エルーダ迷宮侵攻中(平常)1
翌日、明後月三十一日、いつもなら頼まなくても駆け込んでくるはずの姉に会えなかったことが気がかりで、僕は館に出向いた。
「ヴァレンティーナ様もいない?」
ドナテッラ様が代わりに書類整理に精を出していた。
毎日やれば、積み上がらなくて済むわけだな。
「どこ行ったか聞きました?」
「確か、エルネストさんから知らせが来たときからだと思いますよ。『ついにファイアードラゴンが出た!』とか言って、おふたりで出かけられましたけど。あちらで会いませんでしたか?」
「そうなの? エンリエッタさんしかいなかったけどな…… それより、どうやって行ったんだろ? 一番艇はエンリエッタさんが使ってたわけだし」
「皇太子殿下の船を借りたみたいですよ」
「ミコーレの?」
「いえ、お兄様の」
「すれ違わなかったな」
僕は書類整理の邪魔をしないように執務室を後にした。
「まったく、エンリエッタさんもいないのに、ふたりしていなくなったら駄目じゃないか」
僕は最後の砦、サリーさんのところに向かった。
「えーっ? サリーさんもいないの?」
どうやら一緒に行ったらしい。
「指揮官不在でこの町大丈夫なの?」
「問題ありません。ドナテッラ様も長老もいますからね」
そんなにファイアードラゴンを狩りたい理由ってなんだ?
僕は首をひねりながら守備隊詰め所を後にした。
中央広場によって、ギルドに向かった。
新型の小型飛空艇を見るためだ。
一目見て、でかいなと思った。
でも六人乗りの乗り物としては悪くない。
操縦席の下のハンモック部分にはたまごを半分に切ったような床がはまっていた。
スライスした面が上になっていて、そこが木の床になっていた。床には掘込み式の椅子があって、そこにロメオ君のお母さんが座り込んでいた。
ロメオ君は馬車の御者台のような操縦席に座って、計器を弄っていた。
コアユニットからハンモックが地面に擦れないように長い脚が出ていた。
「全部木製なんだな」
「いらっしゃい」
僕が近づくとふたりがこちらを見た。
「もう乗ったんですか?」
お母さんに尋ねた。
「ええ、たった今、町の周りを一周してきたところよ」
「どうでした?」
「面白かったわよ。あなたたちがいつもあんな馬鹿でかいおもちゃで遊んでる気分がよく分かったわ」
「どんな感じ?」
僕はロメオ君に言った。
「違和感はないよ。魔石の消費も少ないし、これなら魔石一つで森の隅から隅まで行けるよ」
「でも空からの襲撃を受けると一溜まりもないな」
「元々低空専用だからいいんじゃない。その座席の下の部分がバラスト兼シェルターになってるんだよ」
「狩りの拠点にもできるってことか?」
「逃げ込むスペースにはなるね」
問題点はやはり城門を潜れないことらしい。
常備するとなると、町の外に置かないといけないようだ。解体屋の隅にでも置かせて貰うか、うちの実家のように城壁に港を併設するかしかない。セキュリティーを考えると港が欲しいところだ。
とりあえず、ロメオ君の家族や知り合いの冒険者、守備隊の面々を乗せて、今日一日、飛び回って試乗した感想を集めるらしい。
僕も乗りたかったが、席の予約は満杯だそうだ。
「兄ちゃん」
「若様」
ピノとチコという珍しい取り合わせがやってきた。
小型飛空艇を見上げて口をポカンと開けている。
「ちっちゃい……」
チコが呟いた。
主にロメオ君のお母さんに子供らしい馬鹿丁寧な挨拶をすると僕の服の袖を引っ張った。
「学校ってさ、俺たちも行くのか?」
「チコもいっていいの?」
「この町の子供は全員だろ?」
「えーっ。俺、勉強はいいよ。修行してる方がいい」
「お姉ちゃんもいっしょ?」
とりあえず授業は休日の半日だけで、たぶん学年別だからお姉ちゃんとは別になると説明しておいた。
ピノはほっとして、チコは落ち込んだ。こればかりは僕にはどうにもできない。
そうだな。入学祝いに何か作ってあげようか。
そう言えば、『異世界召喚物語』にインクのいらない筆の記述があったはずだ。
僕は自宅に戻ると早速、書庫に籠もった。アイシャさんも本日は留守であるから、独り占めだ。
さて、どの辺りにあったかな……
物語のなかでも、入植した村で学校を造る話が持ち上がったんだよな。
「あった!」
作るのは鉛筆という奴だ。
材料はグラファイトと粘土だ。
「グラファイト?」
よく分からない材料だが、なんだか魔物の名前が羅列されている。
もしかして魔物が落とすのか?
「あれ? これって……」
リストのなかには僕が既に仕留めたことのある魔物の名が含まれていた。
文章のなかに『黒い石』とあった。
もしかして屑石のなかに? 屑石のなかにたまにあるただの黒い石のことか?
僕はリュックを保管してある装備部屋に向かった。
捨てようとして溜めていた屑石箱のなかを確かめる。一個ぐらい混ざってないものか。魔石にしか見向きもしなかったから、あんな黒いだけの石、ゴミだとばかり。
さすがに回収すらされていなかった。
「仕方ない…… 取りに行くか」
午後からエルーダ迷宮に入った。
屑石のなかの屑、ただの石のなかでも黒い石の採取とは難しい。
リストのなかにもあった火鼠で行くことにした。
確か地下六階だ。
こいつには火鼠の皮集めで厄介になったので、魔石を回収したことがなかった。取り損なっても見向きもしなかったってことは、やはり屑石だったのだろう。
「それにしてもモチベーションの上がらない作業だな」
道場が遠征で利用する初心者用の迷宮で、子供の修行がてら取ってきて貰う方がいいかもしれないな。
ここは爆発と水流の魔法で仕留めていく。
今回は皮の回収ではないので急ぐ必要はない。
ポンポンポンと巣穴から火鼠が飛び出してくる。溺れた鼠がプカプカ浮いてくる。
鼠男が徘徊していた。
相変わらず暢気な奴だ。
小一時間ほどであっという間に屑石が集まった。スキル上げのために魔石の屑石は後で『鉱石精製』で一つにまとめるとして、問題のただの石だ。
ただの石ころのうち、半分が黒っぽい石だった。
『グラファイト……』
『認識』スキルが反応した!
「当たりだ……」
僕は黒石を集めて、自宅にとんぼ返りした。
『ビアンコ商会』に立ち寄って、資材のなかにある細かくて質のいい粘土を購入した。
庭先で、石を細かくすり潰すと粘土に水を加えてよく混ぜ合わせた。
型を作って芯を作るとあるが、面倒臭いので魔法で成形した。
チョークぐらいの太さの棒状にしたものを高温で焼き固める作業に入る。
『窯の二倍の温度』とあるが、どうすればそこまで温度が上がるのか分からないので、とりあえず『地獄の業火』で焼くことにする。周囲の影響を考慮して、範囲指定を極力小さくしたら、いつまでも燃えていた。
焼き上がったら今度は熱い油に漬けるらしい。
食用に大量の油が使われることは稀なので、工業用に使われている油をアガタのところで分けて貰うことにする。
鉄を溶かす窯もあるし、最初からここでやればよかったと後悔した。
試作品が完成する。芯を素手で持つと手が黒く汚れた。
布で巻いて試しに紙に書いてみるとチョークと同じように黒い線が書けた。
「線が太いな」
アガタがナイフで芯の先端を削り始めた。
そして先端を尖らせると、紙に押しつけて、書き心地を探ろうとした。
しかし、ガリッ、という音を立てて先端が崩れた。
「焼が足んないんじゃないか?」
「窯の二倍の温度だって」
「ピザ窯の?」
「それがよく分からない。文献にそうあるだけで」
「うちの炉でやってみるか?」
「任せていいのか?」
「今なら炉の火がまだ残ってるからな。物は試しだ」
予想は外れた。ほとんど変わらなかった。
「あとは材料だな」
アガタは黙々と作業する。粘土の量を増やしたものと、減らしたものとで実験する。
結果、粘土の量が多いほど堅くなることが判明した。
「これは画期的な商品になるな」
アガタが嬉しそうに笑った。
「武器じゃないものを作るのも面白いな」
鍋ややかんも武器じゃないがな。
「任せていいか?」
「ああ、問題ない。ドワーフなら子供でもできる」
それから細かい打ち合わせをした。
削る量が多くなると勿体ないので芯はパスタぐらい細くすることや、紙を巻き付けて握り易い太さにすることなどが決められた。
「先を削る道具もいるな」




