老人の歌11
谷をさらに進むと山の裏側に出た。そこは周囲から完全に隔絶された窪地だった。
中央にある湖の畔に漆喰で塗り固められた白い小さな城塞がポツリとあった。
「クラースはあそこです」
轍が建物まで続いていた。
「いよいよご対面か」
城塞の門を潜り、厩舎に馬を入れると建物のなかに入った。
意外な程閑散としていた。それに手入れが滞っているようだった。崩れた漆喰もそのままに
床のタイルも欠けている。
「国が滅んでからというもの、どこからも維持費は出ませんからね」
となれは家人の努力でこの程度で済んでいると言うべきか。百年以上自費で維持していたとなるとその負担は如何ばかりか。
「先代もドラゴンスレイヤーでしたから、資金的にはなんとかやっていけてますが、足りないのは人手の方で」
使用人は零。誰もいない。待ち人すらも姿がない。
「またあっちにいるのね」
大きく息を吐いて、建物の外に出た。
そして庭だか荒野だか分からない平地を横断して、裏手にある祠の前に辿り着いた。
そこにはひとりの老人がいた。
鎧を着込んだその老人は木の椅子に座りながら、僕たちが近づくのをじっと待っていた。
「ただいま、クラース」
ジータが声を掛けると老人は膝に手を置き、ゆっくりと立ち上がった。
「お帰り、ジータ。えらく早かったの。後一月は掛かると思うとったぞ」
ふたりは抱き合った。
「帰りは三日よ。彼の空飛ぶ船に乗せてきて貰ったの」
「空飛ぶ船じゃと?」
「そうよ。まず紹介するわね」
「こちらがわたしの遠縁のクラース・ファン・アールセン。あなたの依頼主で、ここの守人をしている人よ。そして彼『銀花の紋章団』所属のドラゴンスレイヤーでエルリンさんよ。わたしの申し出を快く受けてくれたわ」
だから、エルネストだって。
老人の視線が僕の足元にいる小人に向いた。
「彼の召喚獣のヘモジちゃんよ」
「ナーナ」
「エルネスト・ヴィオネッティーです」
「若いな」
「条件の一つだったでしょ?」
「過ぎると言っておる」
「随分変わった用件なのでこちらとしては考えあぐねているんですが」
「まあ、ここで立ち話もなんじゃ」
すぐ側にある掘っ立て小屋に案内された。目の前に多少傷んではいるが立派な城塞があるのに。
「あの城塞は外敵からここを守るために立てられたもんじゃ。未だかつて一度として攻め込まれたことはないがの」
「いつもここに?」
「日中はな。向こうには寝に戻るぐらいじゃ」
「それで依頼の件ですが」
「そうせくな。敵は逃げはせん」
「敵というのはドラゴン?」
「ドラゴンスレイヤーを呼んだとなれば、そういうことじゃ」
「ひとりで狩るものではないと思いますが」
「わしもいる、問題ない」
なかなか口を割ってくれない。
「ではふたりで?」
間があった。
「そなたは見届け人じゃ。わしが戦う様を見て、勝っても負けても結果を町の者たちに伝えるのが役目じゃ」
「倒すなら僕も加勢しますよ」
「ナーナ」
「僕たちも……」
「まあ、いたらよろしく頼む」
「いたら?」
老人はたばこに火を付けると煙をくゆらせた。
「見ての通り、わしはもういい歳じゃ。これ以上ここで守人をしていても、棒切れ程の役にも立たん。わしは生まれたときから父親とここに住んでおる。あの椅子に座っていることだけがわしの唯一すべきことじゃった。それも終わりにしようと思っておる」
昔は砦にも人がいたのだろう。
「妻にも早くに死に別れて、ジータには迷惑ばかり掛けておる。それも仕舞いにせにゃならん。老兵は消え去るのみじゃ」
「祠の向こうにはドラゴンが?」
「左様。国があったときからな。この先に使役していたドラゴンがおる。わしの一族は代々その見張りをするのがお役目じゃったというわけじゃ。じゃが、それも昔のことじゃ。『扉の結界は命あるまで解いてはならぬ』という言葉を守りながら、先祖は代々あそこに座って、ただ待つだけの時を過ごした。それも誇りある仕事と思うてな。主たる王家も滅び、国もなくなったというのに、今度は『野に放つわけには行かぬ』と言い出して、頼まれもせぬのに…… 若い頃はよく反発したもんじゃ。反発して世界中を放浪して…… じゃが気付けばわしもこの場所で空を見ながら過ごしておる。なぜじゃろうな」
孤独…… それを支える使命感?
「ドラゴンを倒して終止符を打ちたいと?」
「違うの……」
振り返り問題の扉を見詰めた。
「あの先に本当に今もドラゴンがいるのか確かめたいだけじゃ」
僕とジータは目を丸くした。
「自分が一生を費やしたものがそこにあったのか、なかったのか」
「確認してないんですか?」
「あの扉を開くということは、この場所の結界を解くことに他ならない。以前なら宮廷魔法使いも常駐しておったから確認もできたじゃろうが、今あれを解いて、再び作動させることができる者はこの地にはおらぬ。この祠を造った、かつてこの地に住んでいたエルフたちももういない。あの扉の先に進んだ者はここ百年誰もおらん」
「なら、あなたが呼ぶべき人材はドラゴンスレイヤーではなく、魔法使いだったのではありませんか?」
「いなければそれでよい。わしの一族の人生が無駄じゃったと嘲笑されるだけのことじゃ。じゃが、もしいたらどうする? わしの次の守人はいないのじゃぞ。ここで終わらせなければならん」
優しい瞳の奥に決意の色が見える。
完全に人選ミスだ。ここに来るべきだったのはアイシャさんだ。
「少し見せて貰っても?」
「エルフの仕掛けじゃ、魔法を極めた者でも難しい代物じゃ」
「まあ、僕の魔法の師匠も普通じゃないんで」
姉さんなら恐らく仕掛けが分かるだろう。が、生憎、船で留守番だ。
僕は立ち上がると門に向かった。
「?」
結界が掛かっていない……
「どういうことだ?」
扉に魔力を流してみる。
薄らと魔素の流れが見える。見える範囲に回路の綻びはない。
「これ以上は外からでは分からないな」
どうしよう。素直に言うべきか? 「結界掛かってませんよ」と。
本人の覚悟を助長する結果にしかならないよな。




