163話 領域
「で、街の外に出たけどどうする?」
「シャルシャ大渓谷に向かってください」
「リャアン様がつけたであろう黒線を越えたところで一日野営しましょう」
それでいいですよね? と四季が目で聞いてくる。勿論。リャアン様の領域から出ることが最優先。
「皆もいい?」
子供達に同意を求めれば、異口同音に同意してくれた。ありがとう。
「僕もそれでいいんだけど…、その心は?」
「逆に聞きますけど、アレが今回の件で手を引くと思えますか?」
「私は思いませんけど」と言わんばかりの口調で四季が聞けば、シールさんは苦笑いしながら首を振った。
ですよね。俺だってリャアン様があの一撃で手を引くなんてまるで思えないもの。
「だから野営するのです。シャルシャ大渓谷に入るのは確定です。が、リャアン様という不確定要素をいつまでも抱えておきたくないのです」
「僕等についてくるならついてくるで、追跡者は勝手に渓谷の呪いで爆散するんじゃないの?」
普通の魔人ならたぶんそうなる。だけど、
「一番俺達を追ってくる可能性が高いリャアン様は腐っても公称皇帝ですよ?最悪はありえるでしょう」
「そういえばそうだったね…」
「ですが、私達が逆撃を喰らわせたので私達についてくる度胸があるのはおそらく彼だけでしょうから、少し気楽ですね」
大勢で追跡されるより、リャアン様だけの方がずっと楽だ。
「さて、話題を戻しましょう。黒線から出る理由は言うまでもなく、ガロウとアイリが大変だからです」
馬車に乗り込んでこの方、ガロウはずっと『護爪』を展開してくれている。アイリは移動速度が馬車に比してかなり遅い『護爪』をアイリが鎌でひっかけて、馬車において行かれないようにしてくれている。間違いなく疲れる。
「これをしないって解決手段もあるにはあるけど?」
「…論外。不愉快」
「俺も姉ちゃんに同意。鬱陶しい」
俺らが答える前に魔法使用中の二人が答えてくれた。
「君らは?」
「俺としては不愉快なのでやっててもらえる方が良いです」
「私もですね。一片たりともアレの思い通りにしてやるものですか」
シャルシャ大渓谷に突入する可能性があっても、ここは意地のようなもの。やめない。
「つまり、お前に見てて欲しいんじゃない!ってこと?」
「端的に言えばそうなります。私は習君をはじめとする、家族に見ててもらいたいのです。一時の視線は兎も角、ずっと付きまとわれるなど言語道断です」
だから、黒線を越える。リャアン様の領域を完全に離脱する。そうすれば彼の覗き見の能力も制約がきつくなるはず。
「シャルシャ大渓谷に近づく意図は?」
「アレのためにシャルシャ大渓谷に入らないなんて選択肢はないです」
「多少の遅れは許容しますが大きな遅れは嫌です」
これも意地。リャアン様は思い通りにいかしてやらないが、こっちは出来るだけ望む道を通ってやる。
「野営が一日な理由は?」
「アレのために時間を割くのは馬鹿らしい。それももちろんあります」
「あ。あるんだ」
そりゃありますよ。頑張ってこっちは思い通りに行くようにしないと。
「ですが、今までの経験上、ああいう輩が動くのは当日。それ以降は動きませんよ」
そんなに生きてないけれど、ほぼ断言できる。
「何で?」
「私達のああいう輩の取る行動はニ択です。私達の報復に直ちに怒りに任せて報復するか、報復で理性を取り戻して震えるか。どっちかでしょうから」
「ふむ。僕は君らみたいに意思疎通できるわけじゃないから聞いたけど…、僕も同感だね」
シールさんも同感か。
「でさ、敢えて聞くけど、リャアン様は報復か、怯えるか。どっちだと思う?」
「「報復に決まってますよ」」
拒絶されても使者を送ってくる時点で、リャアン様は何でもかんでも自分の思い通りになると信じているとんでもない自信家だと思われる。
だから絶対出てくる。リャアン様が見初めた四季を、俺の好きな人を取りに来るために。「俺が欲しいものが、手に入らないはずがない」って信じてるから。
「細かい理屈抜きにしても、出てこないとおかしいですけどね」
「何で?」
何でって…。
「四季だからです。優しくて気立てが良くて、可愛らしくて美しい。そんな四季ですよ?だから絶対来ますよ。普通の人は俺がいるので放っておいてくれますけど、いなけりゃ手を出すのが普通でしょう?」
「…うん、ごめん。お腹いっぱい」
シールさんに口へ砂糖の塊をぶっこまれたみたいな顔で止められた。あれ? まだ「頭のネジどころか基幹部品が根こそぎ抜けた人だから来る」って言ってないのに。どうしたんだろう? 彼らしくない。
「父ちゃん!火球来たぜ!」
さっきまで濃縮砂糖水を飲まされたような顔をしていたのに、ガロウが急に顔を引き締めて叫んだ。
ああ、やっぱり来たか。
「防げそう?」
「ああ。これくらいなら防げそう!5発だぜ!」
5発か。威力もそんなにないだろうし、一人で対処できるね。なら、いつでも加勢できるようにしながら待って…、
「あ。ごめん。無理!」
なら今すぐ加勢するか。外を見てみると、100程の火球が街から飛んできている。そして、火球の数は加速度的に増加中。温度も高そうで厄介かもしれない。
とりあえず試し打ち。
「「『『水球』』」」
四季と手を繋いで発動。狙いは適当でいい。どうせ当たる。中央付近めがけて放つ。
放たれた水球が火球と衝突。水球は火球を一息に呑み込み、さらに別の火球に喰らいついく。それを余裕で平らげ、もう一つに喰らいつき、相内となって消えた。
「威力としてはそこまで強くないか?」
「みたいですね。威力も全部一緒のようですし」
「ま、直撃すれば大やけどは免れないけどね!」
そりゃそうですよ。一瞬、微妙な空気が馬車を流れた。が、すぐに戻った。皆が何も言わずとも加勢してくれたから。
しかも、カレンとアイリが左側。ガロウとレイコが右側。俺らが中央と、迎撃範囲の分担まで決めてくれた。いい判断。
「暗黙の了解で分担できるのはいいねぇ」
「それくらいの信頼関係は築けている自信はあります!」
「ですね!習君!」
「…ん!」
「だねー!」
「だな!」
「ですね!」
よかった。子供たちが答えてくれて。…してくれてなかったらものすごく思い上がりの激しい親になるところだった。
「失敗するつもりはありませんが、万一私達が失敗してもお父様とお母様が支援に回ってくださいます!」
「だな!安心してやれるのはデカい!」
期待が重い。だけど、これくらいなら、俺と四季なら、皆となら余裕だ。一発たりとも馬車の5 m先にさえ近づけさせるものか。
そうしさえすれば、万一、火球が途中で軌道変更できようと無意味。する前に叩き落せる。
実験する気はないが。アレに「上手く俺を焼ける」なんて欠片さえ思わせてやるものか。
カレンが矢を射り火球と相殺させ、アイリが鎌で火球を斬り裂き霧散させる。ガロウの飛ばす『護爪』が球を潰し、壁を形成し、火球の進路を阻む。そして、レイコが次々と簡単な詠唱とともに火球を凍てつかせ落とし、相殺させる。
今のところ全て、馬車の50 mほど後方で叩き落せている。かなり余裕。魔力は減っていくけど、6人でやればそこまで大きなものではない。間違いなくあっちの損害の方が。大きい。
…だが、変だ。シャイツァーを使っているにしても、一個人にしては多い気がする。魔力量が規格外なのか? だが、それだけだと後の追跡に差し障るはず。となると、自己バフ? 領域内に限り簡単に強化できるとかあるのか?
あの黒線は領域設定しているのは間違いない。けど、それで足りるのか? 無駄に長い詠唱をしていたとしても魔力足りないんじゃ…?
あぁ。そういえば、壁も城も黒かったな。その二つも領域設定出来るもので、より強固に自領域主張した領域の中にいるほど、自己バフが高まる。そんな感じだろうか。
「そろそろ黒線に到達するよ!」
「少し馬車浮かせます!」
黒線をそのまま超えてもいいが、妨害されそう。だから…、
「「『『橋』』」」
橋を召還する。デザインもへったくれもない坂と水平部が繋がっただけのモノ。だが、黒線を直接踏まなければそれでいい。ついでに、
「「『『爆発』』」」
黒線の一部を爆破。さて、これでどうなる?
「消えてないよ!」
ダメか。潰してやろうと思ったのに。物理的な干渉では消せないのか? でも、今のは魔法だぞ…。
「…ねぇ。浄化は?土地に根付いた魔法を取り除く。こういうイメージで除去できない?」
浄化……あ、いけそう。その使い方ならイメージできる!
「ありがとう!アイリ!」
「やります!」
「「『『浄化』』」」
黒線の一部を光が包む。一瞬で光は消えて黒線も消えた。
よし!
「橋、上るよ!」
シールさんの声と同時に馬車が傾く。傾いた状態は一瞬で終わって水平に。それもすぐに終わるとまた傾き、再び水平な状態に。これでリャアン様の領域は脱した。
「かきゅーも消えたよー!」
やっとか。そこまで大変ではなかったが…、油断すると当たるしうざいことこの上ない。
「渓谷入り口があるぜ!」
「だね」
シールさんとセンはちゃんと要件を満たせる場所を選んでくれた。500 mほど先に地面がぱっくり口を開けていて、そこから見慣れたいつもの白と黒の汚い色をしたもの…、すなわち瘴気がある。
アリアが呪いを捨てたというだけあって瘴気は大量に溜まっており、今にも溢れてしまいそう。
「で、野営準備する?」
「必要ないでしょう」
「だよね」
リャアン様は火球を放ってきた。だったら既に動いているはずで…、夜になるまでに来る。
「来てるよー!入り口付近で煙が上がってるよー!」
「これで要らないって確定したね。どれくらいで来るかな?」
センの速さと、クワァルツからここまでの距離、それに今のリャアン様の速度から考えると…、
「2時間くらいですかね?」
「妥当なとこかな?仮にも皇帝の乗る馬が駄馬ってことはないだろうし」
「来るまで待機しましょうか。適宜状況を確認しつつ昼食も食べてしまいましょう」
「だね」
彼の来るタイミングによっては昼抜きがありえるし。
「そういえばさ、アレを狙撃しないの?」
クイッと顎でリャアン様を示すシールさん。
「「しませんよ」」
「火球撃たれたのに?」
「シールさん。あのですね。私、あの人を大真面目に相手してあげることさえ嫌なんですよ。あ、さっきの火球迎撃は別ですよ。あれは私達に危害を加えられる恐れがあったので。その可能性を除いたにすぎません」
「嫌われたねぇ…」
ボソッと呟くシールさん。
そりゃそうでしょう。人を苛立たせることを延々とやっているのに好かれるなんてありえない。そもそも、シャイツァー使って覗きしている時点で相当アレ。なのに、警告を受けてなお重ねてくる時点で致命傷。
「で、アレが来たらどうするの?」
「出会い頭に私達に今までの無礼を謝罪して、形あるもので誠意を示せば許さないこともないです。ま、ありえない想定ですけど」
火球を撃ってきて、それでもなおこちらに来ている。この時点で…ね。
「これまでの行動を鑑みる限り、改心するような気配が微塵もありません。ですから、私達に関わる気力を根絶するのは面倒です。すっぱり元を断ちますよ」
「え゛?」
「「え?」」
何でシールさんは驚いたんだ? こうなるなんてわかってるだろうに。
「えっと、断つって具体的には?」
「殺します。苦しめる趣味もないのでスパッと」
「こちらも殺されかけましたし、別に構わないでしょう。しかも都合よく公称皇帝です。ひょっとしたら皆で帰るきっかけになりますよ」
リャアン様を討伐したところで帰れる可能性は低そうだけど。
『バシェル』が倒して欲しい魔王が何を指しているかわからない以上可能性はある。
あの国のことだから、『魔王』は全ての自称魔王を指している可能性が一番高い。時点で公称皇帝全員で、その次くらいにジンデ様だけ。か?
「随分あっさりしてるね…」
「シールさんたちで言うリンヴィ様に手を出されたようなものですよ?」
「私達の性格は元からこんなものです。無駄に被害を出すことは好みませんが。苛烈なこともあります」
大切なものを守りやすいから、好都合な性格ではある。けど、行き過ぎることがあるのもタクのおかげで理解してる。直す気はないけど。
「彼の民は?」
「知ったこっちゃない…。とは言いませんよ。さすがに。ですが、何度も言っている気がしますが、リャアン様を止められていないので…」
「少し苦労するかもしれませんが頑張ってもらいましょう。ワァンクさんやニーフィカさんがいます。ですので、崩壊はしないでしょう」
むしろ、アレが消える分上手く回る。そんな予感さえする。…あれぇ?
「ねぇ、習君。陰謀論ってあると思います?」
「あると思うよ」
同じこと考えたね、四季。「ひょっとするとこれ、ワァンクさんやニーフィカさんの策謀じゃないか?」なんて。
まぁ、証拠は全くないから完全によくある陰謀論でしかないか。
「そろそろ半分切りましたかね?」
「かな?ちょっと早いけど昼ご飯にしよう」
さすがに料理はしない。料理中に火球撃たれても何ら支障はないけれど、鬱陶しいし。折角のご飯が不味くなる。
鞄の中からこういう時のための食糧──ゼリー的なモノ──を取り出す。間違いなく過去の勇者が頑張った産物。
確か「これ一本で十分なエネルギーと、そこそこのミネラルとビタミンが取れる優れもの!」的な売り文句があったかな? そこそこってどれくらいなんだ。
2本ぐらいなら大丈夫って言ってたはず。よし。いただきます。口に銜えて握りつぶしながら口内に押し込み、飲みこむ。
一瞬、口に爽やかなブドウ系の味が広がったがすぐに喉の奥へ消えていった。食べ方のせいだけど、情緒も何もあったもんじゃない。ゆっくり食べてみる? …どっちにしろ味気ない。ご馳走様。お腹はちゃんと膨れた。満腹中枢を刺激する何かがあるのかね?
「アイリちゃん。食べすぎないようにしてくださいね」
「…ん。5本でやめとく」
俺も四季もガロウも2本なのに5本。カレンとレイコの食べた本数と比較すると5倍の量。絶対に多い。
「ビタミンやミネラルも取りすぎると害になりますよ?」
「…ん。心配してくれてありがとう。大丈夫。人より必要量多いみたいだから」
呪いのせいか。もうアークライン神聖国で解放されたとはいえ、どこまでも尾を引いてくる。
「…過剰なものは勝手に出るしね」
何で分かるの?
「…何となく。体の状況からかな?」
コテッと首を傾げ、6本目を握りつぶすアイリ。
自分でもよくわかってないのね。でも、あれだけ飴を食べてるのに、体重は抱っこした感じ、変わってない。安心させようと出まかせを言ってるわけでもなさそう。
「…わたしはこういう大事なところで二人に対して嘘つかないよ?」
痛いほどに知ってるよ。考えることをやめよう。その方がいい。
「そろそろ来るぜ」
気を引き締めて一列で待っておきますか。
「とうっ!」
掛け声とともにリャアン様は馬から飛び降り、クルクル回転。そして深紅の髪をたなびかせながら着地。
乗り捨てられた馬はその場で停止。
…あれ? 結構無茶な走り方をしたのか、この子怪我している。ちょっと遠いけど…、この距離なら届く。
「「『『回復』』」」
よし。治った。
「ヒヒ―ン!」
傷が治って嬉しいのか一鳴きするお馬さん。そのまま騎手であるリャアン様を無視して嬉しそうに街に戻っていく。馬にすら嫌われてる? 動物の方が好き嫌いはっきりしてるって聞いたことがあるような。ないような……。いや、それ以前に、無茶させたら嫌われるか。
「おい、貴様ら!皇帝たる皇帝の前で何をしている!」
髪と同じ深紅の目。それを煌々と輝かせて怒鳴るリャアン様。あぁ。嫌いなタイプだ。
「傷を癒しただけですよ?」
「そんなことはどうでもいい。皇帝たる皇帝の御前であるぞ」
じゃあ聞くなよ。それに自尊敬語…。確かに皇帝だからおかしくはないが。それを使うだけの格、資格はあるか? ツッコみたいが…、したところで意味はないな。
「俺達は勇者ですが?」
「流石に不遜ではないですか?」
普段なら上から来られようと気にしないが、こいつはダメだ。完全にこちらを見下しきっている。
「皇帝である。さ。妻よ。参るが良い。迎えに来てやったぞ」
もう問答は要らないな。四季と手を繋ぐ。
「皇帝の妻に触れるな!不敬であるぞ!」
「お黙り下さい。私は彼の妻で、私の夫は彼ただ一人、貴方ではありません」
四季が拒絶の言葉を叩きつける。
「なっ!?」
目に宿るは俺に対する敵意だけ。
「貴方はしつこい。だから元を断たせていただく」
「「『『火球』』」」
俺と四季とで火球を召還。
「「死んでください」」
言葉と共に火球を投げつける。今だに現実が把握できていなかったのか棒立ちだったリャアン様はすんでのところで正気に戻ると間一髪回避。
浅い! 致命傷には程遠い。しかもシャルシャ大渓谷に落ちた。面倒な。
「追跡します!」
「ああ!セン!」
「ブルルッ!」
俺の声で嬉しそうにこちらへ走り寄ってくるセン。魔人が落ちたら死ぬ。そう言われているシャルシャ大渓谷だが、確実に息の根を止める。
あ、そうだ。
「アイリ、カレン、レイコ、ガロウ。それにセン。これから渓谷に突っ込む」
「ついてきてくれますか?」
俺らの問いに、全員一瞬呆れたような顔をすると、力強く頷いてくれた。
「シールさんはどうします?」
「水臭いこと言わないでよ。ついていくさ。」
「シャルシャ大渓谷に突っ込んでリャアン様を追って!」
「ブルルッ!」
「了解!」というように高く鳴くと、センが自身と馬車の周りに結界を展開。そのまま渓谷の底へと降りてゆく。
絶対にリャアン様は逃がさない。