第三話
同じクラスだというのに全くというほど話したことがない。
何というか……。
いつも教室で本を読んでいたり窓の外を眺めていたり。
だけど授業中はしっかりと真面目にノートを取っている。
特筆するべき所は何と言っても僕の周りに集まらない数少ない女の子の一人だと言うことかな。
学校だとシャロンは僕の前の席を割り当てられている。
暇なときシャロンをぼーっと眺めているのはいつものことだ。
癖のないこの辺りでは珍しい黒髪が日差しを浴びてキラキラと輝くのは本当に美しいなぁって。
濡れ烏って言葉がぴったりだと思う。
ああ、一応説明しておくと濡れ烏って言うのは昔の日本では女性の髪の色を表したらしい。
日本女性の理想美で、少し青みを帯びた黒さを言うんだとか。
シャロンには本当にこの言葉がぴったりだ。
そしてそのシャロンは目の前の机でもくもくと文字を目で追っている。
黒髪も日光で玉虫のような美しさになっている。
すべてを忘れ何かに没頭しているその人の姿と言うのを僕は見たことがなかった。
僕の回りにいなかった、始めてみる人の姿。
そう思うと凄く興味が湧いてきた。
「シャロン」
声に反応した彼女はぴくり、と動くと僕を二つの茶色い目で見てきた。
「やあ」
そして僕は手をあげる。
それだけで普通の女の人なら黄色い声を上げるだろう。
でも
「…………………………」
シャロンは軽く会釈を返してきただけでまた本に目を戻してしまった。
「……………………」
ペラリと紙をめくるだけの音しかしない空間がまた蘇ってくる。
あげたままの状態で固まった手をわきわきと動かしてから降ろした。
虚しいねこれは……。
そして気まずい。
「ん、ごほん」
咳払いをして空気を一掃する。
僕は勝つよ負けない。
気を取り直し、思いきって彼女の対面の椅子に座ってみた。
「………………」
ちらり、と彼女の視線が上がるがそれも一瞬の事だった。
少し喜んだ僕がバカだったよ。
だがここで負けるわけにはいかない。
意を決して話しかけてみた。
「学校以外で会うなんてはじめてだね」
シャロンは眉ひとつ動かさない。
「………………」
口も動かさない。
無視、ということだろう。
ますます興味が湧いてきた。
「なんの本読んでるの?」
「………………」
追加攻撃を行う。
「難しそうだね」
「………………」
「…………えーっと」
「………………」
日差しの差し込む一角で沈黙が破られる。
片道通行のむなしい会話だが。
「シャロンはどういうのが好きなんだい?」
「………………」
「駅前に美味しいパスタのお店がね……」
「………………」
閉館時間になり、外がすっかり真っ暗になってしまうまで彼女は本から目をあげる事はなかった。
真っ暗になってしまった帰り道。
「夜でも暑いね」
「………………」
僕は隣を歩くシャロンに飽きずに話しかけていた。
もはや意地のようなものがあるよね。
ここまで話しかけても一言も返ってこないのには心底恐れ入ったよ。
でもこうなったら意地でもね。
言葉のキャッチボールを成功させたいって思うよね。
「シャロンはどの辺りに住んでいるんだい?」
「………………」
これくらいは教えてくれてもいいじゃないかと思う。
「僕はあっちの、分かる?」
遠くを指差してみる。
シャロンはちらっと僕の刺した指先を見たっきり。
口を開こうとすらしない。
「………………」
「結構図書館から距離あるんだね。
自転車とかはないのかい?」
「………………」
「それにしても一日中図書館にいるなんて本のことが大好きなんだね」
「………………」
ぴたり、とシャロンの足が止まった。
一つの小さな家の前。
夜だというのに暑い気温は下がる気配を見せない。
「ここがシャロンのお家か。
なんていうか、最近物騒だから。
うん女の子一人で遅くに出歩くのはやめた方がいいと思うよ。
出来れば六時前ぐらいには……」
「………………」
バタン。
家のドアが閉まり、その中に彼女は消えていった。
せめて手ぐらい振ってくれても……。
「はぁ……参ったなぁ」
電気がついた二階の窓。
シャロンの部屋があるのだろう。
何で僕はここまでついてきて家まで特定してしまったんだろうか。
「……………………うん」
帰ろう。
胸の中にじんわりと広がっていく敗北感を味わいつつ僕は帰路についた。
※
次の日、普通に学校が始まる。
「おはようみんな」
「いやん、セズクじゃない!
おっはよ!」
「おーセズク!
おはようおい聞けよなんで昨日来なかったんだよ!」
いつも通りの空気にいつも通りの世界。
僕が声をかければクラスの大半が挨拶を返してくれ、僕の回りに集まってくる。
だけど今日は少し違うことをしてみようと思う。
僕はシャロンの近くにいくと
「おはよう、シャロン」
と、言ってみた。
シャロンはビクッとしたように僕を見ると小さく会釈だけして手に持った本に戻っていく。
言葉こそ貰えなかったものの会釈をしてもらえた。
学校では基本話しかけないようにしよう。
挨拶ぐらいは違和感無しで出来ると思うが会話となるとそうはいかない。
なにより図書館で話しかけ、返事を貰わないことには意味が違ってくるように思うからね。
授業。
国語の時間。
「――であった」
初老の眼鏡をかけた先生が順番に教科書を読み上げさせていく。
「次は、そうだな。
ヴィルクリズ、読め」
透き通るような声。
眠気が迫っていた頭にするりと入ってくる。
シャロンの番だったらしい。
「そこで王は申し付けました。
常になぜ民が苦しみ―――」
きれいな声だ。
今まで何度も何度もシャロンのが読み上げているのを聞いてきた。
なぜ今さらそう思うのかは分からないけど。
「うむ、よく読めていた。
次は――」
シャロン、か。
変わった女の子なのかな。
むしろ、彼女の自然の姿こそがあれなんじゃないかと思う。
「次 」
シャロンがイキイキするのはやっぱり国語の授業なんだろうか。
本が好きだったら国語が――。
「おい、ナスカルーク。
何をしている、はやく読まんか」
「は、はい!」
どこまで読んでたのか分からない。
全くというほど話を聞いていなかった。
「二ページ目の、五段から」
隣に座る女子に助けてもらって僕は何とか音読に成功した。
読み終わって隣の女子にお礼を述べて椅子に座る。
ベルが鳴り、授業が終わった瞬間友達が話しかけてきた。
「おいセズク。
お前なんか少しおかしいぞ?」
「えっ、そうかな?」
おかしい……。
かもしれない。
友達には笑顔で返しておいてなんとかやり過ごす。
体育の授業。
バスケットボールの時間。
ダンクを決めた僕に黄色い声をあげる女子たち。
その横でシャロンは別の女子と話をしていた。
こちらを見ることはない。
シャロンという女の子にすっかり僕は遊ばれているように自分で思ってしまうよ。
なんと……うん。
なんと魅力的な子だ。
This story continues.
ありがとうございました。
こいつの変態はこうして開花したのでありました。