春の嵐(到来)10
わんこ君とは、かつてピア・カルーゾがこの町でロザリアの義母、コンチェッタさんの暗殺を企んだ折に、巻き込まれた獣人の少年のことだ。飽和状態の転移結晶の原石を知らずに運ばされ、我が家ごと吹き飛ばされそうになった、まだ幼い犬族の少年だった。
「子供が巻き込まれた?」
「いや、うちの住人は皆無事だ。死んだのは敵の子飼いの奴隷たちだ。恐らく何も知らされずにこの家の周囲に原石を運び込むよう、命令されたのだろう」
「親子連れに扮して、観光客に紛れ込まれたみたいね」
「すぐに村長以下、獣人たちが気付いて、後を追ったけど、そのときにはもう遅かったわ」
「五名の奴隷は吹き飛んで即死。三名が重症、薬を使ってなんとか命を取り留めたけど。みんなまだ幼い子供だったわ。死んだ奴隷たちも、たぶん……」
「そんな……」
怒りが込み上げてくる。
「気付かなかったんだ。いくら奴らでも、ここまでするなんて…… 親子連れを装って町にきて、子供だけを行かせるなんて」
「僕がいないことは分かってたでしょ?」
「狙いは、もうお前じゃない。この家の保管庫の中身だ」
「中身?」
「奴らが罪を減じて貰えるとしたら、もう、盗んだ物を返却することだけだ。だが、買い戻す金はない」
「だから盗もうとした?」
「お前を取り逃がした以上、手がなくなった奴らは直接行動に出たわけだ」
「すぐ足が付くでしょうに?」
「そこが大貴族の所以だ。白い物も黒と言わせる力がある。子飼いを生け贄にでもして罪を逃れるつもりだったのだろうが…… やり過ぎたようだな」
「罪が軽くなるどころか、王女暗殺容疑で、もはや断頭台は免れまい」
そうか、だからヴァレンティーナ様がここにいたのか。
「このうちのドラゴンの肉を奪って、馬鹿息子共から回収した献上品と偽り、王家に返却することで、せめてお家だけはと懇願する気でいたのだろうな」
「姉さんッ!」
「騒ぐな! はらわたが煮えくり返っているのは、皆同じだッ!」
「でも守るって!」
「敵の命まで勘定に入れるか! 三人助けられただけでも奇跡みたいなもんだ」
「エルネスト、レジーナは片腕を失ったのよ。敵を庇うためにね」
え?
「しくじっただけだ」
「姉さんッ!」
僕は姉さんに飛びついた。
「腕ッ! 腕は……」
両腕とも肩口にちゃんと付いていた……
姉さんは指を順番に動かして見せた。相変わらず白くて長い、きれいな指だ。
僕は姉さんの両手を自分の手で覆うように握りしめると、ほっと胸を撫で下ろした。
リオナたちも一斉に駆け寄った。
「あんたの薬と、お守りのおかげよ」
ボロボロになったお守りを見せた。
「三件目の主犯格も既に取り押さえて、詰め所で尋問しているわ。黒幕が誰かももうすぐ分かるわよ」
絶対に許さない。見つけ出して殺してやる!
「三件目の主犯はコスタンティーニ侯爵でしたよ」
転移部屋から出てきたのはロッジ卿だった。
「こんな所で何を?」
「何ごとにも証人というものが必要でね。言うなればわたしはこの町にたまたま居合わせた善良なる第三者というわけだ。他にも証人になりそうな者が館の方にも数名詰めているぞ。これで奴らも終わりだ」
ロッジ卿は黙って姉さんの手を取ると二度ほど手の甲を優しく叩いて、虚空を見つめて黙り込んだ。思考を巡らし終ると踵を返して自分の荷物をまとめ始めた。
「いやな殺戮手段が広まってしまったな。転移結晶の原石の扱いは今後、さらに厳格にしないとならんだろうな。当然、犯行手口に関しても戒厳令を引かんとな」
「原石がどこから持ち込まれたものかも調べた方がいいわね」
「想像は付くが、今は追い詰める方が先だ。帰って最後の仕上げをするよ。デメトリオ殿下の部隊ももう動いてるしな」
「部隊?」
「国外に逃亡される前に退路を絶たねばならん。一緒に仕上げを見に行くかね?」
「是非に」と言おうとしたら、姉さんたちは首を振った。
「ここもまだ終ったわけではないからな。卿に任せよう」
「エルネスト、君には仕事がある。話は――」
転移部屋から別の人物がやって来た。
「遅くなったかな?」
ガウディーノ殿下だった。
「殿下に聞くといい」
入れ替わりに宰相が消えた。
「お、帰ってきたな。エルネスト」
「たった今戻りました」
「不愉快な事件が、尚更不愉快なことになってしまったな。顔色が青いぞ」
「ええ、まあ……」
「冷静さを失っては負けだ。今は堪えろ」
「はい」
「君にやって貰いたいことがある。北街道のカンプ手前の関所を知っているか?」
「はい。国境の橋の手前にある関所ですね」
「奴らの使用人たちが財産を国外へ運び出そうとそこを通過したと、半時ほど前に知らせがあった。できれば北部の港から出港される前に捕らえたい。元々国境に近いせいで転移ポータルが設置されていなかった地域だから、追いつけるかギリギリの状況だ。さっさとポータルを設置しておけばよかったんだが。例のフライングボードとか言う奴で先行して足止めして欲しい。荷車の車輪でも壊してくれればなんとかこちらの部隊が追いつけるだろう」
『銀花の紋章団』の専用転移ゲートなら、国境ギリギリまで行けるのだが。それをばらすわけにはいかないので、黙って話に乗った。
「敵をどうやって判別するんです?」
「見るからにいい馬車に乗っているからすぐに分かる」
「偽装ぐらいするでしょ?」
「コスタンティーニ卿は先祖伝来の自慢の馬車をお持ちでな。どうしても置いていけなかったらしい。調べた限り、奴の屋敷には既にないようなのでね。一緒に持ち出された可能性がある」
「気を付けていけ。護衛はこの国の大貴族お抱えの精鋭と見ていいだろうからな。武闘大会の優勝者の群れだと思って間違いない。無理だと判断したら戦闘はするな。空の上からならやられることもないだろう」
「了解」
「わたしも行こう」
アイシャさんが名乗りを上げた。
「リオナも行くのです」
「ナーナ」
「わたしも行くわよ」
「僕も行くよ」
「ごめん。わたしは足手まといになるから、残って死者の弔いでもするわ」
ロザリアはフライングボードが苦手だ。おまけに装備が装備なので、空中戦は無理がある。
「そうね、ロザリアに祈って貰えれば、死んだ子供たちも浮かばれるわね」
ヴァレンティーナ様が負い目を感じているロザリアに助け船を出した。
「大した礼はできないぞ。正規の依頼じゃないからな」
「自分たちの身を守るためです。自腹を切ってもやりますよ」
「じゃ、時間がない。頼んだぞ。ああ、そうだ。エルネスト、先回りできそうなら、この宰相の手紙をトゥーストゥルクの第一師団の詰め所にいる隊長に届けてくれ。船を押さえるための出動要請書が入ってる」
僕たちは『銀花の紋章団』の転移ゲートを出た。
「どこ、ここ?」
ロメオ君が尋ねた。
いきなり森のなかの大岩の上に出て皆、驚いていた。
「国境沿いの秘密の場所だよ。すぐ近くに、国境の警備隊がいるから騒がないように。まずは街道に出て、それから関所を目指そう」
僕たちはボードに乗って、移動を開始した。
ナガレとヘモジには一旦ご退場願って、今はオクタヴィアだけが主人の肩に乗っている。
周囲の視線が集まらないように、なるべく高い位置を、関所に向けて飛んだ。
関所の番人は突然、空から降りてきた僕たちに驚いた。
僕たちはガウディーノ殿下が用意してくれた手形を見せると、敬礼で迎え入れられた。
兵隊の視線が盾型のフライングボードを凝視していた。
コスタンティーニ卿の馬車は、全部で三台。二台は荷物満載の馬車。一台は話にあった先祖伝来の六頭立てのコーチ馬車らしい。どれも大きな馬車で間違えようがないという話だった。
僕たちは休む間もなく、反対側の門を出た。




