エルーダの迷宮4
今日の目標は『兜割』の効果の確認である。午前中は、荷車なしで、様子見である。あの甲羅を切断できなければ荷車は無駄になるからだ。きのうの戦闘で、剣の魔力残量が残り四回分になっていたので、魔石で補充した。
きのうの一戦だけで三セットと八回分、魔石二個と少し、銀貨二十二枚分を消費した。やはり脚は回収しておきたい。
きのうと同じ場所に蟹はいた。
どこから湧くんだろうか?
僕はきのうと同じ戦法で戦いを開始した。しかし、状態異常がなかなか、かからなかった。結局一度もかからずに剣の魔力が尽きた。急いで補充して戦いを再開したら、こんどはあっさり即死した。
『兜割』を試せなかった。
脚をお持ち帰りするために、『兜割』を発動させて剣を振り下ろした。ぐしゃりという音と共に殻が砕けた。
やった! いける。
何度か振り下ろして切断に成功。途中目まいがして、遺体が消えるまでに結局三本しか回収できなかった。どうやら、『兜割』はスタミナを消費するようだ。
魔石を回収すると脚を両肩に担いでその場をあとにした。残念ながら三本すべては持てなかった。
冒険者ギルドに併設している商業ギルドで脚を二本売ったお金で、武器の魔力補充用の魔石を二個買った。午後からもう一度チャレンジするために荷車も借りた。ギルドが無料で貸してくれた。もちろん壊せば弁償だ。
気づいたらレベルが十になっていた。『スタミナ回復(一)』のスキルが増えていた。
ううむ、スキルってなんだろ?
『認識』スキルがなきゃ、存在すら知られなかったもの。生涯知らずに済んだもの。知らなくても使えるもの。街のおばちゃんは生活魔法を当たり前に使っている。火をおこし、食材を凍らせ、風を起こして埃を掃き、土の魔法で畑を耕す。
午後再び迷宮に潜った。今度は荷車を転がしながらの移動だ。静かな迷宮のなかで車輪の音が響いてうるさい。
熊除けの鈴じゃないんだから、これじゃ敵に見つかっちゃうよ。
適当な場所に放置して、午前中のポイントに向かった。
いなかった。置いていった脚は何者かに食われたようで殻だけが残っていた。
そうそう都合よくいかないよね。
へっぴり腰で探索を開始した。五分ほど彷徨ったところで、同じような部屋を見つけた。
「……」
ここでも地下蟹は挟まっていた。
どうやって部屋に入ってるんだ? ほんとに、こいつらは。迷宮ではこれがデフォルトなのか? 確かに迷宮の深部にはドラゴンのような巨大な魔物もいるというからな。迷宮の入口の大きさを考えたら、どこから入ったんだということになるけどさ。
わかった! 考えないことにしよう。
確かこの手のうんちくはマイバイブルに載っていた気がする。実家に帰ったときにでも調べておこう。今は探索中だ。気を引き締めねば。
僕は戦闘を開始した。今度は毒に始まり、疫病になり、最後は石化した。
石化したら脚が回収できないだろうがッ!
魔石は問題なく回収できたが、へこんだ。臨時収入がないと明日の分の宿代が払えなくなってしまう。
荷車をコロコロ転がして、僕は次の場所を探した。
今度は廊下にいた。
やばっ、どうせまた挟まっているんだろうと油断した。荷車の音で気付かれたようだ。こっちを警戒している。こうなったら目くらまし香は効かない。
僕は荷車をそのままに、急いで撤収して距離を置いた。僕は物陰に隠れて様子をうかがった。『認識』スキルを作動させて影から向こうを覗き、蟹の警戒心が解けたかどうか何度も確認をした。
十分ほどしたところでようやく警戒が解かれた。
僕は香を焚いて、足元に転がした。
今回は閉鎖空間ではないから効きが弱くなるかもしれない。狭い場所なら三十分は持つが、広い場所では拡散してしまって数分持てばいい方らしい。どのみち時間はかかるまい。
周囲を改めて警戒し、他に敵はいないことを確認すると僕はゆっくりと接近した。
「兜割ッ!」
最初の一撃を鋏のある前脚に放った。みごとに殻に食い込んだ。やった、と思ったが、次の瞬間、猛烈に後悔した。
食い込んで抜けなくなったのだ。『嫌がらせの剣』の方がだ。
このままでは状態異常が入れられない!
とっさに腰の剣を抜き、もう一度同じ場所に『兜割』を叩き込んだ。脚といっしょに剣が床に転がった。
僕は落ちた『嫌がらせの剣』に手を伸ばした。
目の前が突然白くなった。
僕ははじき飛ばされ、硬い床に叩きつけられていた。
鈍器か何かで頭を思い切り殴られたようだ。痛みが全身を駆け巡った。
頭上を見上げると大きな鋏をでたらめに振り回す蟹の姿があった。あれに殴られたのか? どうやら兜越しに、きれいに一撃食らってしまったようだ。
起き上がろうとしたが、足に力が入らない。脳に受けた衝撃で運動神経が麻痺しているようだ。
「くそっ!」
早く起き上がらないと。
暴れる鋏が振り下ろされた。
僕のすぐ横の床が陥没した。石煉瓦の破片と土塊が僕を襲った。
僕は必死に身体をひねり、転がって距離をとった。壁の隅まで転がると回復薬を口に流し込む。
頭痛がゆっくり治まり、足に力が戻ってきた。
僕は起き上がると、体勢を取りなおして呼吸を整えた。慎重に、なるべく低い位置から接近し、『嫌がらせの剣』を回収した。
鋏が僕のいた場所めがけてまた飛んできて床を穿った。
こいつッ! もしかして見えてるのか?
顎がカチカチ忙しそうに鳴っている。口元の毛の生えた触覚が細かく震えている。複眼が表情もなくこちらを見すえている。
僕は鋏と反対側に回り込みながら、接近して脚を切りつけた。こんなときに限って状態異常が発動しない。剣の魔力も底を尽きる頃、蟹が身体ごと一回転した。鋏を最大限に振り回したのだ。
「なッ!」
僕はとっさに剣で鋏を防いだ。剣は荷車の置いてある場所まで吹き飛ばされて、僕は壁に打ち付けられて気を失った。
目が覚めると切り取られた前脚だけを残して、やつは消えていた。
「即死効果が発動したのか?」
魔石も消えている。僕は荷車に残された前脚を載せて、迷宮をあとにした。
あれだけやって、脚が一本だけ……
午前中とは対照的な結果にうなだれた。
宿に戻ると頭のなかでしたくもない反省会が始まった。考えないようにしても次から次へと悪い記憶が蘇る。
警戒された段階で逃げるべきだったんだ。いきなり『嫌がらせの剣』で『兜割』とは、呆れてものが言えない。せめて自分の剣ですべきだったんだ。あの剣は攻撃力一だぞ。お前は馬鹿か。不注意にもほどがある。あれがなければ時間を無駄にはしなかったんだ。そもそもあの場所で戦ったのが間違いだ。地形を利用するのは戦闘の鉄則なのに。
考え疲れて天井を見上げたとき、ふと最後の即死効果がなかったら自分は今頃死んでいたことに思い至った。
僕は急に背筋が冷たくなって頭から毛布をかぶった。どんなに毛布にくるまっても身体の震えは治まらなかった。
「どうしよう…… 明日の宿代払ったらもうお金ないよ」
予約掲載の設定にはまってます。一週間分予約してみた。
本文の修正、随時していきます。
大丈夫と思っても次から次へと出てきます。