遅日と砂漠の蛇(終幕)14
姉さんたちは以前、僕に無理矢理渡された『身代わりぬいぐるみ』を片手に持ちながら、固唾を呑んで聞いていた。
子供たちは消音結界の外でぶーたれていたのでベーコンサンドで気をそらした。
ヴァレンティーナ様は頭を抱え、姉さんは怒る気も失せてソファーに身を投げ出していた。ロメオ君はあんぐり口を開けて、ロザリアは呆然と虚空を見つめていた。
「ハイエルフの秘蔵物ではなかったのか?」
姉さんが言った。
「四十個ぐらいあるかな」
最初に作った分と『紋章学』のレベルを上げるときに量産した分で確かそれ位だ。『楽園』に放り込んである。
「一向に減らないんだもんな」
ようやく本日一つ消化したわけだ。
「減って堪るかッ! この馬鹿!」
分厚い本が飛んできた。投げたのは勿論姉である。
ヴァレンティーナ様はようやく頭を上げた。そしてその青い目で僕をじっと見つめた。
「天才と馬鹿は紙一重というけれど…… エルネスト、あんたは飛び切りね」
聞いていた全員が頷いた。
「今持っているのは誰だ?」
僕はこの船に乗っている全員と我が家の使用人と道場主のリストを上げた。
「嘘を突き通すしかないな。ロメオもロザリアも外部に漏らすなよ」
ふたりは頷いた。
「勿論ドナテッラ、あんたもだ」
『幻惑魔法』の話題は吹き飛んでしまった。
なぜ将軍がいかれていたのか? ドナテッラ様が何をしたのか? 聞きたいことはまだまだあったのに。
帰還後、ドナテッラ様は約束通り、書記官に納まった。『幻惑魔法』は以後、ヴァレンティーナ様の肩越しで有効に使われることになる。ことはないと思う。
さて、事ここに至るまで忘れていたことがあった。それはもう一つのユニークスキルの存在であった。ボドラーク将軍のユニークスキル『魂喰い』である。
実は将軍も世継ぎに恵まれていなかったことが発覚したのである。唯一いた跡取りが内戦勃発時に意気込んだ挙げ句、帰らぬ人になったのだ。
将軍がおかしくなり始めたのもちょうどその頃からだったらしく、ショックの大きさが窺い知れた。まあ、因果応報という奴だ。
いかれた理由は分かったが、ではなぜ、今更な情報を集めることになったのかというと、あったのだ、僕のスキル一覧に。ユニークスキルの欄に見慣れないものが。
ただ、僕としては魔物であれ獣であれ、第三者の魂を取り込むという発想自体に抵抗があったので、正直いらないし、使いたくないと思った。すると、ユニーク所以か、元の姿からまた様相を変えてしまったのだ。ユニークスキルというのはあくまで術者の固有スキルであるから、術者の好む形にある程度変わることはよくあることだ。『魔弾』がいい例だろう。でも今回のこれはまったく変わってしまっていた。スキルの根本を否定されたのだから仕方がないとも言えるが。『魂喰い』改め、『憑依』である。いくら魂を奪うことを否定されたからと言って、魂を奪わず力をものにする手段に移行しなくてもいいと思うのだが。悪霊か、僕は!
考えようによっては『幻惑魔法』より質が悪い。憑依してしまえば、相手を思うように動かせるのだから。アサシン辺りは喉から手が出るほど欲しがるだろう。結果的にまた誰にも言えないスキルが増えた。因みにやってみての感想だが、人に使うのは難しそうである。レベルを上げたらどうなるか分からないが、本能で動く奴ほど憑依はしやすいようだ。オクタヴィアに唐辛子を食わせることはできても、姉さんの財布から心付けを出させることはできなかった。
それでも『憑依』には『幻惑魔法』にはないメリットがあった。それは射程の長さである。『幻惑魔法』が相手とかなり接近しなければならないのと違い、『憑依』は僕の『探索』スキルとも連動して、かなり遠くの標的まで操作できるのだ。
全くもって僕好みのスキルに変身したものだ。『楽園』といい、僕のユニークは優秀だ。使い道は全くもって思い浮かばないが…… 人に使えないのは先代と同じかね。
『使役の笛』と効果が被るからオクタヴィアから仕事を取り上げない程度に使うことにする。
明後月九日、待ちに待った『春祭り』が始まった。
前夜祭だというのに、リオナたちは朝から姿を消していた。
獣人たちは朝から自前で肉祭りを始めていた。いつもの景色、いつもの風景だった。少し違っているのは、祭りを見るためにやって来た観光客が何ごとかとのぞきに来て、巻き込まれていくことぐらいだった。
本日は外部の目があるので、ドラゴンの肉は封印だが、その分、獣人たちが各々珍しい肉や秘伝のたれを持ち寄って、それはそれで面白いことになっていた。
我が家は我が家で大変なことになっていた。明日の仕込みということで、アンジェラさんとドナテッラ様が厨房で暴れていたのだ。エミリーとロッタがいないせいで、あたかも苦労が倍増したかのような口ぶりだった。他人を宛てにするくらいなら初めからしないことだ。カーターは孤軍奮闘、いい迷惑である。
そして言い掛かりを付けられた当人たちは、サエキさんたちと一緒に作戦会議という名のお食事会を満喫していた。明日の『薪集め大会』の予選の準備は用意万端、余念がなかったと言えば大嘘になる。レギュレーションが変わった意味を考えているのか、去年の調子で行けると思っているなら大間違いだ。それ以前に食い過ぎで棄権しないことを願おう。
結局、家にいても庭にいてもこき使われるのが目に見えていたので、僕は早々に脱出した。
今僕は城の主塔のてっぺんで椅子に腰を下ろして、喧噪を背景に読書中である。アイシャさんもどうせならこっちで読書すればいいのに。相変わらず書庫の奥に籠もっている。
そろそろお互い読む本がなくなってきたので、新書の発注をしなければならない。その前に先立つものを稼がねば。アイシャさんは基本的になんでも読むので安物の雑誌でも構わないのだが、僕はここにある本が読み終わったら手持ち無沙汰になってしまう。そうするとまたよからぬ発明を……
正直ここにある本も新しい発見は余りない。既に姉さんに教えて貰ったことばかりだった。まったく希少本レベルの情報を初期魔法を教えるような手軽さで教えるのはやめて貰いたいものだ。
「エルネスト、いるか?」
噂をすれば、である。
「狭いな」
屋上への通路は出口が大分狭くなっている。大きな杖を抱えては上がりづらかろう。
僕は差し出された杖を引っ張って、姉さんを引き上げた。
「嗚呼、久しぶりだな。ここに上がるのは」
姉さんの孤独時代の居城だ。この場所に何度も上がったに違いない。
「出かけるぞ」
「今から? どこに?」
「ドラゴン狩りだ」
「熱い所?」
「暑い所だ」
「なんで?」
「いろいろ秘密ができてしまっただろ? 『身代わりぬいぐるみ』とか、『身代わりぬいぐるみ』とか、『身代わりぬいぐるみ』とか! ミコーレの例の夫婦が、おっと結婚はまだだったな」
「あれ、そうだっけ?」
「ふたりの将軍の喪に服しているからまだ、結婚はもう少し先だ」
「そのふたりが何か?」
「口をつぐむ代わりにお願いと来た」
「ほんとに?」
さすがに呆れた。毎度のこととは言え、よくもまあ。
「『身代わりぬいぐるみ』をくれてやっただけでは足りぬらしい」
「船の材料を調達してこいと?」
「『代金は払うんだから、良心的でしょ?』だそうだ」
相変わらず抜け目がない。
結局祭りの雰囲気を味わうどころではなくなった。
「船が完成したら、船ごと沈めてやる」
姉さんの怒りの矛先はドラゴンに見事に命中。僕の腹のなかに収まり。ギルド御用達の解体屋に。おかげで書籍代と今年分のドラゴンの肉が手に入った。
アンジェラさんたちが毎日屋台を出しても、三年は持つんじゃないだろうか?
かくしてミコーレ皇太子のための飛空艇建造が開始された。
受け渡しは、喪が明ける頃、国境の空中庭園のこけら落としと同時に開催されるふたりの結婚式の席で、スプレコーン側から贈答されることになる。
何が代金は払うからだ。全部ヴァレンティーナ様の持ち出しじゃないか。




