閑話 パスカル君の災難1
「なあ、パスカル、休みはどうするんだ?」
同級生のミケランジェロ・マストロベラルディーノが内職中の僕に話し掛けてきた。
「実家に帰る前にスプレコーンに行こうと思ってるんだ」
仲間は彼をファイアーマンと呼んだ。
「そこって、あの『ヴァンデルフの魔女』が住んでる町か?」
「そうだけど」
名前が長くて覚えづらくて、炎系の魔法が異常に得意な彼は、周囲からそう呼ばれていた。
「俺も行っていいか?」
思ったことをやらずにいられない性格で、周囲の迷惑顧みず、ひたすら前に突き進む。ローブを着たイノシシ。魔法より心が熱い熱血馬鹿。起こした騒動数知れず、職員室に呼び出されることも茶飯事だ。だからファイアーマン。
壊したフラスコの数は三十を超え、保健室利用率でも振られた女性の数でもダントツのナンバーワン。一年の段階で『調合』の授業を免責され、調合室への立ち入りを学内で唯一禁じられた強者である。
思い立ったら身体が動いている質で、兎に角、なんでも試さずにはいられない。出所の分からない薬品であろうと、開発中の魔法陣であろうと手当たり次第である。
だからだろうか? 編入騒ぎで誰もが僕を遠巻きで見るなか、彼だけは体当たりだった。
僕たちはすぐに打ち解けた。
学校側は彼にブレーキを掛ける役ができたと喜んだ。実際、彼による破壊活動は抑制された。
でも僕が彼に何かしたわけではなかった。
ある日、エルネストさんから貰った『完全回復薬』と『万能薬』を僕に断わりもなく混ぜて、何も反応がないからと言って、流しに流してしまったのである。
その後、怒った僕から薬の正体を聞いて彼は心底懲りたのである。そりゃ、金額聞いたらね。僕だって青ざめる。
元々こんな高価な薬を無造作に薬品庫のなかに目薬と一緒に放り込んでいた僕も悪かった。
結果として彼は、慎重さを手に入れ、教師たちは心の平安を得たわけである。おかげで僕は教師の受けがよくなり、結構採点を甘くして貰っている。
そんなわけで今、春休みを前に僕たちは一緒に『生命探知君』の内職をしているわけである。
編入当初、僕を本の虫だと言ってからかったクラスメイトがいた。
恐らく僕がレジーナさんやエルネストさんの知り合いだと思って嫉妬したのだろう。そいつは嫌がらせに僕の本をくすねて、あろうことか本屋に転売したのだった。
するとその日のうちに学校の守備隊に拘束されて、彼は教師たちの尋問を受ける羽目になった。
なんでも転売した本は国宝級で所有者がはっきりしている希少本だったらしい。僕も知らなかったのだが、魔法の塔の次官様の所持品だったらしい。
僕も呼び出しを食らったが、本の出所がレジーナ様だと分かると、然もありなんと、簡単に解放された。
それ以来、僕の周りにある物すべてが高価な物だと周囲に認識されるようになったのである。
そして僕の隣でモクモクと内職しているのが、もうひとりの友人、ビアンカ・カンナヴァーロ、同級生のおさげの女の子である。
「まさか魔女に惚れたとか? 身の程知らず。寸足らず」
「誰が寸足らずだ! パスカルよりでかいからなッ!」
「ごめん、足りなかったのは頭の方だったわね。馬鹿なんだから集中しなさいよ。スペルミスもう三つ目よ」
父親は魔法の塔で、母親は地元で薬剤官をしているらしい。本人も薬剤官の資格を取るためにこの学校に来たのだそうだ。
因みにファイアーマンが割ったフラスコの三分の一は彼女の物である。不幸なことに僕が現れるまで、彼と同じ班を組まされていたのである。
彼女は僕の友達になれば高価な本が読めると思ってやって来た。
「友達になってあげるから、本読ませてよね」
真っ赤になってモジモジしながらそう言った彼女は筋金入りの本の虫だった。沸き上がる希少本への好奇心には勝てなかったのである。
お互い友達が少なかったので、同じ趣味を持つもの同士仲良くしようということになったのである。
「わたしも行くからね!」
春休み、なぜか三人で僕の恩人のお宅を訪ねることになった。
最寄りの町からポータルでスプレコーンに飛んだ。
簡素な町まで学校側が増便してくれた乗り合い馬車に乗って二時間。そこからは一瞬だった。
僕たち三人はぽかんと上を見上げたまま固まった。
真っ青なタイルに覆われた城壁が目の前にそびえ立っていたのだ。
「きれい……」
ビアンカが呟いた。
「なあ、パスカル。ここってほんとにスプレコーンなのか? これのどこができて一年の町なんだよ。この壁作るだけでも何年かかるか分かったもんじゃないぞ。手前のアルガスじゃないのか?」
ポータルの番兵に尋ねたら間違いないと言われた。
「マジかよ……」
ファイアーマンも茫然自失だ。
石橋を渡ると城門前で門番が入場のチェックを行なっていた。
僕たちも最後尾に並んで、通行税を用意する。
「ここの通行税っていくらなのかな?」
「でかい町だからな。安くないよ」
看板を確認しようと列から顔を出したら、兵隊さんがこっちを手招きした。
僕は後ろを振り返り、誰もいないことを確認すると、「僕を呼んでるのか」とジェスチャーで尋ね返した。
門番が頷くので、ふたりに列を任せて、僕は門番の元に向かった。
「魔法学校の生徒さんだね?」
僕は頷いた。
「若さ…… エルネストさんのお知り合いかな?」
「はい。エルネストさんは兄弟子です」
「お友達と一緒にあの猫に付いていくといい。この町は通行税は取っていないから商売人以外は並ぶ必要はないよ」
猫?
僕はふたりを呼び寄せて、郵便ポストの上で遠くを見ている黒猫に近寄った。
振り向いた猫と目が合った。
「名前、何?」
「猫がしゃべったッ!」
僕たちは驚いて、尻餅をついた。
「名前……」
猫がまた聞いてくる。
「ええと、パスカル。パスカル・ザクレス!」
「ちょっと待って」
背中の鞄を器用に前に持ってきて蓋を開けた。
「かわいい」
あまりの仕草のかわいさにビアンカが顔を寄せた。
「これ」
ビアンカの顔の前に大きな石を差し出した。
それは転移結晶だった。
「若様、急用入った。それ使って合流する」
ポストの上からおりると猫は移動を始めた。
「尻尾が二本ある!」
「ちょっとパスカル君、あれって伝説の猫だよ」
伝説?
「凄い、この町にエルフがいるんだ!」
ビアンカはひとり感激して猫の後に続いた。僕たちは後でこれがエルフの飼い猫、猫又だと教えられた。
僕たちは人通りの少ない場所まで移動すると転移結晶を発動させた。ゲートが開くと猫がまっ先に飛び込んだ。
「ちょっと!」
僕たちは順番にゲートに飛び込んだ。
「やあ、いらっしゃい」
エルネストさんがいた。
「こんにちは、エルネストさん」
そこは天井がやけに高い石造りの巨大倉庫だった。
「悪いね、せっかく来て貰ったのに。急用が入ってしまって。今から少し出なきゃ行けなくなったんだけど。どうせなら一緒にどうかと思って、待ってたんだ」
「ええとこちらは、ミケランジェロ・マ……」
「マストロベラルディーノです。お噂はかねがね聞いてます、エルネストさん。ファイアーマンと呼んでください」
「わたしはビアンカ・カンナヴァーロです。突然無理を言って申し訳ございません。しばらくご厄介になります」
「エルネスト・ヴィオネッティーです。パスカル君のお友達なら大歓迎です。ゆっくりしていってください。連中の紹介は後でね」
大勢の大人たちがせわしなく動いていた。気になるのは不似合いなほど幼い獣人の子供たちがいることである。
「棟梁、物資が一つ多いよ」
可愛い獣人の女の子が窓から顔を出した。
「ああ、すまんな、チコ。一つは差し入れの酒だ。一緒に運んでくれ」
「わかった。お姉ちゃんにそう言ってくる」
なかに引っ込んだ。
「これはなんなんですか? 船みたいですけど……」
それは大きな船倉を二つ、上下に二枚貝のように合わせたような形をしていた。
「それは内緒。テト」
「チェック完了。いつでも行けます」
別の窓から別の子供の顔が覗いた。
「じゃあ、棟梁、行ってきます」
「気を付けてな」
「全員乗船ッ! 出発する!」
「ハッチを開けろーっ」
「さあ、みんなも乗って。積もる話は後だ」
僕たちは案内されるまま付いていく。
「これって乗り物なの?」
「なんかわかんねーけど、かっけー」
僕たちは未だかつて見たこともない大きな乗り物に乗り込んだ。
僕たちの最高のバカンスの始まりだった。




