老人の歌16
それからしばらくして、肉が山盛りになった皿が運ばれてきた。
だが、そのなかにこっそり一枚だけ、はずれが仕込まれていた。
「ああああああ!」
舌が、喉が! 顔面から汗が噴き出す。吐きそうだが、ここで吐くわけにはいかない。
「水! 水!」
子供たちの馬鹿笑いが聞こえる。
あいつらーッ!
「ナーナ」
ヘモジが水の入ったピッチャーを持ってきた。
僕は奪うようにして受け取ると口のなかに流し込んだ。
駄目だ、全然収まらない! ピッチャーの中身はもう空だ。
自分で水を補充しては、口のなかに流し込んだ。
ピッチャーで何杯飲んだか分からない。お腹はもうたぷたぷだ。
まだ舌が痺れる。
あいつら、やってくれたな。
「お前もぐるかヘモジ!」
「ナーナーナ!」
自分は拘束されていたと主張した。
ドラゴンも殴り飛ばすお前がどうやったら拘束されるんだよ。
「わたしに同じ真似をしたら殺すぞ」
姉さんの声が上で聞こえた。
場がシーンとなった。
やる気だったのか……
お前ら、怖いもの知らずにも限度があるぞ。いつか下らない理由で死ぬからな。
「ハァー」
まだ辛い。
でも、弱まってくるとこの辛味はありだなと思えてくる。
辛い肉を極少量混ぜて、香辛料程度に辛味を利かせて、中和した肉と一緒に食べてみた。
おお? こ、これは!
「うまいッ!」
胡椒とはまた違ったピリ辛味だ。
この肉、粉末にしたら調味料にならないかな?
少量を切り分け、急速に水分を抜いて乾燥さる。魔法で細かく切り刻んだ物を中和した肉の上に少しだけ振り掛ける。
そして口のなかに放り込む。
「やっぱりうまい!」
おかしなことだけれど、中和した肉にはこれが一番合う気がする。
これは癖になるかも知れないな……
見上げると、のぞき窓から子供たちが額を付けて覗いていた。
この干し肉の刻んだ物も放置して、しばらく様子を見てみよう。湿気を吸えばかびるのも時間の問題だろうから長期保存はできないだろうけど。いや待てよ、この辛味成分がかびや腐敗を遠ざけてくれるかも知れない。実験は実験として、取り敢えず商品にしないで、我が家の秘伝程度に収めておくか。さすがに保存箱ごと売るわけにはいかないだろうからな。
人が食べている姿をまだ覗いている。
食べ終わってしまった子供たちにこの味はもう試せまい。
「兄ちゃんだけずるい!」と理不尽な叫びが聞こえてくるが、知ったことか!
見せ付けることでちょっとした意趣返しができたので、僕は溜飲を下げることにした。
「ほんとに美味しい!」
ドックに入ると、オクタヴィアだけが待っていた。
「ナーナ!」
ヘモジとオクタヴィアは駆け寄り、がっしと抱き合った。
ジータさんが目を丸くしてるぞ。
ヘモジとオクタヴィアはさっさと家に帰ったが、残りの全員は自分のすべき仕事に取り掛かった。
子供たちは長い船上生活の後始末。ロメオ君とテトは船の不具合を報告しに商会に向かった。
僕と姉さん、ジータは領主館に向かった。
ヴァレンティーナ様は山積みの書類と今日も格闘していた。
ドナテッラ様が加わって書類が減るかと思ったけど、その分、回されて来る書類も増えてきているようだった。
「どうだった?」
ヴァレンティーナ様が聞いてきた。
「ダークドラゴン二体。討伐完了いたしました」
ペンが止まった。
「二体?」
「ええ、まあ」
「報酬は先方と折半することになったらしいぞ」
姉さんが言った。
「ではこちらの報酬は一体分と言うことかしら?」
「そのように処理したが、問題なかろう?」
「まあ、予想の範疇だわね」
「それでだ。ジータ・エミーナとクラース・ファン・アールセンの二名をギルドに入団させようと思うのだが、構わないか?」
「推薦理由は?」
「今回の報酬で中型艇の購入も考えてるみたいだし、今後のスプレコーンとの繋がりを考えると、いっそ傘下に加えるのがよいかと思いました。ジータさんにしても、クラースさんにしても逸材だと思うし」
「今後、街道の復旧が進めば、コートルーとの間に商隊が行き交うようになるだろう。先行投資をするのも悪くない。それに投資と言ってもこちらから出資するわけではないし」
「アシャールにコートルー、遠すぎるのよね」
「許可が下りないと?」
「その心配はないわ。両国のトップも飛空艇の購入は決めているからね。今回の回収品を優先して回してやれば、手柄を上げた商人の航行の自由ぐらい保障してくれるわよ。それに中型艇の需要を増やすいいデモンストレーションにもなるでしょうから、マギーのところも喜ぶわ」
「じゃあ、入って貰っても?」
ヴァレンティーナ様が頷いたので、ジータさんを部屋に招き入れた。
本来ギルドの入会を便宜するのは本部の窓口の仕事だけれど、特異な例でもあるし、ここはギルマスに直々に許可を出して貰うのがいいだろう。
幾つもの国境が絡むことだし、その点、王族は顔が利く。
取り敢えず、当人へのレクチャーがその場で行なわれた。主に船を所有することで発生する諸々について。
特に国境通過に関して、必ず停泊しなければならない港の関所が記された地図を見せられた。
アシャールの手前までだけど。
そこから先は早急に会談を持って決めると確約された。空の関所をどこにするかだけの話だが、できるだけ最短距離で行けるルートでお願いしたい。
無理なら多少ルートを逸れるが、火山の噴火があった無法地帯経由で、死の砂漠に入るのもありだ。地上を行くなら山あり谷あり、正気の沙汰ではないが、空からなら日数が余分に掛かるだけでなんの問題もない。
アシャールとコートルーにしてみれば、関税を取りっぱぐれる方が問題だ。頷くしかあるまい。
ジータに関しては実際の運用はコートルーとローラシエナ間の死の砂漠越えが主になるだろうから、コートルーとの関係だけ気にしていればいいだろう。
定期メンテナンスのときだけ、他の国のご厄介になるわけだが、その折りは商会でまとめ買いでもして帰れば、通行税ぐらい肩代わりしてくれるかも知れない。
国同士の話なので、今回は『銀花の紋章団』の威光を笠に着ることになるかも知れないが、次回からは制度も整うだろうとのことだった。
堅苦しい話の後は、お土産タイム。
今回のお土産は当然ダークドラゴンのレア肉である。
熱々の鉄板にジューシーなステーキがドナテッラさんの分も用意された。
ただ、テーブルには誰の物でもない一皿が置かれていた。
「どういう趣向かしら?」
「レジーナ様に言われたとおり調理いたしました。今回の調理法は未だかつてない方法を使用しておりますので、調理前と後での違いを吟味して頂ければ幸いにございます」
ハンニバルが深々と頭を下げた。
あのハンニバルが額に汗を掻いている。厨房の惨劇が目に浮かぶようだ。
「まずは説明を。真ん中に置かれました皿がダークドラゴンの肉をそのまま焼き上げた物です。お手元の皿はある加工を施した後、調理した物になります。お比べになりながらご賞味下さい。ただ、その…… 真ん中の肉は極少量だけお召し上がりくださいませ」
「なんなのかしら? もったいぶって」
「三人はもう食べたのかしら?」
僕と姉さん、ジータが頷いた。
「船のなかでね」
「ひ、姫様、もっと少量で、もっと……」
ハンニバル必死過ぎだよ。充分少ないって。
気を利かせてドナテッラ様が先に口に運んだ。本来、家長からというのが作法だけれど、この場でそれを咎める者はいない。
「あああああッ!」
立ち上がって、猛烈な勢いで部屋を出て行った。
「あれ程少量でとハンニバルが言ったのに……」




