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言わないで

作者: 久田 六花

登場人物にはあえて名前をつけていません。

 夏を告げるクチナシの甘い匂いが漂い始めた頃、終戦を告げる知らせと共にソレは届いた。

 さぁさぁと降る雨の中、柩が運ばれていく。成人男性一人が入れる大きさのそれの中に眠る人は居ない。遠い異国の地で眠っており、彼の思い出だけが詰められていた。

 名誉ある死だと誰かが女に言った。その言葉は女の胸には響かなかった、名誉というのなら生きているものだって評価されているのだから嬉しいものではない。

 黒いドレスを着た女は、黙って柩に土がかけられるのを見ていた。どこかスクリーンに映し出された映画を見えいるような遠い目をしていた。



 死んだ男は何も女に残せなかった。天涯孤独であった女と男の婚約は口約束のものであり、きちんとした書類のない婚約者には恩給は払われることはなかった。

 長い長い間、男を待ち続けていた女は待ち疲れてしまった。そのせいで、彼女は自分に忍び寄る病魔の手から逃げることが出来なかった。




 数年後、女は病院に居た。男の元部下達がお金を出し合って、彼女の入院費を賄ってくれたからだ。

 男はとても慕われていた。女のところに時折部下たちはやってきて、思い出話を聞かせてくれる。それを女は微笑んで黙って聴いていた。


「私は貴女に言わなければいけないことがある」


 1人の軍人がやって来て女に言った。悲痛な顔をした軍人には見覚えがあった、男の元部下だ。葬式の時にも同じ顔をしていた。

 ピカピカの勲章が輝く、制服の細部は異なっていたが男が着ていたものとよく似ていた。


「昇進したんですね」


 すっかり弱りきった女は静かな声で訪ねた。そう、この制服は男と同じ階級の者が身に付けている。


「隊長の後任になりました」


「おめでとうございます」


 言いにくそうに軍人は答え、女は素直に祝った。


「隊長の死因は……」


 苦虫を噛み締めたような顔をしながら意を決して話そうとした軍人を女は止めた。その目は、ギラギラしていて死が近い人間の目とは思えないほど力強いものだ。


「あの人の死因についてなんて聞きたくありません。書類に載っていました、背中からの傷が原因による出血死だと。あの人はとても強くて慎重でした、背中から襲われるなんてヘマをするような人ではないでしょう」


 小さく女は咳をした。それでも淡々と軍人に語りかける。


「だから、何となく彼の死の原因は予想が付きます。でも、私は聞きたくないのです。答え合わせなどとんでもない」


「何故でしょうか?」


「もし私の仮説が正しければ、きっと庇われた人は謝るでしょう。自分のせいでと。そしたら私、恨まなくちゃいけない。恨まずにはいられない。今はまだ疑惑のまま、曖昧のままなら誰も恨まずに済む。私は、恨みという激しい感情で苦しみたくないのです」


 軍人は黙ったまま立っていた。換気用に開けられた窓から風入り込み、レースのカーテンを膨らませる。


「罪悪感を抱えているのならどうかそのままで。よく恨まれたいからと罪の告白をする人が居ますが、そんなのこちらからしたら辛いことが増えるだけ。結局、自分の苦しさを押し付けたいだけですよ」


「私の命は残りわずかです。私は私の平穏をとります」


「だから、何も言わずに何もここを出て行ってください。もし、謝罪をしたいという人が居るのなら告白させないのが私の復讐です」


 枯れ木のように細くなった女の手には銀色のものが握られていた。軍人にとってよく見慣れた認証票だ。




「私が恨んでいるのは1人だけよ」


 女はぽつりと軍人の出て行った病室で呟いた。がらんとした部屋には必要最低限の物しかない。


「守れない約束なんてしないでよ……」


 あの日、いってらっしゃいと男が出かける時に女は言った。男はいつもの笑顔を浮かべていってきますと返した。

 あのやりとりは、無事に帰ってきますという約束なのに男は帰ってこなかった。


「嘘つき」


 風が男の好きだったクチナシの花の香りを運んでくる。嗚呼、夏が来たのだ。


「……それでも、好きなのよ」


 固く握っていた認識票がするりと手から滑り、床へと落ちて乾いた音を立てる。

 陽の光に照らされたソレには細かな傷が付いていて鈍く光を放っていた。


作品背景

よく恨んで欲しくて自分が悪かったと告白する作品がありますが、何も言わない(言わせない)という選択肢もあるよねという考えから書いた作品。


クチナシ

個人的に初夏と切なさのイメージがクチナシだったので選んでみました。

花言葉は「とても幸せです」「喜びを運ぶ」「洗練」「優雅」この作品を書き上げた後に調べて知りました。


文章

あえて単調的な書き方にしております。

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