107話 シュガー
「「『『アイスランス』』」」
俺達の宣言とともに紙は消え、氷の槍が出現。槍は猛烈に回転しながら、辺りの水もろとも凍てつかせ、未だに「キュイキュイ」鳴いている『シュガー』の右目へ一目散に飛翔。
槍は過たずシュガーの目に突き刺さり…、ん? なぁっ!?
「突き刺さってない!?」
目は閉じられていて瞼で保護されていたとはいえ…、触媒魔法だぞ!?
「ですが、槍は残っています!なので、凍りつきはするはずですよ!」
「ああ!一気に畳み掛ける!」
「「『『アイスランス』』」」
触媒魔法を過信しすぎという事はないはずだが…、初撃が突き刺さらなかった。この時点で普通の『アイスランス』でシュガーの体表を貫くことは諦めた。
普通に考えて、目…、正確には瞼だが、それよりも体が脆いわけがない。だから、この槍の主目的は凍結補助。
最初は「あわよくばどっかに刺さらないかなー」的なこと考えてたけど、そんな部位はないだろう。どこから見ても奴の体は硬そうだ。体の内部はわからないが、攻撃する機会がない。
「触媒魔法は威力がけた違いですね…」
「だね…」
先ほど追加した『アイスランス』もシュガーの体を凍らせるのに貢献しているが…、圧倒的に速度が違う。現に今も…、普通の『アイスランス』は当たったところと槍を中心にじわじわと凍らせているのに対し、触媒魔法は、圧倒的冷気をもって、ピキピキと当たった右目を中心に同心円状に周囲の水もろとも凍結させている。
「キュー。キュー。キュー」
少しトーンが下がったが、相変わらずシュガーは鳴き続けている。はっきり言って不気味だ。だが、先に全て凍らせて終わらせる!
「前はもう十分!今まで当てた分で足りる!」
「ですね!次は、機動力を奪いましょう!」
機動力…、つまりヒレ。これを凍らせてしまえば移動に難儀するようになるだろう。
シュガー正面から、下に移動。体の真下を泳いで通り抜けながら、ムナビレに10本ずつ。尾びれに20本。総数40本。これらを全てバランスよく叩き込む!
触媒魔法ほど凍らせる力はないから、数で補う。これでヒレはいいか。
「キュー、キュー」
シュガーの鳴き声はさらにトーンが落ちた。寒さで弱っていると信じたい。だが、違う気もする…。だけど、信じるしかない。やることに変更はない。このまま全て凍てつかせる!
「ちょっと寒くなってきましたね」
「そりゃ、こんだけ氷をぶっ放してればね!いくら水がたくさんあるとはいえ、水温下がって来るよ」
だから、さっさと片を付ける。『アイスランス』を連射。それこそ、紙を使い潰す勢いで。
「紙、一枚分使い切りましたよ」
「もう、十分か?」
四季の声に、いったん作業を中断。二人で顔を見合わせ話す。俺らの前には体のほぼすべてが凍り付いたシュガーが。横から見る限り、氷は透き通っていて、実際に氷がそこにあるのかどうかは確認しにくいが…、それでも、見える限りほぼ全て凍った。完全凍結も時間の問題のはずだ。
「突き刺すよりも、凍結を優先しましたから…。おそらく十分でしょう」
「本数と温度低下に魔力を割いたけど…、それでも百、二百本撃てば紙無くなるか…」
「そりゃそうでしょう」
四季が苦笑いを見せる。その時、「ガリッ」と何かが砕けるような音。続いて、「ズズッ」という、液体の中を巨大な何かが動く音が響く。
俺と四季の顔が引きつる。間違いなく、水中でなければ汗が額から流れ落ちただろう。
「この場で砕けるようなものって、何があった?」
「そんなもの氷しかありえませんね。」
「俺ら以外に何か動きそうなものは?」
「シュガーですね…」
そんなやり取りを交わしながら、首をシュガーに向ける。あぁ。やっぱりか…。そんな気はしてたんだよなぁ…。
シュガーが体の大半が凍った状態でこちらを見ていた。見られているという事は、こいつが方向転換したという事。ムナビレも、尾びれも凍ったままだというのに。
そして…、口の端がいまだに凍ったり融けたりを繰り返しているから…、口周りが凍ったために煩わしくなって噛み砕いたか。
そして先ほどまで閉じられていた目。今もまだ氷の下にある目は、氷の透明度が高いためにはっきりと様子がうかがえる。
散々見た白目の上に、これまた見飽きた黒。水晶細工のようで美しい。だが、そんな目に宿る光は、「敵意」。
あぁ…。なるほど、その目を見て何故さっきまで「キュイキュイ」鳴いていたのか。その理由が分かった気がする。あれは…、敵対する覚悟を問うていたのか。
なら、感傷に浸っている暇はないか。
ッ!? 体のあちこちが凍ったままのくせに動けるのか…!
シュガーはその場でコマのように回転。そして身を翻し、俺らのいたところよりもさらに最奥の壁に近いところへ移動。
「身を翻した…?まさか!?」
「突進か!?」
「ご名答!」とでも言わんが如く、シュガーは弾丸のように飛んでくる。狙いが甘々だったために、俺と四季は距離がほとんどなかったにもかかわらず、間一髪で回避できた。
ただ、少しだけ水流に煽られて部屋の真ん中より少し奥に流されたが…
ズガァァァン!
背後から爆音。ちょっと待て。あの方向は…。出口だ。
「あいつ、出口粉砕しやがったか!?」
「まだわかりません!直接見てみないことには…!」
「そうだったね。それに、もし、破壊されていたとしたら…、それを破壊すればいい」
何も焦ることはなかったな…。そして、あれだけの衝撃音を鳴らしたにもかかわらず、一切ダメージを受けて居るそぶりも見せず、シュガーはこちらを見る。
チッ…。さっきの衝突で顔についている氷の大部分をはがされたか…! まだ、触媒魔法の『アイスランス』突き刺さっているが…、効力を失うのも時間の問題だ。
バキン!
再び氷を破砕する音。今回のモノは凍り付いた口を無理やり開けようとして、口を開く力でもって氷を砕いたようだ。…ん? 口を開く?
「まさか、ブレスか!?」
「え!?鯨ですよ!?」
「異世界」
「でしたね!」
魔法の言葉「異世界」。ここでは、想像の及ぶ限りの…、そして、想像以上のことが起きてもおかしくない。地球でも、たまに事実は小説よりも奇なりという事は起きうるが。
あ、まずい。吸い込み始めた。なまじ吸い込む力があるから、俺らまで引き寄せられるのが、逃げにくいことこの上ない!
「壁作りましょう!壁!」
「普通に逃げても間に合いそうにないし…。それしかないか!真正面から受けるなよ!」
「承知の上です!真っ向から受け止めれば、貫かれる未来しか見えません!」
壁を作るタイミングは、発射直後が最善か。このタイミングが一番吸い込み力がないから、作った壁の角度を乱される心配がない。
さて、吸い込むのをやめたか。なら…、何かを吐き出す兆候。今だ!
「「『『壁』』」」
いつものように土の壁…ではない。水中では土では崩れそう。それならば…、金属で。ダイヤはダメだ。衝撃に弱い。
いつも土で作っているのは、土がその場にあるから。素材があってもおかしくない場所に適応した素材であれば、小魔力で長持ちする。
ここは、壁が何で出来ているかわからない。石のように見えるが石ではない。だから、ぶっちゃけ何で作ろうと持続時間は同じだ。なら、硬さ、跳ね返しやすさを選ぶ。
『アロス』などのときは持続時間が大事だったから、土だったが。今回のような場合は…、先端を曲げればこちらまでは来ないはずだ。
俺達が叫び終えると同時に圧縮された直径3 mほどの水の柱がこちらに迫ってくる。対するは、俺らの出した表面がつるっとした金属の壁。それらが激突し、音もたてずに壁がぶち抜かれる。だが…、確実に方向を変えることに成功した。
保険で何枚も用意したから何枚ぶち抜かれたかはわからないが。
ズガガガァン! とけたたましい、水が遺跡を暴れまわる音が鳴り響く。遺跡の事ろくに考えてない!
俺らの文化財を破壊してはいけないという配慮は何だったのか。…、って吐いたばっかりなのに突進か! よくやる。だが、速度はそこまでじゃないな。
俺と四季は水流が通過したところを泳いで上方に避難。その直後、俺らの真下をシュガーがかなりの速さで通過。
そのあおりを受け、俺らは吹き飛ばされ、天井に叩きつけられそうになる。が、なんとか受け身を取った! 手が痛いが…。回復で何とかなる!
デカいからあいつの正確な速度がわからないな…! って、また!?
俺ら目がけて再度突撃をかましてくるシュガー。速度はさっきと同じっぽい。だが、これは避けきれない。さっきよりもシュガーに近く、天井に近い。逃げるなら横か下だが…、どう考えても避けるための時間が足りない!
「習君!」
「ああ、わかってる!」
「「『『壁』』」」
一瞬しか時間を稼げないだろうが…、それでも直撃よりはマシ。それにひょっとしたら…ひょっとしたら回避しきれるかもしれない!
さらに『身体強化』を重ねておく。これで直撃したとしても多少はマシになるだろ! 後は…、即死しないように祈りながら泳ごう。
グシャッ!
予想通り壁は圧倒的質量の前に悠々と砕かれた。だが…、その一瞬がありがたい! これならシュガーの巨体は俺らの真上を……、あ。ダメだ。
俺らの目の前には、キラキラと光を反射する透き通った氷が。
ああ…。シュガーは凍り付いた体をもろともせず、体当たりをかましてきた。そして、氷が砕けているのは壁に激突したことのあるシュガーの顔の部分だけ。
では、真下は? 答えは簡単。それが俺らの眼前の氷。凍ったまま。
そう、俺らの『アイスランス』は衝撃にも耐え、忠実にも俺らの最初の意図…、シュガー凍結を実行している。この距離では…、魔法を使うのは間に合わないな。
俺らの眼前に迫った氷。せめてもの抵抗と、俺と四季でそれぞれシャイツァーを取り出して、氷に向かって突き出す!
バリン! という甲高い音を響かせて氷は砕け散る。だが、氷は砕け散ったが、俺らも無事ではすまない。当然だ。これだけの巨体を持つシュガー。
それがなかなかの速度で移動しているんだ。いかに魔法があるとはいえ、わずか二人で止められるものじゃない。
弾き飛ばされ、床に叩きつけられる。
うぇっ…。痛いなぁ…! 悲鳴すら出なかった。それほどのまでの圧倒的な衝撃。突き出した腕は粉砕骨折か? それに、体の骨も何本か逝ってるなこれ…。まぁ、回復できるけど…。何にせよ痛い。後、
「「ペッ!」」
俺も四季も同時に口から血を吐き出す。
「「『『回復』』」」
緑の光が俺らを包み込む。よし、痛みは取れた。だが…、
「魔力消費が…!」
「今クラスのを3回受けると軽く紙が消し飛ぶぞ…!」
「ただの体当たりですのに…!」
「しかも、氷の部分。当たる直前で粉砕したからおそらくそこまでの威力はないよ」
つまりシュガー本体の体当たりは、これ以上。ぞっとするな…!
「またブレスです!」
「嘘でしょ!?」
「事実です!」
だよねぇ…こんなところで冗談言っても世話ないし。なんて考えていると、体がシュガーの方へ引き寄せられる。
「接近する!」
「了解です!近すぎますものね!」
接近する理由は四季の言う通り、先ほどに比べて、シュガーとの距離が近すぎる。この一点にある。体当たりで吹き飛ばされたからな…。
だから、奴の懐に入って回避することを選ぶ。ネックは溜め時間だが…、この距離であれば、十分間に合うだろ。
俺らは流れに乗ってシュガーに近づく。余りに勢いよく突っ込みすぎるとブレスが云々とか関係なしに、喰われて終わる。逆に遅すぎると間に合わない。タイミングが大事だ。
何でこういうシビアなタイミングを計る能力を要求されるんだろうな…。
流れに乗っていれば、シュガーの大口が迫ってくる。口の中まで黒と白。少しだけ怖いが……、これくらいで怖気づいてしまうようならば、俺らは既にここにはいない。
シュガーにまだ少しだけ刺さっている触媒魔法の『アイスランス』の冷気がじかに感じ取れる距離まで接近してきた。タイミングとしては今だろう。
勢いよく振りかぶって、全身全霊、奴の口目がけシャイツァーを投げる!
投げることによって、俺らの体はほんのわずかにだが上に浮き上がる。だが、この流れから脱するにはそれが喉から手が出るほど欲しい!
シュガーの上顎を掴んで、そこを支点に力をかけ、飛び上がるように奴の上方に躍り出る! ん? 寒さがマシになった…?
「あ。触媒魔法の『アイスランス』が砕けてますよ!」
「さすがに砕け散ったか。ということは、『アイスランス』はほぼ無駄撃ちだったか!」
「ですが、これでいいのでは?水温を下げる最大の要因がなくなったわけですし」
「まぁ、そうだけど、無駄撃ちという事実の慰めにならないね」
「では、そのやるせなさを盛大にぶつけましょう」
…そうするか。まぁ、もとよりこの後とる行動が決まっていたのだが、二人ともわざわざ口に出さない。
「いくよ!口を閉じてろ!」
「合わせます!」
俺らの手にシャイツァーが戻ってきている。口にぶん投げたのは効果があったのだろうか? まぁ、いい。今は…、
「「でぇい!」」
声を出しながらシャイツァーで勢いよく上から下へシュガーを殴りつける!
「「硬い!」」
「シャイツァーで殴ったのに、少し削れた程度か!」
「体表に魔法を撃つ限り、純物理攻撃は効果なしと見たほうが良いかと!」
「めんどくさいなこいつ!」
後、口も閉じない! 揺らぎすらしない! 安定感ありすぎだろこいつ…!
カパァ
シュガーが口を一度閉じて開いた音。この位置ならおそらく大丈夫だろうが…!
等と考えているうちに2回目のブレス。今度は何にも遮られることなく部屋を縦断し最奥の壁と激突。ズガガガッ! と壁を破壊する音が鳴り響く。
少しだけ発射の余波で上に飛ばされたが…それだけだ。この行動は…!
「またかよ!四季!」
「はい!」
突進の構え。急いで天井スレスレへ退避。体の上部の氷は…。まだ融けてない! 融けていればよかったものを…!
「砕く!」
「はい!」
「「『『ロックランス』』」」
先ほどは紙を取り出す時間すら与えてくれなかったが…。今回はその時間は十分にある! 距離は前より近いけど。
岩の槍が氷を破砕。それと同時にシュガーがそれに構うことなく動き出し、再び部屋を横断。あたらなかった。当たらなかったが…、
「自分の攻撃を自分で砕かないといけないのは少し悔しいですね…!」
「ああ。自分のやったことを自分で無に帰さねばならないからな!」
全く効率的な…。自分に害のない攻撃は放置。支障の出る部分だけ確実に無効化。その上でそれを攻撃に利用する…。
ここから導き出される結論。それは…。
「全然こいつ甘くないな…!」
「シュガーという名前なのですがね!」
「くだらないこと言っているんじゃない!}とばかりに再度突っ込んでくるシュガー。ただし、ガリガリガリィ! と殺意に溢れた音付きだ
「え。ちょっと待って。そんなのありか!?」
「アリみたいですね!厄介この上ないですが!」」
天井もろとも俺らを破壊せんとばかりに、天井に体をこすりつけながら突撃してくるシュガー。こいつ…、ついに確実に息の根を止めにきたか…!
こいつに背びれなんてない。だから天井部分との隙間はなく、ぴっちりと詰まってる。だが、それだけで俺らの逃げ場を防げたわけじゃない。上が防がれただけだ。驚いたが、まだ避ける手段はある。
四季も俺も横に泳いで逃げればいい。……ん? 何故そこで体を捻る?
「この動作は不味いです!ヒレが…!」
「ムナビレか…!」
凍ったムナビレで殴って来る気かこいつ!? 回避されることは予想の上で、殴って来るのか!? 流石にそれは、予想外だぞ!? 凍ったせいで動かせない、もしくは動かしにくいと思っていたから無警戒だった…!
絶対間に合わない! また覚悟決めなきゃいけないな…!
再び四季と俺がシャイツァーを振るう。だが、シュガーは俺らの行動をまるで意に介すことなく動作を続ける。
ヒレが俺らを上から下に薙ぐ。俺らのシャイツァーによる一撃は確かに、氷は砕いた。だが、だから何だという話。そのわずかにコンマ数秒後、体が吹き飛ばされ、床に叩きつけられる。
グエッ…。体中の空気を全て一瞬で体外に排出するような衝撃だ…。ああ、やっぱり骨が折れてるな。内出血もしてる。生きててよかった。
「「『『回復』』」」
痛みが取れた。だが、今みたいな…、文字通り体を削る脳筋突撃をすれば確実にシュガー本体にもダメージが入っているはずだ。明らかに俺らのモノではない量、質の血が流れてるからな…!
その時、部屋が発光する。何だ!?
「習君!これは、後ろからです!」
後ろ!?
声に振り返ると先ほどから既に、2回ほどあの超質量の直撃を受けているはずの壁が無傷で存在していて…、なおかつ光っている。あたかも壁の模様が夜空に瞬く星のように。
まさか…! 体を翻し、シュガーを見る。
「なっ…」
「どうしました!?ッ…!?」
二人そろってシュガーを見て、絶句した。
そこには確かにシュガーがいた。ただし、ゴリゴリと自ら削ったはずの体表の傷を無に帰して。
「ハハッ…。マジかよ…」
目の前の現実に思わず引きつった声が出る。
「マジで名前、あってないな…!」
「全く甘くないですからね…。むしろ苦いですね…」
ここにアイリがいれば、「…勝手に二人がつけた名前でしょ」と言われるだろう会話を交わしているのは、
余裕だからではなく、むしろ逆。一種の現実逃避だ。