カレイドスコープ
その日はあっけなく訪れた。
討伐が終わった翌日、ヴァレンティーナ様は撤収を宣言し、翌々日騎士団の面々は王都に帰還することになった。
搬送するものはすべてその日のうちに王都に送り、あとは手荷物だけという状態で夜を迎えた。
騒げるだけ騒いで、翌朝、つまり今朝だが、最後の朝食を取るとみんなは中庭に出てゲートから帰還していった。
いつか来ると覚悟していた朝。
いつもの朝と変わらないはずなのに、それはとても寂しい朝になった。
「あっさりしたもんだな」
今までだって、仕事で誰もいない日はあった。帰らぬ日もあった。
もう会えないわけではないのに、もう昨日までの日々は戻らないのだと、一緒に暮らすことはないのだと思うと寂しくて何もできなくなってしまうのだった。
リオナも黙って誰もいなくなった部屋のなかを見て回っている。
ふたりで住むにはこの家はでかすぎる。
家具や調度品はそのままに、人だけがきれいさっぱりいなくなった。
お風呂の温泉も変わらず沸き続けていたし、中庭や温室の草木も寂しいからと頭を垂れるわけでもなかった。地下の馬鹿げた巨大施設は健在だったし、何一つ変わってはいなかった。
やっぱり小さな家の方がよかったな……
「このゲートで王都に来ちゃダメよ。城の一角に出るからね。不審者と間違われて即あの世行きだからね」
ひどい言い草だよな。リオナだって王女様なのに。姉妹に会いに行くこともできないなんて。
姉さんもいつもの覇気がなかった。
書庫の鍵を僕に預けるだけで精一杯のようだった。涙声で手も震えていた。
幼い頃に別れて以来、久しぶりの同居生活だったのに、また離れ離れになってしまった。
もっと優しくしてやればよかったかな。
リオナがとぼとぼと戻ってくる。
さあ、元気を出さないと。
年上の僕が元気を出さないでどうする!
表玄関の呼び鈴が鳴った。
「誰だろ?」
この家の玄関に用がある人などそうはいない。用がある人は大概中庭からやってくる。
この街の人だろうか?
僕たちは玄関に向かった。
「どちら様ですか?」
リオナが尋ねた。
「アンジェラ・ワトキンスです。本日よりこちらで働かせていただくことになっているのですが。お目通り願えませんでしょうか?」
リオナが玄関のドアを開けた。
沈んでいたのが嘘のように明るい笑顔を浮かべた。
「いらっしゃい。アンジェラさん」
リオナ? 彼女が来るの知ってたの?
「アンジェラ・ワトキンスです。こちらはわたしの姪でエミリー、そして……」
アンジェラさんは例の屋根がよく吹き飛ぶ家の身重の女将さんだ。今は無事出産を済ませてお腹はすっきりしていた。
リオナだけでなく、ヴァレンティーナ様とも既知の間柄であり、亡夫同様、現役時代にはそれなりのつきあいがあった人物らしい。
赤ちゃんを産んだばかりだからか、胸ははち切れんばかりだったが、お金を節約しているのかな? 服のサイズが少し小さい気がする。一つ大きくした方がいいと思う。僕的に。
一方、エミリーは明らかに食事が足りていなかった。やせぎすで、いつ転んでもおかしくないような娘だった。食い扶持を減らすために里を出されて、叔母を頼ってこの町にきたのだそうだ。
彼女の腕のなかには今は亡きブームさんの忘れ形見が抱かれていた。
「息子のフィデリオよ」
アンジェラさんの後ろで赤ん坊を抱くエミリーを見ていると、こっちが不安になるな。
詳しいことはすでに僕の頭越しにヴァレンティーナ様や姉さん、リオナとの間で決められていたようで、僕が何かしなければならないということはなかった。
「確かに家を任せるのにこれほど適した人はいないね」
元冒険者というのはありがたい。こちらの都合を理解してくれるだろうし、ときには相談にものってもらえそうだから。
リオナのたっての願いでもあり、断る理由はない。僕が同意しようが拒否しようが結果は変わらないわけだし、お互い楽しくやるためには最初の対応が肝心だ。
僕は三人と笑顔で握手を交わした。
「お部屋に案内するね」
リオナは三人を引き連れて、迷宮案内に出かけた。
多少乳臭いがこれが家族の匂いというものだろう。
またうるさくなればいいな……
戻ってきたアンジェラさんはすっかり興奮していた。
「また冒険者始めたくなっちゃったわよ。あの地下はやはりお姉さんが?」
僕が頷くとやっぱりという顔をした。
「お姉さんの別名知ってる? 『穴熊』って言うのよ」
初耳だった。
「お姉さんは昔から穴を掘るのが好きでね。まあ、当時は私たちも全員、か弱い女子ばかりだったからね。こう見えて獲物より同業者の男たちにおびえていた頃もあったんだよ。今ほど治安もよくなかったし、宿より野営することの方が多かったかな。そんなときは彼女が地下に立派な住処を作ってくれてね。大雪で一ヶ月逗留する羽目になったときなんか、暇に飽かして土魔法だけで馬鹿でかい地下宮殿を作っちゃったのよ。あれにはさすがにみんなどん引きしたわね。そうか、未だに『穴熊』健在か」
姉さんの昔を知る人か…… なんだかこそばゆい。
赤ん坊がぐずりだした。
「はいはい、ママはここですよー」
女たちの時間になった。リオナとエミリーと三人で楽しそうにおむつを替え始めた。ついでに授乳も済ませるらしい。
僕はリオナに中庭に追い出されると、青い空を見上げて大きく背伸びをした。
いい天気だなぁ。
そういえば、しばらく見ていなかったな。僕は『認識』スキルで自分をのぞいた。
アクティブスキル…… 『兜割(三)』『スラッシュ(二)』『連撃(三)』『ステップ(三)』『認識(四)』『一撃必殺』『火魔法(一)』『水魔法(一)』『風魔法(一)』『土魔法(二)』『氷魔法(一)』『無属性魔法(一)』『空間転移魔法(一)』『強化魔法(一)』
パッシブスキル…… 『腕力上昇(三)』『体力強化(三)』『片手剣(四)』『両手剣(二)』『弓術(四)』『盾術(一)』『スタミナ回復(二)』『二刀流(一)』『隠密(一)』『アイテム効果上昇(二)』『採集(五)』『調合(六)』『毒学(二)』『革細工(三)』
ユニークスキル…… 『魔弾(三)』『楽園(一)』『完全なる断絶(偽)』
称号…… 『蟹を狩るもの』『探索者』『探求者の弟子』『壁を砕きし者』
こりゃまた増えたなぁ。
魔法各種と『両手剣(二)』、『盾術(一)』、『隠密(一)』、『革細工(三)』、『完全なる断絶(偽)』
偽って何? マネしただけだからしょうがないのか? それともユニークスキルは血を引いてないと偽物扱いになるのか? いつか本物になるのだろうか? 偽物扱いするぐらいなら初めから認識しなきゃいいのに。
それにしてもすごかったな、あの絶対障壁。『魔弾』何発叩き込んだっけ?
あれじゃ姉さんに殴られても文句言えないよなぁ。勝てたのは相手が限界まで疲弊していたせいだし。ヴァレンティーナ様たちの地道な努力のおかげなんだよな。
でもこれで僕も兄さんたちの仲間入りかぁ…… なんかやだな。
うーむ、あんなに騎士団の練習に付き合わされたのに他のスキルの上昇はこんなものなのか? ヴァレンティーナ様の死の特訓にも耐えたのに。
手加減されてるのはわかってるけど…… 僕の強さってこの程度なのかな。
称号は…… よくわかんないのが増えてるし。一個はそのまんまだし。
『銃使い』とかのスキルはないんだな。魔石任せになってるからスキル関係ないんだろうな。うまい下手関係なく誰でも使えるしな…… リオナの全弾命中を見ちゃうとな。
考えようによっては怖い武器だよな。誰でも強くなれるって。
そう考えると、特訓で得たスキルが愛おしくなるな。
まあ、今回は『魔弾』が二つも上がってるからよしとするか。
雲がゆったりと流れている。風が心地よい。部屋のなかから女たちの笑い声がする。
いろんなことがあったなぁ……
振り回されてばかりだったけど…… 楽しかったなぁ。
万華鏡のようにめまぐるしく変わる日常。姉さんがいて、リオナがいて、ヴァレンティーナ様がいて、エンリエッタさんがいて、サリーさんがいて、マギーさんたちがいて。
がんばらなきゃ。リオナと一緒だから無茶はできないけど。
だからみんな元気で! またいつか再会……
「いやー、参った、参った」
「まさかこういう裏があったとはな。うちの重鎮もやることがえげつないわね。それに姉上も姉上だ」
姉さんとヴァレンティーナ様が転移ゲートから何食わぬ様子でひょっこり出てきた。
「よッ。泣いてなかったか? 弟よ」
さっきまで泣いてたのあんただろ? 何晴れやかな顔してんだよ。
「すまないな、エルネスト。予定が変わってしまってな。またやっかいになる」
「…………」
ゲートから次々見慣れた彼女たちが現れる。
「なんでだぁああああああ!」
僕は心のなかで叫んだ。
全員僕を素通りして何食わぬ顔で部屋に入っていった。
僕はぽつねんと閉じられていく扉を見つめた。
「僕とリオナの感傷を全部まとめて、時給にして返せ、こらーッ」
空は変わらず穏やかだった。
お約束です。




