遅日と砂漠の蛇(難民キャンプ)7
「まるで防砂壁のようだ」
埋めるのが間に合わないのか?
彼の表現は嘘ではなかった。
「故郷に帰してやりたいらしくて、ここには埋めたくないそうです」
「棺桶待ちか…… そんなことやってる場合じゃないと思うんだけどな」
ゾンビになられても困るんだから、焼くのが一番なんだけど。風習が違うと言われればそれまでだ。
大きめのテントがわずかに六張り、後は木切れやガラクタで壁を造って日除けを作って凌いでいた。何千人…… 何万人だろうか?
夜は寒いだろうに。これでも国に留まるよりましだというのか。
馬車は枯れ枝のような人たちの間を抜ける。
僕は目をそらした。僕の身体からはカリーの匂いがしてはいまいか? チーズの匂いは?
別世界だった。
「止めておきなさい」
ドナテッラ様が呟いた。その両手は真っ赤になるほど強く握りしめられていた。
かつて自分たちの家が治めていた領民たちが惨状に巻き込まれているのがいたたまれないのか?
それともあるのは憎しみか?
自分の一家を見殺しにした領民たち。助ける理由など彼女にはないのかも知れない。いい様だと思っているのだろうか?
でも、彼女は兎も角、僕が見逃していい理由になるだろうか?
「止めてください」
僕は馬車を飛び降りた。
「少し待っていてください」
僕は轍を外れた空き地を目指した。
「そんなことをしてもなんの解決にもならないのよ。戻りなさい!」
ドナテッラ様が叫んだ。
「時間稼ぎはできます」
「やめなさい!」
「ほんの一瞬でも息継ぎできれば人はまた立ち上がれる!」
「砂漠はあなたが知っている世界とは違うのよ!」
「だったら、僕の常識も砂漠とは違うことぐらい分かるでしょ!」
僕の家族は健在だ。災害認定なんか受けちゃいるけど皆、呆れるくらい息災だ。ドナテッラ様のように、家族や使用人たちを皆殺しにされるような酷い目にも遭ったことはない。若くして愛する者を失ってもいない。まして彼の国となんの関係もない。
だから気兼ねも躊躇もいらない。それは僕の、僕であることのメリットだ。
「大したことをするわけではありません!」
お節介上等である。
僕は地面に手を当てる。
蟻地獄のように砂をすり鉢状に掘り下げながら沈んでいく。
ナガレなら匂いだけで立ち所に水脈を探し当てるだろうが、僕にはできないので、地面を実際に堀り進めることにする。
岩盤さえ抜ければ水はあると期待するしかない。
地盤まで来ると『無刃剣』を使ってボーリングを始める。空気が薄いので非常用の風の魔石を発動させた。瓦礫の山は面倒なので腹のなかに収めた。
「あっ!」
しばらく堅い地層を掘り進めると、岩が突然緩んだ感じがした。
後一撃で岩盤を抜けると感じた。
僕は穴の周囲の壁を固めながら上を目指した。僕は足場を螺旋状に作りながら上に登って行く。
「ざっと二百メルテか」
本当に浅いんだな、この辺りは。
僕が地上に降り立つと、大勢の人だかりができていた。テントから元々設置するはずだったらしい真新しい井戸ポンプなど装置一式が大勢の男たちの手によって運ばれてきた。
僕は井戸の底に最後の一撃を加えた。
気の早い連中が長いロープを結わえた桶を早速、井戸に放り込んだ。
ドポンという音がした。
濁った水が汲み上げられた。僕は汚いと感じたが、見ていた連中は大喜びしていた。
しばらく見ていたが水が溢れる様子はなかった。穴を覗き込むとちょうどいい深さでバランスが取れていた。とは言え、ロープで汲み出すには深めの井戸だった。
「後はこちらでできますので」
キャンプのスタッフが言った。
どうやら御者が、僕の正体をスタッフに話したようだ。公爵家が遣わした井戸掘り名人、もとい魔法使いであると。
穴が崩れるといけないので周囲の水辺を固めると後はその場を任せた。
後は簡易的な避難所を造るだけだ。と思っていたら立派な避難所が井戸を囲むように既にできあがっていた。
「時間の短縮よ。これで充分とはいかないでしょうけどね」
ドナテッラ様が言った。
遠くに砂煙が舞い上がった。
突然キャンプの雰囲気が変わった。
「何?」
「この土地の豪族です。威張り散らした連中ですよ」
スタッフのひとりが言った。
「このキャンプは彼らのものですか?」
「いえ、大公様が一時的に借り受けたものです。代金も既に払われていますから彼らに文句を言う権利はございません」
「無闇に足を突っ込むとこういうことになるのよ」
ドナテッラ様が苦しそうな顔をした。
「何か問題でも?」
「あなたが思っているほど人は強くないのよ。キャンプの役人だって矢面に立たされたら困るでしょ。彼らにだって家族はいるのよ。あなたのように強い人間ばかりではないの。弱い者は強い者には本位でなくとも逆らえないものなのよ」
「そうでしょうか?」
「そうよ」
騎馬に乗った一行が砂煙を巻き上げ、やって来ると難民たちは散っていって、井戸の工事をしていたスタッフだけが取り残された。
「誰が井戸を掘っていいと言った」
「この地は公爵家が正当に借り受けた地です。文句を言われる筋合いはありません。なんでしたらいずれ返還の折には埋め戻してお返しいたしますが」
ここの責任者は肝の据わった人物のようだ。
「気が変わった、大公に貸すのは止めだ。全員ここからでて行け! この井戸は壊す必要はないぞ。我らが有効に活用してくれる」
砂漠では井戸一つで戦争になると言うが、この手の馬鹿が多ければそうなるだろうな。
「では代金は大公様に代わってあなたに払って頂きましょうか?」
「ちょっと、エルネストちゃん」
「代金は金貨三千枚。こちらもプロ故、鐚一文負かりませんよ。思ったより作業は容易かったので大公様になら何割か負けて差し上げようかと思いましたが、このような理由でしたら負ける謂れはございません。全額お支払い頂けますか?」
「ふざけるな、小僧! 人の土地で勝手に井戸を掘れば重罪だ! 貴様は死刑だ!」
「つまりわたくしめに命令した大公様も死刑と言うことですね」
男は口籠もった。
「あなたは大公を殺すと言うのですね?」
「違う! そんなことを言っていない! 俺は貴様を――」
「正当な取引で租借した土地を勝手に取り上げるというのは、大公家を下に見ているということの現れ。問題ですね。後でどう申し開きなされるのでしょう?」
「ええいッ! 後もへったくれもないわ。今日からこの井戸は我らの物だ! 利用したくば利用料を払え。さもなくば今からお前たちを皆殺しにしてくれる! どうせほっといても直に干上がって死ぬんだ。難民など国家の財源を食いつぶす毒虫と同じじゃ」
「いいから、さっさと代金を払えよ、おっさん」
騎馬の上のむさ苦しい男がこちらを睨んだ。
「なんだと。もう一度言ってみろ、小僧」
「ああ、耳が遠いのか、だから声がでかいんだな。いいだろう。言ってやろう」
僕は練習中の例のあれを身に纏い怪しさを爆発させた。
「代金を払うのか払わないのか、約束を破るのか、黙って全うするのか、さっさと決めろ」
僕はゆっくり、じわじわとにじり寄る。熱波で蜃気楼ができ上がる程に、周囲の温度は跳ね上がった。馬たちは怯え始め、そわそわし始める。
ここで決着を付けておかなければ、僕たちがいなくなった後でここにいる連中が被害を被ることになる。それは避けねばならない。僕の馬鹿のせいで皆殺しなどあっては困るのだ。
契約期限までは何が何でも大人しくして貰わなければ。
「教えてくれませんか? 大公様にどのように返答すればよいのか? 約束を反故にされた上、井戸を掘った罪でこのキャンプの人間も公爵様も死刑にすると、あなたが息巻いていたと?」
耐えられなくなった馬が逃げ出した。乗っていた連中は振り落とされるか、しがみついたままどこかに消えた。
「そ、それは……」
早く答えないと男の馬がもう保たないぞ。
「ではこういうのはどうでしょう?」
僕は地獄の業火を消して男に近づいて耳打ちした。




