春の終わりと姉弟喧嘩
翌日、僕は姉さんとリオナと一緒にいつもの整地作業に向かった。
「さて、エルネスト、久しぶりに手合わせをしようか」
それは、突然の申し出だった。
姉は拳を握り、身構えた。
「魔法は使わないでおいてやる。どれくらい強くなったか見せてみろ」
「それはフェンリルの一件で終わったんじゃ?」
姉はいきなり、僕の懐に飛び込むと僕の顔面を容赦なく殴った。
僕はよけることもできずに横転した。
信じられないほど重い一撃だった。ほんとに魔法使ってないのか?
「何するですか!」
リオナが僕をとっさにかばった。
「お前も同罪だ! 下がってろ!」
リオナは驚いて尻餅をついた。
「何だよ、いきなりッ!」
起き上がろうと膝をついたとき、蹴りが顎に入った。拳の圏外だと気を抜いた僕は咳き込んで地面をのたうち回った。苦しくて息ができなくなった。
「レベルは二十二だったな?」
うずくまる僕にさらに蹴りを加えた。
「お前、今の実力でリオナと戦って勝てると思うか?」
僕は考えた。あの双剣銃を振り回す腕力。木に登るときのあの跳躍力と瞬発力を生む脚力。
俊敏性では足元にも及ばない。鬼ごっこのときがそうだった。あれが戦闘だったら、僕は何度切り刻まれていたか。でもそんなこと……
「リオナ、レベルは? この間ギルドで計ったろ?」
「九になったです」
声が震えていた。
「リオナにも勝てぬやつが、なぜ二十二なのか考えなかったのか? 騎士団の連中と戦ってあしらわれるだけのやつがなぜ同格なのか考えなかったのか?」
「僕は『魔弾』が使えるから……」
僕の腹を姉さんが蹴り上げた。僕はまた地面に転がり仰向けになった。
「そうだ。お前の素のレベルなど騎士団に遠く及ばないッ! リオナにすら触れることもできないッ! なのにお前は何をしたッ!」
腹を踏みつけられるのをかろうじて回避して、起き上がろうと背中を見せる。姉さんが僕の襟首を掴むとそのまま後ろに引きずり倒した。
「ぐえっ」
喉が詰まって、僕は自分の声ではない音を発した。
「ラヴァルのレベルはいくつだったと思う? 一国の将軍のレベルがいくつだと思うかと聞いてるんだッ!」
蹴りが顔面に入った。とっさに障壁を張ったのに姉の攻撃は問答無用で貫通してくる。
激痛が走った。
なんで?
鼻の骨が折れて血が止まらなくなった。
姉さんが回復薬を投げてきた。
僕は起きながら飲み干して傷を回復した。
「お前も見ていたはずだッ あいつに倒されて行く味方の姿を!」
「でもそのことは……」
顔面を蹴りに来た足を僕は両手で受け止め、避けようとするが、姉さんはかまわず足に力を込めてくる。
僕は絶叫した。
一瞬力を抜かれたことで安堵した僕の太股に姉さんは蹴りを入れた。
「『魔弾』があるから? 魔力で底上げされただけのただのガキにラヴァルが遅れを取ると本気で思ったのか?」
膝を突いた僕に土を蹴り上げ、目つぶしを食らわせた。
喉を突かれた。僕は咳き込んだ。咄嗟に手で払ったが、腕を決められそのまま地面に投げられた。
息ができない……
姉は倒れた僕の首に手をかけた。
僕は必死にあがく。目尻に涙が貯まり、顔がみるみる赤くなっていく。
指に段々力が入らなくなる。
「がんぐぇ」
「か弱い女の魔法使いの腕すら払えないのか? それでよくあの将軍に噛み付けたものだ。それとも姉の胸の感触でも楽しんでいるのか?」
何がか弱いだ…… 魔女が…… ふざけるなぁ。
「ふざへるがぁああああ」
僕は渾身の力を込めて手を振り払った。手を払われた姉は後方に一歩ステップを踏んだだけで何事もなかったかのようにこちらを睨み付けている。
僕が起き上がるのを待って、殴りかかる準備をしている。
僕は肩で息をしながら相手の出方を待った。
「そのことは…… 謝ったじゃないか」
音にならない小さな声で僕は呟いた。
「あやまったじゃないかぁあああァ」
姉が怒りの形相で拳を振り上げ突進してくる。
僕は渾身の力を込めて結界を張った。『完全なる断絶(偽)』だ。加えて僕は両手でしっかりとガードした。
にも関わらず、姉さんの拳は僕の顔面に届いた。
僕はかろうじて飛びそうな意識を引き留めた。そして姉さんの服の一部を握りしめた。
「同じことを繰り返しておいて、言うことかァ!」
姉さんは何を言ってるんだ?
繰り返してなんかいない。
無茶なんてしてない! リオナだっているんだ。
嘘なんてついてないッ!
「無茶なんか……」
拳がまた。
僕はとっさに肘でガードした。
防御したはずなのに鳩尾に入った。
なんで……
僕はうずくまった。
結界が破られるはずがない。
なんで?
素手が鎧を貫通するはずがない……
「お前にできることが、なぜ他の人間にできないと思う?」
はっ! となってぼくは姉の顔を見た。魔法は(・・・)使わない……
「お前…… わたしを馬鹿にしてるのか?」
怖い…… 僕は生まれて初めて姉の『魔弾』を、本気を見ている。
怖い……
背筋が凍る。あの豚商人のように、全身から力が抜けていく。
僕は掴んでいた服の一部を怖くなって放した。
逃げなきゃ…… 逃げなきゃ…… 殺される……
突然リオナが泣き出した。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい――」
地ベタにへたりこんで「ごめんなさい」を連呼しながら、大声を張り上げて泣きだした。
「うるさい。黙れ。次はお前だ!」
姉はリオナを吊し上げるために足を踏み出した。
「やめろぉおおお」
僕は姉の肩を掴もうとした。
そのとき。
「『魔弾』『鎧通し』」
姉さんの凍り付いた声が聞こえた。気がした。
僕がラヴァルを仕留めたときと同じ動作。寸分違わぬ一連の動き。
そうだ。姉さんはあの場所にいたんだ。何もかも見ていた。弟の愚行を。弟が死ぬかもしれない一瞬を。
戦慄が走った。一瞬で身体が凍り付くのがわかった。ラヴァルと自分が重なった。
そして自分の鮮血がほとばしるのを見た。
「すまんな。『鎧通し』はできないんだ」
血を流していたのは姉さんの拳の方だった。
姉さんは僕の胸を押した。
僕はよろけて尻餅をついた。
姉さんは僕を見下ろしながら、回復薬を投げて寄越した。
額に玉のような汗が噴き出していた。
不覚にも美しいと思ってしまった。理不尽さも許せるほどに……
「なぜ、ユニコーンに会いに行った?」
ああああッ!
僕は理解した。
自分が何をしたのか。
何をしでかしたのか。
姉さんがなぜ今になってこんなに怒っているのか。
なぜリオナを同罪だと断じたのか。
ようやく理解した。
「ごめんなさい……」
僕は姉さんを見上げた。
姉さんは目に涙を浮かべて僕を見下ろしていた。
「お前はわたしやヴァレンティーナとあれほど堅く約束したのに、いとも容易く裏切った。舌の根も乾かぬうちに、なぜだ? いざとなっても『完全なる断絶』のコピーがあるから大丈夫だと思ったのか? 『魔弾』があるからなんとかなると思ったのか? だからリオナまで連れてノコノコと聖獣と呼ばれるユニコーンに身をさらしたのか? いつからお前はそんなに強くなった?」
姉さんの大粒の涙が僕の頬に落ちる。
「一瞬だ。ユニコーンが本気になればお前など一瞬で終わりだ」
僕は…… 知らず知らずのうちに思い上がっていたのか…… 反省したつもりでいただけだったのか……
そうだ…… 以前の僕なら『魔力探知』で『草風』のまばゆいオーラを見ただけであの地下の部屋で震えていたはずだ。リオナをゲートで逃がしたはずだ。リオナに増援を連れてくるように頼んだはずだ。いくら助けを求められていたからと言って、会いに行こうなどと思わなかったはずだ。姉さんやみんなに意見を求めたはずだ。
僕は…… いつから?
姉さんは血染めの僕に抱きついた。
「お前は『魔弾』使いだ。周囲の魔素を取り込み自在に魔力を操る素質がある。だからこそお前の魔力は常人からかけ離れているんだ。だからスキル取得と共に急速に開花したんだ。だから二十二なんだ。お前の身体能力は十四歳の、少年の、人族のものにすぎない。魔力を抜きにすればどれもリオナに劣るだろう。ラヴァルに勝てたのはたまたまだ。相性がよかっただけだ。やつが疲弊しきっていたから、理性をなくしていたからだ。でなければお前など素手で撫でられただけで終わっていた」
姉さん……
姉さんは僕のほっぺたを両手で挟んで、額をすり合わせた。
「わかったか? わかったのか? ほんとにわかっているのか? 殴ってわからないならどうすればいい? エルネスト、お姉ちゃんはどうすればいい?」
姉さんは立ち上がった。
涙を拭くと心配そうなリオナの頭をポンと叩いた。
「ふたりとも死ぬなよ」
リオナも理解したのか別の意味で泣き出した。
僕は地面に大の字になると青い空を見上げた。
明前月八日、僕は決意する。
4/27改訂
姉を甘くしました(笑




