94話 イークッティヌ
眼前には黒く焼け焦げた木片が散乱しており、少し視線をずらせば、家の土台らしき部分があり、そこにわずかながらに木の部品が残っている。
それ故に、その木材がもとは家の一部であったと明らかになって、何とも言えない寂寥感をもたらしてくる。
先ほどまでは木々に覆い隠され全く見ることのできなかった黒々とした煙。それが天高く濛々と立ち上る。『獣人化』のためだろうか、『身体強化』は行っていないにも関わらず、その臭いが鼻につく。
そして、少ないながらも、強烈な紅色によって嫌でも目に入る血しぶきと肉片。
まさに地獄である。思わず子供達の目を抑えようかと思ったが、それはよくない気がしたからやめた。……アイリだけは既に見慣れているだろうが。
俺達が立ち止まっていると「何を呆然としている。本当の戦争はこんなものではない」と嘲笑うかのような風が、頬を撫でて臭いを攫って行った。それに呼び覚まされたのかまだ息のあった火種が俄かに「まだ燃やしたりない。こんなものではない」と主張するように朱く明滅した。
それを踏みつけて消すと、再び嫌な臭いがあたりを覆う。
そんな場所の奥…、煌々と燃えさかる紅蓮の中。そこに、まだ燃えておらず無事な街並みが見える。だがそれは今にも戦火に呑みこまれて消えそうだ。
間違いない。あそこが主戦場だ。
「かなり押し込まれています…かね?」
「かもね。木が倒れたぐらいじゃあ、あいつらが警戒することはあっても、攻勢中止とまではいかなそうだ」
「ですね。偵察ぐらいなら来そうですけど…」
「だね。その程度、どうとでもなる」
「一応、強いですからねぇ…。それはさておき」
四季はガロウとレイコを見る。ああ。そうだね。
「二人はどうしますか?」
「というより、どうして欲しい?」
行きつく先を決めてもらわねばならない。だけども、張本人たる二人は面食らったような表情をしている。何故だ。
その分、アイリの微笑ましいものを見る目と、カレンの無邪気な目が際立つ。
「どうして俺らに聞くんだ?」
俺らの真意を理解できなかったのだろう、おずおずと切り出してくるガロウ。
「え?だって、二人が決めるべきだろう?」
同意を求めるように四季を見ると、彼女は力強く頷いた。ガロウとレイコはますます困惑するような顔になった。
どうしようかね。説明すると長くなりそうで嫌なんだよね。動くなら早いほうがいい。
「完全に私達に任せてくださるのですか?」
俺達のそんな考えが通じたのか、レイコはまっすぐな、それでいて不純物の一切ない泉の水のように澄んだ目でこちらを見る。
「ああ」
「私達に出来る範囲であれば」
だから俺達も、その目に対する答えとして相応の態度で、誠実に答えを返す。
「でしたら、皆様を助けてあげてください!」
「俺も、出来たらそうして欲しい…かな?」
レイコは俺達の言葉を聞くと、即座に一点の躊躇もなく言い切った。ガロウも最後こそ尻すぼみ感があったが、本心だろう。
了解した。一番面倒くさいが、やれるだけやってみようか。それに、二人がその選択をしたことはやはり嬉しい。
「じゃあ、アイリ。行くよ。カレンは二人の護衛を任せた」
「いくらセンのバリアがあると言っても不安ですからね…。カレンちゃん。ちゃんと二人を守ってくださいよ」
「殺さないようにな。できるだけ」
「任せてー!」
カレンはトンと胸を叩いて言う。何故だか心配する気持ちが増大した。
「お父様とお母様に任せっきりになるのは心苦しいのですが…、お願いいたします」
「俺からも頼む」
「任せろ」
「任せてください」
「…じゃあ、出るよ。カレン。本当に頼むよ?」
「わかってるー!」
なぜかますます不安が増大した。
「二人とも、雷の触媒魔法はクールタイムで使えないから。後、水は消火に使いたいからダメ」
「ですが、それ以外は万が一の時は使ってくださっても構いません」
「というか、使え」
反論は聞かない。二人が口を開くよりも早く、センが足を踏み出す。二人が出した声は馬車が風を切る音に遮られた。
これくらいやっておけば大丈夫…、だよな。
「使わなくても大丈夫!どうせ敵なんて来ない!」的なフラグを立てて欲しくなかったから、こんな感じのぶった切るような出発になってしまったけど…。
「…大丈夫。気持ちは伝わってるはず」
馬車はさっきよりは速度控えめだ。だからだろう、アイリは普通に言葉を紡いだ。
遅い理由は味方をはねたら笑えないから。それと、偵察部隊がいるなら潰しておきたいから。後者はカレンの仕事を潰すことになるが…。まぁ、いいだろう。
「そうかな…」
「…きっとそう。流石に、十全には伝わらないだろうけどね」
アイリは悪戯をするような目で俺達の目を見つめる。これは…、あれだろうか。狐につままれたような気持ちと言うのだろうか? 文字通り今、アイリは狐だが…。
って、本題からずれる! まさか…、この子俺らの本心を読んでいる!? 洞察力もあって、経験も|残り3人《カレン、レイコ、ガロウ》よりもあるとは思ってはいたが…、まさかそこまで!?
「…んー。違うと思うよ。わたしだってお父さんとお母さんが二人のことを考えていることしかわからないし」
「そうですか…」
「…そうだよ。例えば説明を端折ったのは、二人が助けて欲しがるのをわかってたからでしょ?それなら早いほうがいいし…」
「まぁ、そうだな。あの二人ならあれでも説明するよりも早く決断するだろうと思ってた」
「…でも、二人が少し嬉しそうな顔をした理由がよくわからない」
この子、何言ってんの!?
「…何で驚く…。ああ、なるほど。わかった。…二人の性格はだいたいわかってるから。皆は外道と言うかもしれないけど、わたしは好きだよ」
あれ、こんなこと前にもあったような…、なかったような…、デジャウ? ま、いいか。
「完全にバレていますね」
「仕方ないだろ。隠す気もないのだし」
どうあがこうが俺らの中の「完全な身内>>>(越えられない壁)>>>友人>>>(越えられない壁×10)>>>その他」という比重は変わらない。その他の扱いは自分達でもどうかと思うぐらいに酷い。
まぁ、それは兎も角、
「何がわからないの?」
ド外道だと思われていないのはわかったけど…。
「…二人が、レイコとガロウが人助けを選んだとかいう理由で喜んだりしないよね?……だから。だからこそ、その理由がわからない」
答えを聞いても、アイリの中の俺らの人物像がどうなっているのか不安。そんな気持ちは拭えなかった。まぁ、確かに言っていることはあってるんだけどさ…、何故断定する。
「今回は、助けられる人々が助けを求めているか私達には判断できない。という理由がありますよ。アイリちゃん」
「…ああ。そうだね。確かに」
助けを求めているのが明白ならば、助けたほうがいい。助けられるのなら。……強制はしない。
俺だって、助けようとしたら俺が生と死の瀬戸際を彷徨うのが明らか。そんな時に助けようとはしないもの。
逆に、助けを求めていないのに助けてしまうのは、余計なおせっかい。
獣人はどんな性格かわからないが…、彼らが名誉を重んじるならば、助けることはむしろ害にしかならない。誇りを失えば死んだも同然だ! というパターンならば、目も当てられない。文字通り心が死ぬ。この辺りは個人の感性、生き様だ。俺にとやかく言う権利はない。
「理由は簡単ですよ」
「だね。二人は一番手っ取り早い檻を壊す方法を選ばなかった」
「むしろ、檻を守る選択をしました。それが何となく私達は嬉しいのですよ」
アイリはオウムのように俺らの「檻」という単語を復唱すると可愛らしく、「あ」と声をあげた。気づいたね。
「…檻って、獣人の事だね」
「「正解」」
ふふん。という擬音が付随しそうなほどの、見事なドヤ顔を見せるアイリ。これ、全部察したね。尻尾もぶんぶん揺れているし。よし。撫でよう。
割と自分でもぶっ飛んだ思考だとは思うが、アイリは俺と四季の間にスポンと納まると少し脱力して気持ちよさそうに目を閉じて、耳をぴくぴく動かす。
「わかってるだろうけど、説明しよう。この戌群。言い方は悪いがレイコにとっての檻だ」
「何せ、神と崇められるのですからね…。これまでの生活を聞く限り不自由しているのは明らかです」
「あの子たちは自由を望んでいた」
「それは間違いないはずなのです。でなければ、憧れていたとはいえ私達のことを父母と呼びませんよ」
「…そうかな?」
撫でられていたアイリが突然声を出した。あれ? …あ。この子も特殊例だったわ。
孤児で、命令で父母呼びしていたんだし。今は本心から言ってくれているみたいだけど。ただ、依存が怖いのだが…。とりあえず、それは今、脇に置こう。アイリの不思議そうな顔が極まってきた。
「一般的には」
「一般的にはです」
少し顔が引きつっていたけど、二人でほぼ同タイミングで弁明。結果は…!?
「…なるほど。わからない」
伝わってない。その上、驚くほどのすがすがしさで言い切った…。別に無理してわかることでもないと思うけど、こればかりはわかってもらえるほうがいいのではないだろうか。
「…とりあえず、檻の破壊…要するに、戌群殲滅を選ばなかったことが嬉しいの?」
「まぁ、そうなるな」
「殲滅は出来なくもないですが…」
四季がポリポリと頬をかき、こちらを見てくる。
「安直すぎると思うんだ」
「それに、悲しいではありませんか。ひょっとしたらあの子たちの本当の父母がいるかもしれませんのに…」
「…なるほど」
「流石に俺達も何もしてない…、わけではないか」
「レイコとガロウを閉じ込めている形にはなっているわけですしね」
「まぁ、極悪人というわけでもない人を殺すのは嫌だ」
明確に害意があるわけでもないし。レイコの立場は王族とかのソレと同じと言われれば、それまでだ。
「…ふぅん。わたしはもう二人を選ぶって決めてるから。別にいいけど」
物騒だな!? 選ばれたのは嬉しいけど、思考ぶっ飛びすぎだ…。どう考えても、今、「(故郷を滅ぼされても)別にいい」というニュアンスだったぞ!?
アイリはきょとんとした目でこちらを見つめる。可愛い。どうでもいいか…、この子が幸せなら。
「ま、あの二人が全部終わってから檻から出ることを望むなら、破壊以外の…、別の角度からやればいいしな」
「一応、今の私達は力 (物理)と、力 (権力)の二つがありますしね」
「どうとでもできるさ」
「…二人なら出来る。…そろそろ剣戟の音が聞こえてきているから警戒してね」
言われなくともわかってる。さっき真面目な仮面が剥がれ落ちたが。
内部にまで侵入してきたからか、周辺の雰囲気が変わった。
まず、炎に近づいた。臭いと町並みも。日本の城下町のように迷わせ、奇襲できるよう、馬で速度を出させないように。そんな思想の元、整然とT字、直角、それに行き止まり…、それらが複雑に組み合わさったような道の跡に変わった。
…そう、跡だ。だから、それらはもはや役目を失っている。
道はそこに道として存在している。…が、戦いが激しかったためか、道を挟んで立ってたであろう家々が既に亡く、寧ろその瓦礫が道を塞いでいる。
だからと言ってセンで根こそぎ破壊し突き進むわけにもいかない。まだ生きている人がいたら殺してしまう。それはガロウやレイコとの約束に反する。
『身体強化』、それに『獣人化』を併用。聴覚と視覚を研ぎ澄ませ、生者の息遣いを拾い、目ざとく生者も死者も発見しそれらを回避。その上で露骨に増えたまだ元気な火の息の根を止める。
「…生きてる人は?」
「後だ。回復はするが…」
「一人一人助けて周るよりもこの火を消し止め、戦いを終わらせる方が犠牲者は少なく済みます」
「…だね。でも、後でお父さんとお母さんが悪し様に言われないようにわたしはここで降りて助けておくよ」
そんな殊勝なことを宣うアイリ。最後までついてくるもんだと思ってたのだが…。
「いいのか?」
「…うん。その方が二人の役に立てそうだしね。戦闘に関してわたしは心配いらないし、最適でしょ?…二人は二人の為すべきことをお願い」
この子なりに考えた結果のようだ。なら…、
「わかった」
「任せてください」
「…ん。『回復』の紙使わせてもらうけどね。…通り道の人の心配は要らないよ」
アイリは悪戯をしようとする子供のようにかわいらしく舌を見せると、すぐさま、飛び切りの笑顔に。俺達から視線を外すと、一瞬で真面目な顔になって馬車から飛び降り、鎌を振るう。
その一撃で家一件分の瓦礫を吹き飛ばし、その下にいた怪我人を救助した。
御者台にたった二人。乗組員が減った馬車は、変わらず炎に向けて突き進む。アイリと別れてわずか数分。ようやく紅蓮が間近に迫ってきた。炎が大きすぎて近づけている気がしなかったが、ようやくだ。
「馬車はどうします?」
「おいていくしかないだろ。さすがに耐火性能がない」
「ですね。セン。お願いしますよ」
「ブルルン」
「任された」センは得意げに鳴いた。この子も不安だ…。だが、なるようになるか。
「行くよ」
「はい。行きましょう」
二 人で炎の中へ駆け出す。やっぱり足場が悪い! それに熱い!
「思ったよりはマシですが、熱いですね」
「『獣人化』しているおかげで皮膚が強くなっているのかも」
「服の性能がいいからでしょうか」
「かもね。戦闘服だし」
「可愛げはないですけどね!」
「戦闘服にそんなもの求めてどうするの…」
「え?それは…」
顔を赤らめて露骨に顔を逸らす四季。
…俺がいるから? 好きな人のそばで云々とか言う、アレ? ……もしそうなら嬉しい。けど、今はそういう場面ではない。
俺が考えるために視線を外しているうちに四季の表情も既に戻っていた。少し残念だがそれでいい。
火の海を走ること少し、ようやく戦場。この炎の中まともに両者が戦えている時点ですごい。気管や食道までも熱に強いのだろうか?
…それを言うなら俺らにもブーメランが返って来るか。普通なら既に倒れ伏している状況だろうから。
「どう声をかけます?」
「どうって…、決まってるでしょ」
俺が四季にほほ笑むと、四季も頷いた。タイミングよく戦っている両陣営から誰何が飛んでくる。
ならばこう答えよう。変な勘違いをされぬように。
「「俺 (私)達は、レーコの両親だ!」」
「「「はぁ!?」」」
知ってた。俺達の唐突な宣言にその場にいた獣人全員が凍り付く。その中で炎だけは「知ったことではない」とばかりに燃え盛っている。……こちらとしてはどちらが潰して構わないほうなのか。この火は消していいものなのかを決めたいのだが。
「お前は、何を言っている?レーコ様は我らの神で…。」
「違います。私達の子供です。」
「は?お前が腹を痛めて産んだのか?」
「違います。」
「「「はぁ?」」」
対立しているはずなのに息ぴったりだ。四季の真面目な顔と獣人の顎のはずれそうな顔の対比に笑いそうになる。
「おい。そこの。この頭のおかしい…、」
「ア゛ァ゛?」
「頭がおかしくなりそうなほど綺麗な女の旦那っぽいやつ」
「俺ですか?」
「「「格差」」」
気のせいだ。
あれ? 四季が少し照れているのか、頬が朱に染まっているように見える。うん、きっと炎のせいだ。彼女の性格的に、どう考えてもお世辞とわかる綺麗と言われたから照れているのではないな。遠回しに俺の嫁と言われたから照れているんじゃないだろうか? 自画自賛みたいだな…。
「おい。お前の嫁が言っているのは本当か?」
「そうですよ。彼女は俺達の娘です」
「血縁は…?」
「「ないですよ」」
「何故だ!何故そんなことを言える!」
五月蠅いな…。この人はハールラインの方か?
「血縁よりも大事なものがあるでしょう」
「私達はそれを優先します。ところで、私達からも質問いいでしょうか?」
「「ぬぁっ!?」」
変な声をあげなくても…。ひょっとして厚顔無恥だとか思われているんだろうか。
「構わない。ただし、すぐに済ませろ」
「かしこまりました。数秒ですみます」
怖がらせようとしているのかハイエナっぽい人は高圧的だ。その程度でひるまないが。
軽く咳払いして、これまでのやり取りで完全にオフになったスイッチを切り替える。できるだけ笑顔を意識して…。
「ハールラインとかいう舐めた野郎はどこにいますか?」
「それを踏みつぶすのを我々もお手伝いしても?」
……………あれ? 反応なし? えぇ…、ないわ…。気合がそげる…。
「ハールラインはどこにいます?」
「返事がなければ問答無用で踏みつぶしますけど?」
「し…知らない!」
答えてくれた狸のような獣人さんのお仲間っぽい人たちをぐるっと見渡すと、みんな一様に首を横に振る。
「貴方たちは?」
「い…、言えるわけがないだろう!?なぁ!」
ハイエナっぽい獣人に話を振られた獣人達は皆一様に首を縦に振った。
ふぅん…。敵はハイエナの組か。態度でだいたい察していたけど。
「そこの貴方」
声をかけるとビクリと体を震わせる狸人。俺達が声を出しただけで震えている人もいるな…。まぁいい。
「我々も、一派の処分に加わっても?」
「え!?ああ。大丈夫だ」
言質はとった。では…。
「娘の敵は俺らの敵だ」
「殺しはしませんが慈悲は期待なさらぬよう」
レイコとガロウとの約束は守る。だが、個人的に二人を利用しようという魂胆が気に入らない。その分をこいつらにぶつけても構わないだろう。
無事においておいても、どうせ余計なことをしでかすだろうし。