164話 追跡
馬車に乗ったままシャルシャ大渓谷に突入。凸凹な坂道を馬車はガタガタ音を立てながら一路下ってゆく。
呪い、もとい瘴気は今のところ問題なし。センが展開してくれている結界に触れたものから片っ端から浄化されている。ただ、明らかにいつもに比べて浄化の時間が長い。
瘴気濃度が極めて高いという事の証左。そして、もう一つ。瘴気濃度の高さを思い知らされることがある。
はっきり見える距離がいつもに比べて短い。瘴気が濃すぎるためか、視界にうっすら白黒の靄がかかっている。見にくいことこの上ない。ああ。そうだ。
「セン!疲れる前に「疲れた」って言ってよ!」
「浄化作業は私達が引き継ぎますから!」
ギリギリで言われて「浄化間に合いませんでした」はシャレにならない。魔人じゃないからすぐ死なないって言われていようと、この光景を見てしまうと安心できない。
「ブルルッ!ブルゥ…、ブルルン!」
「わかってる!でも…、余裕だよ!」かな?
「わかってくれてるなら良し」
「そのままお願いしますね」
「ブルルッ!」
今のは間違いなく「はーい!」だな。
「でさ、父ちゃん。母ちゃん。リャアン様はどこまで吹っ飛んだと思う?」
あの火球の威力はそこまで高くはない。だから爆風で吹き飛ばされたとはいえそこまで遠くには行っていないはず。
「割と近くだと思うよ」
「ですね。もし、坂でコロコロ転がっていったとしても、到達するのはせいぜいこの渓谷の底付近でしょう」
「だね。だから、坂終端から1 km付近にはいると思う」
坂が物凄く長かったりすると1 km以上遠くに行くかもしれないが…、それは脇によけておこう。
もし、リャアン様が呪いのせいではじけ飛んでいた場合、死体は見つからないだろう。だが、血痕は見つかるはず。坂付近を捜してみていなければ、血痕を捜す。
この場合、肉片でもあれば別だが、肉片すらなければ本当に死んだかどうかがわからない。
「ブルルン、ブルルッ!」
「そろそろ、底につくよ!」だろうか。思ったよりも底が近かった。
「誰かいるねー!」
カレンのその声に馬車に緊張が走る。誰かって誰だ。
「生きてる?死んでる?」
「たぶん生きてるよー!」
たぶんか…。だが、こんな変な渓谷の生者だ。誰であれ只者でないのは間違いない。一番可能性が高いのは、癪だがリャアン様。魔人はここに入らないだろうし、人間、獣人、エルフはそもそもこの魔人領域に入らない。…はず。
だから、リャアン様を除けば後、可能性としてあるのは、いないって言われているが魔物。それも人型。か、チヌカ。
「皇帝を追ってくるとは!実に良し!許す!妻よ!その不遜を許すぞ!」
やっぱりリャアン様か。だが、元気なのは声だけ、彼のシルエットは霧の向こうで膝をついている。さっさと息の根を止める。高威力は…要らないな。
センが坂を下りきると同時に急カーブ。馬車が無茶な運動によってキシキシと軋む。その音をバックに馬車から飛び降りる。子供達もシールさんも飛び降りたようだが…、別にいいか。
「「『『火球』』」」
これを受けて逝け。直撃すれば間違いなく死ぬ。…はずなのだが、微動だにしない。…おかしい。彼の性格なら騒ぐはず…まさか。
「不遜。『失せよ』!」
嫌な予感を現実にするように彼の口が言葉を紡ぎ、火球が霧散した。何かあるとは思ったが……!
「皇帝は皇帝である。『跪け』!」
!? 体が…重い!? 膝が勝手に曲がる…! だが!
『身体強化』! これでどうってことない。…今のは何だ? 強制的に跪かせようとしてきた? …となると、
「精神干渉?」
「でしょうね」
「なっ!?皇帝の威光に耐えるか!?」
この驚きよう…多分正解か。効果がなかったことの驚きの裏に、言い当てられたことの驚きがある。
「皇帝たる皇帝に不可能はなし!妻よ!貴様が跪かぬのであれば屈服させて見せよう!皇帝の雄姿を見るがよい!『失せよ』!」
瘴気がスッと彼の周辺から薄まっていき、彼の姿が露わになった。
「禍々しくなっておられますね…」
「もろに瘴気の影響を受けた結果だろう」
外見がかなり変わった。
赤い目はますます赤く。不気味になった。赤い髪は黒みがかり鋭利に。口は大きく引き裂け、鋭くとがった牙が何本も口を閉じていても隠し切れなくなった。記憶に残らないほど存在感のなかった羽や尾も、ニーフィカさんのモノを凌駕するほど、凶悪で存在感を放つようになった。
そして体は血管がビキビキと浮かび上がっており、非常に不気味に。
「見惚れたか?」
頓珍漢なことを言ってキラリと歯を光らせたリャアン様目がけ、『油』と『金属ナトリウム』が飛んでいく。ボッ! と発火したがすぐに消された。
「さっさと仕留めましょう」
淡々と言葉が四季の口から紡がれる。
「皇帝は組み伏せられるよりは、組み伏せる方が好きだぞ?」
リャアン様の言葉を聞いて四季の顔から表情がストンと抜け落ちる。そして俺も抜け落ちてる。本気で不愉快だ。いっそ触媒魔法で…、いや、だめだな。渓谷を粉砕してしまいかねない。最初から全力でやればよかった。
「袋叩きです」
「シャイツァーを使える子らは囲め!」
触媒魔法でなくとも、飽和魔法攻撃もおそらく効果はある。だが、リャアン様の許容範囲がわからない。シャイツァーを使うほうが安全だろう。彼のシャイツァーも本体なら消せないはず。腐っても神授の道具だからな。
「ねぇ、僕とこの子はどうしたらいい?」
「ブルルッ!」
シールさんがレイコを指さしながら叫び、その声にセンも「僕も!」そんな感じで追従した。
「センは既にやってくれてるのを続けて!」
「そのまま浄化をお願いします!」
俺と四季が戦闘と並行して『浄化』というのはさすがに厳しい。もしやるならば「常に浄化」という勢いで続けなければ、この場所はすぐに周囲の瘴気が集まってきて元に戻ってしまう。
常時『浄化』を展開できるような魔法があればやれないこともないが…作ってない。細心の注意を払って『浄化』を使い忘れないようにしないといけない。使い忘れると…、まぁ酷いことになるだろう。
それに、俺と四季が怪我して魔法を使えなくなると詰む。そんなリスクは負えない。そもそも、長期戦になれば『浄化』の紙が切れる可能性もある。
だから、センには悪いけれど浄化に専念してもらう。
「ブルルッ!」
わかった! そんな風に鳴くと、俺らの元にセンが光を飛ばしてくる。光は俺ら全員を包むと優しく輝く。
「ブルルッ!ブルルルゥ、ブルルッ!」
「結界!瘴気は任せて!」か? ありがとう。これで全力でやれる。
「で、僕等は!?」
「二人は、一緒に囲んで殴りましょう」
「それでいいの?」
「僕等シャイツァーないけど?」という副音声が入っている。だが、それでいい。というより、唯一の解だ。
彼のシャイツァーは「肉体爆破」や「心臓停止」といった直接的に相手の肉体に加害することは出来ない……はず。もしも、それが出来るならばとっくに俺は殺されてる。だから何も使わず肉体で殴る。これであれば大丈夫。俺らの剣のように変な剣であっても行けると思うけど。
「妻以外は参る必要はないと言っておろうが!」
リャアン様が叫びながら火球を発射してくる。誰がそんな台詞を聞くか。この火球は…、接近妨害も兼ねているか。
ひょっとしたら火球生成能力が失われているかも? なんて期待があったが、そんな都合のいいことはなかった。回避しながら近づいて殴る。これでいい。
「よっと…、寝言は寝て言うものです!」
妻以外とかほざいていたからか、四季の接近だけは一切阻まなかった。だから四季がリャアン様の目の前に到達。
飛び出てきた四季を見てリャアン様が勝ちを確信した顔を浮かべ、口をもごもご動かすが、四季は委細構わず剣とファイルをクロスさせながら斬りつける。
驚愕の表情で剣を防ごうと突き出されたリャアン様の腕。四季の一撃はそれに阻まれ、リャアン様の腕から朱が散る程度にとどまる。が、四季はそこから連撃に移る。
俺も続きたいのだが…、火球が邪魔。
…俺に飛んでくる火球がシールさんや子供達に比べて明らかに多い。俺が狙われる分、子供達の安全が確保できるのはいいが…、殺意が高すぎる。
「…お父さんがそれを言うべきじゃないと思う」
「何で?」
「…お父さんとお母さんの殺意が天元突破してるから」
アイリが軽口叩ける程度の余裕はあるがなかなか近づけない。剣とペンで叩き落しても落としても、湧いてくる! イライラする。一歩が遠い!
「父ちゃん!母ちゃんもだけど…、ちょっと落ち着いたほうが良いぜ!」
「目が怖いよー!」
「今まで見たことのない顔をお二人ともされていますよ?」
「…動きがいつもより雑だよ?」
そんなことは…ないとは言えないか! 子供たち全員に言われてるんだから…ッ!? しくじった!
「貴方!?大丈夫ですか!?」
…この後に及んで俺の名前は呼ばないのね。もはや「意地」だな。
「ちょっといいの貰ったが大丈夫!『回復』!」
少し足を焼かれただけ。あっちなら切断必須の怪我だろうが、こっちであれば紙と魔力があれば『回復』で一発完治。何も問題はない。
「ならよかったです」
失敗した。俺がリャアン様のせいで負傷したから四季が激高している。明らかに冷静じゃない。止めねば。「四季!」と名前を叫んでしまうのは彼女にとっても不本意だろう。ならば…、
「君!落ち着け!俺の怪我なんてすぐに治ったから!」
「君」にしてみたが、他人行儀感がえげつない。「お前」よりはまし? …わからない。呼んだ時に物凄く悲しそうな顔をされたが…、今この限りってことで勘弁して。
「俺は君に怪我されるほうが嫌だ。冷静になって!」
よかった。俺の言葉は四季に届いた。ハッとした顔になって動きにキレが増した。
「ええ!貴方もお気をつけて!」
「妻にまとわりつく害虫が…、死ね!」
また火球。しかも無詠唱のくせに少し増えた。だが、この程度なら余裕で回避できる。
…さっきまでだったら、何発も貰ったかもしれないが。あれは少し前に出ようとしすぎだった。あんなもの足元を掬われるに決まってる。
それより、今ので俺ら自身に『爆ぜろ』や『死ね』というような命令で仕留められないのが確定した。今の状況は彼にとってかなりムカつくはずのモノ──俺らの仲をより鮮明に見せつけた──だったのに、それをしなかったから。
あぁ、頭が冷えるとやりやすい。無理やりではなく、着実に。一歩ずつ近づく。今の感覚はアイリが攫われたときの感覚に似ている。怒りはあるが、動きの阻害剤にはならず、むしろ潤滑油になっている。さっきよりもスイスイ進める。
…あの時と今で、この状態への達し方は違うが。今回は指摘されて戻ったからここに至った。あの時は、怒髪天を衝いて怒りが一周回って冷静になった。というべきだろうか。
無駄な考えが出来るほどには余裕。とっとと近づく。四季は相変わらず剣やファイルで殴りつけている。ちょくちょく当たっているが致命傷には程遠い。
対するリャアン様は、いまだに四季に対して攻撃をしていない。距離を取るように地面に魔法を放つことはあれど、一切四季を狙わない。屈服がどうとか言っていたはずだが…、訳が分からない。
さっき斬られそうになった時に驚愕で目を見開いておいて、殺されないとでも思っているのだろうか? だとしたら相当なお花畑だ。羨ましくなるレベルで。
俺も四季も貴方の息の根を確実に止める気でいるのに。
子供達とシールさんは…、かなり近づいた。俺が遅れている分、相対的に飛んでいく火球の量が増えたが、あの量ならアイリとカレンだけで余裕で対処できる。後1分もあれば四季と一緒に殴れるだろう。
俺が囲む前に終わる可能性もあるかもしれないな。…ま、やることは変わらない。
相変わらず俺目がけてやたらと飛んでくる火球を避け、剣で斬って霧散させる。ペンを突き刺し消滅させ、一歩後ろに飛び下がって火球を躱していれば、後ろから光が飛んできて俺を包んでくれる。これで浄化はしばらく気にしなくてよくなった。
そして、また避ける。にしても、センがいい仕事をしてくれる。戦闘に巻き込まれないように一定の距離を保ってはいるが、常に付かず離れず。そこから結構な余裕を持ってかなりの高命中率を誇る『浄化』の光を発射して俺や四季を包んでくれる。
動き回っている俺らにずっと当て続けるのは難しいだろうに、よくやる。
外した魔法も何故かリャアン様の『失せよ』を誘発できるから無駄にはならない。その隙に四季が殴れる。
この戦いのMVPを決めるとすれば間違いなくセンだろう。次点でガロウか? 一番最初に忠告くれたし。
「…お父さんとお母さんの仲を無理やり裂く奴は、このわたしが葬る」
「ボク、貴方嫌―い!」
「俺も嫌い」
「何度も拒絶されているなら諦めるべきです」
「そうだよ。略奪愛は唾棄すべき愚行だよ!?」
子供達とシールさんも包囲に加わった。露骨にこっちに飛んでくる火球の数が減った。これで一気に進める!
「皇帝が拒絶されることなどあり得ぬ!皇帝の妻は必ず皇帝を見る!」
…どっからその自信は湧いてくるんだ。
「拒絶されても諦めなければ…!」とかならまだ理解できる。まだだが。「二度と来るな」とまで言われてしまっているのに来るとか、それもうストーカーだろう。警察呼ぼう。
だが、謎の自信を持っている。今までも殺す気だったが…、余計に消しておく方が良いと確信した。この人は確実に何度でも来る。そして、俺を殺して四季を奪おうとする。リャアン様に負ける気など一切しないが、それとこれは別だ。そんなことは絶対に許さない。
四季は俺の好きな人で、俺の嫁。彼女が俺と一緒にいたくないと言うなら兎も角、俺といる事を選んでくれているならば、誰にも渡すものか。
さて、後数歩だ。数歩でリャアン様に斬りかかれる。
「お前はだけは参らずともよい!」
「私の夫ですよ?そう言わずに、私と夫。それに子供達も交え、踊りましょう?」
こちらへ飛んでくる火球を四季がファイルで防いでくれる。子供達もレイコ以外はシャイツァーで殴り、レイコは簡単に『|蒼凍紅焼拓《ガルミ―ア=アディシュ》』を詠唱。それを火球にぶつけることで、俺の援護をしてくれる。
この距離なら飛べば届く! 地面を思いっきり蹴り…、よし!
「遅れた」
「いえ、このくらいなら問題ありません。これからが踊りのクライマックスですよ!」
「ああ」
(死の)踊りだが。苦しみたくなければ大人しくしてくれ。既に距離は0で…、後は囲んで殴るだけなのだから。もはや戦法も何も関係ない。リャアン様の圧倒的不利。だが、油断はしない。
「私が前に行きます」
「なら、俺は後ろ。子供たちは…任せる!」
細かく決める必要はない。この子達なら合わせてくれる。シールさんだけ少し不安だが群長だ。合わせることには慣れているはず。…時折暴走しているのを見るが。大丈夫だろう。
7人に囲まれている状況。ろくな詠唱など出来るはずもない。こちらが位置につくのは一瞬。前後左右をぐるりと囲む。
さ、トドメだ。
俺が剣とペンを後ろから。四季がファイルと剣を前から。アイリが鎌で右前方から。カレンが弓本体で右後方から。ガロウが爪で左前方から。レイコが消されないように注意を払いつつ魔法で左後方から。シールさんが上から。
下を除く全方位からの一斉砲火。避けられるはずもなく、リャアン様に残らず命中。膝をついて倒れ伏す。
「ふぅ。苦しめる気はないと言いましたが…、イラついていたのでこのくらいは許してくださいますよね?」
四季が舌をペロッと出して言う。その四季の顔は悪戯をするのが大好きな妖精のようで非常に愛らしい。
さて、見惚れていないで事切れているかどうか。確認しないと…。
「認めない。皇帝は皇帝」
ッ! あれでまだ生きているのか!? さっさと仕留めなければ…!
「皇帝に不可能はなく、故に皇帝に不可能があってはならない。皇帝に不随意なことはなく、故に皇帝に不随意なことがあってはならない。故に皇帝は全てが可能であり、全てが随意である。故に皇帝は皇帝である」
「わけわかんねぇこと言ってやがるが…!父ちゃん!母ちゃん!攻撃が通ってる気がしねぇぞ!?」
「私の『|蒼凍紅焼拓《ガルミ―ア=アディシュ》』でさえ、通用している気がいたしません!」
ガロウとレイコが悲鳴のような叫び声をあげる。気持ちは分かる。俺だって叫びたい。
子供たちが恐慌状態になるだろうからこらえているが…、文字通り一切攻撃が通っていない。
「これが…」
シールさん、慌てるのだけはやめてくださいよ?
「これがあの変身中は無敵ってやつかい!?」
「「何言ってんですか」」
思わず爛々と目を輝かせるシールさんに二人してツッコんでしまった。って、ツッコミの是非はどうでもいい。シールさんは一体何言ってるんだ!?
「え?勇者様の世界ではお約束って聞いたけど?」
キョトンとした顔で一言。おのれ過去の勇者…、そんなことまで伝えなくてよかったのに!
「…これがシリアル?」
「そっちもあるのね…」
今、シリアスがコメディに汚染されつつあるが、非常に面倒な状況なのは間違いないのに…ん?
「貴方。この気配…」
「ああ、気のせいだと思ったが間違いない」
間違えるわけがない。何度あったと思ってる。
「どした?」
首を傾げるガロウ。
「チヌカの気配がする」
「え゛!どっから?」
「あっちから。です!」
四季がリャアン様の方を指さす。同時に彼の体が一瞬発光。光が治まると彼の姿が露わになる。
先ほどの姿も、渓谷に落ちる前より禍々しかったが…。さらに凶悪になってボスの風格と、いつもの汚い白と黒を纏ったリャアン様が光の消えたところにいた。