夏休みは忙しい(パスカル君と夏休み)61
僕たちは館に戻った。
何ごともなければすぐに帰れたのに…… 警備体制は一気に強化された。半開きだった城門は閉じられ、城壁にはいつになく多くの明かりが灯された。
僕は実家に戻ると、広間の会議用の長テーブルに鎮座する親父の前に通された。このシチュエーション、よく兄貴たちが親父に怒られていた状況によく似ている。
兄さんと従兄弟殿、殿下とその部下の副官ふたりが向かい合わせに席を共にしていた。
「どういうことか、分かるように話せ」
親父が憮然として言った。
「その前に殿下に男爵の昔の事件についてお伺いしたいんですが。魔法学院の学院長が今うちに来ていて、その学院長に概略は聞いたのですが、できれば詳しく教えて頂きたいんです」
「それが今回の事件と?」
「たぶん関係していると思います」
しばらく殿下は考え込んだ。
「いいだろう」
そして当時を思い出すように話し始めた。
「あれはまだ俺が近衛に配属されてようやく小隊長を任されるようになったときのことだ。男爵と死んだ四人の若者が新人として第一師団にやって来た。まだ何も知らない尻の青いひよっこだった。男爵は魔法師団だったのでひとり離れていたが、それでも五人は仲がよかった。そのうちのふたりが俺の小隊に配属になった。俺は自然と残りの三人とも接するようになった」
しばしの沈黙があった。
「ある日、派遣中の現地でふたりが倒れた。突然だった。気付いたときには既に口から泡を吹いて、昏睡状態になっていた。今ならお前の万能薬があるから死ぬことはないのだろうが、当時我々に配給されていた薬は精々中級の回復薬だけだった。我々は任を解かれ、首都に戻されることになった。だが彼らは途中で息を引き取った。そして基地に戻ると更に残りの二名も命を落としたと聞かされた。男爵は狂ったように泣き叫んだ。そのときは男爵が犯人などとは思いもしなかった。だが、調べが進むにつれて彼らの死の原因が男爵にあることが分かってきた。出撃前に死んだ四人に薬を手渡すところを何人もの目撃者に見られていた。すぐ彼は逮捕され、捜査の手が入ったが、薬の痕跡は見つけられなかった。本人は『薬は依頼されたもので、感覚を鋭敏にする薬だと教えられた。中毒性があるとは知らされていなかった。調合した薬は既に先方に渡してしまって手元には残っていない』と証言した。だが、どんなに調べても依頼主は見つからなかった。せめてレシピだけでも残っていればよかったのだが、ほとんどの素材は先方からの持ち込みでよく分からないと男爵は言った。結局、男爵の記憶や、残された薬瓶から素材が幾つか判明しただけで薬がなんだったのかも分からなかった。依頼主も見つからず仕舞いだった。調査部は、証拠不十分としながらも、彼の調合した薬に原因があると結論づけた。彼は部隊を除名され、実刑を受けた後は知り合いの所に身を寄せたと聞いたが、まさかな…… ソルディーニ伯爵の元に身を寄せていたとはな」
「薬の名前は『山の老人の秘薬』だと聞きましたが、あってますか?」
「ああ、そんな名前だった。男爵が尋問を受けたとき、依頼主がそう言っていたらしい。だがそんな薬は、いくら探してもどこにもなかった。魔法の塔の専門書のなかにも、国の内外の薬剤官の元にもどこにもだ!」
「そりゃそうでしょうね。アサシンの秘中の秘ですから。薬剤官の元にはありませんね。伝説の『覚醒薬』ですから」
僕の言葉に殿下の目は見開かれた。全員の視線が集まった。
「存在するのか?」
「存在します。と言うか、存在しましたと言うのが正確でしょうか」
「お前が話す番だな」
兄さんが言った。
僕は『山の老人の秘薬』のことを説明した。そのほとんどは当時の記録のなかに書かれていた内容であり、レシピそのものではないことを強調しておいた。
それでもその内容は衝撃的であり、全員の口を塞ぐに充分であった。一人の例外を除いて。
「エルネストちゃん! あなたまさか、その薬、作って飲んだんじゃないでしょうね!」
相変わらず鋭いな、母さんは。
「言ったじゃないですか、レシピは分からないって。伝説のアサシンが秘匿したまま死んじゃったんです。僕が見たのは当時の記録ですよ。その記録だって、童話の下書きか何かだと思って、売っぱらっちゃたんですからね」
「母さん、今、大事な話をしてるんですから、黙っててください」
母は排除された。
よかった、あのまま問い詰められていたら吐かずにはいられなかった。
「では、その薬を男爵は?」
「名前を知っていた時点で、嘘は言っていないと思います。知らずに作らされたのでしょうね。中毒性があることも知らされなかった。あるいは依頼主も知らなかったと考えるべきです。記録でも服用は一度のみが限度だと記されていました。言いつけを守る者は少なく、命を落とした者は多かったと記されていました」
「呆れた話だな」
「信じろというのか?」
「でも、牢獄を脱出できたでしょ? 牢番の目をかいくぐるなんて普通の人間にはできませんよ。彼は『暗殺者』のスキルを持ってるんじゃないですかね。一度材料は見てるんですから、年月を掛ければ完成できるんじゃないでしょうか」
「仮にそうだとして、目的はなんだ? 友人を死なせた俺への復讐か?」
僕は首を振った。
「だとしたら、屋敷のなかでなんらかの行動を起こしていたでしょう。むしろ共通の友を亡くした同士ぐらいに思っているんじゃないでしょうか」
「なら奴の目的はなんだ?」
「彼は戦地に赴く友人たちに善意で薬を渡したんだと思います。『覚醒薬』。探知能力を飛躍的に上げてくれる薬です。友人に生きて戻ってきて欲しい、その一心だったのではないでしょうか? だが意に反した最悪の事態が起きた。男爵の苦しみと悲しみは想像に尽くしがたいです」
僕は全員の顔を見回した。
「男爵の目的はやはり復讐です」
「復讐?」
「復讐だと?」
「勿論、殿下に対してではありません」
「じゃあ誰だというんだ? 薬の依頼主か?」
「当時の薬の依頼主を男爵が探し当てたとしたらどうでしょう? そして復讐の機会を虎視眈々と狙っていたとしたら?」
「アサシンの能力があるのなら、いつでもできたのではないか?」
「何もかも奪い去ってやろうと考えたら? 家柄も何もかも」
「だとしたら、今回はまさに千載一遇の時だな」
「そんな都合のいい話があるものか! すべては想像だ!」
「彼が身を寄せたというソルディーニ伯爵家、そもそも繋がりがあったんでしょうか?」




