老人の歌15
翌朝、僕たちとジータはあの庭園を目指して旅立った。
老人は祠の入口の椅子を片付けた。代々先祖が座り続けてきた椅子だ。
名残惜しそうに背もたれをさすった。今日からは城塞の見晴台の一角が定位置になる。
ジータは家族を連れて引っ越してくると約束した。スプレコーンで用事を済ませたら、それを材料にして、親を説き伏せると言った。
いずれあの窪地に小さな村ができるだろう。飛空艇の荷下ろしをするための港や、酒蔵の祠、荷物を売りさばく露店などが立ち並ぶに違いない。この辺りで有数の商会ができるかも知れない。
「また来い」と老人は笑った。
僕は「必ず」と答えた。
「今日は風が強くなるぞ」
老人はそう言って空を見上げる。
白い雲が随分高いところを流れていた。
向かい風がきつくならなきゃいいけど……
予感は的中し、スプレコーンに到着したのは五日後のことだった。
強い向かい風や、予定の出力の八割程度でしか飛べなかったせいで一日半、多く費やしてしまった。
子供たちはカードゲームの達人になっていた。ルールも洗練されて、面白みも増していたが、僕とヘモジは完全に置いて行かれた。
開発中の『汎用版』には新しいルールを適用しようと、子供たちは真剣に取説の修正を画策していた。カード自体の変更ではないので難しくはないようだ。
僕たちが仕事をしている間、ストレス発散のために子供たちは砂漠を駆け回ることを許された。
一日中走っている姿を見て、姉さんのストレスは逆に溜まったらしい。ロメオ君やロザリアを引き連れて、普段できない物騒な術式を砂漠のど真ん中で披露して見せたそうだ。
帰り掛けに巨大な穴が空いているのを見た。
ジータもぽかんと口を開けて固まっていた。
僕は船の件について、姉さんと折衝することになった。
僕が無防備に疑われるようなことをしたことに眉をひそめながらも「しょうがない奴だ」と諦めて貰った。
姉さんもジータたちの『銀団』入りを承諾した。
マージンは掛かるが、ギルドを利用することで発生する利鞘を考えるとないに等しかった。
「僕も同じ条件で」と言ったら殴られた。
ドラゴンの受け渡しもミコーレに着いた段階で商会の手に委ねた。
「ダークな色のドラゴンの鎧が欲しいんだけど」と言ったら「作業工程で色は抜けると思うので見た目は変わりませんよ」と言われた。
ミコーレの長い歴史のなかで着色だけはどうにもならないんだよな。
試食用のブロック肉を切り分けて貰って船に戻ると、デッキには既に焼き肉の準備がされていて、テーブルにはお皿が並んでいた。
「もう炭までおこしてるのかよ」
「にーく、にーく、にーく」
子供たちは大騒ぎだ。
「もうすぐスプレコーンなのに」
「試食だよ、試食!」
リオナが肉の塊を奪っていった。
「ダークドラゴンは名前からして駄目なのです」
そう言いながら肉の匂いを嗅ぐ。
「毒の臭いはしないのです」
「無臭の毒もあるぞ」
「人柱が必要なのです」
「ナー?」
ヘモジが自分を指差した。
「ナガレは味音痴なのです」
「失礼な!」
「ダークドラゴンは毒など吐かんだろ?」
姉さんも呆れる。
「名前がダークなのです」
単純に鱗の色が暗いせいだと思うけど。心配なのは闇属性だと言うところだ。闇属性は大概骨とか腐った肉とか霊だとか、そもそも食えない連中が多いからな。闇蠍はそれ以前に毒持ちだし。
ひとり座らされたヘモジの前には万能薬の小瓶がずらり、数本の栓は既に空けられている。
だから召喚獣なんだって。
「焼けたのです」
恐る恐る皿に置かれた肉片を口に運ぶ。
「ナ」
動かなくなった……
「ナーナ! ナーナ!」
バタバタし始めた。
「毒? 毒?」
子供たちが慌て始めた。
リオナが万能薬を取るが、ヘモジが拒絶した。
「ナーナーナ!」
水? 水か!
「水だ! 水!」
ピノが運んで来たジョッキ一杯の水を、ヘモジはこぼしながら口のなかに流し込んだ。
「死なない?」
チコが覗き込む。
みんな押し黙った。
「どうだった?」
ピオトが囁いた。
これだけ騒いでどうだったもないもんだが。
「ナーナ」
「『辛い』ですって」
ナガレがほっと胸を撫で下ろした。
「辛いのか?」
ピノを初め、子供たち全員が焼き上がってきた肉片を少しだけかじった。
「うわぁああああ」
「辛い、辛い!」
「痺れる、痺れる!」
大騒ぎになった。参加しなかった僕たちは水の入ったジョッキを持って右往左往した。
「ああああああああああああああああ!」
子供たちが手摺りの前に一列に並んで、空に向かって叫んだ。
食べられなくて、そんなに悔しいか?
「二匹分もあるのに残念ね」
ナガレが言った。
「光属性で打ち消したらどうなるのかしらね?」
ロザリアがおかしなことを言った。塩のしょっぱさを砂糖で打ち消すような馬鹿げた発想だ。
でも思い付いたら試さずにはいられないのが、うちの連中だ。一体誰に似たんだか。
ロザリアが、食い掛けの焼けた肉と、これから焼く肉のそれぞれに魔法を施した。
さすがに今度は誰が試すか、なすり合いが始まっていた。
リオナは匂いを嗅いだだけで僕の背中に隠れて様子見だ。
じゃんけんをして負けたピノとチコが耳を垂らしながら肉の前に進んだ。
「これで辛かったら、ロザリア姉ちゃんにも食って貰うからな!」
ピノは既に目に涙を浮かべている。
一方チコはチッタのレクチャーを受けている。獣人の内緒話は僕たちが聞き耳を立てても聞こえない。
「分かった」
チコは拳を握った。
ふたりは肉片を前に緊張していた。
未だかつて肉にこれほど緊張を強いられたことがこのふたりにあっただろうか?
チコがピノの方を頻繁に覗き込んでいる。
なるほど、先に食わせようというのだな。チッタの入れ知恵か? でもそんなことピノも考えてるだろ?
お互いが牽制し合っている。
「ちょっと、早くしなさいよ! 炭が消えちゃうでしょ!」
蚊帳の外をいいことにナガレが煽った。
「じゃ、『いっせいのせ』で」
全員が掛け声を掛ける。
「いっせいの――」
「せ!」
ピノが一拍おいて食い付いた!
さらに一拍おいてチコもかじった。
モクモク……
モキュモキュ……
「あれ?」
ふたりは黙々と口を動かした。
周りが狼狽える。
「ちょっと! 大丈夫なの?」
ロザリアも心配しだす。
ナガレもリオナも身を乗り出した。
ジータも心配そうに見ている。
ふたりの目が凜と光った!
「うまーい!」
「おいしーッ!」
ピノとチコはハイタッチを交わした。
「今までで最高に美味しい!」
「おいしい!」
「ほんとか?」
「ロザリア姉ちゃん!」
恨み節全開だったピノがロザリアを肉の塊が載った作業台の前に引っ張り出した。
「これも実験だ」
僕は肉片を少し切り分けた。一つに光魔法を施し、もう一つはそのままにした。それぞれの皿をキャビンに持ち込んだ。
「何してる?」
姉さんに聞かれた。
「ちょっと実験を」
「腐らせる実験なら下でやれ」
ごもっともで。
僕は格納庫の一角に場所を作った。
デッキに戻ってみると、大騒ぎになっていた。
「うまい、うまい」
「ちょっと! タレとって」
「タレなんていらねーだろ」
「ちょっとうるさい」
「ナーナ!」
「ちょっと網に載せ過ぎよ!」
「試食なんだから!」
「やべー、うま過ぎる!」
「もう死んでもいいかも」
まったくもう。
ジータさんも呆れてるよ。
「神への冒涜にならないかしら?」
ロザリアが困惑している。
「そのときはこの肉を神様に捧げれば、一発で許してくれるって」
「加工の仕方は内緒にしましょ。そうすれば高値で売れるわ。独占よ、独占!」
ナガレが言った。
「これは早々に肉祭りが必要なのです!」
どういう理屈だ。
「頑張るぞ!」
「おーっ!」
子供たち全員が賛同した。
頑張るのはロザリアになりそうだな。
「あれだな、光の魔石で代用できるかも実験しておいた方がよさそうだな」
僕は肉のデリバリーを頼んで、操縦室に向かった。ロメオ君と交替しないと。




