蒼い屋根
今日も屋根が吹き飛ぶ音がする。
窓の外を見るといつものあの家の屋根が吹き飛んでいた。
うちの屋敷から見下ろした赤煉瓦屋根の街並みの一角、修理が間に合わずいつも屋根に木の板が貼られている家。この屋敷に住み着いてしばらくして気づいたこと。それは数日に一度の割合であの家の屋根が吹き飛ぶことだった。
「あいかわらずにぎやかだな」
さすがのヴァレンティーナ様も頭をかいている。
「ちょっと弟君見てきてくれないかしら。怪我人がいたら大変だから」
「えー、起きたばっかりなのに」
「わたしもそうよ」
「みんなは?」
「昨日は強行軍だったから、まだ寝てるわ」
「いつも何やってるんです?」
「任務上の秘密よ」
蚊帳の外というのはあまり気分のいいものではないのだが、彼女たちの本業の話なので、取りあえず姫様のアンニュイなネグリジェ姿を拝めただけでよしとする。
僕は外套を寝間着の上に羽織って、薬の瓶を片手に家を出た。
問題の家の周りにはすでに野次馬が詰めかけていて、朝の井戸端会議が始まっていた。
恒例行事のようなもので今では衛兵も見て見ぬ振りをしている。
この家の持ち主は冒険者を生業にしているブームさんという旦那さんと、アンジェラさんという名の女将さん夫婦だ。
「怪我人は?」
「嗚呼、みんな慣れたもんさ。問題ない」
僕は野次馬のひとりに尋ねたらそんな答えが返ってきた。
「いつもお騒がせして申し訳ございません」
身重のアンジェラさんが群衆に向かって頭を下げている。
「なーに気にすんな、悪いのは旦那だろ。思いっきりぶん殴ってやんな」
「子供が生まれるってのに、仕方のない旦那だね」
玄関先で酔いつぶれている旦那が吊し上げられていた。
話に聞けばブームさんというのは酒さえ飲まなきゃいい人らしく、日頃はなんのことはない善良な冒険者だという。だが、たまに稼いだ金を持ったまま、酒場に足を向けてしまうのだそうだ。そして有り金全てをばらまき、朝帰りという体たらくなのだそうだ。
アンジェラさんは当然おかんむりで、夫のだらしない姿を見る度に癇癪を起こしているという訳だ。引退したとはいえ、アンジェラさんも元冒険者、癇癪だけでは済まずに屋根が消し飛ぶという顛末だった。
「修理終わったよー」
屋根から顔を出したのは二つの獣耳を持った見慣れた少女であった。
「リオナ!」
「エルリン!」
屋根から飛び降りるととことこと走ってやって来た。
「おはよう」
「お、おはよう。早いな」
すでにリオナは服に着替えている。
「ありがとね、リオナちゃん。いつも悪いわね」
いつも?
「おばさんたち高いところが苦手だから助かるわ」
街のおばさんたちが礼を言ってくる。
なに? 知り合い? いつの間に?
「適材適所なのです。朝はまだ寒いのです。お腹の子に悪いのです!」
余った釘とトンカチを工具入れに戻しながらリオナが言った。
「まったくだよ。子供にもわかることなのにどうしてこの男にはわからないのかねぇ」
すっかり街の奥様連中に標的にされている旦那だが、深酒が過ぎて高いびきである。
「これがなきゃ、いい人なんだけどねぇ」
その場の全員が「まったくだ」とうなずいた。
「帰ります」
「もう行くのかい?」
「お迎えが来たので」
そう言うと僕の腕に手を回した。
「おやまあ、こっちのカップルは熱々だねェ」
今度はリオナがおばさん連中にからかわれた。
リオナはまんざらでもない顔つきで、手を振りながらみんなと別れた。
僕たちは家に戻ると、ことのあらましをヴァレンティーナ様に話して聞かせた。
「ブーム・ワトキンスか…… 懐かしい名だ」
旦那のことを知っている口ぶりだった。
それから数日もしないある日のこと。リオナが泣いて帰ってきた。
ブームさんが、亡くなったという。
名誉挽回のためか、将来の出費を真剣に考えた末か、いつも慎重な彼が高額な依頼を受けたのだそうだ。そして、この日に限って神はそっぽを向いていた。事情を聞くのも気の毒で、僕はそれ以上のことを聞けなかった。
彼の葬儀には大勢の人が参列した。
飲み屋で世話になった者、冒険者仲間、街のあらゆる人たちが男女問わず最期の別れを惜しんだ。
アンジェラさんや近所の人たちも驚くほど多くの人たちが詰めかけた。
ブームさんの生前の人柄が偲ばれる。
「ブームさんのおかげで家族ができました」
若い冒険者が妻を抱きながら泣きじゃくる。
「大怪我をしたとき宿代を立替えてもらって、医者の手配までして貰って、あのときは本当に……」
冒険者らしい大男が天を仰いでむせび泣く。
「家族に不幸があって落ち込んでいたわたしをいつも励ましてくれて」
「仲間の皆さんを紹介していただいて、うちの店もようやく軌道に乗ることができたんです」
奥方の知らない旦那の遍歴が次々に語られる。
お金は酒代にすべて消えていたわけではなかったのだ。
そういえば僕も……
遺影を見ていたら、どこかで会っているような気がした。
それは行きつけの食堂だった。家のみんなが出払っているとき、リオナとふたり外食するときに利用する近所のこざっぱりとした食堂。
「新人か。小さな子を連れて大変だな。この町で何か困ったことがあったらいつでも言いな。俺はブーム。この街の冒険者だ。街の相談役のようなことをしている。そう警戒するなって。連絡先は――」
身体の大きながっちりした人だった。
リオナは自慢の鼻でこの冒険者を探り当て、身重の奥さんとも知り合いになったらしい。
僕とリオナは長い参列に加わった。
それはまだ肌寒さの残る早春の季節であった。
行き交う人たちは板を貼り付けただけの故人の家の屋根を見上げ涙を浮かべた。
もうあの家の屋根が吹き飛ぶことはない。




