夏休みは忙しい(アシャール・コートルー国境)5
僕たちが進むルート上に人の姿はなかった。
「緑の匂いがする」
以前、ドナテッラ様と転移して神殿跡に寄っただけのパータバーダラ上空を越えたとき、子供たちが窓から身を乗り出した。
「こんな町だったんだ」
町の半分は砂漠に飲み込まれて崩壊した遺跡群で、人の姿はなかった。大きな石柱がどこまでも規則正しく神殿跡まで伸びていた。
見ているだけでも喉が渇く。
「テト、あの上通って」
チッタが言った。
聞こえたようで進路が少し左にずれた。
「こら、勝手にルート変えるなよ」
「確認するの! オアシスもないのに緑の匂いがするの!」
チコに怒られた。
「わかった。任せた」
チコ、最近なんだか怖いぞ?
「たまにソルジャー・チコなのです」
リオナが笑った。
アイシャさんとサリーさんの方を見ると「お前の負けだ」と顔に書いてあった。
子供たちの視線の先に、巨大な穴を見つけた。それは大地にできた巨大なクレバスで、その壁には無数の居住区とそれを繋ぐ吊り橋が縦横無尽に架かっていた。地下から生えている森の木々の先端が遙か穴の下にあった。壁には岩を掘ってできた宮殿のような建造物がそこかしこに並んでいた。
「ほわぁあー」
子供たちが落ちそうなほど身を乗り出した。
「落ちたら死ぬぞ」
「大丈夫だよ。ちゃんと掴んでるから」
ピオトが転落防止用のポールを握っていることをアピールする。
げっ、ミスリル!
いつの間にかミスリル製の手摺りとすり替えられていた。よく見ると窓枠全部が木枠とは違う輝きを放っていた。これも外壁繋がりだからか?
黙り込んだせいで、ピオトが心配そうな顔をした。僕が気を悪くしたと感じたらしい。
大人しく席に着いた。
「崖に住む生活がそんなに魅力的かって話だよ」
僕は怒ってないとアピールするためにピオトの頭をぐしゃぐしゃに撫でてやった。
「うわっ、何すんだよ。やめろ」
相変わらず手触りのいい頭だな。
「スキンシップは大事なのです」
「ナーナ」
ふたりがそう言いながら擦り寄ってきた。
所変われば住処も変わると言うが、それにしても奇想天外な。
「あんな高い所に玄関があるよ。楽しそうだね」
チコがくすぐったそうに撫でられながら言った。
「だから落ちたら死ぬって。あれ全部吊り橋だぞ」
「わたしは無理」
ちらりと下を見ただけでロザリアが言った。
「上り下り疲れそうだしね」
ロメオ君も同意した。
「ロマンが分かってないな、兄ちゃんたちは」
ピノ、お前のどこからそんな言葉が出てくんだよ。
「頭、撫でてやろうか?」
ピノは咄嗟に頭を両手で防御した。が、後ろに下がったせいでアイシャさんにぶつかった。
「なんだアイシャさんの方がいいのか?」
僕がからかうと「なんじゃ? 頭をひねられたいのか?」とアイシャさんが長い指で頭を鷲摑みする仕草をした。
ピノは青くなった。
「滅相もございません」
横でオクタヴィアも硬直した。
「でも、人いないね」
チコが言った。
確かにもぬけの殻だった。家畜の小動物が残されているぐらいだ。
「避難したのね」
「確かにここで魔物に襲われたら終わりだからな。涼しそうだけど」
船は何ごともなく南下した。
暫定政府が凄いのか、対応が迅速なのか。人を見る機会は余りなかった。たまに街道を北上する一団とすれ違うくらいだった。
それがしばらくすると様子が変わってきた。アシャールの主都ポリス・バシュタナ方面に向かう街道に人の波ができあがっていたのだ。うねる川のように黒々とした人の波が北へ、北へと移動していく。
「みんな逃げてるですか?」
「そうだな」
「どんなに北上してもミコーレの砂漠とワームが彼らを阻むだろう」
完全に趣が変わったのは国境を越えた辺りからだった。
この際、高度を上げての領空侵犯だ。
いきなり鳥の大群が接近してきた。
襲われた!
「戦闘――」
「大丈夫だ」
サリーさんが立ち上がった。
「甲板に出るぞ」
僕を連れて甲板に出ると鳥の大群から抜け出してきた一羽がデッキに降り立った。
するとその姿は驚いたことに見る見る人の姿に変わっていった。
「何者だ? 帰属を名乗れ!」
こっちの台詞だよ。兄ちゃん。
「アールハイト王国スプレコーン領所属、ユニコーンズ・フォレスト騎士団守備隊隊長サリー・ミルドレッド。彼は同じく、スプレコーンの『銀花の紋章団』本部付き、エルネスト・ヴィオネッティーである。そちらはコートルーの栄えある飛行隊の者か?」
「左様である。コートルー突撃遊撃隊隊長ホーク・ハシュカである。貴官らは現在、我が領土を侵犯している」
「こちらは現在、南部の魔物の状況を調べるため、哨戒行動中である。アシャールの暫定政府とは話が付いている。国境を越えているのはそちらではないのか?」
「我が領地はあの渓谷から南である。建国以来、互いの境界は変わってはおらぬ」
「一般市民はそうは思ってはいないようだがな」
サリーさんが上手だった。
越境して北へ逃げてくる一般市民のことはどう考えているのかと、自分たちを棚に上げて脅しているのである。状況が状況なだけに国が行くなとは言えないことは重々承知している。逃げる市民も政府も魔物相手では人のルールなど意味をなさないと考えている。魔物が相手となれば人類皆兄弟というわけだが。他国に侵入してきているのは事実。
要するにサリーさんは「お互い様だから行かせろ」と言っているのだ。
「敵情を視察しに行くだけだ。用が済んだらすぐ戻る。これはミコーレとアシャールからの正式な依頼だ。当然情報はそちらにも渡す」
コートルーの隊長が甲板に棚引くアシャールの旗を見つめる。
リオナとオクタヴィアが出てきた。
「こら、交渉中だぞ」
「姉ちゃんたち見つけた」
「姉ちゃん?」
「弓使いの姉ちゃんたち」
「アンたちなのです」
「『コートルーの疾風旅団』が? 戦闘に参加してるのか?」
「当然だ。彼らは我が国を代表するギルドの一員だ」
そりゃ、祖国の危機だ。駆けつけるのは分かるが、ここはエルーダからは遠い。参加しないという選択肢もあったはずだが。
「知り合いか?」
「一緒にエルーダで狩りしたです」
隊長はしばし地上を見下ろしながら考えた。
「いいだろう。但し監視を付けさせて貰うぞ」
「無理を言ってすまんな」
サリーさんも一歩引いた。
僕たちは前線を構築している冒険者や傭兵が屯しているなかに船を降下させた。
船には現在、ミコーレとアシャールの国旗が棚引いている。エンブレムは我が家の紋章だがこれがアールハイト王国のものだと知る者はここにはいまい。
今ここに教会の旗も加わった。ロザリアとアイシャさんが「権威は利用するものだ」と言って、倉庫にあったものを勝手に掲げた。
お布施はそれなりに払ってるのでこれくらいは勘弁してくれるだろうが、逆にこれが教会の手柄になると余りいい気はしない。
「見つけたのです!」
群衆のなかからこちらを見上げる知り合いの顔が飛び込んできた。
あちらの隊長の選んだ我々の監視役は『コートルーの疾風旅団』のなかでも勝手知りたるウルスラ・ハシュカ率いる一団だった。
ウルスラ・ハシュカ。ドナ。アン。マレーア。シモーナにセレーナ。皆息災であった。




