エルーダ迷宮快走中(チョビ編)16
『あれから、あの冒険者たちと再び会うことはなかった。あの猫と小人を連れた一行は今も元気にしているのだろうか? 長年連れ添った夫も友人も亡くなり、わたしは老いた。一生この場で罪を償う決意をしたが、もはや身体が言うことを聞かぬ。水を汲みに川辺に行くことすら苦痛でならぬ。幸い子供に恵まれ、その子がわたしを引き取ると言ってくれた。不甲斐ないことじゃが、この村を後にせねばならなぬやもしれぬ。速やかな死の訪れを期待したのじゃが、ほとほと業が深いとみえる。あの冒険者にもまた会えるやも知れぬと思うておったが、叶わぬ夢であった。貰われたあの子がちゃんと役にたったか、聞きたかったのじゃが。あのときできなかった礼も渡したかったのじゃが…… この地を離れてしまってはもはや望むべくもない。夫や友に会うのも、家族と会うのももう少し先のことになりそうじゃ。そのときが来たら、もしかするとあの冒険者たちにも会えるやも知れぬ。そうじゃ、あれを友に預けておくことにしよう。わたしが死んでしもうたら、ただの石と間違えられて捨てられてしまうやもしれん。いかん、いかん。子供に誘われたくらいで、心の内が浮かれておるようじゃ。ほんに申し訳ないことじゃ。でももう少し待っていてくりゃさんせ。追々、そちらに参ります故』
手紙はそこで終っていた。
「勝手に殺すなよ」
みんな湿っぽくなった。
ほんの数日間のただのクエストだというのに。
手紙と一緒にあった石を日にかざした。
何の変哲もないただの石ころにしか見えないのだが…… これは一体何の石だ?
また冒険者を担ごうというんじゃないだろうな?
突然、石が輝きだした。何ごとかと思ったら、今度はチョビも光り出した。
「チョビッ!」
皆がチョビに詰め寄る。
胸が熱い!
僕は『楽園』からチョビの召喚カードを急いで取り出した。
次の瞬間、辺り一面、光に覆われた。
あっという間に虚空に放り出された。
深々と頭を垂れる少女の姿が目に飛び込んできた。傍らにはあの宝箱が。
ゆっくりと顔を上げた彼女は何も語らず、満面に笑みを浮かべてこちらを見つめている。
沈黙のなかにはまり込んでしまった僕たちは動けずにいた。
景色も白いが、頭のなかも真っ白になっていた。
オクタヴィアがくしゃみをしたことで、ようやく皆、我に返ったが、誰も一言もしゃべらなかった。
光が霧散して幻も消え、景色が戻って、ようやく僕たちは大きく息を吐いた。
チョビの姿が消えていた。
僕はわずかに熱を帯びた手元の召喚カードを見つめた。するとチョビのカードの色が変わっていた。よく見ると……
『陸王蟹チョビ』
「進化してるし……」
心なしか鋏が大きくなった気がする。
「凄いのです! 頑張ったご褒美なのです」
「ナーナ」
「今の何? 幻覚?」
リオナとヘモジが飛び跳ねている横で、ロメオ君が慌てている。
「高度な幻術じゃな。石に仕込んでおったらしい。我ながら不覚じゃったわ」
「オクタヴィア、平気。精神操作系得意」
そう言えば、笛がなくても牛一頭ぐらいは操れるんだったよな。耐性があって当然か。
あれ? お前、唐辛子食ってなかったか?
「それにしても、半端な終わり方でしたわね」
「終ってないんじゃない?」
ロメオ君の発言にみんな嫌な顔をした。
「確かに、このすっきり感のなさはまだ何かありそうな気もするけど」
「嫌なら自主的に終らせる手もあるぞ」
アイシャさんが横目で僕をからかった。「どうせ止める気はないのだろう?」という視線だ。
僕たちは、もうここには何もないと判断して、本日の狩りを終えることにした。
家に帰ると、早速、ナガレはチョビの訓練を始めた。ヘモジもオクタヴィアも一緒だ。
まず、ナガレたちが網を持って、庭の池で小さな稚魚を捕まえる。そしてそれをチョビが絞める。ひたすら繰り返すと身体が光り出すので僕が再召喚する。
すると少しチョビが大きくなる。
同じように小魚を絞めさせる。レベルが上がると再召喚。その繰り返し。
僕は本を読むこともままならず、結局、庭先でチョビが自主的に獲物を獲れるようになるレベル五まで付き合わされた。
捕った魚は全部大きくなったチョビの腹のなかに収まったが、そのときのサイズはヘモジ専用の座布団ぐらいだった。明らかに食い過ぎだ。
チョビを餌にしようと鳥たちが狙ってきたが、ヘモジとナガレの一にらみで大概逃げていった。が、たまに雷を落とされていた。
襲われないためにも、もう少し大きくなって欲しいものである。レベル五であのサイズでは当分荷運びは期待できそうにないだろう。
日も落ちてきたので僕は家のなかに引っ込んだ。
ナガレたちもちょうどいい餌がないと、今日のところは諦めて戻って来た。明日の休み、町の外の川辺で続きをするらしい。それが済んだら、迷宮の小物に移行するらしい。
「あれ? チョビは?」
「祠に入れてきたわよ。呼びたきゃいつでもどうぞ。召喚には差し支えないから」
別にこっちは構わないけど。蟹を家で放し飼いにする気はないし。風呂場で飼ったら茹だっちゃうしな。
翌日、宝物庫のロメオ君専用の保管庫の鍵を届けに行ったときだった。
クエストを受けたことがあるという人の話を聞くことができた。
「ああ、あの辛気臭いクエストか。やったやった。でも、ありゃ、どこかの何かのイベントだった気がするな」
イベント?
「エルーダじゃなかったわよね?」
「俺たちが知り合った頃だから……」
ロメオ君のお父さんとお母さんである。
ふたりの話によるとそのイベントは北のピエコルバ諸島で発見された迷宮のオープン記念イベントだったらしい。召喚獣が手に入るというイベントで、大勢が当時水路も発達していなかったその島に詰め掛けたらしい。そのときのクエストが、どうやら僕たちが今回体験したものにそっくりらしいのだ。
「なるほど、今までの一連のクエストがイベントの集団戦用だと考えると難易度的にはちょうど釣り合うな。巨大な土蟹もみんなで狩れば怖くないか」
「お友達の挙動不審も、集団戦を意識しての行動だったのかもね」
僕とロメオ君は勝手に納得した。
「特大のことは?」
「話してないよ。話したら家族総出で取りに行っちゃいそうだからさ」
僕たちは笑った。
それで、問題は、次に何が起こるかということだった。
「ああ、あれな。あれは最初、誰も気付かなかったんだ」
「次のクエストはないもんだって、みんな高を括っていたからね。イベント期間はまだまだあるのに『しけてやがる』て、みんな本気で思ってたものね」
「原因は?」
「次に起こるクエストの条件が、貰った召喚獣をレベル二十まで育て上げることだったんだよ。あれには本当に参ったぜ」
「みんな苦労してたわよね。召喚獣のレベル上げなんて誰も知らないんだから。まして無骨な連中ばかりでしょ? あんな小さな召喚獣の飼育なんて、土台無理な話よね」
「大の大人が泣き入れてたからな。俺も餌集めに奔走したもんだぜ」
「餌は殺したら意味がないって知ったのは集め始めて三日後だったのよね。餌をやるんじゃなくて、狩りをさせてあげなきゃいけなかったのよね。間違った情報を流した連中、みんなボコられてたわよね」
「ああ、俺もボコった記憶がある」
おい、おっさん……
「その召喚獣って? 今は?」
ロメオ君が聞いた。
「ああいうのは魔力が余ってる奴が持つもんだからな。一緒にやってた魔法使いが今でも持ってんじゃねーか?」
「で、あなたたちの蟹は?」
ちょうどタイミングよく、店にナガレが顔を出した。昨日と同じ大きさのチョビを連れて。
「若様、ちょっと再召喚してくれる?」
「お、なんか、俺が知ってる蟹と違うな」
「よく分かんないけど、進化した」
ロメオ君がばつ悪そうに答えた。
「はぁあ?」
夫婦が顔を見合わせた。
「ヘモジと遊んできたから一回召喚し直してくれる? 結構大きくなったと思うんだけど」
ナガレがそう言うので僕は何も考えずに再召喚した。
するとドカッという大きな音がして、大きな蟹が現れた。
「うわっ!」
「でかッ!」
椅子が一脚踏みつぶされた。




