなってないけれど…、要観察。
若干冷めたハンバーグを家主さんにガン見されつつ完食。まだ食欲あるのね。それとも目新しいから興味あるのか…どっちだ?
まぁいいや。いい加減、話をしよう。
夕飯を食べた時に家主さんは四季と離れた。だから向き合う形を作ろう。家主さんをベッドに、俺らは馬車の上に。これで…はいけないか。
家主さんが動きを封じているカレンを物凄く悲しそうな目で見ている。
「おとーさん。おかーさんこっち来てあげてー」
耐え切れないよね。そりゃ。話も出来ないし、移動しよう。家主さんを挟んで俺と四季が座る。
「とうたま。かあたま」
嬉しそうに頭をスリスリ俺達に押し付けてくる。見た目とのギャップが酷い…ってわけでもないのかな? 発育のいい甘えたな娘さんを持つお父さんお母さんはこんな光景を見たり…するんだろうか。
可愛らしくて和むけど、和んでいてばかりいられない。気持ちを切り替える。まず、家主さんの顔が見えるように少しだけベッドの奥側にカレンに移動させてもらう。
続いて、背筋を伸ばして顔を引き締め、顔をジッと見つめる。俺らの真剣な雰囲気を感じ取ったのか家主さんが不安そうな顔に。実に庇護欲をそそる顔、…ごめんね。でも、大事なことだから。
まずは…、
「貴方は誰ですか?」
ほぼ察しているけど聞いておこう。
……答えが返ってこない。というか、そもそも何を聞かれているのか、どう応えるべきか。それすらわかっていないように見える。
やっぱりそうだよね…。となると、自分の名前すらわかってないだろう。「どうしたいか」を聞くのも無意味だろうけど、聞こう。
「貴方はどうしたいですか?」
「俺達は可能な限りそれに応えます」
殊更真剣な顔で伝えると、家主さんは微動だにしなくなった。しかし、自分にとって大切な話をされているとは察しているらしく、「自分の希望はあるけれど、それを言葉にしたくても出来ない。そもそも知らない。だから苦しい」そんな顔。
…こっちも苦しい。言葉…というより、その前提になる概念すら持ってないのだから、どうやって伝えたらいいかわからない。よく考えれば当然なんだけど…。
日本語の「行く」の概念なら英語は「go」で、同様に地球でもアークラインでも、どの言語にも「行く」に相当する言葉あるはず。だから、ジェスチャーである程度の相互理解はできる。けど、家主さんとはそれが出来ない。
家主さんはジェスチャーが何の行為を指してるか、おそらくわからない。それに相応する知識がないはずだもの。
「手っ取り早い方法があるよー!」
「「何?」」
カレンの言葉に飛びつく。はっきりいってほぼ八方ふさがり。
「おとーさんと、おかーさんが家を出ればいーよ!」
あぁ…。確かにそれは手っ取り早そう。付いてきたいならば付いてくるだろう。泣かれるだろうが…、仕方あるまい。
「カレン。離してあげて」
離した瞬間。家主さんが手を伸ばしてくる。…が、捕まれる前に射程外に。子供達に待機をお願いしつつゆっくり家の外に。
俺らの動きを見て家主さんも立ち上がり、おぼつかない足取りで付いてくる。ないだろうけど「見送り」の可能性もある。これでは判断できない。家の外には出る。速度は落としておこう。顔が必死だからこけかねない。
出る前に『浄化結界』を発動。外へ。さらに速度を落として振り返りもせずに進む。
ああ、家と俺らの間にも結界を作っておかねば。
ヒュシャハ滝とはいえ、シャルシャ大渓谷。放っておいたら家主さんが死ぬ。
「とうたま!かあたま!」
振り返ると、家主さんが戸のところで涙を目に湛えてこちらを見ている。張り上げた言葉からひしひしと戻ってきて欲しいって気持ちは伝わって来るけれど、まだ何を求めているかわからない。だから足を止めて家主さんを見るだけ。
1分も経ってないうちに、待つより動く方が早いと判断したのか家主さんが早々に動き出す。足をこわごわ家から出そうとして…やめた。
本能か、直観か。具体的に何で判断したのかはわからないけれど、呪いの効果を察しているらしい。
顔が悲壮。戻りたくなるけど、戻らない。まだ家のなかにはシールさんや子供達がいる。再度後ろを向いて足を踏みだ…、
「とうだま!があだまぁ!」
す前に、大粒の涙を目からポロポロこぼしながら家の外にフラフラ出てくる。家主さん。
「欲しいのは、庇護者のようですね」
「みたいだね」
今の絶叫から、家主さんの「とうたま」「かあたま」は皆と同じような、俺らに向けてくる情を含んだ言葉だって確信できた。
「まずは娘をあやしますか」
「だね」
ギャン泣きしているから大変だが、薄々察していたのに確信を持てないからと、娘を泣かせるようなことをした俺らが悪い。