文化祭準備2
愛実は見事な理由を考えてくれ、無事王子コンは許可が下りた。将生が愛実に感謝の意を述べると、
「実は勝算があったんだ。校長以下、教師陣にもハル姫ファンが多いのは知っていたからな」
と種明かしをしてくれた。
それからも、分からないことや困ったことがあれば、愛実を頼った。コンテスト参加者募集のポスター貼り出し許可、ハル姫の衣装や小道具の斡旋、具体的内容の実現可能範囲等々・・・。
愛実はその度に、最短で最適な道筋を示してくれる。できないことは却下されるが、代案を一緒に考えてくれる。
(いわゆる理想の上司ってこんな感じかな)
将生はそんな風に感じるのだった。
夏休み中はさすがに、将生も塾の夏期講習を受けるなど、受験生っぽいことを少しはしたのだが、二学期に入ると数週間後に体育祭があり、その後は文化祭モード全開だった。
ある日、委員会室を訪ねると、いつものように愛実が書類に目を通していた。
「将生殿、どうした?」
「あ、今日はこれを提出しに」
パンフレットの原稿を出す。愛実は、赤ペンを持って作業している。
「委員長は何を?」
「明日使う会議資料なんだが、チェックが終わらなくてな。このあと印刷して綴じ込みだ」
「・・・って、一人で?」
綴じ込み作業は普通、数人で行っている。一人でできなくもないだろうが、時間はかかるだろう。
「私のせいで印刷が遅れてしまったからな。副委員長たちには帰ってもらった」
「俺、手伝うよ」
「いや、これは私の責任だから・・・」
(あーもー、真面目なんだから・・・)
半ば呆れながらも、将生は助け舟を出す。
「いいの、俺がやりたいの。それに、いっつも相談に乗ってもらってるからね。相談料ってことで」
茶化して言うと、愛実も受け入れてくれた。
「すまんな。では、もう少しでチェックが終わるから、少し待っていてくれ」
将生は外を見ているふりをしながら、真剣な顔で原稿を見る愛実の顔をそっと見る。
(2年以上も前か・・・)
初めて愛実を知った日のことを、将生は思い出していた。
それは、入学間もない高校一年生の1学期だった。
休み明けの月曜日、将生はいつもより少し早く学校に着いた。まだ生徒はまばらにしかいない。しまった早すぎたもうひと眠りするんだった、と思っていると、廊下に生徒がたまっていた。何かと見てみると、人々の視線の先・・・床に、何かが落ちている。
スズメだった。
すでに力尽き、ピクリとも動かない。
どこからか迷い込み、出られなくなってそのまま死んでしまったのだろう。そのままにしておくわけにもいかず、誰かが教師を呼びに行った。
その時、生徒たちの間から、一人の女子生徒がすっと一歩前に出た。
小柄で、眼鏡をかけた女子生徒は、毅然とした態度でスズメの方に歩いていくと、両手でそっとそれを拾い上げ、歩いていった。
数歩進んだ後、くるりと振り向き、
「野鳥は何か病気をもっているかもしれない。すまないが、この子がいたところを消毒しておいてくれないか」
と言って、またすたすたと歩いていった。
そこにいた生徒たちは呆気にとられ、動けずにいた。誰かが言った。「あれ、入学式で代表だったやつじゃね?」「素手ってスゲーな」
将生もその言葉を聞いて、入学式のことを思い出した。
演台でほとんど見えなかったけれど、新入生とは思えないほど堂々と挨拶していた同級生のことを。
そんな彼女は、死んだスズメを持ってどこに行ったのだろう。
気が付くと、将生はその女子生徒を追っていた。
裏庭で土だらけの手を合わせている女子生徒。
どうやら、スズメの墓を作っていたらしい。近くに土だらけの棒や石が置いてある。
「かわいそうに・・・」
小さい声が聞こえる。どうやらスズメに語り掛けているらしい。
「閉じ込められて死ぬなんて、つらかっただろう。せめて空が見えるここで、成仏してくれ」
将生は近付かなかった。彼女の世界に土足で入るような気がして、近付けなかったのだ。
しばらくすると、女子生徒は立って手の土を簡単に払い、教室の方へ歩いていった。
将生は、女子生徒が行ってしまってから、スズメの墓を見た。
近くに咲いていたのであろう、名も知らない花が添えられていた。
後から、彼女が木本愛実という名だと知る。
将生が愛実を何となく気にするようになったのは、これ以降のことである。
「終わったぞ、将生殿」
愛実の声に、将生ははっと意識を戻す。
(危ない危ない、ぼんやりしすぎた)
2人は印刷室で資料を印刷し、委員会室に持ってきて綴じ込みをした。
ぱちんぱちん・・・ぱちんぱちん・・・。
ステープラーの音だけが委員会室に響く。
「ねー委員長」
「何だ?」
「単純作業って嫌いじゃないんだけど、口が暇だから喋っていい?」
「別に構わないぞ」
手は止めないようにして、将生は聞きたかったことをこれ幸いと聞いてみる。
「なんで委員長ってそんな喋り方なの?」
「私個人の話か・・・。まあ別にいいが。これは、幼少の頃の時代劇ごっこに由来している」
「時代劇?」
(小さいころに時代劇ごっこって・・・あ、チャンバラとかなら俺もやったか)
愛実も手を動かしながら答える。
「祖父が時代劇好きでな。よく一緒に見ていたんだ。その口真似をしたら、大層喜んだ。それ以降、日常でも使っていたら、戻らなくなってしまった。まあ、使っているうちにだいぶ現代語になっては来たがな」
「じゃあ殿っていうのも」
愛実はうなずく。
「同じ由来だ」
「へー。じゃあ、なんで文化祭実行委員長になりたかったの?」
「なんだ、今日は私への質問ばかりだな」
「だってこれはお喋りだから。日常会話だよ、委員長」
「そういうものなのか?」
不思議そうに言いながらも、愛実は答える。
「そうだな・・・。私は、祭りが好きなんだ。皆で力を合わせる一体感、喜ぶ客の顔、作り上げたときの達成感・・・。自分の手で生み出したものを、誰かが喜んでくれると嬉しいからな。文化祭なら、それができると思った」
「あ、それは分かる。俺の場合は自分が楽しむことが前提だけど、それを人が喜んでくれたらもっと嬉しいもんね」
将生が同調すると、愛実も少し笑った。
「私だって、自分がいいと思ったものしか許可してないぞ」
「そうなの?」
「そうだ。これも公私混同というのだろうな」
愛実はいたずらっぽく笑うと、すぐに表情を戻し、「これで最後だな」と言って、資料を重ねた。
今の顔をもっと見ていたかったと将生は思うのだった。
結局夕暮れになるまで作業をしてしまった。
将生は自転車通学、愛実は電車通学だ。将生は自転車を押して、一緒に駅まで向かう。
2人は身長差が20cmほどあるので、伸びる影の長さも大きく違っていた。
「先に帰ってくれて構わないぞ」
「いいのいいの。どうせ駅の方通るんだから。薄暗くなってくるし、危ないっしょ、女の子なんだから」
将生が軽く言うと、愛実は小さな声で「かたじけない」と言った。いつも愛実は人の目をまっすぐに見て話すのに、珍しいことだと将生は考える。実は愛実は、めったにない女の子扱いに照れていたのだが、将生はそうとは気づかない。
特にこれと言った会話もなく、二人は歩いていく。
将生は、前を歩いているのが高校生カップルだと気付いた。2人は付き合いたてなのか、初々しく手を繋いでいる。
そんな2人を見て、少し苦い思いが心に浮かぶ。
(どうして分かるのかな・・・)
「何がだ?」
突然、愛実に声をかけられ、将生はびくっとした。
「え?俺?え?」
「今、言っていただろう。『どうして分かるのか』と。何がだ?」
心の声を、実際に出していたらしい。うわこれはどう誤魔化そうかと将生は慌ててしまう。
愛実は、そんな彼をじっと見つめている。
(・・・聞いてみたい。委員長はどう答えてくれるんだろう)
今までだってさんざん相談してきた。その度に道を示してくれた。この疑問にも、答えをくれるかもしれない。
そんな期待から、将生はずっと心の底で思い悩んでいた疑問を彼女に打ち明けてみる気になった。
「好きって、何だろう?」
「え?」
突然の内容に、さすがの愛実もついてこれなかったらしい。将生は構わず続ける。
「恋愛の好きとそれ以外の好きって何が違うんだ?みんなどうして分かるんだろう?」
愛実は、黙って聞いている。
「俺の友人に、幼馴染のことがずっと好きなやつがいる。傍から見てもよく分かるぐらいなんだ。その幼馴染は、いいやつだと思う。性格いいし、元気だし。でも、普通っちゃ普通なんだ。どうしてその子を好きになったのか聞いてみたら、『俺にとっては特別なんだ』って言われたよ」
「・・・将生殿は、今まで他人と付き合ったことは?」
愛実に問われるままに答える。
「一度だけ。あっちから告って来て、付き合ったんだけど。俺が『好き』ってことをよく分かんなくて、気付いたら振られてた。その時は思ったけどね。『自分から告って来たくせに』って。でも今思うと、俺は全然変わらなかったんだ。付き合う前も後も。あっちにとっては、そりゃあしんどかったろうな」
でも将生は、いまだに分からないでいた。
「ね、委員長。好きって何だ?何が特別なんだ?どうしたら、特別な人って見つかるんだ?」
「そこじゃないか」
「・・・え?」
愛実の指摘に、将生はポカンとする。
「『見つける』んじゃないよ、将生殿。『なる』んだ。好きになって、その人が『特別な人になる』んだよ」
小さい子にものを教えるように、愛実は優しく言った。
「いつの間にか目で追っていたり、その人のことばかり考えていたり、その人とずっとずっと一緒にいたいと思ったり・・・そういうことが重なって、『好きだな』と思う。『好きな人』は『特別』なんだ。周りから見て、どんなに普通の人でもな」
「そう・・・なんだ」
断定的に言う愛実に、少し心がざわめく。愛実にも、そんな相手がいるのだろうか。
「ああ、そうらしいぞ」
「・・・らしい?」
「残念ながら、私もまだ未経験でな。よくわからん。今のは母の受け売りだ」
「お母さんの?」
将生は少しほっとしながら、話の続きを促す。
「そうだ。小さいころから、耳にタコができるくらい言われてきた。そしてこの後はこう続くんだ。『あなたのお父さんは、そりゃあどこにでもいるような普通の人だったけれど、私にとっては世界中でたった一人の特別な人なのよ』・・・こうなると止まらん。1、2時間はのろけが続く」
「へー。お父さんとお母さん、仲いいんだね」
将生のところも悪くはないが、そういった父と母の恋愛話など一度も聞いたことがない。
「よかったらしいな」
「・・・らしい?」
二度目の『らしい』に、将生の頭は、またはてなマークを浮かべた。
「父は、私が3歳の時に病気で亡くなっていてな。ほとんど記憶がないんだ」
突然の愛実の告白に、将生の方が戸惑ってしまう。
「あの・・・えっと・・・ごめん」
「謝る必要はないぞ。隠していることでもないし、幸いなことに特に生活に不自由はしていない。祖父母がよく私の世話を見てくれているしな」
愛実は気にしたそぶりもなく言う。
「うん、でも、やっぱり・・・ごめん。積極的に話したいことじゃないだろうから」
すると、愛実はふふっと笑った。
「やはり、将生殿は優しいな」
「え・・・?」
(やはりって・・・?)
「私が作ったスズメの墓に、手を合わせてくれたのは将生殿だけだったぞ」
「・・・知ってたの?」
「たまたま見かけたんだ。その時は名前を知らなかったが・・・。まさか、2年以上経って話すようになるとは思いもよらなかったぞ」
駅に着いたな、それじゃあ、と、愛実は改札口を抜ける。
将生も返事をした気がするが、何と言ったかは覚えていない。
自分が彼女を認識したあの日、彼女もまた、自分を認識していたのだ。
そして、それをずっと覚えていてくれた。
将生は、嬉しいような、気恥ずかしいような気持ちを抱えたまま、帰路についたのだった。