遅日と砂漠の蛇(バシュタナ侵入)10
「不安?」
ドナテッラ様が心を堅くして言った。
「できるならさっきの記憶を消して欲しい」
「駄目よ。あなたに見せるためにわざとやったんだから」
「なぜ?」
「怖いでしょ? 信じていても猜疑心がとめどなく沸き上がってくるでしょ? 否定しても、否定しても心の底からその思いは泉のように沸き上がってくるのよ。今の自分は操られているんじゃないかってね」
「大公家が滅んだのはもしかして」
「生涯の友と誓いあった男に父は一度だけ、たった一度だけ自分の秘密をばらした。でも信じ合っていたはずの無二の友人は次第におかしくなり、やがて父の前から遠ざかっていった。そして再び相まみえたとき、それは起きた」
「クーデター……」
「父は生涯一度としてこの力を他人に使うことはなかった。でも、人にとってそれは名を聞いただけで震え上がる劇薬になるのよ」
「どうして僕に?」
「まだ内緒。行きましょ。早くしないと祭りに遅れるわ」
僕の心は揺れた。理性を保とうとすればするほど嫌な感情が沸き上がってきた。
僕は既に彼女の虜になっているのではないだろうか。訳も聞かずに付いていく自分は楽観を通り越して脳天気過ぎやしないか。自分の心のどこまでが自分のものなのかわからなくなってきた。
ヴァレンティーナ様はあのとき本心で僕に依頼したのだろうかと、そこまで話を巻き戻して検証をし始める自分がいた。
「エルリンはエルリンなのです!」
どこかでリオナの声が聞こえた気がした。思わず笑ってしまった。なんの確信にもならない台詞に勇気づけられる自分がおかしかった。
「どうやって向こう岸に渡ろうかしらね?」
「遮蔽物があって人気のない場所があれば……」
僕は望遠鏡で対岸を探った。
「何か手があるの?」
「転移します」
「あら、お姉さんに教えて貰ったの? まだ実験段階だって言ってたのに」
「兄に教えて貰いました」
「そう言えば共同研究だったわね」
「だったら、宮殿に一気に行きたいわ」
「遠すぎます。僕の力だと向こう岸に渡るのが精一杯かと」
「弓の的になりそうね」
残念な顔をされた。
宮殿まで飛ぶには、三回は転移が必要だ。ただ三回目は城壁より高い建物がないから、どうしても城壁より低い位置からの転移になる。三回目は特定の困難が予想される。
「この際、城壁を破壊するか……」
「怖いこと言ってるわよ。エルネストちゃん」
「一番簡単な潜入方法なんで。それとも穴を掘って地下から行きますか? 姉さんほど穴掘りうまくないけど」
「敵の注意を引いている隙に潜入する手があるわね」
「敵ですか?」
「エルネストちゃんお願いね。しばらく暴れ回って頂戴。その隙に宮殿の地下に行って確かめてくるから。それでもし封印が解かれているようなら一旦出直しましょう」
「内乱に干渉しちゃうことになるんじゃ?」
「どの道、魔物のアジ・ダハーカの方をどうにかしないと国自体がなくなってしまうんだから。仕様がないわよ。大丈夫。あれを封印したのはわたしのご先祖様なんだから、最悪、逃げてくるわよ」
「じゃあ、行きますかね。まずはあの漁師小屋に飛びます」
僕はヘモジを対岸に召喚させた。
相変わらず積み荷の隙間でポージングを決めている。
「こら、見つかるぞ」
こちらに手を振ってくる。
「こら、見つかるって! 早く漁師小屋の扉を開けろ!」
トコトコと足場の悪い岸辺を移動する。
嗚呼、頭の上に見張りがいるぞ! 気を付けろよ!
ヘモジはきれいなタイミングで一段上の石垣を歩く見張りをやり過ごした。
「なんだか楽しそうだな。ヘモジ」
僕は望遠鏡でヘモジを追った。
ようやく小屋に辿り着き、扉を開けた。
「今だ、行きます!」
僕は小屋のなかにゲートを開いた。扉の位置関係からゲートの発光現象は対岸以外からは見えないはずだ。
うまくいった。
僕たちは薄暗い小屋のなかに転移した。
ヘモジが急に扉を閉めた。
真っ暗になった。
すぐ側で人の声がした。見張りの声だ。
砂を踏む足音が近づいてくる。
板張りの壁の隙間から外を覗く。
「次の転移場所は、あのやや左にある大きな屋敷跡にしよう」
背の高い母屋の天井にはまだ屋根が掛かっていた。
「あそこなら見つかっても攻撃は受けない」
小屋の扉に見張りの手が掛かった。
僕たちは間一髪転移した。
振り返ると、ふたり組の兵士が漁師小屋を検分していた。
僕は気を取り直して正面を見据えた。
「じゃあ、やりますよ」
ドナテッラ様が頷いた。
僕は衝撃波を放った。
城壁は碌な抵抗もなく脆くも崩れ去った。王国の障壁レベルとは強度が違い過ぎた。
それでもドナテッラ様は目を丸くした。
「今のうちに!」
城壁の側まで飛んで、間髪入れずに崩れた壁の隙間から見える窓に飛び込んだ。
ヘモジが側にいた見張りにトンカチを見舞った。
ドナテッラ様の淡い記憶では目の前の階段をひたすら降りたところに地下への入り口があるらしかった。
秘密の地下道を通れば目的地に着くらしい。
城内が騒がしくなってきた
「ここにいては見つかります」
「では、ここで」
彼女がひとりで行こうとする。
「ヘモジ頼んだ」
「ナーナ」
ヘモジは窓から飛び出すと巨大化して暴れ始めた。
「行きましょう」
僕は多少強引に彼女の後に続いた。
「ちょっと、行くのはわたしだけで充分よ」
「まあ、いいから、いいから」
彼女にとっては予定外だったらしいが、僕には予定通りの行動だった。
ひとりで行かせてなるものか。
僕たちは階段の突き当たりの物置部屋に降り立った。
蜘蛛の巣が所々取り払われていた。
最近誰かがここを通ったらしい。床はきれいに足跡を消してあったが、手抜かりだった。
「あの本棚の後ろに通路があるわ」
古典的な仕掛けで、決まった本を奥に押し込むとロックが外れた。
本棚を手前に引くと奥に隙間が現れた。
僕たちはさらに階段を降りると、ようやくそれらしい地下道に出た。
ドナテッラ様が魔法を放った。
後ろから近づいてくるスケルトンを葬った。
「ここのガーディアンよ」
「趣味悪ッ。せめてゴーレムぐらいにしておけばいいのに」
「自然の産物よ」
暗黒竜の影響を受けたらしい。最深部に行くほど影響は大きいわけで、都合がいいというわけだ。
スケルトンの扱いなら慣れている。
僕たちはサクサクと前に進んだ。迷宮以上に大した装備をしていなかったので手応えがなかった。
道はうねり始め、立体構造も複雑になって方角も深さも分からなってきた。
やがて、襲撃も収まると広いフロアーに出た。
「なっ!」
突然、千年大蛇張りの巨大な蛇に襲われた。
簡単に一刀両断したが、一匹が二匹になった。
「なんだ?」
仕方ないので燃やした。
「敵にばれたか?」
いやーな雰囲気が奥から漂ってきた。
頭の上からまた蛇が降ってきた。それも今度は大小十数匹。
僕は結界を施しつつ、焼いて確実に仕留めていった。
「あれ? ドナテッラ様?」
仕舞った! 迷子になったか?
僕はヘモジを召喚した。
「彼女はどこだ?」
探っても見当たらなかった。
「ナナ、ナーナ」
へ? 上?
「ナ、ナーナ」
宮殿の大広間にいるだって?
そんな馬鹿な。いつだ? さっきまで一緒だったのに!
僕は踵を返した。
「ナーナ!」
兵士たちが、通路に押しかけて来た。
「ええいッ、邪魔だ」
僕は一瞬で凍らせた。
素通りすると僕は上階を目指した。
「侵入者を行かせるなッ! 仕留めよ!」
兵士たちが次から次へと詰め掛けて道を塞ぐ。
「邪魔をするなぁあッ」
通路ごと吹き飛ばした。天井が崩れた。
「ナーナ!」
見つけたッ! 反応があった。
最短コースを進むべく、天井をぶち抜いた。
瓦礫をよじ登り、大広間に到着したときにはドナテッラ様は床に倒れていた。
「ドナテッラ様!」
僕たちは駆け寄った。
「そういうことか、まだこの屋敷にいたのか……」
そこにはひとりの男がいた。いや、男だったものが……




