老人の歌27
午後になると、ロザリアの救済所で救われた人たちやその家族が、何か手伝いたいと続々と詰め掛けた。
彼らは中型艇を見て驚き、アイシャさんと長老とレオの姿を見てまた驚いた。
すっかり神聖視されてしまっている。
さらにここに教会が建つと分かると、何か手伝わせろと聞かなかった。
遠路遙々来てくれたのだから、この際手伝って貰うことにした。
おかげで後回しにしていた城塞の修繕や、壊されたガラクタの後片付けなども始まった。
そんなわけで水路もマンパワーで一気に完成に漕ぎ着けることができて、手の空いた僕とロメオ君は水車造りを始めることができた。
子供たちも畑仕事から解放されて、湖で水浴びを始めた。すると町の子供たちも噂を聞き付けたのか、やって来ていっしょになって水浴びを始めた。
ナガレの水泳教室が始まった。
砂漠の民に水泳は必要か?
町とここを往復する馬車がひっきりなしに行き交うようになった。
馬車がやってくる度に、町の住人が増えていった。どう見ても働けそうにない者たちまで荷台に積み込まれていた。
このままだとここでも祭りが始まってしまいそうな勢いだった。
リオナは案の定、船の備蓄を確認しに向かった。
「肉が足りないのです」
今まで貧しい暮らしをしてきた連中に、急な贅沢は毒だぞ。
足りない分はジータが運んで来た塩と小麦を使ってパンを焼くことで、補うことにした。
窯を温めようとしたら、その必要はないと言われた。
彼らは恐ろしくシンプルな方法で焼き始めた。天日に晒されている石の上に油を塗って、生地を張り付けて放置したのだ。
「日向は恐ろしいことになっておるのぉ」と日陰から出てこない長老が言った。
「オクタヴィアも苦手」と言って、オクタヴィアも日陰に退避している。猫は涼しい場所を見付ける天才だと言うが、猫又はどうか?
片面が焼き上がると、空いた場所にまた油を塗ってひっくり返して張り付けた。一度置かれた場所もすぐにまた日差しで熱せられて次の一枚が張り付けられる。
一応薪を集めて火をくべる用意をしていたので、薪が勿体ないので必要なときは魔法使いやエルフに任せろと言っておいた。
でもどちらも特別な存在なので下々の者にはそのようなお願いはできないと言い返された。
お客に何も持て成さなかったら、それはそれでクラースの名折れである。相手が例え報酬を何一つ求めていなかったとしても。
リオナに言いくるめられたジータとその家族は、薄くスライスした肉をパンに挟んだだけの物を、ウーヴァジュースとワインと一緒に訪れた者に提供した。
腹一杯食わせてやりたいのは山々だが、今回は量より質ということで我慢して貰うことにした。
ジュースはヘモジ監修の最上級品。ワインは王室御用達ブランドの特級品だ。ヴァレンティーナ様のところに流れてくる樽の横流し品である。そして肉はダークドラゴンの最上級肉ときている。
それを何も言わずに提供する。
中身を知ってるジータさんだけは冷や汗を掻いていた。
「なんてうまさだ…… これが北方の国の豊かさと言うものか」
これから自分たちもこんな暮らしができるようになるのかと皆、騒ぎ出したがジータさんが釘を刺した。
この食材はドラゴンスレイヤーである冒険者だからこそ用意できた物だと。わたしが用意できた物は塩と小麦だけだと。
だかそれだけでも彼らは充分満足していた。
「こんな美味いパンだって初めてだ」と。どこまでがお世辞か知らないが、それでも彼らの顔は笑みに溢れていた。それはきっと希望という名のスパイスが利いていたからだろう。
ちゃんとした水車には小麦の製粉もできる石臼付きの物を用意して貰うとして、僕たちは取り敢えず水を水路の高さまで持ち上げる、揚水水車を用意することにした。
これまで湖の水の大半は地下に浸透し、渓谷に流れ出していたが、今後は少しだけ回り道して貰うことにする。
まず人工的に水の流れを作る。
その行き着くところは同じだが、その前に人工池を通すことにした。人工池は湖面より低い土地に造る。土地自体を掘り下げてしまうのだが。
要するに巨大な浸透枡だ。それを湖の隣に造る。
この際、そこにも何か植えるか?
そして湖と池の間の段差を運河で繋ぐ。
運河の傾斜に水を流して水車を回そうというのである。
水輪の側面に桶を固定して水路に水を落とすようにする。軸と軸受けは馬車の物を使い、その軸を乗せる台座は土の魔法でこしらえた。 いずれこの場所に水車小屋ができることだろう。
ロメオ君との合作、簡素な物だけれど、うまくできたと思う。
日が沈んできたので畑に水を張ることにした。
町の人たちにとってもそれは一大イベントになった。
水車が掻き上げる水の音。水路に落ちる水の音。水路を流れる水の音。溢れて落ちる水の音。
住人たちのひとりがむせび泣くと、全員が嗚咽し始めた。
涼しい風がそよぎ、オクタヴィアの髭を撫でる。
城塞の窓に明かりが灯り、虫除け草の青い匂いが漂い始めると、村人たちが立ち上がる。
「さあ、みんな帰るぞ」
馬車を引く馬が名残惜しそうに嘶いた。
「お主たちのおかげじゃ」
見張り場に置かれた座り慣れた椅子に腰掛けながらクラースが言った。
「クラースさんが決断して動いた結果です」
「こんな結末は想像だにしておらなんだ。もっと陰惨で、醜悪なものになると思っておった」
帰宅する人たちの長い列を僕たちはじっと見詰めた。
「アールハイトで冒険者をしていた頃、わしは妻を娶り、子供を授かった。妻は息子にクラウディオと名付けた。考えた末にわしは冒険者を辞め、故郷に戻ることにした。元々親に逆らって飛び出したというのに、他にすべきことが思い付かなかったのじゃ。故郷に帰ると頭を下げるべき親父はもういなかった。北方人だった妻も環境に馴染めず若くしてこの世を去った。親父からユニークスキルを引き継いだと知ったとき、これは天罰じゃと思った。わしはこの仕事をわしの代で終わらせるべきか悩んだ。息子が大きくなるに連れ、その思いは膨らんでいった。息子はわしのなかに守人ではなく、冒険者の姿を見ていた。ある日、息子は冒険者になると言って家を出ると言い出した」
クラースは目を閉じた。
しばらく静寂が訪れた。
家のなかから、ジータの家族の笑い声が聞こえてきた。
「わしは喜んだ。残念に思うより、間違いなくわしは息子の門出を心の底から喜んでおった。わしは誓った。守人の仕事はやはり自分の代で終わらせようと。しばらくして息子が『銀花の紋章団』に入団したと聞いた。そのときわしは息子が何を考えているのか、ようやく気が付いた。あやつはわしの足跡を辿っていたのじゃと。あやつはドラゴンスレイヤーになっていつかここに戻ってくる。父親としてこんなに嬉しいことがあると思うか?」
クラースの目は言葉とは裏腹に、赤く、苦渋に満ちていた。
「息子はドラゴン討伐に参加した。総勢五十人。ほぼ全てが上級冒険者、半数がドラゴンスレイヤーじゃったと聞く。強制依頼じゃったらしいが、息子は進んで参加したそうじゃ。『確実に勝てる戦だから心配するな』と珍しく手紙を寄越しおった。不安がなければ手紙など……」
老人は空を見上げた。




