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閑話 肉のない人生なんて

 コモドドラゴンを狩ってきたリオナちゃんたちが村人にお裾分けするために肉祭りを開くことになった。

 祭りの余興を探していた村長たちは、たまたま観光に来ていた料理評論家のマーロー氏と料理研究家のキャロル女史を捉まえた。昨日のことである。

 獣人族のコミュニティーではふたりは有名人であるらしかった。

 ハイエルフの里出身の僕だけが知らないのかと思ったら、エルネストさんも知らないと言った。

 ふたりは仕事とは関係なく、お互い示し合わせたわけでもなく、たまたまこの町に精霊石を見にやって来ていただけだった。

 たまたまギルドにいた獣人たちに見つかり、肉祭りをするからと半ば強引に勧誘されたのだ。

 マーロー氏は狼族でありながらとても狩りなどできそうにないほど太った人物であった。小洒落た都会風の衣装を着こなして、髭にカールを掛け、ステッキを回しながら上流風を吹かせるような人物であった。

 一方、キャロル女史は兎族でむっくりした小柄なおばさん。身長を補うかのような長い耳と、赤い目が特徴の人のよさそうな人物だった。こちらはどう見ても肉とは縁遠いように見えた。

 たまたま大浴場という物を見にガラスの棟に行ったら、打ち合わせと称して彼らが何やら長老たちと宴会をしているところに出くわしたのである。

 ふたりの講演のお題は対照的に『肉のない人生なんて生きる価値がない』と『野菜こそ我が人生』だった。

 獣人たちにジロジロ見られるので、僕は大浴場に入るのを遠慮して家のお風呂に入った。


「お帰り、もう準備はいいの?」

 リオナちゃんが中庭から帰ってきた。

「あのおっさん舐めてるのです! むかつくのです!」

 午後から催される肉祭りの最後の打ち合わせに行っていたリオナちゃんが怒っていた。

「どうしたんだい? 例の評論家だか、研究家だかに何か言われたのかい?」

 アンジェラさんが昼食用の皿を並べながら言った。

「君は『トリケプトラの肉を食べたことはあるかい?』て言われたです! 最高の肉だって言ってたです! おまけに君たちのような田舎暮らしの者は洗練された料理など見たこともないだろうって言われたです!」

 どうやらマーロー氏の嫌みな台詞に憤っているようだった。

「リオナはまだトリケプトラの肉は食べたことないのです! 悔しいのです!」

 そっち?

「肉屋に売ってますよ。たまに」

 フィデリオを抱っこしてきたエミリーが平然と言った。

「なんで買ってきてくれないですか!」

「だって…… ドラゴンやウルスラグナの肉より大分安い肉なんですよ。確かに野牛や兎の肉よりは高価でしたけど。そんなに美味しい肉だったなんて……」

「ただいまー」

 エルネストさんとテト君が帰ってきた。

「いやー、新しい小型艇の試し乗りに行って来たんだけどさ。あれだね、オプション換えると走りが全然違うね」

「すっごく速かった」

 ふたりとも上機嫌だ。

「今度レオも一緒にどうだ? 恐ろしく速いぞ。あれはもう帆船とは呼べないな」

「でもその分高度が結構犠牲になってましたけどね。あれ危ないですよ」

「だから突撃ラムが付いてるんだよ」

「どこで乗り回す気ですか!」

 思わず突っ込んでしまった。船首装備なんて、海賊じゃないんだから。空のどこで使うって言うんだ! まったくこの人は!

「そんなこと今はどうでもいいのです! 今はトリケプトラの肉なのです」

「それがどうかしたの?」

 テト君が言った。

「どうかしたもこうしたもないのです! 食べたこともないのかって馬鹿にされたのです!」

「それって…… もしかして狼族?」

「え?」

「狼族の寒い故郷で取れる珍しい魔物だよ。狼族のなかにはあれが最高の肉だと思ってるのがいるんだよ。正直ウルスラグナの足元にも及ばないと思うけどね」

「そうなのですか?」

「有名な話じゃぞ。狼族が店に来たらトリケプトラの肉以上の肉は出すなとな。それより結界を張ったらどうじゃ。丸聞こえじゃぞ」

 アイシャさんが自分の部屋から下りてきた。

「大丈夫なのです。今講演会の準備で向こうが消音結界張ってるです」

 どれだけ耳がいいんだよ?

「それでもじゃ」

「たぶん今日、食べられるよ。トリケプトラの肉なら肉祭りで必ず誰かが差し入れしてくれるから」

 テト君が言った。

「そうなのですか!」

「他の冒険者さんたちも結構頑張ってるんだよ」

「知らなかったのです…… リオナが馬鹿だったのです」

 そこまでかしこまらなくても。

「ナーナナナー、ナーナナナー」

 遠くからヘモジが楽しそうに歌いながら返ってきた。玄関の扉が開いた。

「ナーナ」

「お客さん?」

 ヘモジが連れてきたのは噂のキャロル女史だった。


「夜明けの飛行船クルーズまでやることがなくて、時間潰しにちょうどいいと思ってお引き受けしたのよ。お小遣いも貰えるって言うしね」

 キャロル女史は歯に衣着せぬ人だった。

「お嬢ちゃんもあんまり気にしなくていいわよ。あの人の口の悪さは昔からなの。悪気があるわけじゃないの。ああいう人なの。わたしも昔随分叩かれたのよ」

「大丈夫だったですか?」

「こう見えてわたしの方が業界長いのよ。すぐ噛みつく相手を間違えたと気付いて手のひら返してきたわね」

 こう見えて、も何も見たままですよ。

「ナーナーナ」

 ヘモジが台所から野菜の入った籠を持ってきた。

「まあ、まあ、これがヘモジちゃんの作った野菜なの? さっきの畑で取れた物なの?」

「ナ、ナーナ」

「違うの?」

「ナナナ」

「ヘモジちゃんが目利きをしたの? それは凄いわねー」

「ナーナ」

「早速頂こうかしら。そうだ! 美味しいドレッシングの作り方教えて上げましょうか?」

 ヘモジとふたり野菜談義を始めた。

 みんなふたりを横目に昼食の準備を整えた。



 今回のお祭りはリオナちゃん主催のプライベートな催しだそうで、春祭りのときよりは小規模だという話だった。

 とは言え、店子の獣人たちはこぞって参加していたし、ドワーフや人族の顔も当たり前のようにあった。エルネストさんは「酒代こっち持ちなんだよなぁ」と言いながらピザを焼いていた。

 本日の目玉、まずはキャロル女史の『野菜こそ我が人生』の講演が始まった。耳の悪い人族は側の席に移動しての聴衆となったが、獣人たちにはどこにいても同じこと、定位置で聞き耳を立てていた。

 穏やかな口調、子供を諭すような優しい言葉遣い。

 いつの間にか聴衆は心奪われ聞き入ってしまっていた。

「この町のデミグラスソース。これこそ肉と野菜が生み出した究極のコラボレーション。胃袋を刺激するコクとまろやかな香りがたまらないわね。暢気に話してる場合じゃないわ。終わりにさせて貰うわね」

 笑いが起こったところで彼女の講演は終わった。

 そして十分のインターバルの後、マーロー氏の出番である。

 肉命の一部熱狂的ファンの声援の元、やや険悪なムードの壇上に上がったマーロー氏は淡々と講話を始めた。

 まずは最近食べた雪国の伝統猪料理の肉鍋の肉の固さに苦言を呈するところから始まり、臭みの抜き方、手間のかけ方に話は移行し、やがては宮廷料理人の苦労話に、そして世界を飛び回って食べた料理の話。ただ焼けばいいという獣人の慣習への否定。田舎暮らしだという理由で洗練された料理など食べたことがないと平然としている者への侮蔑と忠告。

 わくわくするような話ではあったがどこまでも独善的で、お前たち食ったことがない奴は可哀相だと言わんばかりの態度が、そもそも馬鹿にされていると感じている聴衆を更にヒートアップさせた。

 確かに鼻持ちならない口振りではあるが、皆気付いていなかった。彼の言うことは曲解を重ねてはいるがほぼ正論で間違ってはいないことに。論旨までひねくれるというのは一種の才能ではないかと僕は思う。

 そして話はクライマックスに突入する。

「ですがどんなに美味しい肉でも、最上級のドラゴンの肉だったとしてもわたしを唸らせる物ではありません。何故ならわたしは究極の味を知っているからです」

 ざわめきが起こった。

「それはトリケプトラ!」

 一斉にブーイングが飛んだ。

「あんな肉のどこがドラゴンの肉に勝ると言うんだ!」と。

「それは思い出の味! 誰しもが持っている究極の調味料。幼い頃に掛けられたママンの魔法。在り来たりな表現をするならば、愛情が振り掛けられた家庭の味と言ったところでしょうか。わたしの家は兄弟も多く、早くに父親を亡くしてとても貧しかった。でも、子供たちの誕生日には必ずトリケプトラの肉が食卓に並んでおりました。普段食べている肉の五倍の値段、わたしの家族には贅沢過ぎる肉でした。塩が振られているだけの一回り小さな肉の塊。それが今もわたしが求めて止まない究極の味なのです。どんな高級な肉も、天才的な料理人の出す肉もママンのあのしょっぱい肉の味にはかなわない。今わたしがこうしてあるのはママンのおかげです。あのしょっぱい肉がわたしのすべての始まり。あの味を越える肉など存在しないとわたしは断言します。本日はご招待いただきありがとう。この町で人生で二番目に美味しい肉に出会えることを心の底から願っております。ご清聴ありがとう」

 会場のすべての者たちが立ち上がり、拍手喝采を浴びせた。壇上を降りる氏に大勢の者たちが駆け寄った。誤解して、大いに憤慨していたリオナちゃんも諸手を挙げて喝采を送っていた。


「どうじゃ?」

 おば、いやアイシャさんが僕の肩に手を置いた。

「何がですか?」

「里を出て正解じゃったろ?」

 僕は言葉に困って言った。

「タイミングってあると思うんですけど」

「甥の泣き顔が見たかったんじゃ」

 そう言って僕の頭をポンと叩いた。

 不覚にもどこか薄味の母のシチューの味を思い出していた。


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