139話 一時休憩
「父ちゃん。母ちゃん。今なんて言った?」
「もう一戦しようか」
「誰と?」
「群長達と」
「何で?」
「必要だから」
「いや、わかんねぇから」
あれ? 何でガロウわかってない…、ああ。説明をしていなかった。
ガロウが今初めて聞いたってことは、試合中にアイリもカレンも説明しなかったのか。試合に集中できるように。ツッと視線を流すと、それに気づいたのかそろって胸を張る。背伸びしている感が出て愛らしい。
頭を撫でると二人とも嬉しそうに髪を揺らせる。
試合には集中してもらいたかったから丁度よかった。…結構えぐいこと平然とやったから、集中されない方がよかったような気がするのはきっと気のせい。
「おーい。突然旅立たないで説明してくれ」
「ああ。ごめんごめん。二人を外に後腐れなく連れていくための総仕上げとしている必要だからな」
「何で?」
「全群を黙らせるためですよ。今この場で群長を叩き潰すことが出来れば…、黙るしかないでしょう?」
「言葉の節々がえらく物騒だな!?その通りだろうけどさ!」
「人望も強さもある群長をねじ伏せた人とは敵対したくありませんものね…」
絶対負けるからな。特級の馬鹿以外挑んでこない。
「ですが、何故そのようなことを為す必要があるのです?」
「「流血を避けるため」」
「え?」
レイコが理解できないのかぽかんと口を開ける。
「あの、私には何故流血沙汰が起きるのか理解できないのですが…」
…やっぱり。普通、「自分が外に出たい」と言って血が流れるなんて思わない。なら、伝えるか。
四季の方を見る。彼女も同じ目…、いや、違う。「伝えなければ」そういう目だ。
「大前提として、レイコは神獣だ」
「…一応、そういう事になっておりますね」
…最近の俺らの扱いもレイコが察せない原因の一つかもしれない。あまりにも神獣として扱わなさ過ぎた。
俺らと居る限りレイコは、どこから見ても──獣人としての特徴を無視する限り──日本のどこにでもいるような普通の少女だったのだ。
「神獣を外に出すことの影響が大きいことは理解できるか?」
「…不本意ですが、理解しております。先の戦いで」
「ならいいです。他の群に神獣はいますか?」
「寡聞にして私は存じ上げておりません。ガロウは?」
「俺も知らねぇ!」
そっか。知らないか。
「なら仕方ないな」
「え。いいの!?」
「ええ。問題ないです。今回大切なのは「今まで群で囲われていた神獣が外に出る」という事実。ただこの一点につきますから」
「何故ですか?」
「その事実が社会変革につながるから」
「今回の社会変革は「今まで行動が制限されていた神獣が自由に行動できるようになる」という事ですね」
「それがなぜ流血なのですか?」
「想像してみて」
「「神獣が力を自分の意志で、あるいは他者にいいように扱われて力を振るったら?」ですとか、「ついこの前までいた信仰の対象がいなくなったら?」のように」
レイコもガロウもしばし沈黙していたが…、ガロウは頷き、レイコは首をひねる。ガロウがレイコに説明。
漫才じみたことを寸刻。そして…、
「ですが、何故流血なのですか…?そんなもの起きていないではありませんか」
「はぁ?レイコ、お前は何言ってんだ?」
呆れたような声でガロウは言った。そしてレイコが言葉を紡ぐよりも早く、
「血ならさっき山ほど流れてたじゃねぇか?それこそ父ちゃんも母ちゃんも、服が一時は朱に染まってたじゃねぇか」
決定的な一言を吐いた。
「ア…」
レイコが顔を真っ青にしてバランスを崩す。素早く四季がレイコの前に跪き、胸の辺りで抱き込み、
「大丈夫ですよ。レイコちゃん」
言いながら優しく頭を撫で、宥めにかかる。
「お母様…」
顔をあげて安心したような顔を見せ、
「あ。お、お母様、服が…、あ、あれ?お父様も?お二人とも服が。傷だら、だらけ。あ。あ。あれ?お二人とも怪我を。それに戌群の皆さんも怪我…、あ、いや、…死んだ?」
「おい、レイコ死んでねぇよ。生きてるぞ」
「で、ですが、確かに首を斬られ、胸を突き刺され。うぇっ…。無残にも死んだ…?何で?もしかしてわt」
「「レイコ(ちゃん)」」
思っていた以上に怖い声が出た。だが、その甲斐あって、ビクッとレイコが跳ねあがり視線をこちらに向けた。
「それ以上は言わせない」
「何故レイコちゃんがそれを気に病まねばならないのですか?少なくとも今回は全員、死ぬことまで覚悟の上であそこに立っていたのですよ?」
「で、ですが…」
「レイコ」
名前を呼び、再度遮る。レイコに言わせてなるものか。「私のせいで」などというふざけた言葉を。「私が望まなければ」などという自らの望みを否定するようなあまりにも悲しい言葉を。
「レイコちゃん、貴方はどうしたかったのです?」
答えに窮したのか彼女は下を向く。
…それでいい。考えろ。レイコが外に出たがることによって生じるかもしれない弊害は、レイコの判断に影響を与えて欲しくなかったからこそ、敢えて今まで伝えなかったのだから。
だが、レイコが俯いていた時間はそう長くはなかった。彼女は何かを期待するようにこちらにチラチラと視線を寄越す。
それだけで十分に彼女が何を言いたいかなどわかる。それに加えて、「流血の可能性が提示されて、動揺していたにもかかわらず俯いて考え始めた」という事も加味すれば確実だ。
「一緒に来い」彼女はその言葉を欲している。だが、俺も四季も何も言わない。言ってはやらない。俺らが言ってしまっては意味がないのだ。
だからこそ、無言で圧をかける。絶対に言わないという意思を込め、貧乏ゆすりも、腕組みも、指をトントンとさせることもなく、ただ二人でレイコの前にしゃがみこむことで。
ガロウがレイコを助けようとしたが、カレンとアイリに阻まれる。……悪いな。ガロウ。見ているだけで辛いだろうが…、我慢して欲しい。
ここが天王山なのだ。本当の意味でレイコが自由になれるか否か、「神獣」を殺せるか否かはここに掛かっている。
俺らが言う気がないのを察したのかレイコの表情がさらに歪む。いつもはふさふさの尻尾の幻影も、その心情を反映しているのか寂しげに垂れ下がっている。
……見ていて可愛そうだ。俺らがこの状況を作ったのに。だが、止めない。こちらが折れるわけにはいかない。折角、レイコは俺らの前に変わらずにいるのだから。
ゴクリとレイコが唾を飲み込んだ。そして。
「わ…わた…」
たどたどしくではある。しかし、紡がれ始めた言葉。「続きを」と前かがみになりそうになるのを無理やり押さえつけて、さも平然と先の体勢を保つ。
「私は…、ついていきたい…」
ボソッと呟くように言葉が発された。…足りない。内容は悪くはない。が、及第点はあげられない。
わざと少々体を前傾させる。レイコもきっと気づいているだろう。俺達がさっきの言葉を聞いているにもかかわらず、わざと聞こえていないフリをして、再度言葉を要求していることに。
…現に泣きそうな顔になっている。
涙を湛えた瞳が、パクパクと開閉する口が、ぎゅっと縋るように硬く握られた両手が。彼女の全てが「何故わかっていて言ってくれないのか」と訴えてきている。
……わかっているからこそ言えない。レイコはさっきの戦いが、「試合」であることに意識が行き過ぎて、流血を伴う「死合」でもあることを忘れていたようだった。
だが、彼女は自分が何故俺らに縋っているか。それが理解できてしまう。だからこそ、二の句を継いでやるわけにはいかない。
レイコ自身が自分自身の口で、現実を突きつけられた今こそ、「行きたい」と言わねばならない。言って背負う必要がある。例えその荷物が、彼女が神獣でなければ背負う必要などなかったものだとしても。
レイコが唇をギュッと横一文字に結ぶ。あまりにもその力が強すぎたのか、紅の雫が重力に従って赤黒い線を引いていった。
レイコが息を吸い込んで目を閉じる。そして、
「私は、いえ、私、レイコは…、何があってもお父様と、お母様と一緒に最期まで行きたいです!」
一息に吐きだした。
「ああ。これからもよろしく」
「ええ。こちらこそよろしくです。…些事は私達に任せなさい」
「…ねぇ。お父さん。お母さんかっこよく。「任せなさい」って言ったけど…、早速レイコの助けがいるよね?」
耳元でアイリにささやかれた。…うん。まぁ、そうなんだけど。…だからこそのこのタイミングなわけなんだけど。それ言わなくていいよねぇ!?
「厳しいですねぇ…」
「お待たせして申し訳ない。リンパスさん」
「いえ、構いませんよ。折角他の群長を先に行かせたのに、10分も経っておりません」
あれで10分? もっと長かったような気がしていたのに……。
「長く感じるのは尤もです。それだけ集中されておられたのでしょう。…レイコ様があれほどまでに取り乱されていたのに、それが嘘のような早さで決断された。その意味。お分かりですよね?」
リンパスさんが挑発的な笑みを浮かべている。であればこちらも、
「誰に言っているとお思いで?」
「不意打ちをしたようなものにも拘わらず、それでも、それほどまでに私達を信頼してくれている。そう言う事でしょう?」
真っ向から返してやる。態度もそのままに。
「はは…、愚問でしたね。揃って鼻で笑われてしまいました」
…あ。少し鬱陶しかったですよね。ごめんなさい。
「気にしないので構いません。それにしても…、レイコ様はまだ子供ですよね?流石に厳しいのでは…?」
「あの、一応、俺らもまだあっちでは子供なのですが」
…子供だよね? まだ。「法律変わって18歳から大人です!」とかそんな動きもなかったはずだし。
「ははっ。またまたそんな」
「あのリンパスさん。私達、法律上はまだ子供なのですが…」
「またまたー。下手な冗談は笑えませんよ?」
ダメだこの鯱、聞く気ない。
「…リンパス」
「何です?」
「…お父さんもお母さんもこういう事で嘘言う人間じゃない」
「ほぇ?」
間抜けな声を出し、言葉を反芻しているのか固まるリンパスさん。しばらくすると理解できたのか一人で盛んに頷いて…、
「それにしてもレイコ様への対応、きついですよね」
逃げやがった。
「きついですよね!」
そんなに逃げたいか。…まぁいいけど。
「確かにきついですが…、」
「レイコちゃんはちゃんと受け入れることができますからね」
「…確かに。ええ。そうですね。…半ばお二人が無理やり受け入れさせたようなものですが。多少錯乱しても、自分が産まれ落ちたその時に背負わされた重しを理解して受け入れることができるんですものね…」
無理やりって……、確かにその通りだけど。
「リンパスさん。あそこで助け舟を出すのはダメだということぐらいお分かりですよね?というよりリンパスさん。貴方ならわかっていただけますよね?」
「シキ様。当てつけのように強調するのはやめてください。…ええ。わかっていますよ。あの局面でお二人が代わりに言葉を言ってあげるのがダメだってことぐらい!」
「ほう。それは何故ですか?」
煽る四季。珍しい。たぶん子供に対して非道なことをしたと遠回しに非難されたようなものだから、少しイラついているのだろう。
…視線に晒されているリンパスさんの顔が引きつっているのはおそらく気のせい。
「もちろんです。お二人が「おいで」と言ってしまう。それだけで、彼女が「100%自分の意志でお二人と行くことを選んだ」とは言い切ることが出来なくなってしまう。そこを心配されたのですよね。…お二人もその後で血が流れないように尽力なさるでしょうが…、限界があります。無論、私達も手は尽くしますよ。リンヴィ様の悲願ですし。…私も無くすべきだと思いますから。それでも、おそらく血が流れるでしょう」
…血が流れる事。これは間違いない。どうしても変えられないだろう。「…流れる血を絶やせばいいじゃない!」なんてサイコ染みた答えでも出さない限りは。
「それに加えて、彼女は確実にお二人よりも長く生きるでしょう。どれくらいかは存じませんが。数十、数百年。お二人亡き後、今回の件でいつか流血を見ることになる可能性を否定できない。ですから、お二人はレイコ様自身に、「一緒に行く」と言わせる。そうすることで、彼女がその流血に向かい合い、消化できるようにしておきたかった。そう言う事ですよね」
正解。やはりこの人は有能だ。
「…レイコ様ならば、そんなことしなくとも受け入れられるような気がしますが…。それだとリンヴィ様の計画に支障が出ますからこれでよかったですね!」
こんな風にリンヴィ様狂いじゃなければもっと有能だ。何故あともう少し自重できなかったのか。
「何故何も言ってくれないのです?」
「ご自分の心に聞かれてはいかが?」
「シキ様。冷たくないですか?」
「平常運転です」
「嘘ですね!いつもはなら、シュウ様に向ける愛慕の一端と、子供たちに向ける愛情の一端が感じられますのに、それがないのですよ!?」
残念でもないし当然。むしろ何故普通の目をむけてもらえると思うのか。
「…ねぇ。そういえばさ。…何でリンパス、お母さんに名指しされたの?」
「え?そりゃ私はリンヴィ様が好きだからですよ。先の焼きまわしになりますが…。リンヴィ様の計画…、「全ての子は親とともに育つべき」そう信ずるが故の今回の行動。それを達成するためにはレイコ様自身があれを言っていただく必要があった。だから、言わせる理由を理解していると思われたのでしょう」
相変わらず吹っ飛んでいる。
「…あの言っておきますが、皆様。私とて、レイコ様に酷いことをしているという思いも人並みにありますよ」
「「人並み」」
「ええ。人並みです」
「…やっぱダメじゃないかな。この人」
俺もそう思う。リンパスさんは、人並みの申し訳なさと、それを凌駕するほどリンヴィ様への愛をあの時持っていたという事。そういうことですね。わかります、わかります。
……何故わざわざ言った。
「とはいえ…、レイコ様はお強いですよね。言わなければ、お二人に言ってくれなかった。そうやって責任転嫁できたのにも関わらず、言葉にしたのですから」
「俺らは責任転嫁しても、レイコの質を考えると一生心に深く残り続けると思ったから、その道を断ったのですが」
「でしょうね。私も、見ていた時間は短いですがそう思います。後で傷つく傷の深さを考えるなら、まだ浅く、癒してもらえる人がいるうちに傷つけばいいのです」
「そうですね。元の鞘に収まるのは不可能だったでしょうから」
「だね」
俺らの前でこちらをジッと見ていたことから明らかだ。ショックなことを伝えられても、彼女は元に戻ることを選ぼうとしなかった。
それはきっと彼女の好奇心の強さ故…、あれ? どう考えても弱いぞ? じゃあ、何でだ?
「…プッ」
アイリ? 何で噴出しているんだ?
「…ごめんなさい。ちょっと面白かったから」
口元を撫でるように擦ると、アイリは
「…二人はいつもそう。…わたしは、何回も言った気がするのに…、それでもちっとも理解してくれない。…レイコが一番うれしくて、離したくなかったのは、…好奇心のまま、自由に動ける事じゃない。…家族という枠組みに入れたこと。これだよ。…これはレイコだけじゃなくて、わたしも、きっとガロウもだけど…、…二人が与えてくれる「ここに帰って来てもいい」と疑うことなく思える絶対的安心感。…二人がわたし達個人を見てくれるから、生まれてくる暖かくて柔らかい安心感。しかも、それは誰にはばかる必要もない。…わたし達はこれが嬉しいの。…だって、今まで貰ったことなかったから」
と呆れたような、でも嬉しい。そんな口調で言ってのけた。
そんなこと言われても……ね。俺も四季も狙ってやっているわけじゃない。皆が大切だからそうしているだけだ。
「あれ?というか…、そうだったんなら、失望しないのか?」
「確かに。私達「助けてあげます」なんてことさえ、言わなかったですよね…?」
アイリは「やれやれ仕方ない」とばかりに笑みを浮かべながら首を振ると、ガロウと話しこんでいたレイコをガシッと掴んで俺らの前に押し出してきた。
そして耳元で何かを囁く。…レイコまで目を丸くしてこちらを見てくる。
「お父様。お母様。私がお二人に失望するはずがないではないですか。お二人はつい先ほど、私とガロウのために2人で100人と戦ってくださったことをお忘れですか?」
「いや…さすがに忘れてないけど?」
「もしそうなら私も習君も若年性認知症の可能性がありますよね」
「ニンチショウが何かわかんねぇんだが…、あ。今は悦明してもらわなくていいぜ」
あ。そう。
「ええと…、ものすごく言いにくくなってしまったのですが…。あの時のお二人。かっこよかったです」
「ああ。すごくかっこよかったぜ」
目を正面から見据え、心を込めて伝えてくれた。そんな風に言われてしまうと、少し恥ずかしい。
「あ、ありがとう」
「ありがとです。じゃ、行きましょう」
紅潮する頬を誤魔化すように闘技場へ。後ろから4つの足音が楽しそうに近づいてきて、リンパスさんのモノと思われる足音が遠ざかる。
……次の試合で神獣を神から引きずり下ろす。