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エルーダ迷宮ばく進中(撤収す)100

「あの、今気付いたんですけど、この辺りの川って凍らないんでしょうか?」

 食事中、何気ない会話のなかでシモーナさんが言った。

「そういえば…… どうなんだろう?」

「渡ってくるかな?」

「可能性はあるよ」

 パスカル君とロメオ君がハムをくわえながら言った。老齢の金色羊のハムなのだが、腹壊さないか?

「でも、川幅も深さも充分あるし」

「この辺りの冬がどれ程冷えるか分からなければ答えようがないの」

「火山が近いから大丈夫なのです」

 問題は運河に連なる長い防衛ラインだ。尾根のこちら側に大物が少ないのは分かっているが、一体で被害甚大なんてことはよくあることだ。

 たぶん兄さんたちも分かってると思うけど、一応具申しておくか。

 火竜が編隊を組んで空を横切っていった。

「なんだ?」

「何か来るのです」

 僕たちは食事を手にしたまま、見晴台への階段を登った。

「足音が多いよ」

 チコが言った。

「すっげーのがいるぞ!」

「俺には見えねーぞ」

「あそこだよ」

「お前の指しか見えん」

 ピノとファイアーマンが言い合いしてる上を、火竜がまた通り過ぎる。

「でっかい角鹿なのです!」

 遙か遠く、森の上に頭を突き出す程大きな魔物が見えた。

「初めて見るけど……」

 急いでロメオ君が『魔獣図鑑』を開いた。

 棲息地が未開だから、検索が難しい。

 調べている間に地平線が大きく揺れ始めた。

「ち、ちょっと……」

 ビアンカが後退りする。

「斧角鹿! でもサイズが全然違う!」

 ロメオ君が言った。

「じゃあ、新種かな?」

「なんで嬉しそうなんですか!」

 フランチェスカに突っ込まれた。

 角は半月の戦斧のような形をしていて、あれで頭突きを食らったらスパッといきそうだが、あの大きさからして切断ではなく打撲だろう。

 群れだと踏みつぶされそうで、近寄りがたい。

「鹿肉か……」

「あんなにあっても嬉しくないのです」

「小振りの方がいいよな、きっと」

「取り敢えず一体、お持ち帰りを要求するのです」

「どうせ、一口食ったら、もういらないとか言うんだろ?」

「言わないのです!」

 また、火竜が頭の上を越えていった。

「こちらは眼中にないようね」

「ちょっと、こっちに来るわよ! 危ないんじゃないの?」

 空を見上げてほっとしているフランチェスカの横で、森が乱暴に破壊されていく様を見て慌てているナタリーナさんがいた。

「斧角鹿の大移動?」

「こっち来てる?」

「いや、こっちの川は斧角鹿でも渡れないよ。渡るとしたらもっと上流の浅瀬に行かなきゃ」

「餌の時間には早いよね」

「縄張り争いかもしれないよ」

「火山帯の暖かい環境は他の魔物たちにとっても冬の逗留地としては最高じゃからな」

「凄い景色が見られるな」

「ここ大丈夫なんでしょうか?」

「こっちには来ないと思うけど。船を出す準備だけしとくか」

 ものすごい地鳴りが響いてくる。

 森の木々は薙ぎ倒され、幹をへし折られ、悲鳴を上げるが、すぐに蹄の轟音に掻き消されていく。

 斧角鹿が通り過ぎた後に、森は跡形もなく消えた。折れた大木が道の端に追いやられ、ビーバーと言う名の伝説のウミダヌキの堤防のように堆く積み上げられていた。

「街道整備に使えそうだな」

「冗談言ってる場合ではないのです。撤収なのです!」

 巨大な鹿の群れは僕たちの目の前まで突進してくると、掘ったばかりの濠の向こう側、砂利が敷き詰められた河岸まで来て進路を南に変えた。

 森から姿をさらした斧角鹿は角が全長の半分を占めるほど巨大だった。

 群れが川沿いをひたすら南下する。

 そしてある一点に差し掛かるとなんと飛び跳ねた。巨大な身体が宙を舞った!

 どんどん川に飛び込んでは流されているのか、泳いでいるのか、下流のこちら側に近付いてくる。

 そんなとき飛び込んだ幼い一頭が火竜の爪に掛かって空高くに運ばれていく。

 重過ぎる上に暴れるので落とされた。長い角が災いして、首を折って絶命してしまった。

 鹿の群れは金切り声を上げる。

「なんだ、これ?」

「『ハウリング』?」

「それも集団による麻痺系攻撃じゃな」

「う、動けないのです!」

「しゃべれておるじゃろうが!」

「ロザリアの聖結界のなかで、負の付与効果がそう簡単に入るものか」

 僕の影に隠れているが、彼女の聖結界だけでも充分、主戦を張れるのだ。

 火竜お得意の急降下からの火炎攻撃が大きな角に弾かれた。

「あいつらの火炎攻撃はたいしたことないんだよな」

「それ普通の人の意見じゃないですよ」と、レオに言われた。

 同意しかねるのだが……

 逆に麻痺した火竜が落下して大きな角に弾き返されたり、地面に落ちたところを踏みつぶされたりと、壮絶な死闘が繰り広げられた。

「濠がなかったら大変だったわね」

 目の前の河川を溺れた斧角鹿が流されていく。

「ここに拠点造っちゃまずかったんじゃないかな?」

「生存競争じゃ。長い冬を乗り切るためのな」

 僕たちが陣取ってしまった場所が本来、斧角鹿の冬の逗留地だったのかなと考えてしまった。

 死闘を潜り抜けた斧角鹿はこちらに逃げてくる。

 大きな角で先頭の一頭が邪魔な壁にぶち当たってきた。

 首が大きく捻れて、身体が宙に舞った。

 壁にぶち当たって、地面に落ちた巨体が味方に揉みくちゃにされ、群れの足並みが大きく崩れた。

 先頭を走る者を失って足並みが崩れ、パニック状態になった。

 火竜はこの時とばかり、空を黒く染めて襲い掛かる。

 それは壮大だが、残酷な景色だった。

 これがこの森の本来の姿なのかも知れないし、共存共栄がほんの少し狂ってしまって起きたアクシデントなのかもしれない。

 壁を一枚挟んで内と外では別世界が広がっていた。

 内側では囲ったままの森の木々のなかで穴兎が地上に出てきて木の実を啄んでいる。

「最悪ね」

 ロザリアが天を仰ぎ見た。

 空にきらりと光る影が見えた。

「あーあ。泥沼だ」

 火竜が逃げ散った。

 生き残った斧角鹿は恐怖の余り佇んでいる。

 空に雷鳴が轟いて、次なる恐怖を知った斧角鹿はただひたすらバラバラに駆け出した。

 サンダーバードは寄りにも寄って目の前の見晴台で羽を休め、死地を見渡すと、一番大きな獲物を鷲掴みにして飛び去っていった。

「格好いいのです」

 獣たちも血の臭いを嗅ぎ付けて集まり始めた。

「たくましい……」

 パスカル君が呟いた。

 確かにたくましい限りだ。

 大きいのだから、一頭ずつ分け合えばいいものを、肉片を一つとして持っていかせたくないから、無駄な威嚇を始める。

 魔物だって生きてるんだ、この世に生を受けた者なのだなと実感する。

 迷宮の魔物とは違う。

「そんな顔しても誰も救われんぞ」

 アイシャさんが僕の肩に手を載せた。

「あやつらもまとめて救ってやるがいい」

 エテルノ様が偉ぶった。

 かつてタロスが襲撃して来たとき、この世界に連れてこられて、取り残されてしまった奴らの子孫かもしれないが、今は同じこの世界の住人だ。

 僕たちは自然の驚異に完敗して、敗走することにした。

「オクタヴィア。伝えてくれ。この場所にもうすぐ災いが訪れると。通じるか分からないけれど」

 野生の勘の足しにでもなってくれれば……

「がんばる!」

 オクタヴィアが見渡す限りの世界に向かって笛を吹いた。

 音は風に染み込んですぐに消されてしまうが、何度も、何度もオクタヴィアは吹き続けた。

「生き残れよ」

 僕は笛の音に思いを込める。


「撤収する!」



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