遅日と砂漠の蛇(侵入)5
「今夜日暮れと共にこの先の城門から乗合馬車が出る。パロタンまでは行けるだろう。バシュタナへ入る街道の橋はすべて政府に押さえられているから馬車で行くのは諦めろ。大きな橋以外は落とされているから、町に入るのは至難の業だ。必要ならその手の連中を雇うといいだろう。降りるときに御者に聞けばいい宿を紹介してくれる」
大金出した分の情報はくれたと思うべきか?
「砂漠なのに町が川で囲まれてるんですか?」
「オアシスの上に作られた町だ。昔は観光客で賑わう美しい町だったそうだ。今じゃ天然の要害だ。見る影もない。死神に取り憑かれた亡霊共の町だ」
本当に亡霊が出ないことを願いつつ、僕たちは一旦町に戻り、夜を待つことにした。
今は夜が明けたばかりで、夜更けまでは大分時間があった。
「歩いてでも国境を越えた方がよかったのでは?」とドナテッラ様に言ったら、乗合馬車で一日あればその差は埋まると言われた。
祭りまでには戻りたいという心理が働いている自分には過ぎゆく時の流れは貴重であった。
それにしてもなぜあの闇の運び屋を知っていたのだろう?
用意周到な下準備は誰の仕込みだ?
今回はヴァレンティーナ様がかんでいるとは思えなかった。交渉事をするにしても内乱が収まって政局が決した後にするべきだ。何を好き好んで戦時に介入するのか? ましてや姉さんと対立してまでやることじゃない。メリットがどこにも見えない。あるとすればミコーレのふたりだが、それとドナテッラ様との関係は? 誰が首謀者かで僕の行動も変わってくる。
「なぜ同行者が自分なのか考えろ」とヴァレンティーナ様は言った。それが、答えなのだろう。
となれば僕自身の何かが計画の一部に組み込まれていると考えるべきだ。
姉さんはほんとに何も知らないのだろうか?
僕たちがバシュタナに行く理由はなんだ?
ドナテッラ様は何も話してくれない。ヴァレンティーナ様は彼女を天才と言った。彼女もまた見掛け通りの人物ではないのか?
一日中、食堂の日陰にじっとしているわけにもいかず、宿を取り、休むことにした。
今のうちに寝ておくのもいいだろう。眠れるとも思えないが。
宿は一部屋分、ベッドも一つだ。宿屋の主人が嫌らしい目つきでこちらを覗いた。
「さて、調べ物でもしようかな」
僕は本を一冊取り出し椅子に座った。そして、調べものをする振りをして、さっきの男のいた放牧地の辺りを探索した。
もういないか? あの親父どこに消えた?
周囲を探しても普通の農夫がいるだけだった。動きが速いな。
大金が入って朝から酒場にでも行ったかな?
見つけた!
町の門扉を潜った先の最寄りの酒場だ。
どうにも物騒な場所だな。こんなに朝早い時間なのに、多すぎる客だ。農夫なら一番忙しい時間のはずだ。飲んだくれていたら奥さんの蹴りが飛んでくる時間帯だ。しかも客は全員素人ではないようだ。あそこが、奴らのアジト、元締めでもいるのかな?
おや、気配を読まれたか? ん?
酒場の外に物騒な連中がいる。四…… 六…… 八…… 裏手にも二人。襲撃するつもりか?
手が足りないだろう。
なかには三十人以上兵隊がいるぞ。
「エルネストちゃん、何真剣に調べてるのかな?」
くそっ、遮られた。
「あら、エルフ語の本ね。勉強熱心ね」
背中に寄り掛かられた。
「ええ、まあ」
「なんの本なの? え? 地獄の業火術式? 地殻震動?」
あっ、適当に出した本が…… 昨日最後に読んでいた本だった。術式の簡略化をしてたんだ。より速く、より強力に。或いは威力を落として通常攻撃としての利用の模索。地殻震動は術式を見る限り定型だから、何度か見てイメージを取り込まないと応用は利きそうにない。だから今は放置。専ら地獄の業火を応用改造中。
ついでに省エネモードで身に纏い、超格好いい出で立ちを演出できるか模索中。悪い奴らにガンを飛ばすときのはったり用に使おうと思っている。
「エルネストちゃん、もう上級魔法使えるの?」
ドナテッラ様が動揺している。
「いえ、使ったことはないです。二、三度見たことがあるだけで」
「見たことがある?」
目を丸くされた。
そりゃそうだ。普通、戦でもなければ見られる代物じゃないからな。
「うちには姉やエルフがいますんで、魔法には事欠きません」
「噂には聞いていたけど、凄いのね……」
誰の、どんな噂だか気になりますけど。僕は本を閉じる。
「ちょっと厠に」
アジトの様子が気になった。
すぐに探りを入れたが、決着は付いていた。酒場のなかから生きてる者の反応は返ってこなかった。
「どっちが勝ったんだ?」
襲撃者が勝った場合、僕たちは乗合馬車には乗れない可能性が出てくる。
僕は部屋に戻ると、「少し空気に当たってくる」と告げて出て行った。お守りにヘモジを召喚しておいた。今回は目立つわけにもいかないのでヘモジも召喚せずにいた。誰もいない場所なら出してやろうと思っていたのでちょうどいい。
僕は周囲を警戒しながら酒場を目指した。
内防壁沿いの狭い石畳の先に人だかりができていた。既に守備隊がバリケードを作って野次馬の侵入を防いでいた。
「どうしたんですか?」
「酒場が襲撃にあったみたいだな」
「誰に?」
「さあな」
「知り合いがいるかも知れないんだけど」
「駄目だ。遺体の運び出しやらでこの辺りは封鎖される。しばらくは解除されないぞ」
「そんなに?」
「ああ、酒場にいた連中が皆殺しだとよ」
「やった奴らは?」
「さあな。旅の一団を見たって奴もいるが。そもそもこんな朝っぱらに三十人近い連中が酒場で何してたんだって話でな」
「物騒なのが伝染したんじゃないですか?」
「怖いこと言うなよ。ミコーレ公国は今、空前の好景気を謳歌してるんだぜ。こんなことで水をさされたんじゃ堪んないよ」
僕は野次馬から離れて宿に戻ることにした。
参ったな…… 付けられてるよ。
やり過ごせるかな……
僕は気配を消した。
駄目だな。しっかり付いてきている。僕の上をいく『隠遁』の使い手か?
だったら。僕は『ショートカット』で視線の届く最も遠い場所に転移した。周囲を見渡して誰もいないことを確認すると僕は宿に戻った。
「ただいま」
「お帰りなさい」
「ナーナ」
ヘモジが紙に書いたものを見せた。どっちが上か分からないような、くねくねした文字を見せられた。
「字を教えて貰ってたのか?」
読めなかったのでお茶を濁した。
「ナーナ」
「こっちが、『ヘモジ』でこっちが『エルネスト』よね。ヘモジちゃん、頑張ったのよね」
解説ありがとう、ドナテッラ様。新種の術式じゃなかったのか。
「上手に書けてるぞ、ヘモジ」
「ナナ、ナーナ」
嬉しそうに笑った。
「くれるのか?」
「ナーナ」
「ありがとう。ヘモジ」
「外が騒がしいようだったけど、何かあった?」
「酒場が賊か何かに襲撃されたみたいです。今朝方、僕たちが行った牧草地のすぐ近くの」
あの男の仲間が死んだとは言わなかった。僕が知っているわけがないのだから、ここは知らない振りをする。
ドナテッラ様があの非合法な奴らを事前に知っていたのなら、反応があっても然るべきだ。
が、その様子はなさそうだ。あくまで窓口を知っていただけのようだ。
下の階が騒がしくなった。
「何ごとかしら?」
扉がノックされた。
「僕が」
ドナテッラ様を制止して僕が扉を開けると宿の主人がいた。
「申し訳ございません。町でちょっとした事件が起こりまして、これから宿の検分を行ないます。お手数ですが、扉をこのままにしてお待ちください」
そう言ってちらりとベッドの方を覗いた。
ドナテッラ様があられもない姿で寝ているとでも思ったか?
ヘモジは扉の陰に隠れてハンマー片手に臨戦態勢を取っていた。
「さっきの話かしら?」
「恐らく」
「ヘモジ」
「ナーナ」
頷くと「チョウ!」と声を上げて、空を飛ぶような仕草をして飛び跳ねると姿を消した。
「……」
誰の影響だ?
「可愛いわね。ヘモジちゃん」
「ええ、まあ」
「検閲である! 所持品には手を触れるな。小僧、武器を置け」
検閲官がふたりドカドカと入ってきた。
扉の外の男と目が合った。
「あっ!」
「あッ!」
そこに立っていたのは見知った顔であった。
傭兵団『餓狼天使の牙』団長、アラン・ブランジェその人であった。他ならぬミコーレ公国皇太子ジョルジュ・ブランジェ候の弟である。




