エルーダ迷宮追撃中(四十七層攻略・休日別荘で)83
「なー、どーだった? エルーダの四十七階ってさ」
テトが尋ねた。
「僕も行きたかったなぁ」
ピオトの言葉に、ピノは黙って自分の盾を見せた。
「何?」
「あれ? これ、ピノの盾じゃないよ。ほら」
「ほんとだ。ここに傷があるはずだもん」
「どうしたの?」
「兄ちゃんの借りてるんだ。俺のは真っ二つになったから」
「えー?」
「冗談だろ? あの盾が壊れるわけないじゃん」
「たった二発で魔石が空になった」
ピノは落ち込んでいいのか、仲間のデリカシーのなさに怒っていいのか複雑な顔をしていた。
僕たちは今、別荘行きの振り子列車に揺られていた。
レオは初めて見る振り子列車にキョロキョロしながら小窓に張り付いて、外をちらちら眺めている。ピノに気を遣ってはしゃげないでいる様はどうにも気の毒に見えた。
事の起こりは昨夜の食事の席でのことだった。
ゼンキチ爺さんがやって来て、愛弟子に今日の感想を何気なく尋ねたのである。
勿論、戦いの結果ではない。あくまで四十七階層の敵の強さを目の当たりにした感想を聞きたかったのだ。
いつものように「凄ー、でかかった」とか「遅過ぎて相手になんねーよ」とか気楽な答えが返ってくるものと思っていたのだ。
が、そうではなかった。
「俺だってやればできるんだぜ」
ピノはそう言いたかったのだ。
でも結果は惨敗。師匠の前では強がっていたかっただろうに、でも、だから師匠の顔を見た途端に目にたくさんの涙を浮かべて泣き出してしまったのだ。
冷製トマトスープを嬉しそうに飲んでいたヘモジもスプーンを皿のなかに落とした。
僕はアガタにしたようにピノを説得する羽目になった。悪いのは盾だから、お前のせいじゃない。いや、魔石の管理を怠った事実はあるが、それだって初級の迷宮の魔物なら残っていた魔力残量でもう一日ぐらい保ったかも知れない。中上級者向けの地下四十七層の敵の破壊力が想像を絶していただけだ。
教えてやらなかったこっちが悪かったんだと僕は諭した。
レオもピノは立派だったと必死に弁護した。自分が助かったのはピノのおかげだと。
でもピノの涙は止まらなかった。全力を出して負けたという救いようのない現実に押し潰されそうになって、怖くて、苦しくて、悔しくて泣いた。
僕も死にかけたときは怖かった。震えて夜も眠れなかった。
今夜はピノにとってそういう日になるのだろう。
爺さんは何も言わずにピノの頭に手を置いた。
誰もがぶち当たる壁だ。
「気分転換でもしてきたらどうだい?」とアンジェラさんが言った。
リオナはその案に真っ先に飛びついた。豪華なランチと、おいしいお茶菓子を要求することも忘れなかった。
そして当人の承諾もないまま別荘行きが決まったのである。
それで朝が来たら、ピノ以外の子供たちも仲間を心配してか、新しいおやつのためか、単に仕事だと思ったからか、全員食堂に集合していたわけだ。
ロメオ君もレオも含めて全員参加となったわけである。
「それってどういう?」
魔法の盾の講釈をすることになった。
「それってピノが落ち込むことなの?」
チッタが言った。
「だから落ち込んでないって! もういいだろ」
「とんだ弱点があったものね」と盾をカンと叩いた。
「お茶が入ったのです」
はい、友達の心配は終了しました。
みんなリオナの周りに集まった。
「これがカヌレか」
「いい匂い」
「美味しそう」
「ちょっと、リオナ! 出すの早いわよ」
ナガレが止めた。
「午後には午後の風が吹くのです」
夕方のおやつの時間が拷問の時間になることを恐れた子供たちは一個だけ試食するに留めた。リオナより賢明である。結局リオナも一つだけに留めた。
別荘に着くと、だーれもいなかった。当然なのだが。
ゆっくりと明かりが灯り、新鮮な空気が流れ出した。
姉さん以外使っていない様子だった。
子供たちは各々お気に入りの部屋に入った。
窓から湖を見下ろすと労働者の姿が目に入った。
現在湖の周りは建設ラッシュになっている。
「姉さんはいないのかな?」
陣頭指揮を執ってると聞いたのだが。
「あそこにはどうやって下りればいいんだ?」
考えられるのはゲートだが。
「お姉ちゃんが手を振ってる」
チコがいつの間にか僕の足元にいて、窓に額をくっつけていた。
「どこ?」
「あそこ」
チコが湖の畔の桟橋を指差した。
僕はゲートを作動させ出口を探した。
「ないな」
地下かもしれないと地下に下りると、地下室が物品倉庫になっていた。
「いつの間に……」
倉庫なら出口もあるだろうと探したら見つかった。恐らく新型ゲートだ。物資も人も大量に搬出できるあれだ。
「みんな外に行くぞ」
みんな装備を整えゾロゾロと集まってきた。魔物が出るかも知れないからな。
揃ったところでゲートを作動させた。
僕たちは大きな建物の前にある転移ゲートに出てきた。
これが宿泊施設か?
湖に面した宿である。現在も工事中であるが、ここにみんな寝泊まりしているようだった。
僕たちは姉さんの待つ湖の桟橋に向かった。
湖の畔はすっかり整地され、どこまでも白いタイルの床が敷き詰められていた。僕たちはその白いタイルの上を歩きながら桟橋に。ここは木製だ。
「よく来たな」
「休暇なのです」
働かされてはたまらないとリオナが先手を打った。
「取り敢えずその辺のボートを使ってのんびりするといい。釣り竿もあるしな」
「何これー? ペダルがある」
「それを漕ぐと尾ひれが上下に動くんだ」
「足漕ぎボートという奴か?」
「余り効率のいい乗り物ではないが、手で漕ぐよりはという奴だ。じゃ、昼になったら呼びに来るからな」
「分かった」
子供たちは珍しいボートに乗りたくて仕方がないようだった。
「競争しようぜ」
船を二隻並べて乗り込んだ。
漕ぎ手はふたりずつのようだ。
テトとピオトと、ピノとレオの組み合わせだ。
「わたしたちも」
チッタとリオナの女性陣チームが加わった。
「よーし、あの赤いポールを回って早く戻ってきたら勝ちだからね」
「位置について、よーい」
「どーん!」
一斉にスタートした。
「うりゃうりゃうりゃ……」
「うおおおおおおっ」
「おおりゃああああ」
「よいしょ、よいしょ」
様々な掛け声を上げながら船を漕ぐが、威勢とは裏腹に船の尾びれはゆっくりだ。
加速が付くまで大変そうだ。
尾びれのフィンは二つある。ふたりでそれぞれ一つずつコントロールすることになる。
左右のバランスを崩した船は段々とカーブを描いていく。そしてあらぬ方に進んでどんどんゴールが遠のいていく。
慣れた頃には大差が付いていた。先頭を行っているのはなんとピノとレオのチームだった。
ふたりは言葉を交わしながら同じピッチでペダルを漕いだ。
「少し楽になったよ」
「じゃ、少しスピードアップするよ」
身体的に劣るレオを庇いながらの行動が功を奏していた。
リオナとチッタのチームも順調だが、もう足が棒になりつつあった。
ピオトとテトのチームは焦るばかりで最短ルートとはかけ離れたルートを進んでいた。
「あ」
チコが何かを言い掛けたので口を塞いだ。
「あれはいいんだ」
「反則だよね?」と、チコはそばにいるオクタヴィアに小声で話し掛けた。
ふたりの疲れた脚にこっそりレオがアイシングしているのだ。
ピノは笑顔を取り戻した。レオも楽しそうに自分のいかさまを笑っていた。
ピノのチームが桟橋に戻ってきた。
「ゴール!」
みんなで出迎えた。ふたりは座席の背もたれに倒れ込んだ。
「もう無理!」
「ほんと非効率極まりない船だよね? 手漕ぎの方が早いよ、絶対」
「そりゃそうだよ。これは僕が小さい頃に描いたスケッチを元にした失敗作だからね」
「ええー?」
「姉さんに担がれたんだよ」
「なんで教えてくれないんだよ!」
「いやー、どこかで見たことがあると思ったんだよね」
「ひどいよ、もう!」
「でも楽しかったろ?」
ふたりは黙ってにやけるばかりだった。
「それにしても」
「あれは帰って来られるのかの?」
リオナたちは完全に漕ぐことを止めてしまって、動かなくなった。リオナは兎も角、チッタにはきつかったか。
一方テトたちは相変わらず蛇行して距離ばかり稼いでいた。
「あと十分して戻ってこなかったら万能薬解禁するか」
「ピオトたちは?」
「助言を進ぜよう」
「なんて?」
「カヌレがなくなるぞってね」
「喉も渇くじゃろうから、お茶の用意でもしてやるかの」




